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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R3.4/3(土)~7/25(日)_石内都展「見える見えない、写真のゆくえ」@西宮市大谷記念美術館

2017-18の横浜美術館『肌理と写真』以来の、石内都の大規模な展示である。横浜での展示とは異なり、作者が撮り続けてきた「目に見えない時間」の脈を辿りつつ、近年の日常の中で撮られたスナップと、台風の浸水で被災した自身の収蔵作品を写した写真を提示するという、代表作の提示に留まらない構成がユニークだった。

 

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【会期】2021.4/3(土)~7/25(日)

 

 

 

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1.構成全体を通じて

大谷記念美術館は4つの展示室を有し、その構成を元に以下のとおりテーマが展開された。

 

◆第1展示室:ひろしま》《Frida Love and Pain》《Frida by Ishiuchi》

◆第2展示室:《連夜の街》《絹の夢》

◆第3展示室:《Scars》《INNOCENCE》《sa・bo・ten》《Naked Rose》

◆第4展示室:《Yokohama Days》《One Days》《Moving Away》《The Drowned》

 

導入部となる第1展示室で、主力となる代表作の《ひろしま》とフリーダ・カーロの遺品シリーズをどんと見せ、2階に上がって第2、第3展示室でその世界観、視点を裏打ちする作品群を展開する。この流れの作り方は2019年の山沢栄子の回顧展『生誕120年 山沢栄子 私の現代』と似ている。

よって、代表作がずらっと列挙されるのは第1~第2展示室までで、続く第3、第4展示室では内的な深掘りとして、これまであまり目に触れる機会のなかった作品が登場する。横浜美術館と似たような構成、巡回展に近い内容をイメージしていたが、これは意外な展開だった。

 

2017-18年の横浜美術館『肌理と写真』が、石内都の40年に亘る作家活動を主力作品と空間デザインによって、より広い層へ力強く伝える構成だったのに対し、今回の展示はそこでは語られなかったより微細な部分、名作を生み出してきた作者の眼が、これまでどのように注がれてきたのかを辿っている。

 

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『見える見えない』『写真のゆくえ』という少し不思議な展示タイトルは、これまで石内が「目には見えない時間」を写してきたことを踏まえつつ、近年の国際的な評価の高まりの中で作品が様々な意味を持つようになったこと、2019年の台風によって美術館の収蔵作品が壊滅的な被害を受けたことなどから、これからの「写真のゆくえ」について改めて思いを巡らせていることを反映したものだ。

 

 

2.「見える見えない」――時間の気配

大谷記念美術館は横浜美術館ほどではないが、一つ一つの展示室が大きく天井が高い。特に第1展示室は、部屋というよりニュートラルな「空間」で、ひろしま》とフリーダ・カーロ遺品シリーズはまさに空間の一部として収まっていた。個別具体的な作品としてではなく、全体でひとつの雰囲気となっていた。

加えて、タイトル間の仕切りがないため、ひろしま》(2007-20)《Frida Love and Pain》(2012)、《Frida by Ishiuchi》(2012)はあたかも連続した、一つのテーマ作品のように体感される。いずれも持ち主不在の衣服、装飾品、日用品を写した作品である。

これを1枚ずつ没頭して見ているうち、広島の被爆者の遺品をフリーダ・カーロのものと思い込むという、かなり奇妙なことが起きた。シリーズで壁の色を変えている(フリーダは赤)ので本来は誰でも区切りに気付くはず、なのだが、木を見るのに集中しているとこうして森を見失う。それでも本当に混同していたので奇妙だった。

 

混同の中で気付いた(のか見失った?)のは、被爆者の遺品が色鮮やかでお洒落だということだ。太平洋戦争末期の日本人の暮らしぶりは、漫画『はだしのゲン』や社会科資料集のモノクロ写真で見る、貧相で禁欲的、悲劇的なイメージがあまりに強いが、私がフリーダと被爆者を混同したのは、戦中の民衆の暮らしに実は彩りがあり、女性らの衣服が多彩であったことに起因するだろう。

 

一方で、それを引き起こしたものこそ、石内都という傑物が生み出した、革命的な手法だったのではないか。不在のはずの主格、生命感を、遺物を撮ることで立ち上がらせる。しかし記録や記憶ではなく、今そこに何者かがいるという現存性に優れている。それが何者なのか、衣服を着ていた本人かどうかは分からない。むしろ別人である。匿名で、個人から解き放たれた、鑑賞者と作品との間に流れ出した何者かである。

真に被爆(者)の記録を、という作品であったなら、持ち主の写った写真なりプロフィールを脇に添えていただろう。ここでは衣服しかない。写真なのでサイズ感なども実物とは異なる。現実の記録ではなく、作者の心象でもない。衣服とその傷とが奥行きを生み出し、そこに注がれた自然光がエーテル(触媒)となって、目は衣服以上のものを見出す。

 

フリーダ・カーロについては、際立った個人の身体的背景と美的センスの独自性がそのまま遺品に反映されているので固有名詞化されるが、無名の一般人の衣服についてはもはや年齢や所属も無関係にエーテル状の「人間」がやってくる。それはいかに衣服が傷にまみれていても、衣服――にんげんの個性へと還元され、「原爆」を直接には語らないとさえ言える。そこが、名だたる巨匠らの「広島」の写真と一線を画す点だ。

 

 

第2展示室は、入って左側を《絹の夢》(2011)、右側を《連夜の街》(1978-80)に大胆に割り振り、入口から入って正面のガラス面に《Endless Night》(=連夜の街)スライド40点を投影している。

《絹の夢》は大小様々な作品が12点、リズミカルに並ぶ。色鮮やかな銘仙の着物である。銘仙とはかすりの絹織物で、石内の出身地である群馬県桐生の名産物で、大正から昭和初期にかけて流行した。空間によく収まっていたためかあまり印象に残らなかった。リズム感ある配置ゆえに、横浜美術館での体験と比較するところから外に出られなかった感がある。(横浜では、とてつもなく天井の高い部屋で、壁全面に色が配され、銘仙と養蚕の写真に、色の世界に取り囲まれた。)

 

《連夜の街》は50点近い作品がガラスケースの中に、上下2段で並べられていた。通例、大谷記念美での大規模な展示では、ガラスの展示ケースは上から塞がれて普通の壁面として使われていたので、この形式は初めてだった。

これらは1978~80年に撮られたモノクロ写真で、全国(横須賀、東京、大阪、京都、名古屋、仙台など)の赤線跡に残る元・遊郭である。

これらもまた、遊郭と言われなければ気付かないかもしれない。特殊な場所・建築物を撮っているのに、建築物の形状や空間を記録したり、美的に表現する写真ではなく、壁や柱の「面」や、それが纏う装飾物と陰影の方に注目している。だが平面に特化した撮り方でもない。切り取り方の距離感や角度も様々で、何が写っているかを一言で表すことが出来ない。言われればなるほど遊郭だと納得するが、《互楽荘》シリーズと混ぜられたら区別できる自信がない。

森山大道を彷彿とさせる黒の濃さ、粒子の粗さと断片のするどい切り取り方が特徴的だが、壁から離れて作品群を一つのものとして見た時に、それはぼろぼろにすり切れた使用済みの衣服のようにも見えた。ここに、滅びゆく存在の記録ではなく、綻びや擦り切れを宿した表面にこそ宿る一種の「生」、生々しさが撮られているのだと気付く。すなわち第1展示室の《ひろしま》とフリーダ・カーロ遺品シリーズと通底している。

 

 

3.肌、体に刻まれたもの

第3展示室では、人の肌に刻まれた傷《INNOCENCE》(2000年代初頭)、《Scars》(90年代初~中)と、植物:サボテン《sa・bo・ten》(2013)薔薇《Naked Rose》(2005-06)の体に刻まれた表情へ肉薄する。

この部屋も中で2室に区切られているが、手前に《INNOCENCE》と《sa・bo・ten》、奥に《Naked Rose》が配置され、それぞれに《Scars》が挿入される。通常ならテーマタイトルごとに固めて並べるだろうところ、人間と植物を混ぜて配列するという、攻めた構成になっていた。

 

人の肌に刻まれた傷痕を撮った《INNOCENCE》、《Scars》は代表作の一つで。モノクロで、傷を中心とした体のクローズアップのため、不純物がなく他作品よりもコンセプチュアルな作風で、《ひろしま》やフリーダ遺品シリーズと同じフォーマットの系譜にある。物理的な個人の傷の記録や複写ではなく、鑑賞者の内に複写された印象としての記憶の中に映る「傷」へと近付いていく。

一方でサボテン《sa・bo・ten》と薔薇《Naked Rose》はどちらも、カラーでスナップとポートレイトの中間のように撮られている。が、当然のように普通の撮り方(美的な撮り方、記録、記号的な撮り方、etc...)ではない。その肉の膨らみや凹凸、汚れや縮れ、老い、色褪せといった、経年によって刻まれてきた「傷」の表情に強く着目している。つまり情報量や雑味が格段に多いものの、これらは《INNOCENCE》、《Scars》と同じ構図と視座で成り立っている。

 

これらのシリーズ群を見ると、人間にせよ植物にせよ、「傷」がなければ「体」としてのリアルがないことを思い知る。ここで言う「傷」とは時間の経過、堆積を刻んだ物理的な痕跡のことをいう。痕跡=存在してきた根拠とも言える。傷がないものといえば店に並ぶ野菜や果物、広告やファッションで用いられるモデルの身体であって、つまり商品としての流通体である。傷が美化されるときも同様だろう(傷ではなくなる)。

その逆を行くと、大文字の歴史や地域に根差した・掴まれた身体であったり、個人の氏名に帰属する身体、その隙間あるいは反逆として芸術・表現のために捧げられた身体ということになろう。石内作品の身体はそれらにも適合しづらい。その身体は誰のところにも所属が置かれない(持ち主本人にさえ帰属し難い)。身体性を一部喪失している。写された肉や皮膚はそれ自身に刻まれてきた「傷」にのみ根拠を持ち、そこに回帰する。では体のリアルとは? サボテンと薔薇の写真が織り交ぜられることで、そうしたことへ意識が向いた。

  

 

4.日常と、日常をやぶるもの

第4展示室は予想外の「日常」コーナーで、これは貴重な機会だった。

目的なく日常を撮った《One Days》(2000年代初頭)が10点、《Yokohama Days》(2008-2011)が9点が、40年以上活動の拠点としてきた横浜から生まれ故郷の群馬県桐生市へ移り住む時期に撮影された、セルフポートレイト的な日常景《Moving Away》(2015-2018)が12点、計30点近くが展示されている。

 

30点は通常の作品なら多いが、日常景のスナップなのでその分量では物足りないぐらいで、何かを掴めそうで掴めず、もっと数を見たいと思った。《Moving Away》は、引っ越しを決めてから桐生へ移るまでの3~4年という割と長い時間軸で撮られており、自宅内部、暗室、散歩中の自身の影といった私的な情報が多いのが面白い。《One Days》はもっと取り留めのない日常スナップで、作者名を聞かないと誰の写真だか分からないだろう。

 

これらの日常作品は展示で見る機会がなかったもので、言われてもどんな作品か分からないと思うので、以下の写真集のプレビューでどうぞ。

 

 

 

石内都という写真家は、自分のような2010年代あたりから写真を学び始めた人間にとっては、テーマ性を明確に立たせた、コンセプチュアルな作風の大作家だと思っていた。無駄撃ちをしない芸術家なのだろうと。

 

そうではなかった。

写真行為が日常に食い込んでいるのだと知った。コンセプトが、テーマがというより、根っからの「写真家」だったのだ。

初期作品を観れば、コンセプトというより行為の人であることは一目瞭然ではあるのだが、今も同じ人物だとは全く想像していなかったのだ。森山大道めいた粒子の荒いモノクロで日常景から時間の襞を焼き込む初期石内都と、モチーフを絞り込んで表皮から記憶や時間を語る後期石内都とが、私の中で勝手に二分されていたのが、本展示で、日常スナップという写真行為の人であると、根底でつながった思いがする。

 

その日常性=延々と続いていくものに対し、《The Drowned》(2020)は強烈に異質であり、むしろ真逆に、日常なるものが断ち切られたところの作品である。

壁が溶けたり剥したような襞が映っている。2019年10月の台風19号により川崎市市民ミュージアムの収蔵庫が水没し、多くの収蔵作品がダメージを受けた。本作は被災の3ヶ月後に訪れた現地で、自身の収蔵作品を写したものだ。

 

本展示の図録の寄稿文:大谷記念美術館学芸員・作花麻帆『石内都 写真が紡ぐ「今」』に、その被災状況と深刻さが書かれている。

写真の被災状況は絶望的で、報告書によると「ゼラチン・シルバー・プリント(モノクロ写真)と発色現像方式印画(カラー写真)は画像が溶け、表面の保護紙に滲み、処置が困難」とあり、「乳剤にゼラチンを含むゼラチン・シルバー・プリント等の銀塩写真は強烈な腐敗臭を放ち、支持体やマットの紙はカビ等で汚染され、その状態は言葉に形容しがたい」状態であった。変わり果てた自作を前に石内は言葉を失いつつも、その姿をカメラにおさめた。<The Drowned>はこのような経緯で撮られた写真である。

 

※この図録、美術館サイトから販売してます。サイズが小ぶりで写真が綺麗。いいですよ。

 

 

写真は複製芸術と呼ばれるが、銀塩写真ゆえに作者が自ら暗室で焼いているため、『その時の感情を編み込むようにして生み出された写真は、二度と同じものは作れない。』という。

展示室の一番奥で流れる記録映像《暗室 最後のロールプリント》(2008/2017)は、その暗室作業の労苦が伝わってくる。床にバットを並べて現像液や定着液を注ぎ、感光させた大きなロール紙を漬ける。肉体労働である。ネガから透過した光を印画紙に焼き付ける際も、明暗を出すために焼き込む秒数をコントロールする。まさに一期一会の像作りで、実は複製不能性が強いことが分かる。

 

展示品はたった3点で、会場にも特に説明がないので、目録の説明文に目を通していないと、このイメージの意味や事態の重さは分からないだろう。これまでの作品は、いかに作者との距離が近くても、あくまで作者自身の外側にある対象、そこに刻まれてきた傷や時間についての写真だった。

対して《The Drowned》は他の作品群と同じように見えて異なる点があまりに多い。作者自身が手掛けた作品そのもの、距離感が全く別物であり、その距離感の意味は異なるだろう。また、作品が負ったものは「傷」どころか崩壊であり、あまりに損傷が激しいため修復はできず、二度と再現することもできない。損傷を受けた時間も損傷から経過した期間も非常に短い。

災害という、時間の連続性、日常の連続面を切断する事態が、石内都フォーマットによって写し込まれたものが《The Drowned》であると言えるだろう。これがこの先どういった意味となるのかは、時間の経過・堆積を待つ必要があるように思われる。

 

 

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改めて石内都作品を生で振り返って、写真集と生展示との違い、生写真のポテンシャルを痛感した。特に傷や衣服を撮った近年の作品は写真集では、紙と像との間、写真と眼との間に満ちているエーテル様のものが見えないため、真価を見誤るというか、あまりピンと来ない。それが、《ひろしま》や《Frida by Ishiuchi》《Frida Love and Pain》の生写真では、作品とこちらとの間に満ちるものを認識しつつ、その正体は掴めず、見えないものを見るという現象を体験する。その中において鑑賞者は様々な想い、記憶などを動員してあてがうことになる。

 

展示を通じて、そうした視座の系譜を辿る構成となっていたことと、その活動を下支えしていた写真家としての筋力である日常スナップを見られたことが、非常に面白かった。

 

 

( ´ - ` ) 完。