真夏の犬島である。最高である。青い空、青い海と、銅の色。瀬戸内海の離島に行くなら真夏が最高である。しかし暑い。暑すぎた。後に体調不良でグダグダになった。皆さん熱射病に気を付けながら太陽と銅と近代をお楽しみください。
犬島に行くには、岡山県の宝伝港か、直島の港から船です。そら徒歩では行かれへんわな。みんなしっとる。十年ぐらい昔に行ったときは「瀬戸内国際芸術祭」と繋げて回ったため、客が大量におり、直島からの船は大行列で争奪戦だったような記憶がある。当時は地域型アートがブームになった頃で、セトゲイ×離島めぐりは熱狂を帯びていた。
今回は20人いるかいないかで平和です。おぼんで帰郷しているらしき方々も見える。
煙突がランドマーク。船から見ると小さいが現地を歩くときは存在感がすごい。もう過去の記憶の大部分が無いが、なんか銅の色をしたレンガが敷き詰められていたことと、ジンジャーソーダが美味かった記憶はある。
■入場(チケットセンター・売店)
船着き場のすぐ隣が美術館入口の建物になっていて、敷地内に入るためには建物で入場料(大人一人2100円)を払っていく必要がある。
入場口が売店になっていて、おしゃれな皿やら雑貨やら手ぬぐい、冊子があり、誘惑が多い。
誘惑です。しかも売店はカフェと一体になっている。誘惑の二乗。もうここでええんちゃうかという気になってくる。あかんて。快適かつおしゃれ空間。ただ快適なのはここまでで、この先は地味に体力戦になる。なったんや。
チケットセンター・カフェから美術館入口まで広い敷地が広がっていて、徐々に煙突に近付いていくのがテンション上がります。テンションも上がるが体温もえらいことに。暑すぎて黒いベンチに誰もいない。まあ座ってたら死ぬから。あついんや。足元を見ると無数の記号の断片が落ちていて、全部ミミズの死骸だった。なぜ土から出た。全部数えた人は煉瓦がもらえるという伝説が(嘘
■コテージ群
死んでいたのはミミズだけではない。なぜか雑草の向こうにコテージ群があり、それらはなんかこう、あれだ、干からびてなんか生きてる物件なのか死んでいるのかよく分からなかったが、どうも死んでいる気がする。
しんでいるのではないか。廃墟センサーが反応します。中庭に入るとバッタと雑草が主役である。人間が暮らした気配がない。カラッカラに干上がっている。暑い。地球人は滅びました。
表に料金表は貼ってあったので、まだ泊まれるような気はする。「コテージ1棟貸し お1人様より 6000円~」「お2人様より 10000円~」1人からでも使えるのか。しかし犬島をGoogle Mapを見ても「店」の概念がないので、素泊まりはすなわち断食である。
宿泊情報サイトには「シーマン」という名で、たぶんここの元気な頃の写真が載っていた。地球人は滅びました。
■精錬所・レンガゾーンの入口
入口が3段階あって、一つは先ほどのチケットセンターで敷地に入り、二つ目がここの柵、精錬所のいかついレンガゾーンの入口。三つ目は美術館内部・作品展示スペースへの入口。最後にチケット確認があるから油断してそこまでの道中で棄てないように。やべっ。
ここでやっと精錬所が始まる。
意外にも犬島精錬所が稼働していたのはたったの10年間(1909~1919年)と短い。よくこれだけの規模で遺構が保たれていたものだ。人の出入りが少なく土地開発・利用も盛んでない離島だったのが幸いしたと言うべきか。
かっこいいですね。なぜだ。近代は人間に対して圧倒的な「力」がある。建築にせよ産業にせよ、全てが人間理性のシンプルな物理的限界へ向かって発展・拡張されているためか、理屈抜きに認識に入ってきて、圧倒される。自然数の四則演算が正しく速くキマったときのような美しさがある。数的な量と質が近代を支え、そして人間に刺さるのだ。個人の感想です。
敷地内は順路があって、完全フリーなわけではない。が、かなり奥の方の廃墟めいた構造体にまで客が入っているのが遠目に見える。期待が持てます。後にめっちゃ歩けて嬉しかったです。代償として暑すぎて疲れました。人類は帽子を装備すべきです。
黒光りを見よ。黒と対話せよ。
柵から先の敷地は金属体とレンガの両方の質感を併せ持った、独特な素材で建造されている。これはガラス35%・鉄60%で構成された「カラミ煉瓦」で、銅の精錬工程で生じる廃棄物を固めて作られたものだ。美術館など精錬所跡地全体で17,000個のカラミ煉瓦が用いられているが、それらは精錬所周辺や海にまで廃棄されていたものを採集し、再利用されたものだという。数えてはいないがそう書いてあった。うへえ。
美しい煙突、17,000個の煉瓦、光を帯びた黒と銅。これらは近代産業・近代日本の発展の歴史を伝えつつ、同時にその限界を指し示すものでもある。煉瓦と精錬所は100年前の日本を巨大な近代国家として前進させる役目を担っていたが、実情としてその約100年間の歴史の大部分においては廃墟としてうち棄てられていたわけだ。閉鎖の理由は第一次世界大戦の終結に伴って銅の価格が急落したためという。近代も現代も要は採算性が命なのだ。だが採算性の原理原則を超えて今ここに、この巨大な遺構は現存している。不思議な力だ。瀬戸内にはそういう力がある。などと思わせぶりな形容をするまでもなく、誰も離島の広大な廃墟を更地にしてまで何かに使おうという経済力も発想もなかっただけなのだ。また経済力である。だが情熱と狂気を宿した事業家とアーティストが現れ、この施設が生まれた。煙突と煉瓦が美しい。
太陽に照らされて赤く青く光を帯びるので、めちゃくちゃに晴れた真夏こそ美しい。ただし暑い。
このゲートは最後に周遊を終えて戻って来る時に通るところ。どれぐらい広いのかまだ想像がついていない。
美術館入口。
煙突は飾りではなく、空気の流れを作り出す重要な役目を果たしていて、終盤に現れる「チムニーホール」というガラス張りの部屋と直結されている。ガラスから注ぐ太陽光で空気が温められ、外気より高温となった空気は浮力を生じ、煙突の上部と下部で生まれた圧力差によって空気の流れが生まれ、館内全体に通じていく仕組みとなっている。確かに歩いていて風を感じた。
かつての近代産業装置が火力や電力を使わずにエネルギーを生んで、静かに駆動しているのは、まさに近代へのアンチテーゼであり鎮魂であるように感じた。
■美術館と作品「ヒーロー乾電池」シリーズ/柳幸典
館内は撮影禁止となる。昔来たときにも観たはずだが作品の記憶が一切残っていなかったのは、撮影なしで観るだけだったためなのと、個別の作品が飾られているのではなく、建築構造自体が作品だからなのだった。改めて来てよかった。
写真がないので言葉で美術館について触れておこう。詳しくは以下、ベネッセ公式サイトと柳幸典のプレゼン記録で語られている。(※暑くて自分で説明する気力がない
お分かりいただけただろうか。つまり3人の重要人物が関係している。
- 福武總一郎(ベネッセ):直島をはじめとするアートプロジェクトを展開。1992年、柳幸典の企画展を直島で開催。1996年、柳から犬島でのアートプロジェクト構想を打診される。2001年、犬島の精錬所跡地購入。2004年、三分一に設計を依頼。
- 三分一博志(建築家):2004年、福武の依頼を受けて美術館を建築。調べるにつれ柳幸典と何をどこまで分業したのか合作してるのかよくわからなくなってきたので今後の宿題とします。
- 柳幸典(現代美術家):1995年、ライフワークとして犬島全体をアートで再生するプロジェクトを着想。1996年、福武に打診するとともに、土地の所有者と交渉。1999年、三島由紀夫の家をモチーフとした作品の原案を提出。
時系列についてはベネッセアートサイト直島出版の「犬島精錬所美術館ハンドブック」(建築、アートの両方)を参照しました。これ薄くて小さく持ち帰るのに重くないし、情報が端的にまとまってて良いですよ。買って良かった。
大雑把に整理すると、犬島のアートプロジェクト構想と美術館内部の作品制作は柳幸典が行い、その構想を具現化し、煙突からの空気の流れを活かした空調などの物理的な構造を実装したのは三分一博志、という感じだろうか。厳密に分けにくく、また「建築」がどこまで指すのかが難しいが、冊子を読んでいると柳の構想がかなり深くて広いことが分かった。
さて作品/構造だが、全体を通じて「ヒーロー乾電池」という総称が付けられている。三島宅玄関の呼び鈴の電源に用いられていた電池の名称だという。名前が表すように、各作品が三島由紀夫と密接に関係している。事前情報をシャットアウトして挑んでいたので、こうしたことを知ったのは事後、書いている今である。会場を回っている時点では最後の作品にのみ三島の色を見ただけで、道中はまったく上質かつピュアな廃墟探索の様相であった。わあい。
だが知ってなお、犬島、銅の精錬所跡、三島由紀夫、家屋、三島の詩に登場する「イカロス」、といった連想の結び付きは壮大かつ謎めいていて、常人の力量での発想ではない。それらを描き、立ち上げ、まとめあげた柳の思想と三分一の建築は、理解を超えている。凄い。
■美術館内部
まず入ると真っ暗なので係員にガイダンスを受け誘導される。
そこは暗く、部屋なのか、回廊なのかが見えず、炎を噴き出して揺らめく太陽の映像が縦長のパネルに宿されている。反対側の遠くに小さな光源が見える。トンネルの出口に向かって進めということらしい。
闇の中を出口の光源に向かって進む。
両脇の闇をおそるおそる手でまさぐる。宙を手が泳ぐ。じりじり体を横へずらしていくと石の壁に触れた。カラミ煉瓦が敷き詰められているのだろう。ひんやりとする。
風も流れてくる。出口から涼しい風が伝ってくる。
光源に近付くにつれて、出口が何やら斜めになっていることに気付く。おかしい。暗闇の中で平衡感覚が狂っていたのか。建物全体に傾斜が付けられているのか。だが更に歩みを進めると、トンネルの出口が異様に平面的なものに見えてきた。おかしい。出口のはずなのに立体感がない。それは鏡に反射した像=偽の出口だと気付いた。だがどこからやって来た?真の出口はどこにある? 背後を振り返っても燃える太陽の像しかない。
ずっと遠く離れた出口の像が、つづら折りになった開廊の中を斜めに向けられた鏡の連鎖によって運ばれてきていたのだった。
鏡の罠は素敵な錯覚をもたらした。闇を進んでも進んでも出口に辿り着かない。鏡は次の通路に向かって正面を向き、今歩いている通路には斜めに向けられているので、現在の通路を正面に歩いている自分自身の姿は見えない。なので鏡を鏡と気付きながらも、若干の錯覚を起こし、正解の道を行きながらも迷い込んでいるかに思う。
鏡で曲がった先で少し立ち止まって、後続の仲間が来るのを待っていたら、こっちへ向かってくるリアルのその人と、斜めの鏡の中でまっすぐ去ってゆくその人とに綺麗に分岐するのが見えた。並行世界が生まれるところに立ち会っているようだった。
このつづら折りの鏡の開廊は、太陽の映像も含めて全体で《ヒーロー乾電池/イカロス・セル》という名前が冠されている。煙突の真下、ガラス張りのチムニーホールで宙吊りになった扉や戸板や階段の作品《ヒーロー乾電池/イカロス・タワー》と対になっている。
先に少し書いた通り、「イカロス」とは三島由紀夫の短編『F104』の中で書かれた詩から引用されている。
これも今知ったが、『F104』とは三島が航空自衛隊戦闘機F-104に搭乗した際の体験を基にしたエッセイだという。日本と自衛隊と戦闘機、鉄と太陽、国と愛国心、となれば、後に訪ねた「ART BASE 百島」で展示される柳幸典作品群との関連も含めて、犬島精練所美術館の全ての意味が「巨大な遺構の異界ダンジョン感」の体験から一転し、戦後近代「日本」というアイデンティティーの空虚さを語り、その大いなる虚構にしかリアルを宿せない戦後生まれの私達の根無し草感について、遺伝子までえぐり込むような、ショッキングな問い掛けの作品だったということになる。
この時点では汗をだらだら流しながら、「鏡じゃ鏡じゃ」「わあいわあい」と無邪気に喜んでいる。実は終わりの曲がり角で、虚像の中を彷徨いながら、近代を抜けられずに遊戯している。ああ。この感覚。決起せよ。
奥へ進むと、暗く大きな空洞になる。「エナジーホール」という部屋で、巨大な一枚岩が床に置かれ、その上には水が張っていて、更にその上には歯抜けになった和室が宙吊りになっている。《ヒーロー乾電池/ソーラー・ロック》という作品で、部屋は床、天井、窓などの枠組みだけが残されているが、フレームを保つ力が働いていて、見る側の視覚と想像の中でそのパーツは架空の・概念の「部屋」「家」へと成る。
三島由紀夫というテーマをまだ知らずに見ていたので、瀬戸内地域の伝統的な作りの家屋がモチーフなのか?などと思案していた。違った。三島由紀夫が青年期を過ごした、渋谷区松濤の家の建具を用いた作品だった。全部、三島由紀夫だったのだ。会場には基本的に解説がないので、観客は自分の観たいやり方で作品を、犬島精練所を体験できる。だが深掘りし始めるとそれは、厚さ0㎜の国旗の裏側を掘り下げるような旅となる。
暗がりの空洞を抜けて隣接する部屋、暑すぎてどういう接続になっていたか忘れたが、階段を上がったか、より一層バラバラに家屋が宙吊りとなった空間・《ヒーロー乾電池/イカロス・タワー》に到着する。
もはやシュールレアリスム絵画だ。宙に漂う家屋のパーツ、窓やドア、便器は配置の構成だけがあり、重力が停止していて、マグリットやダリの世界だった。これらもやはり三島由紀夫の家の階段だったりするのだが、重力の停止がもたらす高揚感、SFめいた異世界の実現に激しくときめいた。ガラスの天井から注ぐ日光がシュールレアリスム絵画の度合いをより強めていた。暑すぎて長居できなかったが、絵画が空間化されていたことに強いときめきを覚えた。
暑くて汗が止まらない。風が流れては来るが、この強烈な酷暑の中では涼しさに結び付かず、建築的特徴に過ぎない。長居できなくて先に進んだ。《ソーラー・ロック》の暗がりの間に戻り、より暗い方へ進んだ。
赤い血のような澱み崩れた電光の文字が流れくる扉。《ヒーロー乾電池/ミラー・ノート》、後で写真で見ると文字が流れ落ちてきていたのは扉ではなく襖であり、それはやはり三島由紀夫の家の襖であった。
そして襖の間は風除室なのだった。太陽光の溢れる外に出てきた。また和室の一部が置いてある。
木製の檻のような建具が煉瓦床の空間に置かれていて、細かい木の格子の向こうに大きな旅行鞄が封印されている。上の梁からは無数の金色の文字が垂れ下がって揺れている。呪いか詩か、「憲法」や「警察」「国家」「日本」といったいかめしい漢字が次々に目に飛び込んでくる。直感的に三島由紀夫の最後の檄文だと気付く。こんな大仰でシリアスで、いかめしく、そして空疎な、架空の筋肉の身体のような言葉を立て続けに連呼するのは、後にも先にも三島由紀夫しかいない。
《ヒーロー乾電池/ソーラー・ノート》である。柳はこの作品を「パンドラ」という言葉で語っているという。好奇心から開かれた箱からは災いが世界中に飛び出したが、箱の底には希望だけが残っていたという。それが三島邸にあったという旅行鞄なのか。その魂はどこへ行こうとしていたのか。
美術館のいたるところ、見れば三島、触れれば三島、切っても切っても三島である。自衛隊のような私軍を結成し、自衛隊相手に演説をかまして潔く絶望し割腹自殺した男の世界が、自然のエネルギーの循環と近代化の歴史の保全の中で、延々と息づいている。狂気だ。ここは、とんでもない狂気の国だ。私は恐ろしいものの中で遊んでいるのかも知れない。
( ´ - ` ) 鑑賞時点では「あつい」「あつい」言うてるだけの、真夏の奴隷だったので、特に難しいことを考えてはおらんかったのじゃ。三島由紀夫を読まないといけないなと思いました。安保。
この《ソーラー・ノート》で美術館は終わり、物販コーナーが隣接している。犬島精練所に関する年表が掲示されているのだが、「第一次世界大戦」や「犬島精練所 閉鎖」と対等に「三島由紀夫 自決」が太い赤文字で強調されている。なんでや。今なら分かるが、その時点では謎すぎて「なんでや」「なんで由紀夫が」と狼狽。今ならわかる。そうやな。だいじや。
約十年前の鑑賞時もさることながら、今回においても、犬島精練所という場所と美術館は私にとって、あくまで巨大な産業遺構、廃墟的異世界としての意味だけを持っていた。むしろそうあるように無意識下でコントロールしていて、三分一博志、柳幸典という固有名詞から連なる思想や作風をシャットアウトし、物理的な廃墟探索の感覚のみを楽しみ続けていた。それは甘美だった。
しかし「書く」という行為によって、その甘美をさらに深め、廃墟・異世界をさらに深めようとしたとき、なぜか個々人の思想や歴史に真正面から向き合うことを選んでしまった。なぜだろうか。「三分一博志」や「柳幸典」の思想、福武總一郎の思想、三島由紀夫の思想が私の意思を超えているのと同様に、「書く」行為自体もまた私の意思を超えているのだ。「書く」ことで発動する文体のようなものが、方程式のごとく起動し、フォーミュラは定まった数値=情報を求めて貪る。「三分一博志」や「柳幸典」という作家名と作家性、テーマ、思想を半ば自動的に取り込み、代入しようとする。そして私が現地で得たのとは全く異なる体験、更なる異世界を開こうとする。時間と体力がいくらあっても足りない。こんなに書くつもりは無かった、なのに止められないのである。困惑している。
地上からでは見えないところを九十九折りで進んできたらしい。入口からそう離れてはいないが、ここ何処。ちょっと上に来たようだ。
美術館を終えるとまた散策が再開される。
■遊歩道、煙突と煉瓦のつづき。
上の方に登っていく。わあい。軍艦島などと違って散策の自由度が非常に高い。たいへんうれしいですね。軍艦島はけちなので二度と行かへん。まああれは頭上崩落が危なすぎて手に負えないロシアンルーレットだから仕方ないか。
産業遺構を合法的に立体で摂取できるの非常に喜びです。産業遺構はもっと立体で吸われるべきなのです。日本語がやばくなってきたぞ。建物や装置は取り払われているので、銅をどうやって作っていたかは謎です。
四つの小部屋が。これも謎です。資材置き場かな。雑草がすごくてよくわからん。調べてみたけどトカゲの一匹もいない。暑いからだ。
階段を登りきると広大な敷地と、瀬戸内海のブルーが見渡せる。夏だ。青春をしました。毎年毎年青春をリアルタイムで更新してる人間てやばいやろ。ライトノベルや萌えやアイドルが要らない。銭にならん人種です。みやげもん買うがな。買う買う。
美術館と繋がっていた煙突以外にも、別の煙突がいる。既に崩れているが固定されているのだろうか。放置していたら割れて落ちてきそうだ。美しい。
小高い広場の背後には、青みがかった池が見えた。銅の精錬と何か関係があるのか、やばい液とか溜まってないだろうかと想像したが、調べてみると、犬島では花崗岩が採れるため、江戸時代から石切場として多数の石が切り出され、その跡に雨水が溜まって池と化したらしい。得られた石は大阪城や岡山城の建造に使われたと。
廃墟、遺構好きなら、池回りを探索するのもアリですね。
旧世界の軍事要塞みたいでかっこいいんすよ。武骨なのだが洗練がある。そして緑に飲まれつつあり、自然に還ろうとしている。鉄とガラスの近代要塞が自然に還ることなど無いのだから完全に皮肉な詩のような言葉遊びに過ぎないのだが、しかしこうして眼前には壮大なスケールの自然回帰のような光景が繰り広げられている。
森の中を通る道が続いており、ウチらの冒険はまだ終わりません。なつやすみは永遠だ!
悲しいことに、蜜を入れてスズメバチを捕獲するトラップに、大量のカナブンが引っ掛かって溺れていました。可哀想すぎます。スズメバチはおまけ程度。しかも入ったら出られない仕組みになっているから救い出すこともできない。これは何とかしてあげてほしい。ハチぐらい何とかするんで。食うので。
入場からきっかり1時間かけて辿り着いた、素敵すぎる廃建物。冊子や各種ホームページでも美術館として整備されたゾーンしか説明がなく、これがかつて何だったのかは書いていないが、別の地域で似たような形をした発電所の遺構を見たことがある。
案の定、よく見てみると、柳幸典のプロジェクト構想スケッチで「発電所サイト」「Powerstation Gallery Site」の書き込みがあった。痕跡のほとんどが剥ぎ取られてしまっているが、ここから電線が這わされエネルギーが送り込まれていたのだ。斃れた巨人の心臓の空洞を見る思いだ。
すぐ裏は海で、自由に下りることができる。砂浜はない。瓦礫が続いている。大きな岩は人工的に配され、固定されている。どこまでが人の手によるデザインと配慮で、どこからが自然と時間経過によるものなのか分からないが、ある程度安全に気配りされている。全国の様々な廃墟もこうして無力化された上で開放されたらと思わずにいられない。
ここで海岸沿いに引き返すこともできるが、森の歩道をゆくと更に奥に進むこともできる。えっまだ奥があるの?? 一体どこまで続いているのか、やや気味が悪くなってきた。十数年前こんなにたくさん歩いたっけ? 蝉が鳴く中、止まらない汗と共にゆく。
石垣があったりするが規模は小さい。ただの森のようだ。石切場の池がすぐそこにあり、ウシガエルのボオーボオーと鳴く声がただただ虚無的に響く。明るい不気味さが漂っている。暑くてしんどい。近代パワーが切れて疲れを自覚しつつある。
歩いてる人にも出会わないが、座って休んでいる人も当然いない。涼しい木陰に見えて、蒸し暑さはやばいことになっており、こんなところで読書している人がいたらそれはたぶん熱中症で暑さが分からなくなっているためだと思うよ。あついよ。
12:08、森の歩道の終点まで来たが、更に海岸を伝って歩いていくと「くらしの植物園」があるらしいということが判明した。
パーティー困惑する。「植物園なんかあったっけ??(困惑)」「最近できたはず」「いやもうこれ以上は・・・(しぬ)」「時間足りないんで戻りましょう」 満場一致で引き返すことに。
妹島和代+明るい部屋による植物園で、何か特別なものがあるわけではなさそうだ。次回以降の訪問で余裕のある時にやりたい。
筆者はこのあたりで既に体がdame(だめ)になっていたようで、きつかった。前日、前々日と続けて脂肪燃焼サプリとカフェインを連打して交感神経はめちゃくちゃであったのが良くなかったと思う。ウシガエルが鳴いているよ。ォエーォエー。
なんか暑すぎてしんどすぎたので記録の動画を録った。つらくなると記録したくなるねんな。分類するとメンヘラ4類型のうち「つよいメンヘラ」に当たると思う。森と海と廃墟は良い取り合わせでした。
動画がブレブレしてて汚いのは、EOS 5D Mark4を手持ちしながら録っていたためで、この機体はボディ側に手ブレ補正機能を内蔵していないという欠点がある。動画なあ。ちゃんと録れるようにしたいな。
背後もかっこいいんだ。なんなんすかこれ美しいな。美人だ。
ルッキズム批判を「愚かだ」と私は憤り、近代の端的な美しさに回帰しそうになり、自制心を失ったのは太陽のせいだ、などと言い訳をした。太陽は、それを許した。おほほ。暑い。あかんて。
( ╹◡╹)ノ 犬島精練所美術館でした。
続いて、「家プロジェクト」を少し回っておきます。
( ´ - ` )完。