nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R4.4/9~7/18 「モディリアーニ ―愛と創作に捧げた35年―」@大阪中之島美術館

みんな大好きモディリアーニヽ(^。^)ノ 

御多分に漏れず私も何故か素通り出来ない。なんでか見てしまうのなんでだろう。駆け込みで展示観てきましたレポです。

だって 呼んでるんやもん 眼が( ´ -`) 

【会期】R4.4/9~7/18

 

モディリアーニ作品は約40点・全体の1/3ぐらいだったが、展示の流れとバランスがよかったんすよ。

館内では作品1点:大阪中之島美術館収蔵品である《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917年)のみ撮影可だった。

 

◆全体の構成

展示は全3章+2コーナーで構成されている。各コーナーは以下のような内容だ。

 

  • プロローグ「20世紀前期のパリ」:第1次世界大戦(1914~1918)前後、戦争の影響を伝える戦争画やポスター。
  • 1章「芸術家への道」:第1次大戦前、ピカソ「青の時代」に影響を受けた最初期から、アフリカ美術彫刻・仮面の影響を受けて、カリアティード(人柱像)をモチーフとした彫刻を手掛けるあたりを特集。
  • 2章「1910年代パリの美術」:同時代の画家と作品の紹介。印象派、フォービスムは終わり、キュビスムの革命後、様々な影響のもとで様々な画風が紹介される。ルノワールの1910年頃に描いた絵は肉ムチムチのボンレスハム状態。
  • 特集「モディリアーニと日本」:藤田嗣治の手記をはじめ、モディリアーニを日本へ紹介した書籍などを紹介するミニコーナー。モヂリアーニ。
  • 3章「モディリアーニ芸術の真骨頂 肖像画とヌード」:トリを飾るコーナー。モディリアーニ・23点のみで構成。依頼仕事で書いた肖像画と、それらと対比的な大胆不敵な表情とポーズの裸婦像。

 

ゆっくり見て1時間半かからないぐらい。ほどよいボリュームだった。

土曜の朝イチで行ったが整理券配布もなく、人はそれなりに入っているが混雑というほどでもない。モディリアーニ単体の展示(に見えるタイトル)だと、「印象派展」とか「ピカソ展」などと違って、通俗的には少しピンと来なくなるのかも知れない。でも分かりやすく構成されていた。何が。そのへんをレポする。

 

 

肖像画が首長、白目の理由 = 彫刻

モディリアーニと言えば「首長で白目むいてる人物」の肖像画でお馴染みだが、なぜそんな画風になったのかが端的に分かった。アフリカ系民族美術・仮面や彫刻に多大な影響を受けたためだ。

1900年代初頭にはアフリカやオセアニアといった非西欧の文化・風物が流入し、他でもないピカソがアフリカ美術に影響されてキュビスムの名作アヴィニョンの娘たち》(1907年)を制作したというのは有名な話だ。

 

モディリアーニ自身でも彫刻作品を制作していて、1911年頃から絵画を中断し、彫刻家ブランクーシの手ほどきを受けている。アフリカの仮面とギリシアやクメールの石像を取り入れ、また「カリアティード」(古代建築に用いられた、女性の姿を模した石柱)もモチーフに制作を行った。

しかし彫刻はお金がかかる上に、本人の身体も弱く体力がなかったので、断念することになったという。なんせ十代の頃から胸膜炎、腸チフス結核を患い、第1次世界大戦が勃発した30歳の頃には、兵役に志願するも健康上の理由から不適格とされたというから、彫刻だめでしたと言われても納得しかない。作るのも運ぶのも重労働。

 

そんなわけで1914年頃までに制作した彫刻のうち、現存するのは30点弱という。

 

なお本展示では、彫刻は写真での紹介とチョークで描いた習作(紙)のみである。素材のライムストーン(大理石)の劣化が懸念されるため、作品保護の観点から輸送を断念した旨の説明書きがあった。この彫刻が想像以上にアフリカの原始的なテイストを帯びていて、白目(黒目を彫らない)、長細い鼻筋、その直下に小さなおちょぼ口細長く伸びた顔面・顎・首筋…と、あの有名かつ独特な肖像画と照らし合わせると、系譜としてストレートに繋がるものがあった。

 

実際、彫刻作品、アフリカ美術・仮面との関係を踏まえた後で「第3章」の肖像画を見ると、「これはただの肖像画ではなく、彫刻を彫る代わりに絵筆を使ったのではないか」と納得できるようになる。とすると、「アンニュイで不思議な肖像画を描いた病弱で早死にした作家」にとどまらず、相当攻めた、表現の領域を超えた作家という印象も得られるようになるだろう。

 

 

◆首長で白目でなかったら?

モディリアーニの専売特許である首長・白目の肖像画、これがアフリカ美術の仮面・彫刻や古代建築のカリアティードの特徴を継承した絵画であることはよく分かった。

白めの小さな頭部は、細くて長い首に乗っており、前後左右に傾きが付くことで「表情」を演出する。肖像画は椅子に腰かけた姿で、首から下の胴体・腕を含めて全体に動きがないため、首の傾きや頭部の傾きがそのまま、喜怒哀楽にも分類できないような、微細で曖昧な表情を生み出している。想像を喚起する。

 

肖像画に黒目、顔のパーツや皮膚などのディテールが人間的に写実的に描かれていないことによって、まさに彫刻と同じく、鑑賞者に大きな想像の余地をもたらしている。控えめな、あるかないかの表情は、一種の謎と崇高さを醸し出している。感情をあまり持たず、平然と白目を湛えて小首をかしげた人物… 人智、人間を超えた存在と言っても良いのかもしれない。

 

逆にこう問おう。

モディリアーニの人物画が首長で白目でなく、普通の人物画だったらどうなっていたか?

 

《横たわる裸婦(ロロット)》(1917-18年)はその明快な解だろう。驚いた。普通に上手いが、普通にエロティックな裸婦画で、言い方は不適切かも知れないが海外(西欧)ポルノ画像を髣髴とさせるぐらい、生々しいエロティックさが溢れていた。モディリアーニ作品には珍しく、生身の人間にちゃんと寄せた写実的な(かなり簡略化されていて、上品な漫画絵のようであるとはいえ)目鼻口と配置バランスで「顔」と「首」がまともに描かれている。

そのとき、想像の余地は収斂され、普通の「人」になり、「エロス」になったのだ。

同じラフの奔放なポーズを描いた作品でも、今回のメインイメージとなった《髪をほどいた横たわる裸婦》、《座る裸婦》(ともに1917年)とは意味が全く異なる。この2作は皆が思い浮かべる通りのモディリアーニそのもので、若干キュビスムの入った目口鼻の配置、バランスが取れていながら非実写的な鼻筋の線、瞳は描かれているものの表情の読めない眼、色々と見事であり、独自性に溢れ、そして大部分はこちらの想像に委ねられている。

 

他の多くの肖像画も、依頼主を描きその個性を表しっつも、いち個人を離れて象徴的な美の存在へと昇華されているのだった。《横たわる裸婦(ロロット)》との対比が目の当たりにできたのはよかった。

 

さてこれら裸婦シリーズは、今回は3枚のみの展示だが、他のWeb記事などでいくつかまとめて見るとなかなかの肉感があり、むちむち、ねっとりと攻めてくるものが強く、まさにエロス。1917年に開催された生涯唯一の個展において、ショーケースに飾られて鑑賞者が殺到し、警察が踏み込んで騒ぎのもとになった作品を押収したという。そうなるよなと納得。

 

 

◆同時代:1910年代の「絵画」―キュビスムの後

第2章で40点の作品が紹介されるが、8点がモディリアーニ作、それ以外の多くが1910年代・同時代の絵画である。これによってモディリアーニが生きた時代にどんな画家が、どんな絵画を発表していたかが見たわせる。

 

総じて言えば、印象派が1870~80年代に盛んに催されて30~40年が経ち、ルノワールやルソーなど印象派の著名人は時代を終え――目に見えた光景をそのまま描くという時代が既に終わっていて、次のキュビスムを内包した表現が多く見られた。写実的にあるいは光の当たった風景の表面を描くに留まらず、多次元的な要素で視覚を再構築している。

そして次の世代、「エコール・ド・パリ」の画家:キスリング、スーティン、パスキン、シャガールが取り上げられていた。モディリアーニもその一員である。このグループは印象派や野獣派などと違って共通の画風や主義、運動性を持たず自由にやっていた画家たちをまとめた呼称で、要は第1次大戦前後からパリ(のセーヌ川左岸、モンパルナス)で活動していた新しい世代の画家らの集まりである。

先述のとおりモディリアーニ肖像画においては、顔の造形の描き方や配置のバランス感にはキュビスム的なズレと再構成があり、ポスト・キュビスムの世界を実感させるものがあった。他の画家たちも先行事例・発展の成果を実に積極的に咀嚼・吸収し取り入れている。画風とはまるでプログラム言語のように次々に進展してゆく。

 

何ならエコール・ド・パリの代表的な一員として、藤田嗣治がいる。藤田はモディリアーニと親交があり、極貧時代を共にしたのでよく知っていて、しかも藤田の文章がめっちゃうまいので、会場でキャプションを読んでるだけで当時の情景がありありと、写真や映像よりむしろ克明に浮かび上がってきた。

手元に図録がないので引用できないが、「ああ見えてモディリアーニは酒めっちゃ飲むし、絵を描いてるときは気がたってきて大声を出したりするから、モデルに恐れられてもいた」みたいなエピソードだったと思う。藤田手記は味わいがあるすよ。すいません今、新大久保の粗野なカプセルホテルで執筆していてあれなので、また帰宅して図録確認できたら補足します。

 

 

◆他の画家と対置されてからの本領発揮

その第2章で、同じモデルを別々の画家が描いた作品があり、そのコーナーが一番面白かった。

モディリアーニと画家仲間のキスリングが、妻のルネ・キスリングをモデルに肖像画を描いているのだが、画風、捉え方、何から何まで全く違って非常にスリリングだったのだ。

 

キスリングの描いた《ルネ・キスリングの肖像》1920年はまるでデジカメで撮った女性モデルの画像をディスプレイで見ているかのように、内側から全ての色が発光している、今撮ったような肖像なのだ。赤い服とスカート、組んだ脚、肌を出してクロスする二の腕と腕の存在感ときたら、完全に逆算で作り上げた「映える」女性ポートレイトそのものだ。しかもデジカメ風。

artsandculture.google.com

現物は完全にデジカメ。銀塩や印刷ではない。発光してる感がすごい。100年前とは思えない。

 

対してモディリアーニの描いた《ルネ》(1917年)は、言われたらその特徴のある目鼻立ちから「同じ人物かな」と思えるが、言われなければ(20世紀美術を知らなければ)気付かないだろう。画風どころか服装、ポーズ、切り取り方など全てが全く異なるのだ。

誰がどう見てもモディリアーニ流の、黒目を描かず単色塗りの目、目鼻立ち・鼻梁の線もデフォルメされ、その他細部も「塗り」で抽象化された、彫刻のような顔で描かれ、構図もバストアップで切られている。

何より服装が全く違い、おかっぱ頭にスーツっぽいネクタイ姿という「ギャルソンヌ・スタイル」をキメている。中性風の男子かボーイッシュな女子か、どっちでもいけますよというかっこいい姿である。かっこいい。

 

www.polamuseum.or.jp

 

同じモデルにして強烈に対照的な肖像画が2枚並べられ、実に印象に残る展示だったのだが、こうして他の画家・画風と対比されることでモディリアーニの凄さがやっと伝わるというか、現実離れした文体で現実の人物を、その個性を損なうことなく絵へと落とし込んでいるという「普通はありえないことを、日常的にやっている」ことに、改めて驚嘆させられた次第だ。

これは第3章で、モディリアーニのみの作品に囲まれると、逆に静かになって気付かない点だと思う。白目かどうか、首が長いかどうかばかりに気を取られてしまって。他の同世代の作家・作風と比較したとき、静かで地味ですらあるべったりとしたモディリアーニ平面画は、新しさと古さの両方を以て生き生きと時空を超えてくる思いがする。

 

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レポ以上です。

 

面白かったですね。絵画のことは1ミリも知らず、ポトレがしぬほどへたくそな私でも、面白いですね。違う国と歴史の言語を導入して目の前のものを語るという離れ業をやり、神秘的さとエロスがすごくて評価されたことが実感できました。

貧乏生活たいへんだったし病弱だし酒めっちゃ飲むしで、35歳で意識不明になり結核性脳髄膜炎で死亡。その後、第2子を身ごもった内縁の妻、ジャンヌ・エビュテルヌも後追い身投げして死亡。なんてこったい。そんなわかりやすすぎるドラマがあるから、美術史はやめられないんでしょうね。こまった。アマプラに映画とかないですかね。

 

 

( ´ - ` ) 完。