nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART&写真】R5.12/23-R6.3/10「RECOVERY 回復する」@丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

白と黒のジャージ?のフードを頭にすっぽり被った非白人の男女が、向かい合って苗木を触っている。その下にタイトル「RECOVERY 回復する」と来る。それだけで十分だった。私は四国に渡り、丸亀に来た。

 

何でも直感というものがある。直感が動くものが最優先となる。気取った風に言うなら「刺さるデザイン」の話だろうが、どこに刺さったかというと今回の「RECOVERY 回復する」展の広報、もとい兼子裕代の写真は、こちらが無意識的に抱えている危機意識に刺さった。

海の向こう、グローバルに何かが起きている。人が何かを奪われたり損なわれたりする事態がある。それらに対してアプローチを模索する表現が特集された展示であろう。私はそうした事態や人々のことを知らないし、現在の表現はそこと密接に取り組んでいるのだろう――つまり私の知らないところで、知らない表現が動いているのではないか、そういう危機意識、あるいは負い目を刺激された。

 

そんなわけで四国である。

一枚のビジュアルでこちらに行動を催させた兼子裕代の写真には、それ相応の未知なる「何か」があったということになる。実際、最も見入ったのが兼子の取り組みだった。

 

結論を言えば、展示と作品が語る物事や表現形態は、知らないものでは全くなく、むしろ様々な機会を通じて見慣れた表現と展示形態だった。

 

展示テーマは「回復」の力、希望を宿した作品を通じて、生きる術を考える契機を得ることにある。争いや災害などの出来事によって、以前と同じには戻ることのできない経験をしつつも、私達が日々をまた生きていく中で様々な事柄が日常を続ける手段となり、推進力となる。

展示は4つのサブテーマ:「1.世界を考える」「2.個人として」「3.自然の姿から」「4.新たな希望を」で構成され、7組のアーティストが割り振られる。が、その区切りは厳密ではないし、展示規模も大きいものではなく、兵庫県立美術館コレクション展の1/3ぐらいのボリュームである。射程と意義は「レジリエンス」と呼ぶものよりも広く多岐にわたるものだった。

 

 

◆兼子裕代(MIRRORS OF HAPPINESS)

見始めるとき、そして見終わるとき、ともに「ポリフォニックな写真群だ」という思いがした。

それぞれの声を感じたのだ。その意味では前作『APPEARANCE』(青幻舎、2019)としっかり共通した声を持ち、展開としては更に多彩に、フォーマットを崩して身軽に展開している。

 

高い壁面から床面から空間をフルに生かして写真が配置される。されど写真で壁・床を埋め尽くしたりして空間を写真化するのではなく、ランダムネスと予測不可能性を招くためのカオティック・エロティックな配置でもない。写真1枚1枚は個々に言うべきことを言っていて、その言葉は誠実で、ドキュメンタリーとポートレイトの間を揺れる。大きめの素数のように声と顔がある。主張の抑え気味なサイズと間隔が保たれ、全体として調律が保たれている。

 

本作の舞台は2021年の北カリフォルニア、オークランドの南東端にある「プランティング・ジャスティス」という植物栽培園(ナーサリー)で、兼子は春から働き始め、共に働くスタッフとサイアノタイプやステンシル版画でアート作品を作ったり、メンバーのポートレイト撮影を行ってステンシルで壁画を作ることになった。写真には協働の様子が写されている。

それだけならいい感じの、異国の職場での異文化交流といったものに終始しただろう。だがこのナーサリーでは「リエントリー・プログラム」に基づき、元受刑者が多く雇用されていた。作者が交流しアートを通じて協働した「同僚」は、社会的・経済的に、更には個人のアイデンティティーにおいても「回復」を最も要する存在であった。作者は写真を用いてその支援を行ったというわけだ。

 

では犯罪という過ちから、あるいはそれを生ぜしめた貧困など環境的な問題から、彼ら彼女らは自尊心や自信を回復したのだろうか。過去の傷から回復するのに写真は効力を発揮したのだろうか。それが見えないぐらいの闇が作動しているから、本作はこちらの心を深く捉えるのだ。

 

本作に深い渋みと割り切れない当事者の「声」や顔をもたらしているのが、犯罪と受刑者との間を繋ぐ力の存在である。ステートメントで暴かれている「プリズン産業複合体」、刑務所と受刑者を増やすことで収益を上げるという「監獄ビジネス」「刑務所ビジネス」と呼ばれるアメリカの産業構造が、一周回って積極的に犯罪者を作り出し、労働資源として積極的に供給する力となっているのだ。

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「元受刑者」という身柄、過去に行われた「犯罪」とそれに対する「刑罰」が、個々人の責を超えたところで作り出されたものであったなら、どうだろうか。しかも低所得者層、非白人に明らかに偏った、狙い撃ちとも呼べる検挙・収監であり、その動機が低コストな労働力と政府からの委託金といった経営上の利益を狙ったものなのだから、現代版に強化・洗練されたポスト黒人奴隷制度と言うほかはない。この写真に居るのは奴隷制度の被害者であり、人生を吸い尽くされ搾取された当事者なのだ。

冒頭の問いに立ち返れば、広報のキービジュアルの何が心に直感的に刺さったのか、明快に答えが出せるものではないながら、おぼろげに見えてきた。個人の努力や資質では如何ともしがたい理不尽な力の存在と、圧倒的に搾取されすり潰されながらも「回復」を実施している存在の状況があったからだ。それは私の知らないクリティカルな現代の状況だった――後付けに解釈すればそういうことになる。

 

Web記事でチラッと目にしていた海の向こうの大国が抱える病理、それが実の声と顔を持って立ち現れる。「監獄ビジネス」について直接に言及したり告発、非難する写真は1枚もない。だがステートメントを踏まえて、彼ら彼女らが作るステンシル、サイアノタイプ、そしてその姿を映したスナップ・ポートレイトが、強大で理不尽な搾取機構に圧殺されざる個々人の声と顔を、その集合的な混声を、海を隔てたここに律を以って現わしていた。

 

それはやはり前作『APPEARANCE』に根を下ろし、そこから開いた写真なのであった。

声は、歌は、私達に尊厳をもたらしてくれるだろうか。自然と尊厳と自己のあるところへ、立ち返らせてくれるだろうか。写真についてではなく私は歌や声のことを考えていた。平面のビジュアル表現でありながら空気や感情の振動を伴う。それが兼子作品の独特な力だろう。

 

 

 

◆米田知子(「積雲」シリーズ)

全5枚の写真は静謐さがあった。無言にも近い。言葉少なく、しかし、じっと、すっと立っている。その姿の中に筋の通った柱のようなものが真っ直ぐ立ち現れている。恐らくそれを「歴史」という。

 

米田知子の活動を少し思い起こしてみれば、歴史と場所との関連、歴史なるものが生じてくる場とは何なのかを撮ってきたことにすぐ思い当たる。「雪解けのあとに」「サハリン島」「暗なきところで逢えれば」「KIMUSA」といった土地・場所を撮ったシリーズは言うに及ばず、著名な文豪や思想家の眼鏡を通してその原稿を見る「Between Visible and Invisible」シリーズでさえ、世界的に大きな「歴史」が生じる源泉を辿り、それが生じるところを再現し想起させるものだった。

 

歴史は古い所から来るだけではない。まだ日の浅いところからも歴史は立ち上る。展示された5枚の「積雲」シリーズは2011-2012年の撮影で、例えば真っ暗な闇夜に自販機が強く瞬く写真『避難した村・飯舘村・福島』、ススキの穂とたそがれる馬が詩的な『馬・避難した村・飯舘村・福島』はともに2011年の撮影だが、言うまでもなく同年3月11日に東日本大震災が発生、その被害は福島県原子力発電所にまで及び、チェルノブイリ原発事故以来の大規模な放射能汚染を引き起こした。間違いなく日本の現代史、災害史に残る大惨事となったが、この時点ではいかにそれを語るかというよりも、いかに手に負えない規模の破壊と汚染を抑え、事態を収拾すればよいのかという模索の渦中にあったはずだ。

しかし続く3枚の写真、白い空が大部分を占め、そこに小さな黒い点々が散らばる『黒い鳩・平和記念日・広島』、同じく水色の空が占める中に空の一部のように舞い落ちる1枚の羽『白い鳩・終戦記念日靖国神社、そして真っ暗なバックに浮かび上がる皇族のごとき高貴な出で立ちの靖国神社『菊』は、強烈に「日本」という国家の歴史的な正当性を告げている。直立不動の敬礼にも似たこの3枚が、被災地福島の2枚と接続されるとき、それは新たな/また伝統的な「日本」という歴史の柱に取り込まれる。恐らくは富士山の噴火、関東大震災、数多の風災害、そして阪神・淡路大震災などと同系列の、荒ぶる自然風土と密接不可分なクニとしての。

米田作品はそうした「歴史」の生成を零度の眼差しで捉えている。

 

 

 

畠山直哉(「津波の木」シリーズ)

米田知子と同じく東日本大震災を契機として撮られたシリーズで、目に触れる機会も多く、それゆえに現在進行形で印象に残っていく作品である。

 

印象に残るわけは、木だけが平野に立っていて、背後には青空と地平線がある、とても明快で主役の分かりやすい写真だから、 …ということだけではない。

もちろん視覚的な構図に限って言えばその通りだが、そのシンプルさは言うまでもなく木々が立つ土地に由来する。

そこは大津波で何もかも薙ぎ払われた土地である。更に続いて、瓦礫を徹底的に取り除いて平らに均し、場所によっては嵩上げ、堤防を築いた、最大規模の復興事業の現場である。それが東日本の太平洋側沿岸部の広大な領域に亘って、僅か10年未満の間に速やかに成されている(撮影は2019年)。つまり巨大な破壊・喪失による暮らしのリセット、復興という破壊のリセットという、二重の無化が施された真空のような場をバックグラウンドとして、木々は立っている。

 

本作が図像としてシンプルで分かりやすいのは、人が語り得る言葉の土壌となるべき種々の歴史性を、短期間のうちに重ねてゼロに還されているからで、ゼロ化の力があまりに強すぎるがゆえに通常の言葉を寄せ付けないためである。椹木野衣を引き合いに出すまでもなく恐るべき日本の宿命が凝縮された象徴的な現場の写真と言えよう。

だが畠山が木々に向き合う様は、そこがいかに「悪い場所」の圧倒的現象であろうとも、極大に虚無的な円環の宿命に絶望したり、円環に支配されてその一部と化すこともなく、ひとつひとつ、人間一人ずつに向き合うように、個の存在として対峙し、撮っている。その腹を括った姿勢の真っ直ぐさが、圧倒的ゼロ化の力に拮抗するストレートを発揮し、文字通りのストレート・フォトとして1枚の絶対的単数の写真を現わしている。

 

ゆえにいかなる感情、プラス・マイナスの念も生じさせず、更に虚無に陥ることがなく、そこにただ木々が「在る」。そのことを以って、ゼロの後を私達は「生きている」ことを自ずと知る。

震災から10余年が経過して思うことが、あのとんでもない破壊と動揺と死別と汚染、そしてそれらに勝る強引極まりなく大規模に過ぎる復興の土木工事と超大型堤防を経て(加えて復興五輪と銘打たれた「東京2020オリンピック」を1年延期し敢行しきった後も)、私達に何のイメージが残されたかというと、ひどく少ない気がする。

脳裏に残されたイメージを数え上げるならば、津波到達時の衝撃映像、全ての街そのものが膨大な瓦礫と化した敗戦後のような世界、原発建屋にヘリから注水したり屋根が吹っ飛ぶ映像。復興に向けた大規模な嵩上げ・造成の様子。そして、この畠山直哉の木々のイメージ、なのだ。

 

無数の写真家、アーティストが被災地に駆け付け、支援活動とともに作品制作を行った。被災地を舞台とし、被災者を扱った無数の写真作品があった。しかしそれらの個別具体的な取組みは、具体的であるがゆえに詳細に振り返って指差し確認しなければ、区別して思い出すことが難しくもある。それに数が多すぎた。撮らなかった写真家の方が少ないのではと思わざるを得ないほど多くの写真家が東北を、被災地を撮った。

今や年月を経て、「東日本大震災」と「東北」、そしてそれらを撮った写真もろとも、残酷な言い方をすれば東北圏外の人間にとっては茫洋とした「印象」に近いものとなっていった。なおかつ「東日本大震災」と「東北」とを結び、媒介し続けられる象徴物を、私達はあまり持ち合わせていない。テレビやTwitterで流れた映像は刺激が強すぎて胸が痛むために、動画映像の記憶は平時は意識下に封印されている。

 

そんな中で被災と被災地の記憶が薄れ、抽象度が高まるにつれて、畠山直哉の撮った木々の姿は不思議と、印象の中へとその根を下ろすようになっていった。茫漠とした、瓦礫を取り除かれて真っ平らとなった被災地/復興地との狭間に立つ木々は、具体的な眼の傷として刻まれた記憶から抽象化され塞がれていった心象へ、そのまま転写され植樹されるようにして、立っているのだった。

 

 

 

猪熊弦一郎(「顔」シリーズ)

以降は絵画作品である。気楽にいきましょう。

 

猪熊弦一郎の名前は聞いたことがあるけれど、何をした人なのかは知らない」という人種(私な)は、弛緩しながら絵の前に立って、されど、ああこれは只者の人物絵ではないと腹筋に力を入れるわけです。ぱねぇ。

シリアスとポップが絶妙に入り混じった、漫画ぽい不思議な作風であることに面白みを覚えつつも、無機質なデザインやミニマルっぽさに、目立たない程度に抑えて絵画の塗り描きが残され・呼び出されていることに、やばいこれはプロの技だ、と恐れをなしたりします。週刊誌の挿絵のようで、繰り返し同じ表情(造形?)をした顔を連続させるところに、何かがある。

 

特にこの「顔」だよ。何だこの反復は。

 

解説によると、「顔」シリーズは妻・文子を亡くした喪失から描き始められたという。すると全ての合点がいった。群集にしては目鼻立ちが共通していて、個体としては全く広がりがない/ある個人の様々な様相を反復したと言うべき複数個の顔であったのだから。しかしコミカルに見える裏側には喪失があったとは気付かなかった。

「顔」シリーズは美術館の物販コーナーで猪熊グッズとしてなおさらポップに展開されていて、大変おしゃれでよろしい、よろしすぎて買いそうになった(買えよ)のだが、そのおしゃれさの裏には、「妻」という超存在がいた/去っていたのであった。

 

なお、下の常設展では24歳・東京美術学校(現 東京芸術大学)在学中に帝国美術院美術展覧会に初入選した《婦人像》(1926)が紹介されているが、この最初期の作品こそ妻・文子(その当時はまだ妻ではなかったが)がモデルを務めていたのだった。

猪熊弦一郎は、妻という超存在を描き続けた作家だったのである。

何が超存在かというと、実在のリアルな一個の人物を描いているというより、その人から醸されその人を起点として百万も一千万も並行的に生成される次元があり、その並行世界の象徴としてこの「顔」なのだと思わされたわけです。((皆さん推しのアイドルやキャラクター等を思い浮かべてください。))

 

なお、犬や猫を描いてもいるが、実に良いです。

 

 

小金沢健人(絵画、「つなきんぐワークショップ」など)

名前はほうぼうで見かけるが、何の作品の作家だったかというと定まったイメージがない、形(型)の移ろうアーティストである。インスタレーション作家というわけでもない。画家と呼ぶのも奇妙だ。映像作品も作るしパフォーマンス、彫刻、煙や光もあるよ。

 

今作は絵画の素とも言える筆致:塗り、描くという行為そのものを繰り返し、その平面を並べて繋いで見せている。

ドローイングの2枚ペアが主たる作品である。同じ色味と型、手法で、中身の構成だけが異なる2枚が対になると、大きな1枚とも別の2枚ともつかない、共振による広がりを体感する。飲食店や衣料ショップなどで壁面を鏡にして反射の広がりを使い、空間を倍以上に広く見せられた時のように、隣り合う二つが同じ型で異なる中身を持つことで実際の個数以上に奥行きが広がる。

描かれているのが図形と塗り・描きのドローイングというメタなものなので、左右で差異を見て間違い探し・答え合わせをしても無意味である。間違い探しのために視線を並ぶ2枚の中で行き来させた時すでに迷宮入りしている。

 

絵画を見ることの解体と半壊的な再構築だけでなく、描くことについても解体的な試みがなされていて、解説には「ずれる2枚の紙の重なりの両方にまたがって描くドローイングと映像の作品を出品。偶然現れる表層と下層の見えない部分を入れ替え・ずらし・つなぎながら、即興的に描き続けることで作品は完成される。」とある。「DOMANI・明日 2022-23」で提示された《2の上で1をつくり、1が分かれて2ができる》は紙自体を重ね、動かしながら、2枚の重なる所にドローイングを続けていく作品だったが、ほぼと同じタイプの作品シリーズであろう。

キュビスムを1枚の画面内にではなく2つの平面上に分散・散乱/延長し跨って実施しているようであった。

 

あと裏面のワークショップ成果が味わい深いのでみんな見て。

恋です( ◜◡^)

 

 

 

◆モナ・ハトゥムMona Hatoum《地図》

撮影禁止のため遠景になるが、写真でいうと右手奥、会場入口すぐの床に広がる世界地図が作品である。

グレーのガラス玉、つまりビー玉を床に直接並べたドット絵の世界地図である。

 

解説を見てびびった。

床に固定されていないため、鑑賞者の動きによる振動で地図の一部がずれたり、破壊されそうになるなど、脆弱で不安定な作りになっている。」恐ろしいことを言う。自分の足のせいで世界が崩れてはたまらない。思わず姿勢を正す。

つまりはそういうことだ。漠然と「世界」は、私達個々人と別の次元で存在していて、私達がどう生きようがどう考えようが、それはそれとして外部に絶対的にあるものと思って疑わないのだが、実は私達の一挙手一投足とまでは言わないまでも、生き方・身の振り方次第では脆くも動き、崩れかねないものである。

 

地球温暖化や平和/戦争、自由、ポピュリズムといった、諸々の世界的課題が個々人とどういう関係にあるかを体感させ想像させる良作だった。

しかし本当に実際、観客の何かのアクシデントで地図がマジ崩れした場合、それは学芸員ら美術館側によって何事も無かったかのように「修復・復元」されるのだろうか? 作家に対応を確認するのだろうか? 勿論、足元に立ち入りを禁じる柵が張られていたので、作った状態での現状維持が前提の作品であることに違いはないが、神龍ありの世界かそうでないかで意味合いは大きく変わってくる。

 

ちな金沢21世紀美術館にコレクションされているので、今後も観る機会は多そうだ。

jmapps.ne.jp

 

 

大岩オスカール《虹》

1Fエントランス・券売カウンターから2階へ上がる際に通りがかる踊り場にて、1枚の大きな絵が掛けられている。夢のある大人の絵本めいた絵だ。

アメリカ同時多発テロ事件が起こった翌年の2002年、ニューヨークに到着した大岩が雲の間に虹を見て明るい未来を感じたことから制作された」、希望や願いを強く孕んだエモーショナルな世界のビジョンだ。

 

私が大岩の名を知ったのは「瀬戸内国際芸術祭」である。他の様々な展示の場でも作品に出会ってきたと思う。が、「これ」という作品の記憶がないのは、明るさ輝きの湿度を多く含んだ。夢の絵本のような(に一見感じられる)世界観が体質に合わなかったためだろう。(私、闇やリアルを以って五感を鋭く深く突き刺すものを好みます。中二病か。笑。) 

そんなわけで私に期待できないので以下、2023年4月アートフロントギャラリーでの個展「My Ring」に際したインタビュー記事をご覧ください。

www.artfront.co.jp

 

波や風、光といった、目に見えない透明なもの、動き続ける現象をしかと強調して、どんな人間にもちゃんと見えるようにして盛り込んで描き、そこに街、そして船や車など乗り物が柔らかいタッチで加わるところに「絵本」という印象を受けたのだと思う。自然のエレメントが都市に大質量で乗っかるのだ。無神論者でもこの絵に描かれたエレメントのスピリチュアリティは明らかに目に見える。アホでもわかる自然元素。アホでもわかる、というところが絵本的でもある。一周回ってそれは科学ですらある。サンパウロ大学建築学部卒なので街の造形、建物の造形やそれらを捉える俯瞰の視座は確かなものがあり、科学的に現実の社会状況を見据える目は当然に期待できる。そこに願い、希望を乗せているのだと思う。

 

 

 

◆外観、オブジェ

展示も良いんですが、猪熊弦一郎現美(略称)は、美術館の建物自体が空間芸術ですから、実際には入館前からこちらのメンタルが仕上がっている。

JR丸亀駅と道を挟んですぐ隣に、コンクリートの四角が大きく口を開けている。この奥行きと高さには圧倒され、知覚がバグります。

写真に撮ると平面の組み合わせが全て光学的に「平面」として折り畳まれてしまい、平面上の整いとして整理され、ただ理路整然と綺麗なだけに見えてしまうのだが、写真をやめて人間の五体五感を以ってして立つと、「空間」にやられます。これでアートや建築を「分かって」しまう人が続出するのではないか。分かりを得ます。みんな高僧になろう。

 

オブジェを遠巻きに撮っていたわけだが、注意書きを見ると「触ったり乗っても良いよ」と書いてある。逆かよ!頓狂な声を上げて、撫でたり叩いたりします。ぺんぺんぺんぺん。建築もオブジェも触れなくてはお話になりませんな。モノであるが空間なのだ。空間は人間が体を持ってきて以ってしないとだめなのだ。オキュラスでどれだけ脳をうまくバグらせても、置き去りになった首から下が黙っていない。私達は空間から逃げられないし、空間を求めている。ああっ。建築っていいな。人間がいなくなっても建築は続いていくのではないか。わからん。

 

左手にJR丸亀駅。駅の目の前は東横イン。それ以外に何があるのか分からぬ街であった。4、5年間隔で来るのに最適な美術館/建築だと思う。いや讃岐うどんをやるなら毎年でも。どっちでもいいです。空が広い。

 

( ´ - ` ) 完。