nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展/KG】KYOTOGRAPHIE 2021(6)_⑩リャン・インフェイ(梁莹菲)「傷痕の下」、⑪ディヴィッド・シュリグリー「型破りな泡」

KYOTOGRAPHIE本体プログラム、祇園の北西エリアにあたる三条~四条のビル(Sfera、ASPHODEL)で展開された2つの展示を紹介する。

⑩リャン・インフェイ(梁莹菲)は性暴力サバイバーの証言を基にした作品、⑪ディヴィッド・シュリグリーシャンパンメーカーとのコラボでイラスト的な絵画を展開した。心身を侵食される痛みと、温かみのあるイラスト、二つ合わせて丁度バランスが取れる感じ。

 

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◆⑩リャン・インフェイ(梁莹菲/Yingfei Shrigley)/《傷痕の下(Beneath the Scars)》@Sfera

本作は昨年「KG+SELECT 2020」アワードでグランプリを獲得し、KYOTOGRAPHIE本体プログラムに招聘されたものだ。テーマ、作品は同じで、会場と展開方式が変化している。

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空間構成が完全に変わった。全体が冷たいコンクリート張りになり、各コーナー=性被害者の証言がそれぞれ半透明の壁で仕切られ、被害者の簡易シェルターというか、事情聴取の部屋、開かれた密室として、犯罪被害の実態と傷の記憶を「聴く」ニュアンスが強まった。

 

前回は学校の教室での展示で、心象(心傷)光景を再構築した映像という趣が強かった。性被害によって心身を侵略されてゆく、抗えない不快さ、その肉体的感覚が記憶としてずっと身体に響き続けていることが示された。主語が混ざり、被害者の一人称と鑑賞しているこちらの一人称とが混線していき、観ていて体調が悪くなりそうだった。

 

 

今回の展示では主語の分界線が引かれ、提示されるイメージは被害者の「証言」として立ち位置が定まり、こちらの身体へ侵食してくる感じがなくなった。各コーナーの天井あたりから、どのような被害を受けたか、証言のテキストを読み上げる声が流れているのも、取り調べ室的であり、主語の分界があった。それはそれでまた別の絶望というか、やるせなさを覚えるものだった。起きた被害は取り消せず、その記憶は消せないという事実を受け止めることになった。

 

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被害者なのになんでこんなに閉塞し、無力で小さな死骸に喩えられる羽目になってしまうのか、理不尽極まりない。囚人とは、罪を犯した側が裁かれて至る処遇であるはずなのに、何も悪くない被害者の方が実質的には囚人なのだということが伝わる。実際に刑を食らった囚人の方には、刑期が存在し、一定期間で解放されるのに、被害者は記憶から解放されることがない。

 

理不尽な耐えがたさ。

立場や力関係を利用した、望まぬ性関係を迫られ、心身を侵略されることの耐えがたさ。学校でのいじめや職場パワハラやDVなど、様々な問題とも関連し共通する心象(心傷)光景であろうし、自分独りが世界で孤立し、助けのないところで小さく死んでいくような境遇は、がんや難病や外傷、あるいは各種の依存症などのサバイバーにも通じるものかもしれない。

 

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他の展示は2回、3回と再来してじっくり観返す楽しみがあったが、本展示はどうも負荷が強く、落ち込んでしまうので、2回目を行けなかった。しんどいだけだったのだろうか? もしかすると、次の段階での主格の混線が起きる可能性を察していたかもしれない。自分が無意識のうちに加害側の人間となっていたのではないか、性的支配を強いる(少なからず過去に強いてきた)側だったのではないか、そんな反省史観を帯びてくる気配が否めなかった。

 

 

◆⑪ディヴィッド・シュリグリー(David Shrigley)/《型破りな泡(UNCONVENTIONAL BUBBLES)》@ASPHODEL

梁莹菲の「傷痕の下」とえらく対照的に、明るくPOPな内容である。足して2で割ると丁度いい。シャンパンが飲みたくなる展示。お高いので気安く飲めないですけど( ´ ¬`)。

 

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本展示はフランスの老舗シャンパーニュ:Ruinart(ルイナール)社とのコラボレーションになっており、作家支援とシャンパン作りの伝統の理解・伝達とが組み合わさって好循環している。いつもこの会場でやってますね。

 

会場1階はルイナール・セカンドスキンのショップになっている。上の写真の右下端に写っている、白いボトルですね。ギフトパッケージの包装を箱から木製素材の、瓶にフィットするものへ換えたと。サスティナブルなケースを目指したそうです。気付かんかった。どれも戦闘力(お値段)が万単位なので、こわくて直視できませんでした。

 

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2階はイラスト的な絵画。可愛い絵で、でも言ってることは「世界を壊さないでください」とか「とても美しくて大切な世界」とか、子供の頃(90年代前半とか)によく流れてた地球環境保護的なメッセージ、警句が続く。はい。

併せて、ワインが自然環境全体から作られていることなども織り交ぜてくる。ワインを通じて思う地球。手間がかかりますよと。手間がお嫌いならビールどうぞと(実際にそういうことが書いてある笑)。歴史と自然と人の手が混ざり合ってワインになるわけですね。はい。

 

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地球の絵がとてもよかった。これめっちゃいい。

 

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カラスの絵がとてもよかった。これめっちゃいい。

なんか印象に残るんすよ。残ったなあ~。

 

もうお気づきかもしれませんが、写真の展示はありません。ワイン文化と自然環境と人間との関わりをこの明るいポップな絵で表す。

二条城の四代田辺竹雲斎「STAND」、誉田屋源兵衛の約ネバ×シャネル企画「MIRRORS」とともに、「KYOTOGRAPHIEは写真展にとどまらず、表現全般を扱うイベントである」との位置付けを明確に打ち出してきたということだろうか。年々その傾向が強まっている実感はある。個人的にはゴリゴリに写真で攻めてきてほしいが…。

 

3階は体験型スペースで、イラストやメッセージを上から覗き込んだり、穴から覗き込んだりする。

 

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身体をつかいましょう。

 

面白かったのが、作品の描かれたハガキ(3種類)を、リアルに郵便物として投稿できる企画だった。切手も貼らず、宛先を書いてポスト穴に入れるだけ。新型コロナ禍で世界的に移動、接触型コミュニケーションが困難となったこのご時世、手紙を出してみませんか?という提案である。ナイス。ありがとう。

面白半分に関東とカナダに送付してみたが、ちゃんと届いており、事務局がりちぎに全て切手を貼って処理したと思われる。感謝いたします。

 

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こんなナメた手紙がカナダのバンクーバーに行ったわけです。世界は通信の総体である。Yeah.

 

けど痛感したのが、生きている宛先が手元にほとんどなかったこと。正月以外で郵便を全く使わず、昔からの友人知人らも住所が変わりまくっており、しかも今日び、誰も住所変更を通知する必要もなくなったから、リアルタイムで気安くナメた手紙を出せる相手というのがほぼ皆無だった。

なんか郵便物の送付先登録システムとかないんですかね。

 

なんだかんだで楽しんでしまった。

 

( ´ ¬`) 完。