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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R3.7/10(土)~8/7(土) 25周年記念「山沢栄子、岡上淑子、石内都 2021」@The Third Gallery Aya

1996年のオープンから25周年を迎えた、写真・メディアアート類を扱う「The Third Gallery Aya」の記念展。石内都岡上淑子、山沢栄子のグループ展という、主に女性作家を取り上げてきた同ギャラリーを象徴する、パワフルかつ贅沢な企画だ。美術館で観るのとは全く異なる体験となったのが面白かった。

 

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【会期】2021.7/10(土)~8/7(土)(7/27展示入れ替え)

  

 

超パワーを誇る3名である。名作は数知れず。されど会場は美術館やイベントスペースではないから提示できる点数が非常に限られる。そんなわけで会期途中の7/27(火)で展示の入れ替えがなされ、少しでも多くの作品が観られるようになっていた。ありがたい。

折しも会期前半は、西宮市大谷記念美術館の石内都展「見える見えない、写真のゆくえ」と会期が重なり、後半では終了した「見える見えない」から2枚の作品が本会場で合流するといった形で、2つの展示が穏やかに連動していた。

 

3名の写真家について、会期前半・後半それぞれの展示品を振り返ってみる。

 

 

 ■石内都/《絶唱横須賀ストーリー》《ひろしま

会期前半では絶唱横須賀ストーリーから9点が出展、うち6枚は大全紙で縦2×横3枚の組になっており、会場にドスの効いた重低音の迫力を響かせていた。

 

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黒い。黒くて熱い。山沢栄子、岡上淑子の2名を押さえ込むプレッシャーを放っていた。モノクロの黒の濃さが体にへばり付く酷暑の空気と相乗していて、黒の強さが増幅される。

 

何気ない日常の路上スナップのようで、写っているのは戦後日本=アメリカの傘下・庇護(支配)である。菊の御紋はその下で保持されており、かつての威厳とは別物なのだろう。

撮られたのは1976-77年、既に日本では学生運動も終わって安定成長期に入っていたはずだが、写真は何だか不穏な気配に満ちている。タッチはまた異なるものの、東松照明森山大道といった先行作家の仕事を連想させる。石内都というと人の肌や衣服という「表皮」を撮った作品があまりに有名だが、これら初期のモノクロ写真は別のベクトルで原初的な力があって痺れる。

 

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植物の束が風に吹かれているが、その流れは「写真」の物性が黒く束になったものに見え、植物ではなくなっている。モノクロの粒子の集合が自律した別の何かへと成っていくのを観ている気がした。

 

会期後半では、上記の絶唱横須賀ストーリー7点を残しながら、西宮市大谷記念美術館での展示から戻ってきたひろしまから2点が加えられた。

 

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これこそ真夏にふさわしく、日本の8月だという実感が来る。今こうして会場光景を俯瞰していて、確信に変わった。広島(=原爆、終戦)と横須賀(=在日米軍は緊密に連動する。

この2テーマが並んで展示したのは初めての試みだという。どちらも戦後日本を深く物語るモチーフだ。

 

驚いたのは大谷記念美術館とあまりに作品の見え方が異なり、完全に別の作品となっていたことだ。大谷記念美では一つ一つの展示室が非常に広く、天井もかなり高いため、作品は空間の一部となって同化していた。対照的に本ギャラリーでは、限られたスペースゆえに照明が明るく、目のすぐそこに作品があるため、写された像の中身と眼とが直接的に干渉し、像の生々しさが際立つ。

特に縦長のワンピースの作品:ひろしま#109 donor:Terao,H》は、全体のブルー味と服のピンクの色味がエーテルとなって、皮膚も肉も持たない衣服から仮想の身体が滲出してくるような、非常に強い存在感をもたらした。

 

それが子供用のワンピースだと聞いて信じられなかった。衣服と光のとろみから漏れ出してくる仮想の身体は、私と対等かそれ以上に大きなものだった。成人でも幼体でもない何かがやってくる。それは戦争や被爆者とは全く無関係に生々しい存在感だった。私は一体何を見ていたのだろうか? このことは他のフリーダ・カーロのシリーズなどでも共通の問いとなりそうだ。人間の、そのひとの「存在感」とは、どこのこと・どんな状態を指すのか?という問いだ。

 

 

 ■岡上淑子/《景色》《彷徨》《真昼の歌》、《女》《二人の女》《不明》《海のレダ

1928年生まれの、フォトコラージュの奇才。存命中である。

1950年に文化学院デザイン科に入学してから、授業の課題でコラージュに目覚め、作品が回り回ってシュールレアリスムの第一人者・瀧口修造に見出される。その縁でタケミヤ画廊で展示を行うなど作家活動を行ったが、結婚して第一子の誕生した1959年以降、創作活動は行われなくなった。

 

そうして長らく埋もれていた存在だったが、1996年に写真史家・金子隆一氏により再発見され、2000年代以降に企画展示が次々に催される。多くの人にとっては、2018年の高知県立美術館と東京都庭園美術館での大規模な回顧展が、「岡上淑子」なる異才とフォトコラージュを認知するきっかけとなったのではないか。私がそうだ。クオリティと物量の凄さに完全に圧倒された。SF作品を介した創造旅行のような体験だった。

 

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会期前半ではコラージュ作品3点を展示。改めてそのセンスの突き抜け方に唸らされる。

 

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ダーク・シンデレラ。そんな造語が直感的に来た。

作品が作られた1954-56年は日本が戦後復興を終えて、高度成長期、近代化に入っていく時期だ。戦勝国である欧米の生活様式やファッション、そして身体や顔の造形美は若い世代の日本人にとって、新たな憧れであり目指すべき目標となっていた。岡上作品は当時のファッション誌やグラフ誌から、海を越えた向こう側の、煌びやかなイメージ同士を交配し、更に強力な煌めきを生み出す。

 

岡上作品の原動力については、ひとつは西欧文化への憧れ、もう一点は封建的な社会における若い女性にとっての創作や想像の「自由」、この二本柱で語られよう。特に後者については本人の詩でも、女性が自由に想像の羽を伸ばし自由に創造することの素晴らしさを謳っている。

だが作品は決して明るく牧歌的、感動的なものではない。逆にとても鋭くソリッドで、 憧れや夢を深く切り刻むがごとく、現実的なモチーフが多数投入されている。ファッション誌の女性モデルと並んで多用されるのが、西欧近代文明の冷徹かつ強力な、破壊と殺戮のマシーンと兵士たちだ。西欧近代の暴力性と機能美が、耽美で王朝的な装いの世界と間断なく混ざり合った世界観、どちらも日本が憧れながらも持ち得なかったものだ。

そして近代批判やグロテスクだけでは全くない。神秘的というか、魔術のかかったようなイメージの浮遊も非常に多い。文法が魔法だ。モデルらの首は頻繁に飛んだり、頭部が花や爬虫類や機械にすげ変わっている。これは文学か、詩か、ラディカルな科学なのか。現実と影、屹立するイメージ、それは大人の童話なのだ。成熟した個体の観る空想の国、魔法は零時を回っても解けることなく、シンデレラはいつまでも朝の来ない不朽の魔力の中を漂い続けている。

 

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会期後編ではコラージュ1点と、写真作品が3点(1955年)提示された。

コラージュ作品は直接に印刷物を切り貼りしているが、これら写真3点は撮影時の多重露光や、ネガ自体を2枚つなげてプリントされたものだ。この写真では遠すぎてよくわかりませんね、だめだ、、だがしかし本展示は特別にカタログが作られるらしい!それを見よう。

 

この実験精神はどこから来たのだろうか? 作者は特に現代美術や戦前の前衛写真について学んでもいなかったようなので、ただただ手探りで編み出したのだと思われる。写真を「真」のためではなくイメージの戯曲を生む手段として使う、その発想の自由さに驚かされる。

 

 

■山沢栄子/《What I Am Doing》シリーズ、《Bricks》

山沢栄子の人物像と作品については、2019年の回顧展『生誕120年 山沢栄子 私の現代』(@西宮市大谷記念美術館)レポートを参照されたい。

 

 

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1899年生まれ、日本画や油絵を学ぶ傍ら写真も学び、1926年に渡米して静物画を学ぶ。 写真家コンスエロ・カナガと出会ってスタジオで勤務、現地で20世紀初頭の最新の美術と写真表現に触れる。帰国後は1931年に大阪で写真スタジオを開設。戦後も関西をベースにスタジオ写真家として働くが、1965年にスタジオを閉じる。1984年に足を骨折してからは老人ホームで生活、1995年に逝去。

 

人生の後年になればなるほど作品の力が増し、抽象的な世界観が強まる。代表作《What I Am Doing》シリーズは70~80年代に制作されているが、特に骨折してホームに入居し、外に出られなくなってから自室内で撮られたものも多い。ある種の超人のような、常識では測れないものに満ちた作家だ。

 

会期前半は4点、《What I Am Doing》(No.78,70,81)《Bricks》が展示。うち《Bricks》は前回の大谷記念美では観ていない。

 

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撮り方が悪くてすいません。これは2枚ずつそれぞれサイズが異なり、写真の造形と相まって軽いリズム感があった。上の2枚は90㎝級、下の2枚は30m前後。展示光景の全体を撮ってないとは、暑さで脳がやられていたのか。

 

これらが老人ホーム入居後、自室内で太陽光と小物などを組み合わせて作られたイメージだとは、いまだに信じられない。作品を作ること、独自の世界を切り拓く行為は、その気になれば場所や道具を選ばない――さらには身体状況や年齢すら関係なく、鋭く切り込んでいけるものだと、実証し続ける作品だ。とてつもなく手ごわい、勇気付けられる作品である。

 

展示については、それこそ石内都ひろしま》と全く同様、大谷記念美での展示とは空間と作品との関係が変わって見え方が大きく変化した。これらは逆にかなり突き放したものとして、1枚ずつの抽象画・「絵」として見えた。観るときの体調等にも左右されるのかもしれない。私はこの時、石内都絶唱シリーズに傾倒しすぎたため、大谷記念美の時ほどは山沢作品へ入り込めていなかった。ぜんぶ夏のせいだ。

 

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会期後半の3枚は《What I Am Doing》(No.9,70,47)で、黒と黄色と白をベースにした非常に渋い取り合わせだ。個々の抽象的な造形美を眼で深入りしながら探求するのが《What I Am Doing》シリーズの醍醐味だが、離れて連作として見ると、異次元の物体が蠢いて姿を変えているようでもある。これも、観る集中度や角度によって新たな発見が次々とありそうな気がする。

 

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( ´ - ` ) そういう感じでした。

「女流写真家3人展」などという生易しいものではなく、映像魔界三賢人の結界陣(なにそれ、)に封じ込められたようなもので、やばいです。贅沢すぎます。贅沢は味方だ。アホほど贅沢な体験をして、脳をバグらせることで、人生何年経っても忘れないものを心身に刻み込むことが出来ます。

 

そんな中でも、前期後期いずれも石内都絶唱シリーズのモノクロ、あの黒い濃さから目が離せず引き込まれていたのは、やはり夏の暑さのせいなのか、自分自身の関心ごとがスナップ的なものに傾いているためか、興味深い内的反応がありました。日常や街中でガチな撮影を行うことへの、懐疑と執着がないまぜになって、強い関心となったのかもしれません。どうかな。

 

皆さんも、どの作家の何に強く反応したかを辿っていくと、自身の現在地としてのコンディションやテーマ性を発見するかもしれません。鑑賞しましょう。

 

( ´ - ` )完。