写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】高井博「16分間の同僚」@ニコンプラザ大阪 THE GALLERY

ミニドラマのようなタイトルに全てが込められている。今から30数年前、電車を乗り継いで職場へ向かう作者は、通勤中に出くわす見ず知らずの人々を、射し込む光とともに、「同僚」として写真に収めていた。

 

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【会期】2020.9/3(木)~9/9(水)

 

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1980年代半ば~後半の白黒スナップ写真が、波打つような線形となって会場の壁を這って展示される。一枚ずつに振られた番号は、撮影年月とネガの順番である。並びは時系列に則さず、追憶のカレンダーのように日々を刻んでいく。

撮影の舞台は、通勤中の駅構内や電車内である。居合わせる人々もまた、多くは通勤や通学の最中である。そこは日常の根幹であると同時に、公共の場である。通勤の当事者の立場から切り取られたスナップは、予期せざる効果として、私性を超えた公共的な時の流れ、時代性を留めている。

1980年代は、私もまだ思春期以前のため記憶も特に残っていないのだが、昭和末期~平成に切り替わる頃の日本の光景が断片的に・克明に写真には写り込んでいる。社会の資料集を見る時のように、今現在の「日常」との比較が脳裏に自動的に走っていく感じがする。そのドライヴ感が楽しい。ひとつは言うまでもなく交通機関の環境、ハード面の差異である。電車の車両、駅ホームの作りが一昔前のもので、どこかに記憶があるので、照合が自動的に行われるのだ。もう一つは、最も狙い澄まして撮られているのは人物なので、一人一人の服装や髪型、顔立ちなどのファッション、通俗的な記録としての意味合いが強く働く。それは特に女性によく表れている。

 

時代が変わったことを最も強烈に思い知らされるのは、不特定多数の被写体から身を(カメラを)隠すことなく相対したり、正面から擦れ違いながらシャッターを切っているという、写真的事実そのものだ。正面から・・・公共の場で・・・ この30年で別世界へと変化したのは、フィルムからデジタルへの変化、ネット回線とモバイル端末の発達だけではない。それに匹敵する大きなインパクトが、人の「顔」を初めとする「個人情報」の概念の発達である。本作には、写真的行為の大前提が異なる時代の醍醐味と日常がある。その再発見が、斬新なのだと思う。

 

 

だが、本作の特徴的な点は、記録性と懐かしさだけではない。

 

鑑賞時に、印象に最も刺さるのは、光の力だ。

通勤時間帯にあたる朝・夕の陽射しが、斜めから強く射し込み、相対する人物、すれ違う人物らを浮き彫りにする。あるいは、列車の窓ガラスに像を反射させたり、ガラスの向こうにいる人物を幻惑的に包み込む。

 

追憶の彫刻のような輪郭と質感で、人々は変わらぬ時の中に生き続けている。

作者は乗客を「同僚」になぞらえる。乗客は毎日、ほぼ同じ時間の通勤電車で、定位置につく。作者は乗客らを、自分と同じ人生の仲間として見つめ、自己の揺れ動く心情を重ね合わせながら撮っていたという。

光がふんだんに取り込まれているのは、その私情を託すためのスクリーンとして作用しているのかもしれない。

この時代は、当然ながら車内や駅構内で、誰もスマホを手にしていない。薄暗い公衆電話スペースに群がる人々の姿は、つながりのインフラ、ネットワークが民衆の手元には存在していないことを物語っている。それら無しで、生身ひとつで、不特定多数の「誰か」と直接的に「つながる」――意思疎通を行うことは、ほぼ不可能だろう。運命にも似た偶然が味方しない限り、一方の抱いた主観は片想いにも似た幻想、素朴なフィクションのまま、受け取る相手のいないボールのままであっただろう。

 

写真に取り込まれた光は対象のリアルを暴くためではなく、記録を精緻にするためでもなく、こちらとかの人との間を満たすスクリーンとなって、一時の幻想をもたらす。

作者が強く射し込む光を介して、眼前の「乗客」を架空の「同僚」として想いを馳せるとき、スマホSNSとはまた別種の「つながり」が、そこに確かに生まれていたのではないだろうか。

 

今では失われてしまった感覚なのかもしれない、

 

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( ´ - ` ) 完。

 

※なお、本作は撮影禁止のところ、作者の了承を得て撮影させていただいた。