今年が初のアートイベント『奥大和 MIND TRAIL』。吉野、天川、曽爾(そに)の3エリアで展開されています。プロデューサーは「ライゾマティクス」代表取締役の斎藤精一氏。
他の地域系芸術祭と異なり、地元の道を歩くことに力点が置かれていて、作品は圏外の観客の一歩を現地に向けさせるため、奥へと進ませるためのきっかけとして機能する。していました。
まず吉野エリアから見ていきます。※5~6時間かかります。ました。
【会期】2020.10/3(土)~11/15(日)
吉野エリアMAP
- ◇全体の軽い総括
- ◇序(駐車場~歌藤)
- ◆『distance.1』oblaat(松田朋春+則武弥、詩人・永方佑樹)
- ◆『あさ』谷川俊太郎
- ◆『色眼鏡でみる風景』中﨑徹
- ◆金峯山寺(『いのち 脈々と』、『JIKU #006 YOSHINO』)
- ◆韋駄天山(『distance.2』)
- ◆『海Gallery』松田大児
- ◇陀羅尼助丸_藤井利三郎薬房
- ◆『吉野の時計 ー 瞬間の採集と集積』井口皓太
◇全体の軽い総括
関西人を長いことやっていますが、奈良の吉野に来たのは初めてでした。風光明媚をめでるのは老婆になってからでいいよねと思っていたのです。婆。永遠になりませんけど。
電車、車ともに大阪から1時間半で吉野に着です。あとの2エリアも同時に回ろうとする場合は、電車では曽爾村に直接行けないので、車一択です。今回は(も)、写真仲間の2人と、珍旅のエキスパート・小唄氏の計4名で乗り込みます。ゆかいな旅です。
宿は天川村の洞川温泉にしてあり、経路は吉野エリア→天川・洞川温泉で泊/翌日、天川エリア→曽爾エリアの順です。
最初に総括的なことを言うと、冒頭で書いた通り、アート作品自体が主役ではなく、地元の道が主役だったので、作品の解釈や意味性で唸る必要がないのは逆によかったです。押し付けられるものがないというか。セトゲイをもっと緩くしたような感じ。
とにかく歩くイベントです。歩くために作品がある感じ。それゆえに不慣れな土地を歩くためのガイドが重要になってくるのですが、
目印がない(少ない)!
道中にわかりやすいノボリなどがないため、作品を見落とす。そもそも正しいルートかどうかが分からない。配布されている公式の地図が、デザイン上は綺麗だけれど、実際の道路状況や地形、眼前にあるランドマークと照らし合わせるには情報不足で、まるで役に立たない。
地図の端っこに「事前にYAMAPアプリから地図をダウンロードしてからのご参加を推奨します。」と明記してある通り、主催者側は、公式地図では情報が足りないことを承知している気がします。実際にYAMAPを入れてきてくれた仲間がいたので何とかなりましたが、吉野と曽爾エリアは結構やばかった。他の瀬戸内国際芸術祭などのイベントでは、道探し・道迷いのリスクがあまりなかったのは、目印が分かりやすく頻繁に出てきてくれたためだなと気付きました。
道中の散策、自由に地元に触れるという意味では、成功していました。実際とても楽しかった。型通りの「観光名所」ではない部分が大半なので、野良の眼で歩いて、色々なものとの出会いを楽しめました。
でも体力は要ります。時間も。
特に吉野エリア。アップダウンが大きいので、普通に疲れます。山道のほうを下りにすると、ひざに負担が来ますので、新型コロナ禍でインナー暮らしの続いた現代人には試練となります。さいわいにも季節がよいので、脱水などで苦しむことはありませんが、日蔭と日向の寒暖差が激しく、服装の切り替えをこまめにしないと汗をめちゃくちゃにかいたり冷えたりします。
あとは柿の葉寿司と葛もちを食って「ごろごろ水」を飲んでおれば幸せになります。心の旅です。
( ´ - ` )
◇序(駐車場~歌藤)
県道39号・五條吉野線を辿っていくのですが、近鉄・吉野神宮駅あたりで鳥居が出て来て気持ちが上がります。今回は吉野神宮はスルーし、吉野駅の裏手の山の中にある大駐車場を目指します。
7時のJR大阪集合・出発、9時に吉野の駐車場着・MIND TRAILスタート。
しかし吉野エリアのラウンドを終えて駐車場に戻ってきたのが15時20分でした。ひるめしの時間を除いたとしてもやはり6時間! 序盤の金峯山寺までの道で、立ち並ぶ店店に誘惑され、散策が長引いたのもありますが、純粋にコースが長いです。吉野は一日まるまる充てる気でいた方がよろしおす。
吉野の山々。緑と枯れた木々という、紅葉をスキップした謎の季節感です。緑は杉林で茶色は桜?? 紅葉はない。
緑に囲まれると気分が昂じて写欲がわきます。紅葉があってもなくても盛り上がる方々。何撮ってるんすか。
歩いて10分も経たないうちに店があり、店先に並ぶ、葛まんじゅうが、葛もちが、
あああ(誘惑
( ´ ¬`) あああああ。
あああ、
∴ 買い買い食い。
私は「あんのせ団子」を買いました。自然派の団子。うまい。
よもぎ的な。
葛もちの紙パック入り350円、黒蜜をかけて食べてる仲間がいい顔をしてたので、食べさせてもらったら、めっちゃ美味しかった。なんやこれ。モニュモニュモニュ・・・開始早々に何かを成し遂げました。
後で知ったがここは「旅館 歌藤(かとう)」という老舗旅館が出している葛もちなどで、のちに産直スーパーでも見ました。
※帰路もここで買い食いをしました。ああああ。うまい。
◆『distance.1』oblaat(松田朋春+則武弥、詩人・永方佑樹)
詩のグループ「oblaat」(オブラート)の作品は、バス停のような看板を立て、言葉とQRコードを掲示しています。アクセスすると詩の朗読の動画が。3エリアの各所に4章ずつの詩を展開していて、ひとつが3分半~5分程度。エリアごとに読み手が異なるので、雰囲気も全く変わる。
内容はそれぞれの地域の歴史や伝説を元にしたもので、歴史の奥行きの深い奈良の奥へと詩人の声によって分け入っていく。現地で声を流しながらその場にしばし佇むのが心地よかった。ここは観光地だがかつては異界への入口だった。
QRはYouTubeに繋がるのですが「限定公開」扱いなので直リンクは控えます。できれば現地から。でも「oblaat channnel」で検索かけると普通に出てきますのでどうぞ。
『傷んでゆく生存に存在を閉ざされる、人の由来の内側を生きていった、その宿命をあなた自身も模倣し、ここに辿り着いたのだろうか・・・』
人は人間であることを棄てるために山へ入るのか、それとも人間でいられなくなったから山に入るのか・・・。
( ´ - ` ) おや。
人間をやめるための装備が!!!
( ´ - ` ) やったね!!!
あっちの世界の者になります(狐)。
そもそも魔界みたいな空気が流れてるんですよこの道。
ワイルド国立民族学博物館。魔界なのではないか。愛玩動物が冥界との出入り口でうろうろするとこんな姿になってしまうのじゃ・・・。
紅葉を見つけた。わああい。※吉野では貴重な紅葉です。
とにかく左右に吉野葛、葛もち、団子、柿の葉寿司的なものがつぎつぎに出てくるので、早くも昼飯、そして昼飯後のおやつの算段を始めます。まだ朝10時です。
「銅の鳥居」。名前が「どうのつるぎ」にも等しい、実にそのままな名前ですが、参道のど真ん中に出てくるので存在感が半端ないです。
これは山上ヶ岳(=大峰山)に向かう間にある4つの門:発心、修行・等覚・妙覚のうち最初の「発心」の門で、ここから先の冥土へと向かう覚悟を決める門であるとのこと。「どこ店で葛もちを食おうかキャッキャッ」と要らぬ心配をしていた私達は地獄行きです。餓鬼界かな。キャッキャッ。
◆『あさ』谷川俊太郎
気付かなくて詰みかけた作品。4人いれば文殊のなんとかです。うち1名(私w)は機能していないが。とにかく路上に作品の案内がない&MAPのランドマークが少なすぎることのヤバさをここで実感した。この後ずっとこの調子です。
谷川俊太郎の詩をどうやってトレイル(歩くための道)内に展示するのか?? という好奇心があったが、壁に木の板を貼ってそこに「あさ」を表示するというシンプル極まりない仕組み。木の板かあ~。吉野だしなあ~。
しかしこれは像を投影しているのではない。木の表面の内側が光っている。そして詩が上下スクロールで、次々に流れてゆく。
どうなってるの??
木の表面を薄く切り裂いて取り外し、中にLED文字盤を埋め込んでまた表皮を付け直しているのだろうか。小さいながら不思議な作品だった。
本作は老舗の葛もち店「歌藤(かとう)」の壁に付いている。
歌藤・・・?
あっ。一番最初に団子を買い食いした店だ!
老舗が2店あると思ったら同じ店だったのか・・・。
◆『色眼鏡でみる風景』中﨑徹
さっきの「銅の鳥居」をくぐる道の脇に迂回する道があって、「歌藤」は迂回路の方ににあり、その隣に奥の民家へと続く階段があるのだが、そこから見える空き家が作品の展示場となる。
( ´ - ` ) 気付かなくて詰みかけた。
見つける難易度が地味に高い…。
展示の規模ではかなり大きい部類で、逆にこんなセトゲイ的な、空き家まるごと作品にするタイプの企画はこれだけ。
『転がる色』は単色の日用品やオブジェ的なもの。ぎりぎりゴミ、の手前ぐらいの作品。
作品『彼らのこと』は、鹿。
スケルトンで発色してる鹿はかっこいい。未来のサイバー奈良市内では電飾サイバー鹿がゴーグル内で闊歩する・・・。
「色」と木枠、蛍光灯の組み合わせでイメージを膨らませる作品だと思われる。光と角材のエッジが効いているので、あまり何かを連想することはなかった。逆に強い蛍光灯の光が外界に向かって、ガラスに反射しながら向かっていき交錯する様が良かった。風景を貫く光源。吉野テクノです。
野付半島って近畿どころか根室と知床の間にある北海道のヒゲみたいな半島でした。なんでここに。
◆金峯山寺(『いのち 脈々と』、『JIKU #006 YOSHINO』)
金峯山寺(きんぷせんじ)に来ました。7世紀に役行者・役小角(えんのおづの)が開いたとされる。蔵王堂の建物自体は1592年の建築。ここも蔵王権現を祀る修験道の重要な拠点なんですって。インド・中国に由来を持つ通常の「寺」とは系列が違うようだ。山登りをしていた身としては重要な拠点です、、また山に出入りしますか?すべきですかね?? 70歳で大峰マスターになる。否。YouTube視聴愛に溢れた生活をやめるのは惜しい。
懊悩にゆらゆらしながら門をくぐりおます。
◆『いのち 脈々と』タカホリイ
和室にインプレッション溢れる油絵。写真では潰れてしまったが、凹凸感あふれる絵ですよ。抽象だけど形がある。材料にこんにゃく糊を使っているのが特徴的。奈良の黒滝はこんにゃくが有名だよ。
金峯山寺には3つの展示があるが、うち『ならのすみ』(逢香)は蔵王堂の中にあるということで、別料金&時間が惜しいので、残念ながらスルー。これも敷地内のどこにあるのか分からなかったのでぐるぐる探し回り、係員に聞いてやっと判明。リアルRPGですわ。
じゃりじゃりじゃりじゃり・・・。境内の砂利を踏みしめながら何回も同じところを往復するこの感じ、PRG。現実もゲームも地続きなのだ、ということに気付くのがジェネレーションXとZ世代の間の世代の特徴です。Y世代って言うらしい。存在感が薄い。
私らはゲームの身体化というか身体の奥に内蔵されたゲーム感性を疑似行動によって再確認するというか。それをいうなら入山して修験だとか、権現仏を感得するとか、金剛界と胎蔵界とか、それもうゲームですやんていう話です。田畑を耕したり租税をアレしたりする領域と完全に別次元の世界を創造しその中を生きるわけで、地主の某とか隣のナニベエの田んぼの水の引き込みがどうとかいう次元にいないわけです。ゲー夢。
◆『JIKU #006 YOSHINO』斎藤精一
3つ目の作品は、囲いの中に置かれたビーム筒。17時からビーム光を照射するらしい。洞川温泉でも同じタイプの作品を観たが、ほんとうに一直線のビームを対面する山の頂上に照射するだけのシンプルなものだった。この時点ではプロジェクションマッピング的な映像作品を流すものと勘違いしていた。
◆韋駄天山(『distance.2』)
金峯山寺を出て、次の韋駄天山を目指します。山かあ。登るんかな。
10:17 健康推しの木札を眺める。
職場では「健康のためなら死んでもいい」というキラーフレーズがよく冗談で飛び交いますが、そういうノリの源泉を感じる。
コアラのゴーレム。なんかこわい。ここは人の世ではない…
ひるめしの選択肢が増えた瞬間。吉野葛を使った葛系のラインナップが多かった中で、豆腐系で攻めてくるパターンに出くわす。あうあう。
豆腐ラーメンってどういうこと???次回か次々回にチャレンジですね!たぶん老婆になっておるじゃろう。
ギターを並べてるリサイクルショップの横から、急角度の階段があり、のぼると韋駄天山です。
山というより小高い丘。標高370m。昔はもっと山っぽい形だったのか?な。
仏舎利(お釈迦様の遺骨)を鬼に奪われたとき、韋駄天が追いかけて取り戻したという伝説から、足の速い者をそう呼び表すようになったとのこと。この短距離での競争ならチーター型の走者ですね。
韋駄天山。祠の色がかわいい。
だが何もない。小さな賽銭入れが横に据え付けられているだけだ。
◆『distance.2』
朗読では韋駄天山の由来(が確かなものではなく、ただ信仰が細々と受け継がれていること)が語られる。失われることと、受け継がれることが同時に折り重なっているようだ。中ごろからは人の抱える苦悩や悲しみと祈りについて、抗うのはあなた一人で、名を失った祠を前に『あなた自身の心を依り代として』、『あなただけの祈りを祀ると良い』。よいですか。ではそういたします。なむ。
南無った。
信仰の――神や仏と呼ばれるものを呼び起こす依り代は実はそこいらじゅうにあるのかもしれない。
( ´ ¬`) いぬはかわいい。
◆『海Gallery』松田大児
秋の山の中で、思いっきり海・サーファーのかおり。作者は10代の頃からサーフィンをしていて、海に親しみ、油絵と墨絵、書、詩を発表する作家。1991年に種子島に移住、家業の布団工場をたたんで絵で食っていくことを決意したという。作品は海や平和のマインドに関するもの。
そういえば20年前って路上で人生を励ますような詩を売ったり、その人に合った言葉を即興で書きつける人がもっといたような気がする。妙に懐かしさを覚えたのはそのせいか。今はみんなYouTubeの収益化で忙しいんすよ多分。
私にはまったく合わないというか、世界観として真逆すぎた作品。現代アートとか写真作家の方に寄っていくと、こういう自然と一体化した原初のピュアさを客観視して、近代化以降の機械の身体と、デュシャン以降の知的(資本)ゲームを前提にしてしか、世界と関われないんですの。おほほほほ。いややわあ。海の波を見て私は北斎の眼を思い、そしてカメラの機構を思うのです。おほほほほ。いややあ。
( ´ - ` )だらにすけ食おうぜ。
◇陀羅尼助丸_藤井利三郎薬房
異形の主が歩行者を眺めている。巨大なガマの像。
陀羅尼助(だらにすけ)という和漢胃腸薬が奈良の天川・洞川温泉では有名で、多数の屋号が並んでいます。吉野でもかつて店が並んでいたが、今ではこの藤井利三郎薬房1軒だけになったとのこと。老舗感がすごい。
売られているのは「フジイ陀羅尼助丸」。「陀羅尼助」の名は総称というか民間薬の一般名詞のような扱いで、特許が特にないので複数の製造所があるらしい。長野や鳥取にもあるっぽいぞ。
キャビアみたいな黒い小さな丸薬を飲むと、二日酔いや腹痛などに効くと書いてました。説明冊子を貰ったら試供品が2回分付いていて、この晩さっそく2回分試しました。特に症状の出てない体だったので、何が起きたのか検証するよしもなく・・・。キハダ(オウバク)を主成分としており、特にハイになったりキャッキャすることもなし。でも毎日飲んでもいいと書いてあった。書いてたぞ。キャッキャkk
ガマの像が実に素晴らしい。ヒキガエルの毒は成分に関係ありませんが、効きそうな気がビンビンします。
暖簾がめちゃかっこよかった。これほしいな。
さらに歩いていくと、「勝手神社」のあたり、「吉野中千本」バス停で大きな分かれ道になっています。
順路的に向かって右側を上っていき、吉野山の「花矢倉展望台」を目指します。車だと15分、徒歩で45分。上り道だらけ。わあい。不摂生を呪え。
◆『吉野の時計 ー 瞬間の採集と集積』井口皓太
金属製の黒い円盤が置かれ、地図のように方向を指し示しているかに見えるが、ぎっしりと書き込みがなされている。自由参加で書けます。こんなにMIND TRAIL参加者がいたのか。少し意外。というのもただの吉野の観光客と、トレッキング客がほとんどのように見えました。あまりMIND TRAIL鑑賞者っぽい人がいなかったのですがどうなのかな。ガチのアートファン勢は、作家ラインナップなどから、逆に来てない気がする。
この作品はWebサイトと連動で、QRコードから入って位置情報と時間と写真をアップできる。この先もちらほら思い出したようにQRが出てくる。参加者が投稿すればするほど、Web内にMIND TRAILが生まれていく仕組みです(多分。
たぶんいつでもどこでもGPS情報付きで投稿できたと思うが、スマホの電池を減らしたくない&地図確認に追われてそれどころではなかった。
そう、スマホという単一のリソースを共食いしすぎるのが現代の旅なのです。ここに来るまでに既に電池がかなり減っていたりもする。よって面白い作品なのだが、都市空間内とはスマホの扱い・負担が変わるので、皆がどのぐらい投稿したかは分かりませんです。「歩く」と「撮る」「投稿する」は必ずしも重なり合わないんだなと後で実感します(山道)。
空が快晴( ´ ¬`)
空おいしいです。
「竹林院」あたりまでは道脇に飲食や土産物の店があります。
南方系のシーサー的な魔除け??
あとで調べると「鍾馗(しょうき)」という魔除けのようだ。道教系の神様で、中国の玄宗皇帝が高熱にうなされた夢の中で魔を祓った者とか。これ自体が鬼に見えますけども合ってますかね。
こんな調子で「花矢倉展望台」と「吉野水分神社」を目指します。ここからは山の中へ。
( ´ - ` )つづく。