【ART-音】「聴覚と視覚のはざまで-恩田晃の実験室」 @VACANT
めずらしく音系のイベントに行きました。なんていうか形容し難いし言葉を超えた世界だったので説明はしません。
恩田晃(オンダアキ)というサウンドアーティストによる即興?の、音響演劇。ステージにちりばめられた無数の器具、機材を用いて、様々な「音」を出現させ、響かせます。
「音」が目と脳のあいだぐらいで結晶化したり、次第に植物のように生えては伸び、つながったり、ふっと途切れて闇に沈んだりした。不思議な体験でした。
これは残念ながら説明ができないし、説明ができたとしても「音」が死んでしまいそうなので、リンクフリーの過去のパフォーマンス映像を引用させていただく。
「音」とは何か? 現実世界の影のように、モノの存在と不可分にそれらは在る、ということに改めて気付いたりしました。音あるやん音。そうか音があったんやなあ。などと。
何かをうち鳴らしたり、こすり合わせたり、手から離すと、「音」が現れる。その発見と増幅、切断は、新種の植物が生い茂っていくようだった。ものすごい当たり前のことを言っていますが、当たり前のことほど日常的に見失われているものです。
ドリンクを引き換えながら尋ねてみると、写真はかまわないよとのことでした。「音でないよね」「はいでません」すごい。
長髪の方が恩田氏で、妖精のようなおじちゃんめいた方は、鈴木昭男氏。「サウンド・アートの先駆者的存在として」1960年代より活動、「音」の世界を探求してきたとのこと。
会場では、遠くて見えなかったが、何か日用品?のようなものをこすり合わせてキュッキュ言わせたり、キコキコ、きしゅきしゅ、bんbんと鳴らし続けておられた。
別イベントの動画ですが、イメージとしてはこれが近かった。
★Link Akio Suzuki x Jim O'Rourke 090123 - YouTube
素朴な、とても素直な、小さな野鳥のような音たちです。鈴木氏が何かを鳴らし続けることで「場」の音(律)の基部が形成され、恩田氏がハプニング的に音を撓ませたり、割り込ませたり、投げ入れたりする。鈴木氏がいないと前衛的過ぎて分からなかったかもしれません。
たぶん空き瓶が投げ落とされ、階段の下へと転がり落ちていきました。暗闇に響き渡る瓶の存在の叫び。何が「答え」なのか? 何が「美しい」のか? 音楽とは? それらの問いも答えも通用しない場がありました。答えや美の定義、判断は政治的であると考えますが、それらが通用しない、そのもっと前段階の場、モノや空間の応答に対して五感を向ける以外に他はないという場、「生の」場だったと思います。今思えば。会場では政治以前の状態であるなどとはまだ気づいていません。
人間の聴覚は不思議でした。はっきりしたビートや分かりやすい旋律を伴わない「音」の原型、生きて動いている生の「音」のうねりや脈を耳にしていると、全く無関係な映像が脳裏に自動再生されたり、その場と関係のないことを考え始めることが自動的に始まりました。白昼夢状態です。
この現象をコントロールすることはできず、ものすごくしょうもない白昼夢(職場の事務机の上で折り紙が飛び散ってやっこさんが発生するとか、APEの猿のマークが近所の店の壁に落書きをしに徘徊に行くので条例改正されるとか、コンビニで買ったおにぎりの海苔の原価率がおかしくて経理が飛ばされるとか、もう死にそうなぐらいどうでもいい白昼夢)が、自動生成しては、泡のように消えていきました。ご先祖様ありがとうわたし元気だね。いますぐこの世もあの世だね。わほーい。
ライブは19時40分から21時まで続いた。終わりのない暗い森の中で、小路らしきところを回ったり直進したり、寝転んだり這ったり飛んだりするような旅をしました。
終了後、ステージに上がってもだれも何も言わない、写真を撮り始めるやつとかが出ていて、なんかそれもまたよしみたいな感じで、みんなめいめい写真を撮っていました。なんだこの場はwww すごいぞ。すごい場だ。こうふんしました。アーティストの聖域のはずが、こんなことが許されるのか。
それはもしかすると、恩田氏にとっての「ステージ」は、「音」が生成され現出し続けている「ライヴな」場のことであって、終了後のステージは一般名詞の、字義的な場にすぎないから、なのかもしれません。普通ならアーティストに怒られます。なのでおそらく「ステージ」や場の定義が根本的に違うと思いました。
「激落ちくん」です。今宵の主役の「音」である「キュッキュ」を奏でました。
何かをたたいたり、打ったり、こすったり触ったり落としたり転がしたりして、「音」の応答を確かめることが好きな人にとって、このイベントはたいへん有意義だったと思います。そんな人種がいるのかと真顔で聞かれそうですが、みなさん子供のころ車の走行音でも冷蔵庫のドアの開閉音でも何でも喜ばしかったのとちがいますか。あれですあれ。あれは音楽になんだ。やべえあたまくるってきた。ワーイ。
「音」や「モノ」の関係について感覚が開かれたことで、目のほうもいつもとキャッチの感じが変わりました。情報のフィルターが変容。
くやしいことに「だめだ東京は面白い」と痛感しました。なぜでしょうか。梅田や心斎橋でこういう感じの夜を編むことは・・・あるのかな。家に帰らず大阪でも1っ週間ネットカフェとかカプセルホテル生活をしてみたら良いんでしょうか。転職するとき東京方面に職を求めなかったことが悔やまれることがあります。まあそれも住んでしまえば案外守りに入って夜中出歩かなくなるものかもしれません。よい音と夜を。
完。