nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】リボーンアート2019 ①宮城県・桃浦エリア(防潮堤、ファーム)

2019.9/21-22にかけて、駆け込みで「リボーンアート2019」を鑑賞しました。結論として、往復4万円掛かったけど、無理して行って良かったです。再生途上にある東北と、それと呼応する(せざるを得ない)表現との兼ね合いに、久々に「被災地」「311」を思い出した感があります。つまりそれまで忘れていたわけです。薄情ですね人間は。

エリアごとに記録をメモします。

【会期】2019.8/3~9/29

 

  

 

仙台駅から車を走らせ、1時間ちょいで石巻駅、さらに30分で桃浦エリアの駐車場です。リボーンは宮城県石巻市の市街地と牡鹿半島+網地島、全7エリアでの展開です。1泊2日でどうやって回るねんと、半ばあきらめでノープランでしたが、旅マスター・小唄氏の参戦により最適プラニングが実現しました。わあい。

地図では、仙台はもっと北です。石巻から南東へ向かい、まず最寄りの【C】桃浦エリアから順に下っていきます。

 

各エリアですが、作品一つずつを車で回らされるのかと思っていたら、エリアごとに至近距離でまとめられていました。道を走っていると駐車場への案内板が出現し、1日500円で駐車(当日中なら全会場で駐車可)して、後は看板に沿って歩いて回れば鑑賞できます。

(以降、作品名のNo.はこの地図に対応)

 

桃浦の駐車場~インフォメ~沿岸部を観て、小学校手前まで行きます。作品間の距離が離れているように見えますけども、かなり拡大されているので実は徒歩で軽く回れます。

桃浦エリアの最大の特徴は、防潮堤です。海がすぐそこにあり、土地と海を隔てる白い防潮堤が新しく設置されています。暮らしや命の保護とも見えるし、海との分断にも見えます。草間彌生の水玉も、白い壁の前ではいつもと雰囲気が違って、食われているように見えます。

 

◆【C1】久住有生Naoki Kusumi)《淡(あわ)》

周囲から2~3mは積み上げて嵩上げしたところに、民家があったと思われますが、少々の残骸と家の間取りの痕だけが遺されています。たぶん津波が全て攫っていったのだろう。儚い。

作品は、植物の胞子のような、海の泡のような球体です。ここが一度、海に沈み、海の一部となったことを暗示しているかのようです。

持ち上げてみると軽いです。手前の積んである石たちは、作者によってではなく観客が少しずつ手を加えて遊んだ痕跡かも知れません。散り散りになっていた泡が、身を寄せ合って集合していく様は、まるであの時、ちりぢりに避難する中で、同じ場所へと集っていった人間たちのことを思い起こさせました。

と、どんな些細なことも311の時点に引き戻されて連想してしまうのが、本企画の尋常ならざる点だと気付きました。他の地域おこしイベントとは一線を画しています。私は避難所の光景を思い出しながら、しばらくフリーズしてしまいました。

 

 

◆【C2】草間彌生《新たなる空間への道標》

他の地域であれば純粋に「あっ、いつもの水玉」と、半ばエンタメ的に触れることが出来たかと思うのですが、土地に宿った物語や記憶が強い場所では、草間文法が却って邪魔というか、そうではないのでは? と感じてしまいました。

何もない原っぱの中で、存在感は素晴らしいし、ビジュアルとして言うこと無しなのですが、如何せんここは作家が作家性を語る場ではない、と反射的に感じてしまいました。

『この素晴らしい彫刻に対する大いなる感動を、毎日語り続けていく我々の人生観を忘れない。すべて万歳 彫刻よ万歳 赤い彫刻よ万歳』との作者メッセージですが、そうした芸術家の熱い魂や声をも無に還すような出来事が現実にあったわけで、声や人生や彫刻を無に還した海や津波や地球とどう向き合うかという現実的な問いが主題なのでは、と思いました。ファンに刺される。ひい。 

 

◆【C3】SIDE CORE《Lonely Museum of Wall Art》

「SIDE CORE」とは企画の度にメンバーが流動的に入れ替わるアーティストグループで、ここでは4組が参加。MoMAならぬ「MoWA」を防潮堤の上に築き、仮設の工事現場感の漂う美術館を展開しています。その内部では「壁にまつわるアート」を展示。

ごらんください。防潮堤と一体化しているではありませんか。何と正しい「美術館」なのだろう。さぶいぼが出ました。素晴らしい。白さの具合といい、材質のあり合わせ感といい。今後の復興の中で街にはまた立派な文化・芸術関連の施設も次第に立ち上がっていくのかも知れませんが、「美」や「美術」の権威を鼻で笑うような企画、まさにストリートアートの流儀です。

仮設住宅があるならば「仮設美術館」があっても正解、しかも展示内容もまた評価の定まらない・非常にクリティカルで流動的でトラッシャブル(造語)(ゴミめいたものたちの意)なものであっても正解、という、反骨と生命力溢れる企画です。 

 

中に入るよ。

◆【C3】SIDE CORE_EVERYDAY HOLIDAY SQUAD《Wall Art Research》

世界各国の「壁にまつわるアート」を木炭ドローイングとテキストで解説。ポップな、ストリートアートの手法で、壁とアートの関わりを語る。それらは世界各国における「壁」という政治の状況を語っており、ベルリンの壁バンクシー、トランプ政権などを振り返ることが出来る。その一部に、東日本の沿岸部の防潮堤も組み込まれるのだろうなあ。壁は政治ですよ。お金がかかるし、建てるのにお上の声とかハンコが要るし、一度立ったら消えないから。

 

◆【C3】SIDE CORE_EVERYDAY HOLIDAY SQUAD《Looking From Otherside》

主として2枚の大きな壁画で構成。絵には壁が描かれているが、2枚の絵ではそれぞれ、1枚の壁を挟んで裏・表の情景が描かれている。脚立とそれに乗ったキャラが目印。

登場するファンキーなキャラ達は、作家がこれまでに描いてきたキャラクターを集めたもの。SIDE COREは当初、防潮堤自体に絵を描こうとしたが、許可が下りなかったという。この絵は本来、防潮堤に企てようとしたアクションの種のようにも見える。

 

◆【C3】SIDE CORE_EVERYDAY HOLIDAY SQUAD《MEMORIAL GARBAGE》

みっちりあるなあ~。部屋を埋め尽くす写真やイラスト、看板、本、映像、これはもっと時間をかけて見たかった。イメージの集合だがどれも味わいがある。タイトルが、ゴミ?とんでもない!でも情報としての一貫性とか、ビジュアルの美しさとか、本来的に求められる性質でいえばどれもわけが分からなくて「ゴミ」なのかもしれない。

これらの写真は作家が手掛けてきた現場の写真であったり、本や資料はアート、壁に関するものだという。作家は自分で路上やストリートアートを「ゴミ」と形容していることになるが、なぜか白い展示空間に集められたとき、路上の標識や写真は路上について生の声を語る証言者となって立ち現れるのは不思議な作用だ。ごみではありません。

 

◆【C3】SIDE CORE_BIEN《Through the Mirroing Wall》

「MoWA」からいったん外に出て海側へ抜けると、防潮堤のふもとに巨大な木の板(=壁)が立てかけてある。その内側にはトライバル?原始的な模様が。 壁の壁、その中を通り抜けることが出来るが、これは古材に残った虫食い痕のランダムな模様を参照して作られたそうだ。街中で電柱や壁やシャッターに書き込まれるタグ、落書きの多くは判読不能な模様とも文字ともつかない何かであることが多いが、それらを拡張したようでもあるし、自然界の側から近似性を指摘するものとも見えた。

 

◆【C3】SIDE CORE_リヴァ・クリストフ(Riva Christophe)《クリ小屋 / Chri Room》

なんかもう凄いんですけど。 変形した人面のグラフィティのオンパレード、部屋に辿り着くまでの通路も全て顔で埋め尽くされている。かつての大阪・アメ村や渋谷もここまでブチ切れていなかったなあ。ストリートの流儀が敷き詰められている。

作者の出身地は何と大阪らしい。フランス、中国での生活経験があり、今回の展示では中国の杭州で2年間、無許可で制作した絵画やグラフィティのようなものの記録写真も加わえられている。日本人離れしたセンスでありつつ、日本語、特にひらがなの使い方には年齢不詳な不思議な余韻を残す。素通りできない作品群です。ちなみに杭州では「場所や内容を選べば街で絵を描いてもよい」という、日本とはまた異なるコミュニティの判断の在り方があったようで、「壁」という公的な場(=公共)を巡る話に繋がっていく感。

 

◆【C3】森山泰地(Taichi Moriyama)《孤独な水神 / Lonely Water God》

ブイ、木材などから成る巨大な祭壇。ご神体と賽銭箱。これらは日本のどの漁港にも転がっていそうなものばかりだ。だが縦に、天に向かって組み上げられたとき、なぜか私達はそれを神聖なものと見なしてしまうようだ。タイトルを見るより先に、それ(水神)に近い存在を想起していた。タイトルを見たとき「やっぱりね」と感じた。津波の夥しい漂着物から生まれたのだろうか。

あの時、水の神はやはり居たのだという否定できない思いと記憶を、あり合わせの材料で仮ごしらえして、祀り、敬意を払わざるを得なかった、そんな人間の古くからの心情を、ここに見た気がする。また同時に、暮らしと海とが巨大な防潮堤によって隔絶されてゆく中で、忘れ去られてゆく「海」の痕跡を見たようでもあった。複雑な気分でした。

 

 

次は内陸に向かって歩きます。 

防潮要塞ですよね。人類は何と戦っているのだろうか。よくわからなくなってきた。

 

◆【C4】パルコキノシタ《命は循環していて、命は神に送られて神は命を人に与える。我々の魂は永遠に続く》

木で編まれた巨大な豚さん。人間に捧げられた山の恵みを象徴しているようだ。かわいい。鼻先には供え物。胴体の穴には花と絵画。そして背後の小高い土地には本物の子豚。たまに鳴くので、このオブジェが鳴いてるのかとびっくりします。

 

捧げものは水と、謎の円盤状の装置。どうやら太陽電池のようだ。大地の化身に太陽由来の電力を捧げるというのはウィットが効いてる。原発もいろいろありましたからね。おらたちの大地と水をかえせ。 

オブジェの腹の中は、小さな楽園のようになっています。

 

 オブジェの裏手は小さな農場で、本物の子豚がおり、うろうろしています。

 

初日の最初の会場がこの桃浦エリアだったのですが、がぜん楽しくなってきたのと、今まで経験してきた地域アートイベントとは根本的に、根っこの意味が違うし、現在もずっと「311以降」という状況が連続している。そのことが伝わるので、これはなんか、こう。えらいこっちゃやで。

 

小学校の中に入りましょう。 

 

( ´ - ` ) つづく。

 

 

www.hyperneko.com

www.hyperneko.com