nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R4.2/2~3/21_ 大阪中之島美術館 開館記念 超コレクション展 99のものがたり(写真の展示品)

1983年の構想から約40年を経てオープンとなった大阪市の美術館。開館記念のコレクション展が約1ヵ月半ほど催された。膨大な内容のうち、写真展示を中心に紹介する。

大阪の前衛(新興)写真の歴史はいいぞ。

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【会期】R4.2/2~3/21

 

 

2階でエントランスやチケット購入。1時間刻みで入場となり、細くて長いエスカレーターで運ばれ、4階・5階の展示室を回ることになる。隣の「国立国際美術館」が地下に展開しているのと逆で、上へ上へと上っていく。吹き抜けから下を見下ろすと、少し怖い。

 

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すいこまれる~(  >_<)

 

エントランスの上りエスカレーターがマジできついす。。カフェイン飲み過ぎて脳がフラフラになってて後ろに引っ張られる感があるんすよ。霊やオーラは信じてないけどピュアにヤク中なので日常生活がグラグラしてるっていう。勘弁してくれ。はい。

 

今回のコレクション展、会期が短いことに加え、新聞やNHK日曜美術館」等で取り上げられたこともあり、会期終了に近付くにつれて人出が増増。私が行った3/5(土)では1時間待ち、その後の17~18日頃の平日に行った人は、朝に着いて15時くらいの入場となっていたという。

えらいこっちゃ。大人気ですやん。ただ、1時間あたりの入場者数を絞っているから、入りさえすれば比較的穏便に観られるようです。

 

 

1.展示の概要

コレクション展は大きく3つのセクションから構成される。4階~5階の展示室をフルに使って約400点の作品を展開、通常の展示2つ分ぐらいの凄まじいボリューム感だった。セクションの内訳は以下のとおり。

 

1.「Hello! Super Collections」
 1-1.コレクションの礎となった寄贈作品
 1-2.大阪と関わりのある近代・現代美術―近代絵画
 1-3.  〃             ―写真
 1-4.  〃             ―版画
 1-5.  〃             ―戦後美術

 ⇒主に日本の近現代美術。個人のコレクション、前衛

 

2.「Hello! Super Stars」

 ⇒主に海外のシュールレアリスム等の現代美術、80~90年代の現代美術の写真

 

3.「Hello! Super Visions」
 3-1.街角の芸術
 3-2.都市と複製の時代
 3-3.ペルソナ/プルーラリズム

 ⇒サントリーミュージアムから預かったポスターコレクション、世紀末ウィーンからバウハウスへ向かうデザイン、家具、写真など総合的な近代化の流れ。

 

展示の概要は「Tokyo Art Beat」紹介記事が参考になる。これはよくまとまっています。実際に観るとヘロヘロになるので後にまとめ記事での振り返りが必要です。

www.tokyoartbeat.com

 

プレスツアーに行ったらこういうまとめを説明してくれるのかな。いいなあ。自力で要領よくまとめるの大変ですよ。

会期に余裕があればもう一度回りたかった。

 

まず「1-1」、入ってすぐに佐伯祐三《郵便配達夫》(1928)で鑑賞者が団子状態になり、次の「1-2」まで観客が行列状態、集中力が一番高い状態で詰まっていた。ぱんぱんや。

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人気すぎる。モデルになった郵便配達夫も、後世100年後にこんな写メ撮られるとか思ってないですよね。写真だと肖像権で揉めたりするのかな。

 

「1-1」「1-2」コーナーは有名な絵画、1900~1920年代の、日本が積極的に貪欲に「西洋絵画」を取り込もうとしていたパワフルな運動を実感できます。ここの観客のテンションが最高潮なので、みんなが見終わってはけるのを待つと50分ぐらいになり、しかし次の時間帯の客がもう入口あたりに充填されてて、00分になるとまたドバッとやってくる。

このサイクルの合間を突くと佐伯祐三ユトリロ、キスリング、ヴラマンクなどを快適に観られます。観ました。

 

逆にいうと「1-4」あたりから観客の集中力と体力が明らかに尽きてくる。短距離走のペース配分でいたのが完全に間違っていたことに気付くのだ。私もそう。4階最後の「1-5」、最大の見せ場でもある具体美術協会吉原治良今井俊満の特集コーナーでは、あれだけ密集していたはずの観客が完全にバラバラ、まばらになっていた。

セクション1を頑張って観終えてもまだ半分しか進んでませんからね。普通に倒れますよ。脳に糖分が足りない。実質、混んでるのは佐伯祐三に代表される最初の2コーナーぐらいでした。

 

 

2.「写真」作品の特集

さて肝心の「写真」作品は、以下のコーナーにあります。

 

・1-3.大阪と関わりのある近代・現代美術―写真

・1-5. 〃              ―戦後美術

・2 「Hello!Super Stars」

・3-2.「Hello!Super Visions」都市と複製の時代

・3-3. 〃   ペルソナ/プルーラリズム

 

各セクションで思い出したように登場する。点数としては、写真特集コーナーである「1-3」は34点で最多。「3-2 都市と複製の時代」では1920~30年代のバウハウスやロシア構成主義の前衛的な写真表現の試みとして10数点。「3-3」では「ポスター」、「広告」に写真が使われている。

 

なお、コレクション総量・約6,000点のうち今回の展示数は400点と「ごく一部」で、それは「写真」作品についても同じ、今回表に出ていたのは氷山の一角である。

新美術館の建設中である2017年に、コレクションを活用した写真展が催されたが、そこで写真コレクションのポテンシャルは垣間見ている。あれはよかった。

 

こういう写真に特化した企画をぜひお願いします(拝む)。

 

・[1-3]戦前・戦後の関西の前衛写真

写真的な一番の見どころはやはり「1-3.大阪と関わりのある近代・現代美術―写真」コーナーだ。日本における近代写真表現の最前線を切り拓いた、写真家たちの作品の動向をまとめて確認できる。いずれも型破りでパワフルだ。

 

戦前日本では、写真技術と機材が進歩・普及したことと、海外での写真動向が伝わってきた(特に1931年「独逸国際移動写真展覧会」が大きな機会になった)ことで、「写真」のメカニカルな機能性を活かした実験的な「新興写真」が隆盛を迎えた。しかも実験の担い手がアマチュア写真家グループだったことが非常に特徴的だ。

 

関西では「浪華写真倶楽部」「丹平写真倶楽部」の2つが写真史上も重要なグループとして有名だ。本展示ではそれぞれの所属写真家が紹介されている。

「浪華写真倶楽部」は1904年創立、現在も存続している写真団体では最古。時代に応じてピクトリアリズムからストレートフォト、シュールレアリスムなど新しい写真表現に挑んできた。会のカラーとして「一人一党主義」という言葉が知られている。他の団体と掛け持ちで参加する写真家も多かったとか。

「丹平写真倶楽部」は1930年に心斎橋の「丹平ハウス」にて、浪華写真倶楽部の会員の一部によって創立された。中心は上田備山、後に安井仲治も加わる。フォトグラムやフォトモンタージュなどシュールレアリスムの技法を研究する。戦争に突入して活動しづらくなったことに加え、1943年に安井仲治が急逝すると求心力が失われた。

 

今回の展示作家では、「浪華写真倶楽部」が花和銀吾、梅阪鴬里、津田洋甫。「丹平写真倶楽部」が天野龍一、川崎亀太郎、椎原治、河野徹、岩浅貞雄、榎本次郎、佐保山堯海、棚橋紫水、汐見美枝子、玉井瑞夫。両方に属したのが上田備山、平井輝七。どちらにも属さないのが山沢栄子と瑛九

 

しかしいつ見ても山沢栄子は凄い。

手前の1920~30年代の絵画から「写真」表現への接続では、コーナー入口に置かれた山沢栄子《What I Am Doing》シリーズのカラー作品3点(いずれも1986年)が並び、その鮮烈な「色」の彫刻的なヴィジュアルによって、絵画と写真との橋渡しの役割を果たしている。同時に、このコーナーからは絵画とは異なる世界が始まる、という切り替えのニュアンスももたらす。

1899年生まれだから最晩年の作品(87歳頃!)でこのテンションの高さ、抽象性の高さである。理屈では理解ができない。大阪の宝です。2019年の西宮市大谷記念美術館、都写美での回顧展以降、その尋常ならざる世界観を多くの人が目の当たりにしたと思う。いつ見ても常に「新しい」のが山沢栄子の作品だ。

 

他の作品も古臭いとは感じない。当時の前衛を攻めていたことが伝わる。現在の、現代アートに近接・融合した写真表現では、空間をも巻き込む巨大プリントや壁面全体をレイアウト化したり、平面や額装に囚われないインスタレーションを扱うのに対して、当時の新興写真はあくまで1枚1枚の単品で、一つの矩形の中で完結させている。言うなればフォーマットとしてはまさに古典だ。

 

1枚の「絵」を作り出すために動員される技と感性が独創的だ。

上田備山《漁》(1930年代)はタイトルとは似ても似つかない抽象的な造形美が光っている。魚の群れが渦巻いている様子だが、プリントでは厚みのある光の揺らめきがゼリーのように固まっている様に見えた。戦争で失われたためヴィンテージプリントはこれだけらしい。

梅阪鴬里《題不詳(芥子)》(1930年代)、《田の雪》(1936)は特段、新奇的な技術や現実の倒錯などはない。むしろ静かに被写体の造形を表している。が、背景に何もない真空に浮かぶ《芥子》は静謐のあまり植物というより建築物のようであり、《田の雪》は洗剤の泡めいた不定形スライムが行く手を遮っているようで「田」でも「雪」でもない。地味だが異様だ。

 

平井輝七《作品》(1940年頃)はサンドアートだろうか? バラを取り込んだマクロファージの拡大写真画像のような、超現実的な平面画像だ。《第不詳(砂の造形)》(1940年頃)はタイトル通り地面、砂のボコッとした盛り上がりを撮ったものだが、手前のひび割れ、コブの配列がどこか幾何学的さを持っていて、SFみがある。

非現実的なオブジェ、光と影の組み合わせで言うと、椎原治《Steps》(1935-44年頃)の脚立と人体とがソラリゼーションで組み合わさった幾何学人類のイメージ、《オブジェ》(1935-44年頃)に込められたモノと影と線形と膨らみとの交錯などは、実に実験的だ。

 

その路線での目玉作品と言えば、花和銀吾《複雑なる想像》(1938)だろう。この1点は撮影可だった。

例えるなら「写真が鉄男(塚本晋也)と化した有様」、写真の体と金属の体とがせめぎ合うハイブリッドだ。まさに「近代」の化け物にふさわしい。

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戦前日本の『鉄男』だ・・・生唾を飲み込んだ。アンニュイで中性的なモデルの眼差しと手つき。機械の体がまろび出た腰。スプリングで繋がった片足。フレームを侵食/補強する工具類。新聞、窓枠、物差しによって連鎖し、異世界化するフレーミング。「写真」自体を工具へ、工業へと引き込むのに、写真の身体もろとも改造するという手法はあまりに大胆だ。下地のカンバスも木材に見える。工場現場のアッサンブラージュか。

 

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いや、実は類似事例は多くて、それこそ80年代などに、飽和した写真表現の類型として色々と見られるのかもしれない。だがこれは構成の絶妙なバランス感と、金属的な嘘のなさと言うのか、パーツのくすみや錆がリアリティを持ち、作者の手を離れている。「この機械人間(写真)はそういう存在として長い時間を経てきたのだ」という実感を催させる。

 

一方で、リアル方面の写真もある。

先に実験的な作品として紹介した椎原治だが、《流氓ユダヤ(1941)はオブジェ撮影や暗室ワークではなく、人間をそのまま撮っている。ナチスドイツの迫害を逃れ、杉原千畝の発給した「命のビザ」によりはるばる日本・神戸へと亡命してきたユダヤ人達を撮った写真だ。映画のワンシーンのようにきまっている。

タイトルから安井仲治かと思ったが、丹平写真倶楽部の複数のメンバーらが撮っていたようだ。名古屋市美術館学芸員のブログが参考になる。報道でも何でもない目的で異国人(しかも故郷を失った)を撮ること自体が先鋭的だったのかも知れない。

 

art-museum.city.nagoya.jp

 

棚橋紫水《中国民族の悲哀》(1938-1989)も、異国人の表情をズバッと切り取った写真だが、ほぼ正方形で画面を断ち切る緊張感があり、写っている3人の人物のうち右の1人だけ顔全体と胸から上が写っているが、左端の1人は顔の2/3は切られ、1人はその後ろで横顔である。50㎜とかで普通に撮影したものを、トリミングで余白を切り詰めてテンションを高めたのではないだろうか。

 

戦後の写真になってくると段々見慣れたスナップの趣が出てくる。カメラやフィルム等、機材の質が現代に近付くからかもしれない。玉井瑞夫《ヌード》(1951)、《コンポジション(1952)津田洋甫《海辺の詩》(1962)は、確かに人体や物体の造形と背景との配置の妙を作品化しているが、戦前の荒々しい澱んだようなプリントに比べると、像がしっかりしていて、見慣れたモノクロ写真である。

 

時代の変遷と実験、前衛性に変化が出てくるあたり、また体系的に特集を組んで、示してほしいと思う。ひいてはそれが関西の自由きままな精神性や文化の性質に結び付くところもあるのではないか。色々と期待しているところだ。

 

 

・[1-4]戦後の現代美術

「美術」の範疇が絵画や彫刻といった固形物の枠を超えて、その場その場での一回性のアクション、会場でのインスタレーション、しかも美術館・ギャラリーの制約を超えて街頭や自然が発表の場となるなど、後に形として残らない次元にまで及んでくると、「作品」としての形はテキストと写真やビデオでしか後世に伝わらないことになる。あるいは、写真の仕組みや記録性を手法として用いた表現も模索される。

 

北辻良央《作品(15点組)》(1971)は、路上の車と電柱の影を撮った1枚のモノクロ写真が反転、さらに反転、さらにその反転・・・を繰り返してゆき、白と黒、明と暗のコントラストだけへと転じていく。

手法としては写真を印画紙に密着焼きし、その像にまた印画紙を当てて露光することを繰り返している。像は途中から外界・現実のビジョンではなく、「像の反転」という現象自体を指し示し、また、外界のビジョンから離れてゆく距離感だけを示すようになる。白か黒の2択に至ると、劇画調の漫画のエフェクト・印刷に近い。(実際、劇画ブームの漫画では、作画に写真そのものが取り込まれたりした)

 

植松奎二《坂、人、ロープ》(1973/2014)、《石、人、ロープ》(1973/2003)は、それぞれ写真2枚組によるアクションの作品だ。1枚は板とロープ、石と木とロープの組合せだけが示され、もう1枚は人物がロープを引っ張り、力のつりあいを取っている様子が示される。他の植松作品と同様、目には見えない力(引力や重力など)の場がこの世界にはあることを作品によって示すものだ。

 

写真の画の美しさや新規性ではなく、そこに記録されたアクション、パフォーマンスの方に意味がある、という転倒。写真はあくまで媒体なのだ。70年代はこうした写真の使われ方が増加する。

 

野村仁《Dryice(12点組)》(1969/2007)も同じく、時間と共に移ろいゆく現象を写真によって記録することで作品化したものだ。巨大な6つのドライアイスの塊を屋外に置き、経時的に減ってゆくドライアイスの重量を日時と共に下のマットに書き記して、移動させながら写真に記録していく。

「1969年11月3日 13:09 68㎏」から開始し、最終的には22㎏(日時は隠れて見えないが、一つ手前が11月16日)まで変化(減少)したことが判る。これも不可逆の「時間」というものや、それとともに変化(減少)する物体(彫刻?)という、新たな表現に挑んでいると考えられる。

 

 

[2]「Hello!Super Stars」_現代美術コーナー

5F、第2セクションの、モディリアーニシュールレアリスムから始まる20世紀現代美術のコーナーで日本人作家3名の写真作品が提示されている。

森村泰昌《美術史の娘(劇場A)(劇場B)》(ともに1989)、やなぎみわ《案内嬢の部屋B2》(1997)杉本博司「劇場シリーズ」4点(1978-1995)だ。3者とも超メジャーで、私が美術館に行き始めた2000年代には展示や雑誌で見る機会が多かったが、今や美術の現在形というより少し古典になりつつある。

森村泰昌マネ《フォリー=ベルジェールの酒場》を元に、作家自ら作品の中へ入り込んで実演し、絵画の文体や構造を再構築する。やなぎみわは舞台演劇的な手法で、画一化された商品のようなエレベーターガール達を撮っている。後に多数の演劇作品を手掛ける、その出発点となる作品だ。杉本はアメリカ各地の映画館やドライブインシアターで、映画の上映時間と同じ時間の露光を行い、映画そのものを撮っている。

 

3者とも、隣の国立国際美術館で収蔵されており、大阪で目にする機会が更に増えることになる。ありがたい。

 

 

・[3-2]「Hello!Super Visions」都市と複製の時代 _20世紀前半、バウハウス

工業化・産業化の進展がもたらしたのは、画一的で大量生産のシステム、都市空間の変容だけでなく、人間を取り巻く環境、そして人間の身体・知覚自体の変質でもあった。写真は複製装置としての役割を大いに果たすことになる。

 

セクション3-2ではそのダイナミックな転換期の模索の産物が、絵画、写真、デザイン(ポスター)だけでなく、建築や家具などあらゆる分野に波及したことを示している。

変化の一つは印刷(物・技術)の発展により、幾何学的なデザインと写真が紙メディアに全面的に用いられるようになったことだ。オランダの建築誌『ヴェンディンヘン』(1918-25)、ドイツの『バウハウス叢書』(1925-29)などの洗練された内容は、前セクションで見てきた1890~1910年代の、アールヌーボー調のポスター群と対照的だ。

 

もう一つの変化は、写真装置の工業的な機械の眼を活かした模索・実験が推し進められ、これまで肉眼や絵画にはなかった新しいヴィジョン、視座が先駆的な表現として開拓されたことだ。

ラースロー・モホイ=ナジ《フォトグラム》(1922)は近代写真の実験的開拓者である。題名の通り、印画紙に直接モノを置いてその造形を影のように平面に転写している。手法自体は昔からあったそうだが、「フォトグラム」という名を付けたのはモホイ=ナジだという。

《到着(上から見たタラップ)》(1930)、《俯瞰、ベルリン》(1928頃)は、人間と地面を真上から下を見下ろして撮っていて、人は頭部と服もろとも画面内の構成要素に還元され、マンホールやタラップや露店の商品などと共に図形化する。フィルムとカメラが相当に小型化していることが、こうした撮影技法を可能にしている。また、街の路面や建物なども現代に通じるメカニカルな作りになっていて、人間の情緒を超えた都市空間が現れていることが分かる。

《白・黒・灰、映画フィルムより》(1930)《カーニバル》(1931)は《フォトグラム》の頃よりもっと手の込んだ、複雑なレイヤーと配置の構成がなされている。「写真」が眼前のものをそのまま記録的に写す・複写するだけでなく、他メディアの映像を別の形で切り取ったり、感光を用いてIllustratorで紙面を編集するようにして像を組み合わせている。

 

これらの成果が日本へ伝わり、前項で見たような戦前の「新興写真」の熱いムーブメントを湧き起こすことになる。

バウハウスに留学していた山脇巖の活動も含めて、このあたりの前衛写真について、日本との繋がりを掘り下げた特集をぜひ見せてほしいものだ。

 

一方で、写真の機械的な即物性のインパクト、印刷物への転用のしやすさに加え、ポスター・デザインの発達は、大衆向けの広告をより機能的に強化していった。マスメディアとしての写真・ポスターである。

グスタフ・クルーツィス《レーニンの旗の下に社会主義国家建国を目指して》(1930頃)、《男女の労働者よ、皆ソヴィエトの改選へ》(1930)、《我が国における社会主義の勝利は確実である》(1932)のポスター3枚は、旧ソ連のものだ。

赤地の上に主役となるモノクロの人物写真やモチーフを大きく置き、周辺に背景として民衆と先進的な工業化イメージを置いて、ソ連の民衆に煽情的に呼びかけを行うものだ。画面構成のテンションが非常に高く、高揚感が伝わってくる。プロパガンダの結晶体だ。この3作は2022年2月末から始まったロシアのウクライナ侵攻と強くリンクし、現実的な装置として映った。

 

 

・[3-3]「Hello!Super Visions」都市と複製の時代  ペルソナ/プルーラリズム _ポスター

最終コーナーでは「プルーラリズム」=多元主義として20世紀半ば以降、現在に至る家具、ポスター(デザイン)類を提示する。このコーナーはとりとめのない印象だが、写真関連ではポスターがある。亀倉雄策《1964年 東京オリンピック》シリーズ(1962-63)である。

 

フォトグラファー・早崎治が選手らを捉えた力強いカットは、2021年の東京五輪に際してもしばしばTwitterで話題になった記憶がある。パワーと説得力が桁違いで、写真は近代にこそ真価を発揮するということなのかと唸った。

 

各国の選手らが人種を超えて、渾身の力を込めてスタートダッシュを切る瞬間は誰もが一度は目にしたことがあるのではないか。

nostos.jp

 

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駆け足になるが、以上で「超コレクション展」写真関連のレビューは終了。冒頭でも書いた通り、コレクション総数からすると写真のポテンシャルはまだまだある。

近代~現代にかけての、関西の前衛から辿る写真文化について切り込む特集をぜひ行っていただきたい。

 

( ´ - ` ) 完。