nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真イベント】R4.6/11 大阪写真月間2022 記念シンポジウム「美術館における写真コレクション 中之島美術館を中心に」(飯沢耕太郎、菅谷富夫)

「大阪写真月間」では、2004年から毎年、写真家や評論家などの写真関係者を呼んで記念シンポジウムを開催している。今回は、写真評論家・飯沢耕太郎氏と大阪中之島美術館・菅谷富夫館長が登壇し、日本の美術館で写真が取り扱われるようになった歴史と、大阪中之島美術館における写真作品のコレクションについて講演が行われた。

 

【開催日】R4.6/11(土)14:00~16:30

 

実はシンポジウムの存在を知ったのは今回が初めてだった。「gallery 176」メンバー・山下豊さんがFacebookで告知していたので、幸運にも知ることができた。遅すぎた感。

 

「大阪写真月間」は毎年6月1日「写真の日」を中心とした期間にグループ展など写真イベントを開催しており、代表的なのが大阪の複数のメーカーギャラリーで展開される「写真家150人の一坪展」だ。

shashingekkan.com

 

今回のシンポジウムは4段構成で、飯沢氏、菅谷館長の講演の後、パネルディスカッション、そして事前に寄せられていた質問への回答となった。以下、レポしておく。

(手元のメモを書き起こしたもので、逐語録ではないため、実際の発言や言い回しを正確に反映したものではない旨、了承いただきたい。)

 

 

1.飯沢耕太郎「美術館における写真コレクション」

1970年代から90年代にかけての写真と美術館を巡る歴史:オリジナルプリントという概念が日本に持ち込まれ、プリントの収集・保存の意識が醸成され、川崎市市民ミュージアム東京都写真美術館に代表される公立や写真専門の美術館が充実していくあたりまでの過程が語られた。

 

1970年代、渡米体験のあった細江英公や森永純らが、アメリカから「オリジナルプリント」を日本に持ち込み、プリントを収集・保存することの重要性が認識されていく。1973年に日本大学芸術学部写真学科が「オリジナル・プリント収集委員会」を、1975年に東京写真大学(現・東京工芸大学)が「写大ギャラリー」をそれぞれ設立した。

 

www.shadai.t-kougei.ac.jp

 

また、オリジナルプリント「作品」として売買する場となるギャラリーが登場する。1978年に石原悦郎の「ツアイト・フォトサロン」、1979年に「PGI(フォトギャラリー・インターナショナル)」が設立される。ただ当時の日本では、写真は雑誌掲載が主で、プリントを美術品として買うという文化がなく、客入りは厳しかったという。

www.zeit-foto.com

www.pgi.ac

 

本格的に写真が美術館で扱われるようになったのは、1983年の土門拳記念館」に次いで設置された1985年の「つくば写真美術館」だ。「土門拳記念館」が特定の写真家を扱うのに対し、「つくば写真美術館」は不特定多数の写真家を扱い、「キュレーター」を擁していた点で、日本で最初の写真専門美術館と位置付けられよう。

半年間という短期間ながら、約450点の作品を扱ったこと、写真・美術に造詣の深い6名のキュレーター(伊藤俊治金子隆一、平木収、横江文憲、谷口雅、飯沢耕太郎が関わったこと、彼らが後の写真の美術化、美術館の収蔵体制の確立へと関わっていく。 ただし美術館は、「つくば科学万博」の来場者からの流入を見込んでいたものの、立地条件が悪すぎて客入りが乏しく大赤字となり、開設者である石原悦郎は多額の借金を背負うことになる。

 

並行して、日本写真家協会JPS)」も日本に公立の写真美術館の設置を求めて動いていた。1968年「写真100年展」、1975年「現代日本写真展」を経て、多数の個人や団体の写真を調査し、膨大な点数の複写を行い、収集に努めた。1974~1994年まで「日本写真美術館」構想を掲げ、オリジナルプリントの収集・保存などの使命・役割を求め、東京国立近代美術館に働きかけてもいたという。

 

こうした動きが功を奏し、飯沢氏の挙げる3大要素:キュレーター(学芸員)、コレクション、常設展(コレクションを主体とした展示が常に行われている体制)を満たす、写真専門の3つの美術館が登場する。

1988年、川崎市市民ミュージアム版画、漫画、写真を中心に収集。平木収、深川雅史が設立に関わった。

1989年、横浜美術館シュールレアリスムなどの現代美術と、幕末以降の初期の写真を中心に収集。天野太郎、倉石信乃が設立に関わった。

 

そして1990年、東京都写真美術館1990~95年は仮会場での一次開館で、1995年から現在の恵比寿ガーデンプレイスに移転して本格オープンとなった。金子隆一、横江文憲が設立に関わった。

都写美の歴代館長の中でも、その性格や方向性を決めたのは第4代館長・福原信春(2000~2016)。資生堂創業者の孫、写真家・福原信三の甥にあたり、美術・写真文化に対する造詣の深さ、経営手腕に優れていた。2016年9月のリニューアルオープン後、第5代館長・伊東信一郎に交代してからはまたカラーが変わったという。

都写美は2019年3月時点で約35,000点の収蔵品を擁している。海外に比べれば多いというわけでもない(メキシコ国立写真美術館は100万点!)ので、ぜひ更なる収集を望みたいとコメント。

 

他の全国の美術館も続き、それぞれに特徴的な写真のコレクションが行われている。清里フォトアートミュージアム島根県立美術館京都国立近代美術館、渋谷区立松濤美術館名古屋市美術館などが挙げられた。そしてこの流れを汲む動きとして、2022年開館の「大阪中之島美術館」を紹介し、次の菅谷館長にバトンを繋げた。

 

 

2.菅谷富夫「大阪中之島美術館の写真コレクションについて」

菅谷館長からは、美術館の立地条件、ハード面の概要などがまず説明された。1980年代から新美術館の構想が上がり、90年代に準備室設置、コレクションを地道に増やしながら2022年の開館となった。

地上5階建てで高さ36.9m、これは通常のオフィスビル10階分に相当する。美術館として必要な展示スペースと空調・配管を確保する必要があるためだ。だが周囲には高層ビルが多く、10階相当でも埋もれてしまうことから、存在感を強めるために壁面を真っ黒にしたという。

 

講演の大半は写真コレクションの紹介である。

まず写真コレクションについて語ること自体の難しさについて。収蔵品データベース検索結果では、写真関連の言葉で上がってきたのは約800点だが、写真を手法として用いた現代美術も含まれるほか、そもそも「作品(コレクション)」と「資料(アーカイブ)」が混在しているため正確に分けるのは難しいとのこと。ここでいう「資料」は展示対象にはならない。

 

主要なコレクションは、戦前の関西で活躍した「浪華写真倶楽部」「丹平写真倶楽部」の写真家らの作品だ。準備室を設置した時点でまとめて購入していたが、写真史家・金子隆一氏に各写真家らの家族・遺族と作品の所在について教わったり、80年代に各作家らを訪ね歩いて作品をコレクションしていた人物からまとめて購入できたことが大きかったという。

 

講演で紹介されたのは、川崎亀太郎、椎原治、佐保山堯海、河野徹、津田洋甫、山沢栄子、福田匡伸など。

現代美術では森村泰昌杉本博司。さらに近年では百々俊二を2007年から20点ほど購入。畠山直哉も出身は大阪ではないが、かつての大阪球場(住宅展示場と化していた頃)を撮った作品を購入した。

また、写真関連資料として、浪華写真倶楽部の会報を得たり、百々俊二が携わった同人誌「地平」を本人から直接譲り受けている。

 

総じて作品収集については「試行錯誤」の手探り状態であるという。東京都写真美術館が国内外の写真の動きや流れが分かるよう収集していくのに対し、中之島美ではひとまず大阪の写真家、大阪を写した作品を集めるところから始め、時代や手法など収蔵対象を前後に伸ばしていく考えだという。

また、中之島美は大阪市の事業だが、大阪府側にも花博写真美術館で収集した写真コレクションなどもある。都写美や大阪府から収蔵品を借りたりしながら展示していくことを考えているという。

 

まさに現在開催中のコレクション展「みんなのまち 大阪の肖像」(会期 / 前期:R4.4/9~7/3、後期:8/6~10/2)は、中之島美の収蔵品が7割、あと3割は他所から借りて構成している。写真の出品もあり、今回の講演を重ねて鑑賞すると面白そうだ。

nakka-art.jp

 

 

3.パネルディスカッション(飯沢耕太郎 × 菅谷富夫)

第3部では、「大阪写真月間」代表・村中修氏が司会となり、飯沢氏、菅谷館長がお題について意見を述べていった。

 

①美術館の理想的な姿とは?

<飯沢氏>

80~90年代に美術館ブームがあり、全国の都道府県、市町村でそれぞれ1館ずつ美術館を建てるような、ハコモノ行政的な動きがあった。だが中身については課題のまま。一方で指定管理者制度:運営を民間委託に回し、民間的経営ノウハウを導入する手法が多く見られるが、観客動員数が重視され、やはり中身、展示の質が問題となる。

重要なのは学芸員の存在と仕事となるが、本来取り組むべき調査や研究ができず、他の客集めのための仕事等に忙殺され、疲弊し、現場を去ってしまう話も聞いている。学芸員、コレクション、常設展(常に作品展示を)の3本柱が重要。

まだ見たことのないもの、新鮮で企画力の高い展示、ワクワク感に応えてくれる展示を提示してほしい。

 

 

<菅谷館長>

中之島美はまさに民間的手法で、他人事ではない。(補足:PFI事業で運営、(株)朝日ビルディングが設置した特別目的会社「(株)大阪中之島ミュージアム」が担う)

 

飯沢氏の3本柱のうち「常設展」(自館の収蔵品のみを展示する形態)は、当館では行わない。コロナ以前ならインバウンドで集客が期待できたが、あまり見てもらえるものではない。また市議会で常設展の入場料の上限が定められており、採算性の問題もある。

「大阪の肖像展」のように、コレクションを軸に、外部からも作品を借りるなどして展開していくことを考えている。

 

なお、大阪市では作品購入予算として、年間5~6千万円が認められている。正直もっとあったら良いのにとは思う。アート価格高騰の中で購入は非常に覚悟がいる。20年前なら「とはいえ、写真は安い部類ですから」と言えたが、今では写真も非常に高くなっている。

 

 

アーカイブ・資料について、「ネガ」は作品と思うか?

<菅谷館長>

ネガも保有しているが展示はしないので「資料」扱い。プリントになって「作品」。

デジタル写真も、データ自体を収集することはない。ただ、映像作品の場合は作家と「再生機器が将来的に故障するなどして、現状と異なる機材で再生することになっても同一作品として見なす」という契約を結んだうえでデータを購入する。

 

<飯沢氏>

物質化されているかが収集のポイントだと思う。ネガは物質化に至るまでのプロセス。デジタルデータも作品の一部ではあるが、まだ「どこからが作品か」という問題は解決されていない。

「日本写真保存センター」ではプリントだけでなくネガも含めて収集している。

photo-archive.jp

 

<菅谷館長>

遺族などから写真を預かった際、未発表作品をどう扱ったら良いのかは悩ましい。発表したくなかったものなのか。発表されているものと全く違ったものの場合もある。全て「作品」と見なすべきかどうか。

 

<飯沢氏>

雑誌など媒体に載せたもの、展示したものは作品だが、試し焼きや、未現像フィルム、未プリントのネガは悩ましい問題。

福原信三の展示(2016.4~5月「美を掬う人 福原信三・路草―資生堂の美の源流―」)では、ネガから企画者が勝手にプリントして問題にもなった。一方で、作者の隠れた一面が発見される場合もある。逆に、ゲイリー・ウィノグランドは死後、8千本もの未現像フィルムが発見されたが、それらを用いて回顧展が催され、検証がなされた。

(この展示のことだろうか?)

artscape.jp

原則を決めてしまうより、臨機応変にやるしかないと思う。「作品」の幅をどう考えるか、杓子定規に決めない方が良い。後世の人達が関わっていく中で作家像が決まっていく。

 

<菅谷館長>

後の評価、研究によって「資料」が「作品」になる可能性がある。

 

 

③大阪中之島美術館では、百々俊二以降の作家もアーカイブしてもらえると有難い。

<菅谷館長>

都写美と多少交流があり、金子隆一氏から言われたのが、「都写美だけで日本写真を背負うのは無理」「西日本にも写真専門美術館があるといいのだが」ということだった。

(西日本というと時代的にも、地域的にも幅がとても広いため)大阪の美術館だけでも無理な話ではある。コレクションの幅を広げていくと、現在の方針としている「大阪」の境界線はあやうくなっていく面はあるが、押さえていきたいと思っている。

 

 

4.質疑応答

3問ほどの事前質問について、二人が回答していった。詳細は省略する。

 

一つ、「岩宮武二の『砂丘A・B・C』の所在はどうなっているか」との質問があった。菅谷館長から大阪芸術大学に一通り寄贈されている」と回答、会場参加者から「ただし保存状態は不明」と補足があった。

娘がネガを保管していたこと、岩宮武二写真事務所にいた近藤宏樹氏がアドバイスしていることから、作品の保管についてはしっかりしているものの、全てのネガが残っているわけではなく、「佐渡」シリーズなどはプリントの複写でしか対応できていないとのこと。

岩宮武二と「デモクラート美術家協会」との関わりも話題になったが、戦後写真家との関わりの中で大変重要であり、もう一度見返していく必要があると飯沢氏。

 

美術館が写真を扱う意義やあり方については、明治期以来、美術館が何を(どのジャンルを)扱うのか、制度として定められているわけではないので、「私達にとって美術とは何か?」を考えながら、新しい「美術館」の捉え方を「再編成」していくことになる、と菅谷館長。

 

また、作品と商品の違いを巡る質疑では、菅谷館長オリジナルプリントというのはニューヨークの画商の発明では」と触れ、飯沢氏「それはかなり正しいと思う」「『LIFE』等のフォトジャーナリズムが崩壊した後、どう写真を売ればいいのかという問題があり、オリジナルプリントはある種の錬金術となった」と、冒頭の飯沢氏のテーマを別側面から語る形で幕を閉じた。

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日本における写真と美術館の関わりを俯瞰して見ることができ、面白かった。

私自身はゼロ年代以降に美術館へ行くようになったので、美術館が写真作品を扱うことが当たり前になった後の世代と言えます。それゆえに、美術館の役割として「写真」は完全に前提となっていて、その中で「どんな写真作品なら美術館が扱うのか」「どこまでを写真として扱っていくか」、展示・収蔵に関するテーゼというか、暗黙の了解、慣習、認識の現在形と将来像について興味があります。

また、今後の現役世代の写真作家らが美術館にどう評価され、関係を結んでいくのかも興味があるです。

 

大阪中之島美術館、国立国際美術館ともに、まめに通わないとだめですね。特にコレクション展。やばい体が足りない。悲鳴。ギャー。

 

 

(  ╹◡╹) カジノだけで終わってくれんなや大阪サンよぉ。たのむでしかし。

 

いやほんとカジノIR誘致だの土地整備費用使ったら何買えたすか。若手アーティストランド作ってTDLに対抗する凄い国を作れたんでは。たのむでしかし。

 

 

( ´ - ` ) 完。