写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【ART】リボーンアート2019⑥ 鮎川エリア(前編:鮎川中心部)

【ART】リボーンアート2019⑥ 鮎川エリア(前編:鮎川中心部)

リボーンも佳境、牡鹿半島の最深部・先端の「鮎川エリア」です。1泊。吉増剛造、野口理佳、石川竜一などビッグネームが並んでおり、楽しみにしていました。楽しかったです。くじら。

 くじら。

 

 

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この日は先に【F】網地島あじしま)を早朝から散策し、また船で鮎川へ戻ってきました。ホテルサンライズで朝飯を6時に食べてから、何も飲み食いしていません。

【F】まで来ました。【A】【B】石巻市街地を除いては、これでコンプリートになります。

ページ左側の鮎川中心部を回ります。まず北側に離れた【F11】、「おしかのれん街」の方から。

 

地島から戻ってきたら11時頃。この日は17時半の仙台空港発の便で大阪に帰るので、15時半には石巻駅からJRに乗りたいです。早くもスケがあやうい。市街地は駆け足鑑賞になるかな…。

「おしかのれん街」、【F11】作品あたりに来ました。鮎川インフォメーションに向かって地図を見ながら車を流していたら、間違って着いたのです。町が地図で見る以上にコンパクト。せっかくなので散策します。

どこか空虚さが漂う町です。のんびりできる田舎というより、町としてあるべきものが沢山失われている感じ。

「おしかのれん街」は2011年11月に建てられた仮設の商店街で、飲食店が入る棟と商店、土産物屋が入る棟の2棟から成る。鮎川特産の鯨肉を用いた丼などが目に入り、たいへんに誘惑されます。まだ開いてません。腹へった。なぜかネタに走るお品書き。飲食にエヴァをあてると途端に不味そうに見える。

 

◆【F11】Yotta《くじらのカーニバル》

くじらのねぶた。くじらは色々ありますからね。でも獲っている限りは肉が出るわけで、棄てるわけにもいかないだろうので、食べましょうという発想を個人的には持っています。

 

飲食店の棟を奥まで行くと、ボードに寄せ書きが沢山貼ってあり、たぶんこの施設ができた当初とか初期の頃のものだと思います。おや、

( ´ - ` ) 

 

 

なんか故人みたいで怖い。

 

 

しょこたん」と書いてます。

 

 

しょこたん・・・ 

 

 

( ´ - ` ) (しょこたんを知らない)

 

 

褪せたしょこたんの裏手に、「JRVA 復興支援車」という古めかしい車が置いてました。どういう経緯があったのか分かりませんが、ズタボロです。8年でこんなになるの? 復興支援お疲れ様でした。

 

商魂たくましい商店のばあちゃん2人組の店。見て行って宣伝してと圧がすごい。通常の食料品や日用品の中に、地元特産のさば缶や「くじら須の子」缶詰。くじら食べましょう。どうやったら美味く食べられるんですかね。

 

「おしかのれん街」と道を挟んで向かいにも、アート発信系っぽい施設があったので寄ってみましょう。 

あっまじで。閉鎖。

石巻市復興まちづくり情報交流館「牡鹿館」は、令和元年8月31日をもって閉館いたします。」はい。「週刊鮎川」という雑誌風の展示で、60年代の商業捕鯨の歴史を振り返っていた模様。

 

 

移動します。

 

あれっ  鮎川インフォメーションへの道がわからへん。

 

 

どうも道を工事しまくっていて、仮設の道とか通行止めとかが入り乱れていて、曲がり道を見落とした模様。

何度かぐるぐるして正しいルートを発見。ふう。

 

インフォメーションの駐車場に入れると、すぐ目の前が「詩人の家」だった。Twitterでちょいちょい夜間のBar運営の状況や吉増剛造の滞在情報を目にしていて、離れの隠れ家的な家だと思い込んでいたが、思いっきり目立つところにあって、 

◆【F1】吉増剛造《詩人の家》 

駐車場から。目の前ですやん。

 

ここは詩人・吉増剛造が滞在し、制作し、観客と交流する現場であり、夜間には交流のできるBAR会場になり、また、宿泊棟では完全予約制で宿泊し、詩人と食事を共にすることができる。作品も展示されているが、基本的には生きた交流の場それ自体が作品となっている。 

この時は詩人は不在、けれど体温が残っているというか、今にもふらっと戻ってきそうな臨場感が漂っています。手前に置かれているペーパーは「詩人の家新聞」、1部300円。この時は第3号まで発行されていたが、後に第5号まで作られた。お習字で先生が手直しするような朱書きのコメントが至る所に上から上から書き付けられている。吉増文体ですね。字に体温がある。

 

本棚! 吉増自身の著作がめちゃくちゃ多い。どれだけ発表してきたのか。めまいがします。時代が今と違って活字文化だったということもありましょうがすごい。吉本隆明入沢康夫などが並ぶ。思想の沼だ。まともにやり合うと他の展示が観に行けなくなる。これは沼だ。

吉増作品って作品だけを見ても、すごい外から眺めるだけになって入っていけないんですよね。世界観を共有していないせいでもありますが。

 

私は詩にはおそろしく疎いので、詩人と聞いて思い浮かべるのが谷川俊太郎最果タヒ、そして吉増剛造、ぐらいです。すいません教養がない。しかし吉増は別格というか、一般的には「詩」が文字、活字によって書き起こされる文体の問題系、国語の一領域に留め置かれるところを、「言葉」の起こり、「文字」の動きや働きなど、「詩」に関する全ての要素を常に揺さぶり、「字」の中に留まることを許さず、ジャンルの安住や縦割りを許さない。声を使い、手を使い、手に持った物体を打ち鳴らし、字に釘を打ち、紙に液体を垂らし、アイマスクをし、垂れる音に注目し、紙をめくり、塗り、写真を撮り、声を放ち、そしてそれらの放つ色や光や振動の様々な波長が吉増剛造という屈折点で交錯し、混ざり合い、形のない形となって行為の結果がその場に残される。この一連の過程、複数のメディアが穏やかで荒々しい手法によってミックスされ「詩」が生まれるところを鑑賞者が見ること、詩の生成に遠隔的にでも参加し各自に内在化させたときに吉増の詩はリズムを発揮する。

映像と本を見ていてそういう印象を抱きました。

生きている時間と空間が全て表現の対象になり媒体になっている点は、荒木経惟にかなり近いものを感じる。そのうち何か吉増書籍を買って読まないといけない気分。

 

 

◆【F2】野口理佳《鮎川の穴》

元・新聞屋の建物の中で映像を展開。鮎川では被災以降、下水管が分断されたため、町の4ヶ所から汲み取り作業が日に数回行われているという。その穴でバキューム作業を行う作業員に着目し、遠距離から、まるで人の目ではなく「自然」の側の眼で見たような映像を撮った。

誰も注目しないが、その人たちがいなければその社会の機能が失われる、そんな影の主役。これは野口の関心を強く惹くテーマであるらしく、アートエリアB1・中の島リサーチプログラムのトーク時にも同様に、中之島公園の清掃人を撮影していた。古くは、スキューバダイビングの潜水人を後から追いかけて撮ったシリーズに結びつく感性かも知れない。変身前の(あるいは変身を伴わない)ヒーローを追うような眼差しだ。

 

しかし2019年現在も、下水道のシステムが不十分なまま、バキュームで対応しているとは驚きだった。インフラ整備というものは全国一律ではなく、住宅の密集度や、市町村の財政状況、今後の人口増加の見込みなど、人口動態に基づく力学が働くところであることを改めて知った。

 

◆【F3】野口理佳《鮎川の道》《虫》《猿と桜》

地味に野口ファンになりつつあるので連作うれしいです。同じ「光」でも、川内倫子は世界の側が光を帯びている(=私たちは生きている)のに対して、野口作品では光は上空から差し込むもの(=天体的)、地動説と天動説みたいな違いがあるように感じる。

「木村商店」の中はギャラリー空間となっていて、写真と映像が展開される。道に溢れる光と、去来する昆虫。『光と緑にあふれ、しばしば霧に覆われるその場所には鹿や雉などの動物だけでなく、蚊や蜂、ヒルなどの虫がたくさんいるため、野口はその虫たちからどうやって身を守るか、遠ざかるかについて頭を悩ませていました。』正直な解説がとても面白い。そうして写真で現地と向き合い、このような作品が生まれた。

 

美しい関係性だけではなく、こうした些細なすれ違いや不協和音が制作のきっかけになることは健全だと思う。色んなアートイベントを回って、全ての表現者が滞在先で幸福な関係を築き、幸福な相互理解を経た作品を提示すべきなのか。その問いは常に自分の頭の片隅にある。

 

猿。

この写真は廃れた家屋とともに今後寄り添っていってほしいですね。 

 

 

◆【F4】青葉市子《風の部屋》

「詩人の家」の裏側にたたずむ古い一軒家、その中は作家の詩が満ちていた。正直、全く偶然の出会いだったが、今回のリボーンアートの中でダントツに好きで、感銘を受けました。やばいなこれ、

 

玄関を入って正面に鎮座するのが、おもてなし冷蔵庫。この日は雨が降っていて肌寒かったけれど、おいしくいただきました。ありがたや~。 

鯨の骨だと思うのですが、クリオネを擬人化したようなキャラに見える。かわいい。

 

家屋内は海と繋がっている。命がスープとなって、優しく濃く満たされている。呼び出されるのは鯨だ。理想的な自然の神秘を礼賛するものではない。精神性とともに血と肉を伴っている。部屋の奥にいた黒い鯨は、底に沈み、血を流している。周囲には白く立ち込めるものがある。これは命の昇華か。捕獲、引き揚げ、解体によって、鯨は海の生き物から次のステージの命へ、人間界で食肉、油や工芸品などとして生き続ける存在として転化されゆく、その瞬間を表しているようだ。

鯨やイルカはラッセンの例を出すまでもなく、美しく雄々しく、海洋の主人公として描かれることが好まれるだろう。信仰の違いかもしれないが、日本、特に鯨漁の歴史のある地域では、鯨の重要性、崇高さは神とも食材とも異なるニュアンスを帯びる。命の在り方自体が、人々が生きてきたこと・生きていくことと密接不可分となっている。そのことについて善悪の判断を差し挟むことは、個人的には出来ないし、作者も判断ではなくそうした長い歴史で培われた関係の在り様を全面的に受け容れている。それがこの絵に描かれた白と赤だと感じた。

 

実際、作者は鮎川に通い、鯨の解体を見学し、鯨肉を食べ、「くじら」に関する事柄を取り込んでいく。部屋の調度品に直接書き付けられた日記は、鯨の肉を通じて作者が海、水へと同化してゆく過程を物語っている。『8月25日、39.5℃の熱、くじらをたべすぎた.』夜間救急で手当てされるというハードな体験を経て、心身が一種の変性を遂げたようだ。むりしないでください。

鯨は文化論から信仰の違い、そして政治性をも孕む存在となってしまっていて、立場による感情の対立を生みやすく、扱い方の難しいテーマである。最もシンプルな語り方として、鯨の美しさや神秘、知性をヒューマニズムに寄せて称えるか、鯨漁の残虐性を主張する(イルカショー非難と似たようなニュアンスで)かに分かれやすいと思うが、作者は「くじら」にまつわる言葉を表出するために、鯨を内面に落とし込み、自身と混ぜ合わせた。そして言葉を体から吐き出すとともに、空間には鯨の生の転換を表す場として骨や絵を配した。言葉は主張のためではなく、この古民家に召喚した「くじら」を生かすために紡がれる。ここでの鯨はもう肉体を持たない。文化や記憶や食感などで語られる、次の段階の命を得た鯨だ。作者の歌が海水の代わりに場を満たし、私達はそれに触れる。

 

急いで次の会場を回らないといけなかったが、 いつまでも離れたくなかった。

あうう。

 

なお本来は【F10】として、石巻市内の全域で流れる時報(朝7時、正午、夕方5時)を、リボーンアート期間中は青葉市子の作品《時報》が流されることとなっていた。しかし地元住民から違和感や不快感を訴える声が寄せられたことから、8月13日夕方の時報から元に戻された。日頃聴きなれた=生活の一部をアートとすることに生じる課題も浮かび上がった形だ。

 

 

移動します。

「鮎川集会所」に来ました。どの会場も隣り合っていて助かる。雨がね。雨が降っているのですよ。冷たい。

 非常階段から屋上に上がります。

 

◆【F5】島袋道浩《鮎川の土―起きる/鮎川展望台》

( ´ - ` ) うん?

 

 

( ´ - ` ) はあ、。

 

( ´ - ` ) 台。

 

( ´ - ` ) 町。

 

 

( ´ - ` ) 以上。

 

理屈が通用しまへんな。

 

ええと。

◇どこからどこまでが作品なのでしょうか。

>植木鉢と、校長先生が朝礼で使いそうな台。

◇はい。
◇解説文はなんと言っていますか。

> ・普段使われていない場所にも植物が生えている ・雑草と呼ばれる様々な植物が少ない土を分け合っている ・この場所からは鮎川の町が見渡せる

◇そうですね。異論ございません。
◇なんでそれで作品になるんですか。

>作者のこれまでの活動経歴がそういう路線なのでは

◇日常のさりげないものを、少しだけ置き方をずらすんですかね。デュシャンの現代版・一般市民向けという感じですかね。

>静的な彫刻的なものに留まりません。イタリアに行った際に自分でタコつぼを作ってタコつぼ猟をしたり、明石のタコを生きたまま連れ回して東京観光をさせたり、ミニマムなスケールでダイナミックな試みをされています。

◇困りましたな、

>トマトが水に浮かんだり沈んだりする作品もあります。トマトに細工があるのではなくて、発育の関係で浮くトマトと沈むトマトに分かれるそうです。

◇作者が手を入れて「作る」というより、自然にあるものを拾い上げて、繋ぎ合わされた意味を少しだけ変えるんですね。事象のDJですね。

>? よくわかりません。

◇私もよくわかりません。

 

 

( ´ - ` ) 好きだからやったんかなあ

 

 

◆【F6】石川竜一《痕》

鮎川集会所3階フロアの中に入ると、被災当時の崩落ぶりをそのまま留めていた。これはさすがに意図的に演出したのではなく、本当に手を付けられず放置されていたものと思われる。立入禁止のロープがシリアスさ物語る。「非常口」の電光板は垂れ下がり、避難経路すら潰されている有様だ。石川竜一の写真はこの廃墟の空間を舞台に展開される。動線は危険が無いように片付けられているが、しかしそれでも破壊の後の空気が漂っている。

今までの展示の中で最も深く「311」のリアルを呼び覚ました空間だった。当然である。醸すとか記録を語るという域を越えて、被災そのものの残滓を体で感じながら歩くわけだ。写真作品の中へと眼を向けるよりも、このシチュエーションや当時のことに意識が向いていて、正直、作品の印象があまりない。

室内の設備、廊下と諸室の作りから、ここが元は病院であったことに気付く。調べてみると恐らく(確実な表記は見つからなかった)、「石巻市立牡鹿病院」(元・国民健康保険 牡鹿病院)で、被災により診療機能に支障をきたし、その後1~2㎞離れた清崎山に移転新築されたようだ。被災後は被災者支援のスペースとなっていたようで、「鮎川集会所」という名前は便宜上のものか、Webに公式の記載が出てくるわけでもない。Google Mapで見てみると、見事にこの「鮎川集会所」をはじめとする会場各所は無名、何の表記もない。物件を示す濃い灰色だけがある。ここは、被災直後から復興後の世界に回収されないまま、ずっと宙づりにされている場所なのだと分かった。

  

写真は額装もなく壁に直接固定されている。写っているのは地形のようだがそのスケール感は分からない。写真はよくスケールの嘘をつく。広大な風景が人の手の届くぐらい小さく見えたり、逆に小さく狭い場所を雄大に見せたりする。地震で大きく崩れた谷底や亀裂の記録なのか、それとも次のエリアで展開されている石川自身の作品《掘削》で生まれた地形を撮ったものなのか、判然としない。いずれにせよこれらは地球の表情、星の表情として現れている。地震の主体は地球だ。入院患者や避難者の代わりに、地震を起こした主体のポートレイトが並んでいる。

 

奥の部屋に行くほどに生活感が増すのが特徴的だ。最初の部屋はがらんどうの白い部屋に写真が貼られているだけだが、ハンガーや生活ゴミ、寝具などが現れるようになる。それが震災の記憶、というより震災直後への再帰で、内側から思い出すのではなく体の外側から震災が包み込んでくる。誰かが棲んでいる、ここにいると感じてしまうからだろうか。しかも正規の住所ではなく仮住まいの形だから尚更だ。

 

壁には衣類の痕が残っている。段々ホラーめいてくる。記憶というのは主観的なもので、当該事象の経験者や関係者は内部に持ち合わせていても、部外者は基本的に外部情報として持っているか否かだ。質や量もまちまちだ。観客と311、東北三陸との距離は時の流れ、復興の話題機会の減少とともに加速度的に拡大し、記憶らしきものを思い起こさせるための仕掛けはより強力な比喩にならざるを得ない。表現の場は墓標や影や残像が林立するお化け屋敷化してゆくのだろうか? 無関心を揺さぶるためには、「過去」の「気配」を何度も甦らせるしかないのか。肉体はないのでゾンビとは言わず、ゴーストと呼ぶことになる。ゴーストが何かを語るとしたら、それは主観を持つのだろうか。それは甦り/呼び出しに何度まで応じてくれるのだろうか。

 

面白かった。作品以上の問いがあった。鑑賞時には地形、地表と地震の物理的な関係性を考えていた。客観的に写真によって距離をもって見た時には、震災と表現との、今を生きることとの距離の取り方と歩み寄り方、引き寄せ方について関心が及んだ。

作者が人為的に遺した「痕」と、時間の中で遺されてきた自然の「痕」が混ざり合う場としての作品だが、展示として配された限りどちらも志向するのは鑑賞者への働きかけだ。それらは個人の主観の「記憶」を遡上するように効いてくる。だが私がなにがしかの感情を揺さぶられるのは、僅かながら被災地支援に訪れた経験があるがゆえだ。それすら薄っぺらい感情や感傷にすぎない。オリジナルの記憶を持たない者にとっては、呼び覚ましは何を生み出されるのか。感傷や内省によって吸収されず、そこで宙吊りになったゴーストはどこへ行くのか。興味深い。

 

( ´ - ` ) つづく。

 

 

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