写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】R2.8/13_梅谷隆介「遠回り」@大阪ニコンサロン

観光という積極的な、享楽的遁世のうちにある人々が撮られている。どのカットもシュールなだけでなく、なんだか温かい。

 

f:id:MAREOSIEV:20200813200206j:plain

【会期】2020.8/6(木)~8/19(水)

 

実に何気ないカットが無数に並ぶ。どれも不思議なスナップで脈絡がない。間の抜けた、決定的瞬間を掴まない、緩んだ時間が撮られている。

その登場人物らは、観光客や、観光先でゲストを迎える職員らなのだった。

タイトルの「遠回り」とは、カメラマンである作者がスポーツ取材で全国を飛び回る中で、目的地へと真っ直ぐ向かわず、できるだけ回り道をしては観光地っぽい駅などに立ち寄って、偶然の出会いを楽しむ営みを意味している。そうやって47都道府県を回ったという。

 

f:id:MAREOSIEV:20200813200038j:plain

f:id:MAREOSIEV:20200813200100j:plain

作品のサイズはほぼ均質で、壁1面に1枚の割で巨大なカットが登場するぐらい。リズミカルな配置と大きめのマットにより、余韻が広がる。そのせいか、写っている人物と場所の脈絡のなさ、ポーズの無意味さ、写真の並び・繋がりの謎を増幅させる。冒頭に書いたような作者の出自やコンセプトはいちばん最後に掲示されているので、これらの写真群がどういった経緯で撮られたものか、延々と謎に包まれたまま鑑賞することになる。

 

勘がよければ、冒頭の大伸ばし写真;富士急行の「富士山ビュー特急」と「富士登山電車」の並びで「観光地・観光客」というテーマに気付くだろう。続いて、箱根の大涌谷と思わしき噴煙立ち込めるビュースポット、手すりに身を預ける外国人観光客らの列が、典型的な「観光」を物語る。そうした典型的なカットも散見される。鎌倉の大仏様や大阪の新世界など。が、多くは何処なのか分からないその場に偶然居合わせた、何をしているのか分からない観光客と思しき人々の、油断と隙にあふれたカットがユーモラスに続くので、「観光」という概念は見失われる。

 

f:id:MAREOSIEV:20200813200120j:plain

f:id:MAREOSIEV:20200813200145j:plain

f:id:MAREOSIEV:20200813200226j:plain

観光地での観光客の浮かれっぷりや虚飾をこってりと浮き彫りにするのはマーティン・パーの素晴らしき御業だが、本作はもっと穏やかで、水ようかんのように形がない。まるで全国に散らばった親類縁者を訪ね歩いてきたかのように、親し気でさえある。

被写体らは大きく2種類あって、カメラをまるで認識していない無防備な写真と、声掛け・了解の後の上で撮られている写真だ。どちらの写真もなんだか隙だらけなので、ポートレイト・人物写真というよりも、親が撮った家族アルバムの中に見出される意味不明なテスト・ミスのカットを思い出させる側面もあると感じた。 

 

f:id:MAREOSIEV:20200813200251j:plain

f:id:MAREOSIEV:20200813200310j:plain

f:id:MAREOSIEV:20200813200012j:plain

これらの写真群における最大の特徴は、被写体らが総じて薄っすらとハッピーであることだ。少し高めの温度でエモーショナルを湛えている。その暖気が、シュールな隙を狙って掠め取る「写真」の眼を緩和し、親しみへと変える。

目的地=目当ての観光地に着いている人々が撮られているせいか、被写体にも写真にも、究極的に、目的がない。メッセージを持たない。それが写真に宿る優しさや親しみの正体であるかもしれない。

固有名詞や肩書き、プロフィールを脱いだ瞬間。享楽的遁世。人々がまた社会と経済のシステムへ回帰するまでの、離脱のひと時がここにあるのだろう。これらの写真が撮られた時期は不明だが、マスクやフェイスシールド着用者が見当たらないところからすると、新型コロナ禍以前に撮り溜められたものだ。本来はこうした、穏やかでしたたかな民衆の喜び、積極的なかりそめの遁世が、全国で乱舞されるはずだったのだが、今夏はとても残念な状況だ。 

 

またこのような「遠回り」が歓迎される世になることを祈って。

 

( ´ - ` )完。