写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【ART】R2.8/6_「ひろがる美術館ヒストリー」西宮市大谷記念美術館の展覧会とコレクション2

【ART】R2.8/6_「ひろがる美術館ヒストリー」西宮市大谷記念美術館の展覧会とコレクション2

コレクション展です。1を見てない。くわぁぁ残念。1は2018年「ひもとく美術館ヒストリー」で、1972年開館当初から2000年代初頭までの企画を紹介、作品収蔵した経緯に触れたそうな。今回の第2弾は1997年以降に企画・開催された現代美術作家の個展に焦点を当てたものです。

16作家・36点が展示。

 

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【会期】2020.7/18(土)~9/27(日)

 

 

 

会場の撮影がだめなので、以下、文字だけでメモ。(こういうのってプレスツアーに参加したら撮影&公開可になるのだろうでしょうか。個人blogだしなー。発言権がないー。)まあ「宣伝・広報」に縛られないのでこの無国籍状態が好きなんですけども。

 

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前回の「メスキータ展」と違って予約制ではなくなっていて、フリー入場可能に。けどコロナ対策ばっちりです。顔で検温もあるよ!

 

じゃぁ展示順を無視して好き勝手に記録つけます。

 

 

1.写真に関係する方々

◆石原友明

『ECTOPLASM #3』(2002/2004)が展示。牛革で作られた、球体が連なったような彫刻の現物が天井から吊り下げられているのと、それを口に咥えて立つ全裸の作家セルフポートレイトの2点が展示。

「物体」の見え方が全く変わるのが実に面白かった。モノとして単体で吊り下げられていると、革製品だなあ、球体の連続した彫刻だなあ、で終わった。

が、全裸の人間がそれを咥えると、内蔵を吐き出して曝け出している、そうとしか見えなかった。革製品ではなくその色ツヤが臓物に転じるのだ。私達の体の内側の中でも、更に他の器官、肉などと区分された領域――内なる秘部、魔境としての臓物に。

その膨らみ、凹凸の立体感が、本来の主体である作者――人間から、主体性を奪っているところが驚きだった。眼を剥いて立ち尽くす人間はもはや抜け殻、「個」としてあれだけ重要だったはずの「体」は、もはや臓物を包んでいた単なる表皮へと転じる。

 

石原作品に「ん??」と引っ掛かりを覚えたのは、以前に国立国際美術館のコレクション展でも見ていたからだった。『UNTITLED(#195)』(1998)だ。美術館の展示空間を背景としたセルフポートレイトだが、ピントは完全に背後の絵画に来ていて、本人の顔は完全にボケている。主語が転換した構造へ、作品を鑑賞する側もその転換へとだんだん巻き込まれていく写真作品であった。

 

◆PARAMODEL(パラモデル)

写真作品『残存と消失の風景』「#007」「#011」(2010)が展示。林泰彦と中野裕介の2人によるユニットで、2001年から共同発表を開始、お互いの専門領域の違いを生かして鉄道模型のレールを用いた空間展示などを展開と。そそる紹介文ですなあ。

 

本作は工場空間が舞台の写真で、白い光跡が何重にも駆け抜けている。電子の蛇のように繰り返すうねりと巡回は、工場のディテールを照らし出す。暗い工場跡の中を、ライトを取りつけたラジコンカーを走らせて、長時間露光で撮影したという。

少々レトロな工場景と、サイバーな光跡の組み合わせが生み出す現実の都市×光の速度の夢の写真は、90年代~ゼロ年代の写真、畠山直哉などの世界観と、ヤノベケンジを想起させた。懐かしい。光で描き出す都市の片隅やディテールを受け止める写真。 

他にも、会場にプラレールを大量に張り巡らせたインスタレーションなどで知られるというが、存在を全然知らなかった。面白いですやんか。。関西にこんなユニットがいてはったのか...

 

 

2.重力、音、見えない力

◆藤本由紀夫

サウンドオブジェ」という名の通り、音を彫刻のように扱う表現の第一人者。本当に色んな企画・アートイベントで名をお見かけするので、現代アート必須科目のような作家氏。音の肌触り・耳触りが繊細で優しいので、現代美術が苦手な人でも入りやすいと思う。普遍性が高いというか。

 

本展示では『SUGAR  Ⅰ』(1995)という超しぶい作品が登場。これは角砂糖を詰めたガラス瓶の筒を、延々と回し続けるマシーン(1分で1回転)です。言葉で即物的に解説すると何のこっちゃわかりませんね。既に年月を経て、度重なる回転で筒自体が真っ白になっており、中身を見ることは出来なかったので、角砂糖のくだりは解説依存です。

ガラス筒が回っているだけではない。静かなギャラリー空間では、「カロッ」「カシャン」と、微かな音が響く。筒の中の角砂糖が回って落ちるたび、かすかな音を立てているのだ。回転運動は規則的だが、角砂糖の落ち方、重なり、摩耗は、偶然性と時の経過に支配されている。

 

その横の壁には『HORIZONTAL MUSIC』(1986)、18個の箱が一列に並んでいて、オルゴール音が鳴っている。箱にはそれぞれ曲名らしき英語が書いてある。色が同化してて読めない...。観客がネジを巻いていいのか、同時に複数鳴らすのもアリなのか、展示の仕組みは分からなかった。聞き覚えのあるような、ないような音楽が流れていた。

 

◆植松奎二(うえまつ けいじ)

一貫して「目に見えない力」を模索・表現してきた作家。最初期の作品『 直角の場』『水平の場』『垂直の場』(全て1973)は3枚組のモノクロ写真だが、建物の通路入口で作家自身が枠組みの一部となり、水平・垂直・直角を演じたセルフポートレートとなっている。水平をキープして手足をつっかえて宙に浮いたり、地面と壁の垂直の角に体を沿わせ、天井や向かいの壁までの隙間を角材のようなもので埋め合わせている。

この一発で、「重力」など、空間を構成する物理的な「力」、あるいは美術的な造形のフォームの「力」、もっと普遍的な空間認識などの構成に関する「力」を考察の対象としていることが伝わる。

 

『倒置―傾』(1997)という、銅・鉄・木・石の配置バランスの妙を見せる作品、『浮遊の場―連』(1997)という幅3mに及ぶ絵画。これらに登場する円錐形の物体は、作者の主力となるモチーフなのだろう。それはジェットや宇宙船の先端部のように流線型であるのに、速度やベクトルを持たない不思議な質感をしていて、どこにも行かずに浮遊している。物理的な諸原則の組み合わせを彫刻と絵画の両方で表現していること自体がすごい。

 

 

3.絵画?彫刻?? 何???

◆松谷武判(まつたに たけさだ)

カンヴァスに木工用ボンドを塗って、その上から鉛筆で「黒」を塗ったくった作品で知られる。なんですかボンドって??

『波動91-1-8』(1991)『黒の世界』(1982)が並んでいたが、意味がよく解った。鉛筆で一様に黒い色を塗りたくられた絵なのだが、部分的にボンドを塗った箇所が、半液体のように薄っすらと膨らんで盛り上がっている。よって、一面が黒なのに「抽象絵画」と捉えることを妨げるものがあった。特に前者は、絵の上方⅓に盛り上がりが横一文字に走り、どこか絵がうっすら笑っているような造形を帯びて、彫刻としての立体的な表情に見えた。うへー。ボンド。

 

一方で『繁殖15-1』(2015)は、縦216cm・横600㎝の超大型作品だが、ボンドを使わず鉛筆の黒鉛だけで描ききっている。ぬらりとした凹凸はなくなったが、巨大な紙を額に入れず直接壁に掲示しているため、紙がたわんで波打ち、また別の凹凸が生じている。

描かれているのは4つの黒い球体(溶け合って繋がっている)と、黒い背景だけが描かれ、これも抽象絵画といえばそうなりそうだ。が、紙の波打ちと照明を反射する黒鉛により、その見え方、鑑賞の仕方は、絵画というよりも、平らな彫刻品という感じだったのだと思う。

 

渡辺信子

これも不思議な作品で、絵画にしては妙に柔らかい質感。絵の具ではなく、木枠の四隅に布を掛けて引き伸ばされた面が、抽象絵画めいた表情を見せる一方で、布ゆえに空気を含んだような膨らみを帯びている。つまりこれも松谷武判と同じく、平面と膨らみの二面性を重ね持っている。

作品のサイズがどれも半端なく大きいのに、縦横のバランスが絶妙に鋭い(横630㎝で縦50㎝とか、横300㎝で縦15㎝)ため、大きさのプレッシャーや冗長さを全く感じない、清涼感すらある。それが恐ろしいところ。とんでもないボリュームのものをツルツルッと飲み込めるようにするって凄い技術力です。

布の張り方が1枚だけでなく2段構成になってるのが、その断面にまた段差や影、凹凸を生み出し、不思議な次元を展開します。

 

太田三郎

ヤバい。郵便切手をモチーフにした作品で知られ、1984年から切手に消印を押す作品、1987年にはオリジナル切手を制作し始めるなど、ユニークな作家。

展示されていた『SEED PROJECT from HYOGO』(1998-2000)シリーズはその真骨頂の感がある。兵庫県内の各所(西宮市や伊丹市、神戸市など)で採取した植物の種子を2枚の和紙に挟み込み、切手シート風の作品にしている。ちなみに額面にあたる部分は採取した西暦の下2桁、その後に続く文字も採取の月日、作家名、採取場所(市町村名)と続き、どの種子も全て同じ型で揃えられている。

封入された種子が、処方薬のように半透明の紙から顔を覗かせる。実に色んな形態があるもので、どれも繁殖のために特化されてるのだな ・・・などといった植物学的な物の見方よりも、切手シートというフォーマットの力、統一感の美が完全に優勢。フォームの作品ですかね。

 

◆國府理(こくふ おさむ)

自動車など機械・乗り物を改造したり、自作し、そこに植物を自生させるという、科学技術・文明+自然環境の造形作家。植物が繁茂した機械と来ると、ラピュタ城ですよ。ええ。ラピュタのロボット兵。ええ。WebやAI以前の世界で描いた「未来」の姿の体現者です。

しかし、、、

『2013年六甲ミーツ・アート、あいちトリエンナーレに相次いで出品するなど今後の活躍が期待されたが、翌年事故により急逝した。』

 

 

(  >_<) うそやん。

 

しらんかった。

 

しかも2013年とか、まだちゃんとアートイベント回ってない頃なので、記録もないあ。記録はないけど名前も作品も印象に残ってる。どこかで確実に見ているのだ。どんなジャンルでも同じだが、力のある作家・作品のことは、一目しか見ていなくても、記憶のどこかには刻まれている。唯一無二のやり方で、普遍的なテーマについて述べているのだろうなと思う。あるいは他の先行者に似たイメージやストーリーを扱いながら、その人独自のアプローチやエピソード、動機を入れてくる。

 

人生かくありたいものです。

 

 

他にも、元永定正、大久保英治、等々、楽しめます。

全5室をゆったり使っているのでかなり開放的に鑑賞できてお勧めです。

 

( ´ - ` ) 完。