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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】リボーンアート2019 ②宮城県・桃浦エリア(旧荻浜小学校)

自分が巡った順に振り返っておりますリボーン。「桃浦エリア」続編・旧荻浜小学校の展示です。校舎内・体育館・プールにまで作品があり、かなりのボリューム。わあい。

 

 

 

 

作品No.C5~C12まで密集してます。まともに見ると1時間以上はかかります。かかりましたそういう意味で桃浦エリアが最も鑑賞に時間を要します。たのしいけどね。

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内陸に向かって少し歩くと、小ぶりだけれど近代的な小学校が見えてきました。311の時には校庭まで津波が来ていたそうです。むちゃくちゃや。元から生徒数が少ない学校だったようで、今では生徒もみんな卒業し、廃校となっています。 

 

古すぎない古さ。廃校としてはかなり綺麗ですね。絵に趣がある。 

 

地図をごらん。3Fまであるね。かなり小ぶりの校舎。でも作品が入るとなかなかのボリューム。順路は、校舎1F→3F→2F→体育館→倉庫、プール、校庭です。

 

◆【C5】ジェローム・ワーグ+松岡美緒《石巻・自然と食べ物ミュージアム

おっと扉がうじゃうじゃしてる。おじゃまします。

元は職員室だったスペースの四隅に人工物と自然物を配し、石巻の暮らしと海・森といった自然との関わりを表している。部屋の中央は大きく結界が張られ、神社となっている。

しかしキャプションの説明文以上に、津波を連想してしまう。人工物は海辺の漂着物と思わしき傷み方をし、そこに貝殻など海の象徴が並ぶと、海と陸がシャッフルされたあの時のことがずっと根底にあるのだと感じてしまう。自然と人為との間で、長い年月に亘って引かれてきた仕切りが、破れてしまったのだと。

 

学校十戒。 

 

◆【C6】村田朋泰(Tomoyasu Murata)《脳舞台-語り継ぎ、言ひ継ぎ行かむ、不死(ふじ)の高嶺(たかね)は-》

能舞台」ではなく「脳」なのがみそです。これは写真に撮れません。真っ暗な教室の中で、富士山の形をしたオブジェに水と光が注がれており、その動態を鑑賞するものです。その場に居合わせることでしか鑑賞できない。

ほら見よ。写真に撮るとしんでしまうたぐいの作品です。

小さな祭壇、神の場、向こう側の世界を設けるというのは先の職員室の展示と同じですし、海側の方で森山泰地が設置した廃材あり合わせの祭壇もそうですね。あれから8年、時期的にも、改めて個々人が胸に置くべきは、こうした小さな祈りや弔いであるということなのでしょうか。忘れるのではなく、鎮める。そして忘れない、という、態度。

 

◆【C7】村田朋泰(Tomoyasu Murata)《White Forest of Omens》

 

こちらも写真では撮れません。さきの「脳舞台」と同じ作者なので、手法も似ています。真っ暗な教室の中でぼんやり光るミニチュアの森林。時折、雷鳴で光が森を駆け抜けてゆきます。見た目には木々しかないのですが、据え付けのモバイル端末をかざして見ると、動物が動いているのが分かります。

『古代、音の届く範囲が集落範囲と考えられていたのかもしれません。』なるほど。作者は真っ暗な夜の森の中で、声だけを頼りに空間を感じるワークショップを開催しており、そうした経験も生かされているようです。音は「空間」の認識できる範囲を示すもので、言わばそれぞれの人間や動物にとって「空間」が「在る」範囲がすなわち「音」の届く範囲ということになるでしょう。それは互いが「居る」ことの兆しに触れあうものとなる。自然の持つ「兆し」。

今後、巨大な壁で閉ざされた海からは、どんどん「兆し」が聴こえづらくなるだろう。どうすれば良いものか…。

 

◆【C9】増田セバスチャン《Microcosmos - Melody- 》

大量のかわいい小物、キャラグッズの断片を集めて、大きな造形物を覆い尽くす作風で知られています。「可愛い」というより「カワイイ」です。前者には可憐さや儚さが付きまとい、個別具体的ですが、後者には内面はなく、記号的、プリクラで外皮を覆い尽くすような一義的な統一感と、統一しきれぬズレや隙間の妙、不気味さがあります。

「カワイイ」を集めて固めると、暴力とまでは言わないけれど、油断ならぬ圧があります。しかも元はこれらのキャラや造形物は、別個のコンテンツとして独立していたと思うのですが、ちぎって集めると群体となりますね。なるんですね。

同じように小さなキャラクターを大量に集めて大きな作品を作る作家に藤浩志がいますが、あちらはもっと全体を独特の立体造形物として立たせていることと、「カワイイ」ではなく男子的な「カッコイイ」の方向をいきます。増田作品は既存のフォルムの表面を「カワイイ」 で埋め尽くす、菌類の浸食のようなあれです。

 

◆【C8】中﨑透《Peach Beach, Summer School》

2Fの諸室を全て使って展開する大作で、更にその先にプールまで物語が続いていきます。名前は知らなかったけれどこの展開のストロークの長さ、持久走の底力はすごいと思います。

この小学校では「サマースクール」という行事(実際には「サマーキャンプ」という名称)があり、カヌーに乗って荻浜の海に出るというプランがあった。しかし311の被災後ということから苦情が出るとの懸念もあったが、故郷の海が美しいことを子供たちに知ってほしいとの思いから、実現されたという。

本作はその、石巻・荻浜の海と土地の人々との関わり、学校との関わりを、住民から聞き取った生の言葉と、保存された過去の物品を組み合わせ、教室全面でのインスタレーションにて表していく。エピソードとして章立てが10章で構成されており、芸術・表現というよりも、資料や記録、記憶を地元の方々とコラボレートして掘り起こし、再考するものになっている。 

 「1 みなと」「2 もものうら」は学校の機材や備品がひっくり返り、積まれ、部屋に立ち入るところからどこか被災の空気が漂う。その山積みの中を縫って歩いていくのは、前述の「サマーキャンプ」でのカヌー遡行になぞらえることができるだろう。現在・直近の記憶から、更にその昔の記憶へと通り抜けていく。

 

「3 地球のうら」では、かつて桃浦、荻浜から遠洋漁業に出ていた時の記憶が語られる。昔は小学校を卒業して15歳からすぐに船に乗った、という言葉、昭和40年頃から200海里問題や後継者不足で遠洋漁業がダメになっていったという言葉などが散りばめられている。

 

おっっ。少々レトロな。でもコンピューターがあるというのは結構新しいですね。私の子供の頃はまだパソコンなんて高価すぎて。

おっっっ。なんだなんだ。この手作りRPGのキャラみたいなのは。MDかあー。90年代ですね。90年代レトロは喜ばしいですね。こういう出会いがむしろ楽しみです。作品鑑賞も良いんですけどね、脇の宝物がいいんですね。予期せぬものがですね。出会えるんですね。だから美術館やギャラリー外での展開は好きです。 

 

「4 海のミルク」では、地元とカキ漁業との関わりが語られる。栄養満点。他の展示エリアでもカキの殻が浜に大量に打ち上げられていたり、作品に使われていたりし、三陸とカキの関わりは深いようだ。カキ養殖は時期的に、先述の遠洋漁業からシフトチェンジで始められたことがわかる。

病院みたいになっとんすけど、これは? 漁業関係者の仮眠室? 

『養殖してる人でも結構多いのが、牡蠣喘息。牡蠣を剥いていると喘息が起こるんですよね』 こわいなそれ。確かにカキはきつくて、昔カキツアーした時にウエウエしたことがあります。時期によってえぐみも異なる。しかし従事者の健康を蝕むほど強いとは。

 

「6 まなび舎」は学校の歴史ですね。トロフィーと学校の歩みがいっぱい。

 

 校庭まで津波が来ていたことが分かります。そこいらじゅう滅茶苦茶じゃないですか。

 

「7 みち」「8 鹿の半島」では山側、土、地面、地質などの話題に移行する。

「方孔石」(ほうこうせき)という独特な、穴の開いた石があり、世界でもこの地域だけにしか見つからないらしい。なにこれ。いまだに謎です。なまこが開ける説とかね。

 

「9 守るもの」では、地域で受け継がれてきた伝統、祭、学校の記録「荻小のあゆみ」などが集約される。昔・1978年に宮城県沖地震が起きたという歴史を振り返りつつ。

このように展開としては、入りはインスタレーション作品めいているが、終盤に向かっては資料室へテイストが移行する。役所や学校の資料館もこういうふうにしたら、ごっつい見やすくなりますね。

 

村田朋泰《百色旅館ジュークボックス》(2008)

1F入口すぐ、校長室の跡地にて土産物売り場があるが、そこに置かれていた作品。制作年代がえらく昔なのは、2007年や2008年に展示会場をまるごと作品世界とした「桃色旅館」なる企画があり、リボーンとは別枠だが、どういう縁か、ここにやってきた。

時間がなかったので試していない。お金を入れて曲を選択すると曲と動画が流れるらしい。昔の展示レポによると曲の長さはまちまち。やればよかった。

手作り感が全てにおいて漂う怪作。曲も工事中がやたら多い。 

 

校舎の外に出ますよ。

君は健康福祉が行き届いているね。

 

 

◆【C10】深澤孝史《海をつなげる》

急にお通夜みたいな看板。

供養です。日本に漂着し残骸と化した北朝鮮漁船のボディパーツ、すなわち木材を運び込んで再び組み上げた作品。漂着船は2017年、2018年と激増したことで話題となっていた。その数、225隻(2018年)。漂着自体は何十年も前からあり、地元民がその船体を有効活用したりしていたという。

大破し、祖国に帰れぬ船、いや船の形にすら戻れなくなった廃棄物であるそれらを、再び母国の海へ対面させてやるアクション。展示に使われた船体は、わざわざ北海道・小平町に漂着したものを運んできたものだ。

 

元・漁船のそれは映像の中の日本海を眺める。まさに供養だ。 

正面・中央には扉があり、仏壇というかお墓の体を成している。ご神体とも見える。こういう木材で組み上げられた物体だったということが分かった。これまでメディアで厄介者、無謀な違法者として、迷惑情報という区分でしか伝わってこなかった「北朝鮮漁船」に、 また別の実体面が宿った。

 

 

校庭を出ました。ふー。

 

 

特に作品ラベルはなかったが、校庭の端には廃材から生まれたとおぼしきオブジェが点在していた。生徒の作ったものではないと思う。スピーカーから音声が流れていた。放送室から無音の放送を流し続けているような、音の空虚があたりに漂っていた。

 

散策。まだ作品があるようだ。

 

これも作品に見えてくるけどちがうんだな。味わいがあるんだな。

 

◆【C11】アニッシュ・カプーア《Mirror(Lime, Apple Mix to Laser Red)》

抽象画なのか本物の穴なのか見分けが付かない作品で知られるカプーア様です。金沢21世紀美術館に真っ黒な穴があります。2018年秋には大分の別府公園にて屋外展示を展開。 

作品と言うより試練の間ですね。主人公ご一行が中盤ぐらいで受ける試練。「もう一人のお前と向き合え」「己の闇を認めよ」。わかりました。なお、写真では狂ったカーブミラーにしか見えませんが、実際の作品はもっと大きいので異世界感があります。

 

やりようによっては「映える」けども、反転しているし大きく歪んでいるので普通の 写真にはならんぞ。ノスタルジックな廃校よりも無機質で無属性な場所の方が良いですね。とか何とか言いながらしばし見とれていた。

 

全身が健康だね君は。 

 

◆【C8】中﨑透《Peach Beach, Summer School》

校舎2階の作品の続き、ここでラスト。旧荻浜小学校の歴史、荻浜の歴史を踏まえ、海との関わり、海の記憶へ繋がってゆく。というよりこれもまた、津波によって海と陸地がかき乱された光景をまざまざと呼び起こす… い、いいぞ…。

「サマースクール」の本題に戻ってきました。カヌーで311後の海へ漕ぎ出し、海に触れるということです。

海、それはあの時のこと。ここが東北・三陸でなければ「散らかってるなあ」としか思わなかったはずだ。ここでは「散らかっている」こと、無秩序であること自体が巨大な物語に即接続される。 

 

懐かしい音楽も流れていて、水が出っぱなしになっている音、風の音と交わり、そこはかとない虚無感がある。ワールドエンドを見た感がしました。 

 

◆【C12】増田セバスチャン《ぽっかりあいた穴の秘密》

小屋のようにして細い丸太が組み上げられている。立体ですなあ。彫刻と建築の間をやりたかったのかな、と思って回り込んでみると階段が付いていた。

階段を登りきると構造が見えてきた。螺旋階段でこの筒の中を下っていくのか。そして反対側からまた上って出てくるのだろう、なるほど無限の円環、などと甘く見ていた。先に入った客がそこに見えないのだ。おかしいなもっと人がいたはずだが… 

 

螺旋階段を地面まで下り切ると、底に背の低い通路が開いていて、身をかがめて通るいしかなかった。通り抜けた先には宝石の穴があった。穴に向かって上から下へと下ったのに、穴は天上に向かって開いていたのだ。夥しい、消費社会の申し子、無数のキャラクターのパーツが渦巻いて光っている。

幻想的な光だ。買っては捨てる、大量消費そのものの化身で、棄てても土に還らず、永遠に邪魔者扱いされる存在なのに、群れになると夜光虫のように美しく輝く。不思議の国のアリスのように、ねじれた先の世界で、天上の穴を見上げながら気持ちはざわざわと駆り立てられていましたとさ。

 

( ´ - ` ) めでたしめでたし。

 

つづk。