nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R4.10/21~11/1 山下豊「439 ROUTE2」@gallery 176

酷道ヨサク」シリーズ、第2弾。

今回のヨサクは廃でも酷でもない、生き生きとした姿。実に多彩である。

 

【会期】R4.10/21~11/1

 

今回の展示は国道439号」こと「酷道ヨサク」(以下、ヨサクと表記)を撮ったシリーズ・第2弾となる。総延長347㎞、徳島県の市街地から四国の中央部を真一文字に横断し、西の端の高知県・土佐清水へと抜ける、長大なルートを特集した作品だ。

第1弾は今年4月下旬の個展「439 ROUTE1」で発表された。展示のトークショーで私が聞き手を務め、「酷道ヨサク」を撮った経緯や撮影のポイントなどを語ってもらった。

 

 

第1弾では「酷道ヨサク」のルート全体をバランスよく紹介していた。徳島県の市街地から徳島県祖谷、かかしの里など観光スポットを通って土佐清水へ向かう行程を広くカバーし、なおかつまさに「酷道」に相応しく自然に呑まれそうな箇所、走るのに苦慮しそうな箇所とを共に紹介していた。ある意味、珍スポット的な「酷道」のイメージに応えつつ、現地で出会った人物も含めて多彩な表情を見せる内容だった。

 

本作:ヨサク第2弾では、場所が高知県徳島県寄り(長岡郡大豊町穴内、吾川郡仁淀川町長者)に絞られているが、どの写真も生き生きとしていて「酷道」色を良い意味で裏切ってくる。

 

どの道路の写真もしっかりと車幅が確保され、手入れもなされていて幹線道路としての力強さとスケール感がある。

特に上から2枚目・左の、立体交差する道路の写真は「酷道」像からはかけ離れていて驚かされた。広くて立体、どうしても「対向車とのすれ違いにも難渋する廃道寸前の山道」というイメージが強すぎて、そうでないヨサクの姿に逆に戸惑ってしまう。

ちなみに上から3枚目・右側の建設現場の写真は、ヨサクではなく脇の橋を建てているところだが、これも更に新しく太い道路へ改良している様子に見えてしまう。

 

酷道」のイメージに縛られすぎていたことを少し反省する。珍スポットや廃墟が好物なのでどうしても偏ってしまう。

 

冒頭の写真2枚は「お宝屋敷おおとよ」という、昭和レトログッズの展示館である。入ったことはないが、こうした施設は他の地域でも見かけることがある。エロ要素を抜いてレトロに特化した秘宝館という感じで楽しい。

retro.useless-landscape.com

観光者向けスポットの内部まで取り上げているのは、作者のヨサクに対する幅の広い立ち位置を象徴している。また、大量の道路看板が乱立する写真では美空ひばり歌碑 遺影歌碑 300m先右折」との案内が写り込んでいるが、作者はそこにも足を運んでいて、暇を持て余した観光客のようなムーブが面白い。昭和22年、地方巡業をしていた9歳の美空ひばりの乗ったバスが事故に遭い、重傷を負うも現地の医師の手当で助かるというエピソードがあり、大豊町が後に歌碑を立てたという。歌が3曲流れるという豪華仕様。

www.nihon-kankou.or.jp

作者は一時期、大阪から母親のいる高知県土佐清水市に移り住んでいたが、約5年という在住期間は地元民とも外来者ともつかぬ、曖昧な立ち位置とも言える。ヨサクに対しては、作家=取材者のポジションとともに、観光客のポジションでもあり、更にどちらとも決定し難くフラットな道路利用者のポジションが根底にあり・・・といった風に。

 

同時に、これらはヨサクとその周辺のリアルタイムな記録でもある。周辺住民の暮らし:店舗や田畑、祭り、神社や仏像などが収められている。狙って撮ったのではなく偶然出くわしたものだというが、期せずして現地の記録となっている。上記では「酷道のイメージが良い意味で裏切られた」と書いたが、しかし実体としては地方も地方で、限界集落に近い箇所も多いため、こうした人々の行き交う・集まる光景がいつまで続くかは未知数とも言える。

 

既に失われた光景もある。例えばこの「無事故安全運転で」「飲酒暴走運転絶滅運動」の看板は、今では撤去されているという。作者が撮影してからものの数年の間にも、刻々と状況は変化しているらしい。本展示のDMにも用いられた、コンクリートに描かれた「安全運転嶺北路 全席着用シートベルト」の坂本龍馬も、壁面の苔を削って描かれたもののため、現在はまた苔に埋もれて無くなっているらしい。確かにこの写真の時点で竜馬の目には犯罪者のボカシのような線が入っている。

 

興味深かったのが、ダムに掛けられた橋の標語「「写真文化」宣言の村ごほく」だ。

場所は高知県吾北群いの町上八川甲、上八川に設けられた四国電力の分水第四発電所取水ダムで、大きな字でしっかり書かれている。だが北海道の東川町以外に「写真」を前面に打ち出した地方の市町村を私は知らない。これは一体何だろうか?

 

調べてみると、運よく高知市文化振興事業団が発行する『高知文化』No.92(1999年11月号)掲載の記事に突き当たった。

http://chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://www.kfca.jp/app-def/S-102/wp2/wp-content/uploads/2019/04/cont_bk92.pdf

この6ページ目に「写真文化の村」宣言の経緯がまとめられている。当時の吾北村中央公民館長・高橋幸十郎が執筆した記事に、元・新聞社カメラマンで移住者の山中賢一が宣言を提唱し、平成8年5月10日、吾北村合併40周年の記念日に誕生したとのこと。山中氏が村民に写真の楽しさを伝え、村もカメラを用意して学校や村民に貸し出し、写真を通じて地元の自然や暮らしを再発見・記録する取り組みだったようだ。

 

ちなみに山中賢一は、2007年9月にニコンサロンで個展「てんさい(10歳)は20歳になった 「途上登場!20歳」」を発表、吾北村で撮影した「てんさい」(村でいう10歳児のこと)の10年後の姿を発表したようだ。

www.nikon-image.com

 

市町村合併などが相次ぎ、今ではもう「吾北村」も消滅して「吾北群」となり、現地での写真活動がどうなっているのか、よく分からなくなっている。デジカメやスマホより前の時代に取り組まれていたのは画期的なことだったと思う。それも橋の文字が消されてしまったら、思い返す術すら無くなるだろう。

 

脱線してしまったが、作者のヨサク巡りと同じように、私も本作を元にあちこち横道へそぞろ歩きをすることになった。こういう観方が案外正しいのかも知れない。旅を疑似体験しているようで楽しかった。

 

やはり作品の根本にあるのは、現地の人との関わりである。場所を選ばず、人との出会いを大切にしていることが分かる。

 

作者によると、第3弾となる「439 ROUTE3」で本シリーズは完結するらしい。次はどんな切り口でヨサクが現れるのか、楽しみだ。

完(つづく)。