nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】石田省三郎「CROSSING RAY」〜光を奪う。東京・交叉点。〜@HIJU GALLERY

【写真展】石田省三郎「CROSSING RAY」〜光を奪う。東京・交叉点。〜@HIJU GALLERY 

 

電源を奪われた都市の中心は、墓地に成り果てた。美しいはずの建築物はどれも、担ぎ手のいなくなった神輿のようだ。その足元には、無数の人々が写っている。人々は亡霊のように顔もなく、ぐるぐる回っている。

 

 

3.11は終わっていない。

 

真っ暗で馬鹿でかい神輿の回りを、無数の人々が何もできずに、ぐるぐると、ただぐるぐると回っている。電源を奪われた都市の中は、終わった祭りの後だけがずっと続いているように虚ろだ。

 

それは消費社会の終了と同義だ。

 

街から灯が消えたことは、消費という祭りの終わりを意味する。それは、私たちの暮らしの全てであり、希望が奪われたことに等しい。さりとて、引き換えに、何の神ももたらされるものではない。かと言って、かつての「日常」の暮らしにも帰ることはできない。ただただ、民は回っている。ぐるぐると、ぐるぐるとその場で、無数の人々が回っている。

 

真っ暗な、巨大な墓の下で人々が回っている。

写真からは音がしない。静まり返っている。人々は、輪になって回るのではなく、触覚を切り落とされた昆虫のように、めいめいが行き先を亡くし、その場で前後左右なく、震え、痙攣を繰り返すように、蠢いている。

消費。祭り。時間感覚。それらの終わりの後に、辿り着てしまった社会。茫漠とした「喪」が、広がっている。

 

「喪」に直面した人々が、回っている。

 

これらの写真は、首都の都市景から光を奪うようにして作られた。比較暗合成である。複数の写真を重ねたうち、より暗い方の色が採用されて合成される。これを繰り返すと、明るい部分が減り、色は闇へ落ちてゆき、明滅の「滅」が残される。作者・石田省三郎氏は、日本の中心部から光を奪い、「滅」を差し出した。何故なのか。

 

3.11は終わっていない。

 

日本の中心:銀座や新宿などで、夜の建物が交差点の4点から撮影される。その4カットが合成されて、暗部が残り、1枚の写真を形成する。この巨大な写真が17枚掲げられた空間は、「あの時」の日本の都心を浮かび上がらせる。3.11の後日、計画停電によって光を奪われた都心である。写真が4方向から合成される際、その場に居合わせた通行人や客もまた、無作為に取り込まれる。すると、4方向から合成された群集は、前後左右のどこを向くでもなく、まるで痙攣を起こしながら、その場でぐるぐる立ちすくんでいるかのように見える。

 

行き先も帰り先もない、「あの時」である。

 

計画停電が為された当時、私は東京を訪れていた。リアルに「喪」に落ちた銀座や大手町は、いつもよりも暗くて大きかった。いや、何歩も視界の奥へ後退していた。後退した風景は、重さも厚みもないハリボテのようだった。そのことを覚えている。電力が足りなかったのか、「喪」に服してみせる必要があったからか、私にはよく分からなかった。とにかく街は暗くて虚ろで、目的を失っていた。どんなサブカルよりも現実離れした「日本」だった。フィクションのような姿で、混乱させられた。

救いだったのは、震災から数週間が経っていたので、交通は正常だったことだ。震災発生当時は、帰宅者らによる混乱の極みだったと聞く。作品を観ていると、発災直後の人々の動揺と虚ろさが、映像として重なっていった。ぐるぐる、ぐるぐると、行先と帰り先を失って回る、人々の群れである。

 現在、当時の面影は微塵もなく、都心は壮絶な勢いでリノベーション工事に明け暮れている。

 

3.11は終わったのか。

 

もう終わったではないか、と言いたくなる人もいよう。次の目標に向かうべきだと言う人もいよう。省電力の技術が進み、被災地の復興は進んだと、言いたくなる人も大勢いよう。否、まだ何も終わっていないと訴える人もいよう。明日は我が身だと言う人もいよう。『君の名は』と『シン・ゴジラ』でカタルシスを得た人は多いだろう。あの時のことはもう克服できたのだと、内心、自信のある人は、実際、多いだろう。明日のことで忙しいんだ、今日あんまり寝てないんだ、そんな人が、多数だろう。

 

だが作者は、今なお終わらないものを見てきた。

2018年3月11日に上梓された写真集Radiation Buscapeでは、福島県の「帰還困難区域」について、バスの中から撮影した風景を収めている。

www.shashasha.co

「帰還困難区域」とは、福島第一原発事故の影響から、依然として放射線量が非常に高いエリアを指定したもので、バリケードによる防護を施し、住民には避難を促しており、事実上の強制退去となっている。町は風化に身を委ねるのみとなっている。

www.pref.fukushima.lg.jp

このエリアは車に乗った状態で通過することは可能なのだが、駐停車することは認められない。人が立ち入るには許可申請のうえ、防護服の着用や洗浄が必要となる。私も車を往復させたことがある。至る所にバリケードが施され、警備員が立ち、異様な世界だった。しかしそこは本来、人々が普通に暮らしていた、生活の場、自宅、地元なのである。

 

3.11は、終わっていない。

日常となって続いている。年号が一新されても、街が輝きで賑わっても、それはずっと続いていく。

ただし、分岐している。3.11以前の日常へと再び戻ってきた地域と、3.11以後の日常を生きなければいけない地域とに分かれている。「地方」は、姿が見えない。顔が見えない。日常に追われていると、その分岐が生じていることすら忘れてしまう。

 

作者の取り組みは、分岐してゆく日本の「日常」に対し、あえて都心に再び「喪」の時間をもたらすことによって、想像を、記憶を、喚起させるものであろう。

 

2011年6月、東日本大震災復興基本法の施行により基本方針が示され、以後10年間は「復興・創生期間」として位置付けられた。翌年2月には、ワンストップでの対応を進めるための「復興庁」が10年間の期限付きで発足した。

そして震災から10年目となる2020年度を以って、「復興・創生期間」は終了し、復興庁もまた廃止される。同時に、東京オリンピックパラリンピックという、巨大な「祭り」の「後」へと雪崩れ込み、その後のことは、特に誰も知らない。

 

「復興・創生期間」中の平成 32 年には、2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催される。これを「復興五輪」とし、東日本大震災の被災地が復興した姿を世界に発信する。

福島の原子力災害被災地域においては、遅くとも事故から6年後(平成 29年3月)までに避難指示解除準備区域・居住制限区域の避難指示を解除できるよう環境整備に取り組む。こうした取組等により、本格的な復興のステージへ移行していく。福島の復興・再生は中長期的対応が必要であり、「復興・創生期間」後も継続して、国が前面に立って取り組む。

 (「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針(平成28年3月11日閣議決定)) 

 

全てのことが、「今」のために、過去となり、流れ去ってゆくだろう。そんな気がしている。その「後」のことは、特に誰も知らない。

 

作者が示した「喪」は、「今」をもっともらしく生きる私たちに、あの時ひどく虚ろだったことを静かに思い起こさせ、無言のうちに告発する。

私たちは「あの時」、確かにうろたえ、ぐるぐると、行先も帰り先も失い、ぐるぐると回っていたのではなかったか。それは祭りの、消費の「後」にある世界だった。そのことを思い出す、数少ないチャンスとなるだろう。 

 

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会期:2019年1月26日(土)~2月17日(日)

時間:13:00~19:00 (火・水・木曜日 休廊)

会場:HIJU GALLERY | 大阪府大阪市中央区本町4丁目7-7 飛鳥ビル 102
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( ´ - ` ) 完。