nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R2.8/22_『ヤン・ヴォー -ォヴ・ンヤ』@国立国際美術館

ヤン・ヴォー展。全く一筋縄ではいかない展示だ。

1度見ただけでは「???」で、写真仲間氏と共にもう一度観に行ったのだが、日頃は様々なジャンルの表現にビビッドな反応を示す仲間氏が、先に鑑賞を終えた直後にLINEで「難しかった」と一言だけ打ってきた。本展示の手強さがうかがえる。

 

それは、本展示が「語る」「語られる」ことを回避し、大きな言説・歴史をスライスしてその断面を私的なものへと再接続させる試みに満ちたものだったからに他ならないだろう。 改めて、大胆かつ緻密でどうインスタレーションを振り返ってみたい。

 

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【会期】2020.6/2(火)~10/11(日)

  

 

 

1.語ること・語られることをすり抜けて

本展示はインスタレーションである。床にオブジェが置かれ、壁にはドローイングや写真、カリグラフィー、手紙など歴史的資料が展開される。だが会場では、個々の作品のタイトルや解説は一切なく、ただただオブジェと平面作品、資料が安置されている。どこまでが「ひとつ」の「作品」かという単位すら明らかではない。

 

オブジェ自体は、キリストの像、ローマ時代の彫像であったり、署名したペンの先や椅子を分解したもの、空き瓶、木材、椅子、金色に塗られた巨大な段ボール、それらに描かれたアメリカ国旗・・・など、それ自体で特別な意味を持つものではない。平面作品、カリグラフィーも同様だ。モノ自体の意味性を問うというより、本来の意味体系から梯子を外されるところを見せられているようだ。

では、切り離された後にそれらはどこへ向かうのか。何と結ばれるのか。一方で、作者個人の、私的な関係や過去から取り出されたモノや記録も多数ある。それらはどう位置づけられれば良いのか。会場ではまるで氷山の上の部分だけを提示されているようで、海面下の見えない部分がどこにどう繋がっているのか、どれほど深くて大きいのかはこちら側で考えることとなった。

 

そんなわけで「どんな展示だったか」を言葉で端的に説明することが難しい。観ても意味が掴めず、自分の内側でさえ言語化できないでいた。

 

本展示は言語化を回避している。これまで言語化されてきた種々の言説のパッケージ(=歴史)をスライスしてみせ、展示物としているのではないか。であれば、「それ」を語る言葉がないのは当然だ。

普段の展示なら、図録を買うと評論家や学芸員の詳細な論考(すなわち読解)があるのだが、図録は写真のみで、テキストが一切なく、ほぼ写真集である。入口で配布される展示目録が、唯一にして最大の具体的な情報源だ(この詳細な目録、サービスで追加してくれたとしか思えない)。

 

撮影不可なので会場の様子を紹介できないが、作家インタビュー内で会場が登場するので、YouTubeをどうぞ。


「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展 作家インタビュー / Danh Vo oV hnaD at the National Museum of Art Osaka

 

このプレゼンがまさに展示そのもの。展示の核心や中身、謎解きの言及は一切避けて、とてもさらっとした語り口、それでフェリックス・ゴンザレス=トレスの言葉をさらっと引用。分かったような気にさせられて、何も分からない。まさにそういう展示だ(この手強さよ・・・)。

 

  

2.切断された個人史、異邦者の眼差し

こうなると、作品読解のためには作者の来歴がますます重要になる。プレス向け資料より引用しよう。

1975年、ベトナム・バリア生まれ。4才の時に父親の手製のボートに乗り一族でベトナムを脱出。デンマークの貨物船に助けられシンガポールの難民キャンプを経てデンマークに定住。コペンハーゲン王立美術学校、フランクフルトのシュテーデル美術学校で学ぶ。現在はメキシコ・シティ在住。ベルリンにもスタジオを持ちノマド的スタイルで制作を続けている。

1975年というのは、サイゴン陥落・南ベトナム崩壊によってベトナム戦争終結し、南北ベトナムが統一された年だ。15~20年に及ぶ戦争の結果、アメリカが敗北・撤退し、翌年にベトナム社会主義共和国が成立した。資本主義・自由経済から社会主義政権への転換は、私有資産の差し押さえから職業選択の不自由、思想統制など、生きる上での多くの制限や困難がつきまとう。そのため、元・南ベトナムベトナム共和国)に住んでいた多くの人たちがボートピープルと化し、危険を冒して漁船などで海上から国外逃亡したという。また、ヤン一家が国外逃亡した1979年には更に、ベトナムだけでなくラオスカンボジアの3国が社会主義化したことでインドシナ難民」が大勢発生し、国際的にも注目された。社会の授業で習うほどの大きな事件だった。

 

ヤンの人生の足跡を詳しく知るわけではないが、まずは非常に大きな国際的・政治的な動乱の中で祖国から切り離され、地理的にも歴史的にも帰れる場所を失っている点がひとつ。そしてその後は西欧諸国を移動しながら教育を受け、美術分野でキャリアを積んできたことがひとつ。

ヤン・ヴォーがキリストの像を切ったりケネディ政権に由来のある調度品を分解して、非難ではなく評価されている点に注目するなら、西欧育ちの根なし草という、切断された個人史を持つ経緯が、特異な立ち位置と作風をもたらしたと言えよう。特異というのは、自国を持たない異邦者として、永遠の他者として、「国」や「歴史」なるものを眼差すことができる(そうせざるを得ない)という意味だ。そうしてキリストや宣教師の歴史をスライスし、アメリカの公的な歴史の証言者たる調度品や書簡の中身をスライスし、大文字の歴史や宗教の取扱い、記号的、形式的なものの中身の軽さ(=特別な何かが中にあるわけではない)を提示してみせる。スイス人であったロバート・フランクが1950年代のアメリカの空虚と寂しさを残酷なまでにソリッドに捉えることができた、あの感じに通じるものだろうか?

 

作品理解の困難さは、解説がないからだけではなく、国家の歴史や宗教と自己とが断絶している異邦人の視座を、私達一般的な日本人がそもそも持ち合わせていないことも一因だろう。

国境を越えた話題よりも、国内・地元といった閉ざされた環境での最適化こそが私達の感性に障る最大のテーマであることは、新型コロナ禍での「県外ナンバー狩り」や東京からの帰郷者を責める貼り紙等の騒動でも十二分に思い知ったところだ。ヤンの指摘する事柄のシリアスさとリアリティを肌感覚で持ち合わせていない、という自己批判もまた生じる。

と言いつつも、言葉で語れないので分からない、で終わらせてよいものとも思えないので、分からないなりにも視野を延ばしたり広げてみたい。会場の展開を振り返ってみよう。

 

3.展示構成ー公と私の歴史について

大体の構成を図録MAPより引用。殴り書きが汚くて申し訳ないが、番号は鑑賞時の印象から適当にゾーニングしてみた。f:id:MAREOSIEV:20200826004059j:plain

 

会場構成では明確なルートが示されておらず、動線の順序=体験・理解自体が、そもそも意味性を免れている。

まず最初のフロア①から次のフロア:②・⑦への分岐が、どちらに対しても誘導的である。⑦は作品のすぐ隣に出口が開いていて、順路的には最終フロアなのだろうが、序盤で通っても支障がない。実に大胆というか、普通はあり得ない構成だ。奥の⑤ゾーンでは、フロア内に3つの囲み=小部屋が設けられていて、より一層、順序が成り立たない。その上、一番奥の⑥ゾーンまで観た観客は、再び折り返して⑤や④、③を辿って出口を目指すことになる。一般的な鑑賞ルールに慣れた身体は攪乱され、直線的な鑑賞体験は得られず、物語化は妨げられる。

 

展示空間の環境もまた一筋縄ではいかない。奥へ進むにつれて壁の裏側はなぜか木材が剥き出しで、無塗装でハリボテのようだったり、まるで設営作業中かバックヤードのような様相を呈している。美術館にあるまじき姿である。

バックヤード感は④ゾーンあたりで顕著になる。⑥ゾーンは更に激しく、前述のように入れ子となる囲いを作っているが、それは角材や板材が外側に剥き出しになっている。あまつさえ全面に鏡を嵌めている囲いもあって、バックヤード的な光景は拡張されてゆく。美術館という西欧的制度、秩序に生じた綻びは増幅され、その中でヤンの私的な歴史や関係性に触れてゆく。

 

だが、大文字の歴史、国家や宗教をスライスした切断後の姿=モノへと還元された姿を見せる一方で、それらを無秩序に放置したり、モノそのものの声として語らせようとはしていない。整然とした配置には明らかな狙いが見える。バラしたモノたちの意味や由来をどこかへ再取り込み、再接続しようという意図と仕組みが見えてくる。根無し草である作者自身の小さな歴史、「私」の在り様と再接続させるネットワークの場なのか。

 

MAPのフロア分けから鑑賞順序に基づいて、「公」と「私」のゾーニングを乱暴に切り分けてみた。

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①:公・私を語るものがバランスよくマッチング、綻びなし

  (後のフロアに繰り返し登場するモチーフを提示)

②:「私」の現在の関係性

③:公の歴史(ベトナム戦争時代のケネディ政権)をスライス

④:公の歴史(キリスト教、宣教師)をスライス

⑤:公の歴史をスライス&「私」の在り様・歴史を配置

  +金継ぎ技術、クレイグ・マクナマラとの繋がり

⑥:「私」の現在の関係性( ≒ ②)

  +イサム・ノグチ、クレイグ・マクナマラとの繋がり

⑦ :公の歴史をスライス+「私」と接続( ≒ ⑥)

  (=イサム・ノグチ、クレイグ・マクナマラとの繋がり)

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ゾーン②、⑥では、ヤンの私的な関係性を平面作品群によって緊密に結び付け、そのネットワークを表出させる。

ピーター・ボンデ(絵画を学ぶことを止めるようヤンにアドバイスした美術の恩師)によるミラーフォイル上の油彩」、「フン・ヴォー(作者の父親)によるカリグラフィー」、「ハインツ・ピーター・クネス(恋人)によるヤンのミューズである甥を撮った写真」から構成される作品群は、全て一式で一つの作品(=タイトル『無題』)とされ、やはり意味の理解は容易ではない。

父親の書くブラックレターの英語は普通には読めず、読めても大した意味がなく(「You kill'ed your mother」とか「You're gonna die up there」といった、B級映画の台詞の断片のようなフレーズが丁寧に額装されて並ぶ)、ピーター・ボンデが鏡面に施すドローイングは抽象的な筆致のみで、これまた意味が無さそうだ。前に立つと鑑賞者の顔は筆致でボカされ、目の前の自分は自分なのか誰なのかが分からなくなる。そんな鏡面の連続は、ヤンのアイデンティティーの不確かさ:根無し草としての「私」を追体験させる装置なのだろうか? それともヤンという存在こそが、西欧人にとっての「西欧」的なるものを照らし返す鏡像であることを示しているのか? この鏡面の関係、本展示のタイトル、チラシのテキストが左右反転していることと無関係ではあるまい。

 

ゾーン③からは、アメリカの大きな歴史を物語る記念品が多数登場し、シャンデリア、ケネディ政権にまつわる家具などが配される。それらはベトナム戦争の政治的歴史を背景に持ち、ヤンの生い立ちへと深くリンクする。巨大な19世紀末のシャンデリアは輸送用パレットに包まれたままで床に置かれ、まるで移民・難民の移送現場のような様相を呈し、閣議室で使われていた木製の椅子はバラバラに分解されている。

ゾーン④ではキリスト教の歴史として宣教師の記録やキリスト像が配されるが、キリストが上下で切断された状態でスーツケースに込められている。殉教者のポストカード、アジアで1648年~1962年までに処刑されたカトリック殉教者の名を刻んだ大理石は、公的な「歴史」の作られ方を示しているようだ。

ゾーン⑤は混然としていて、アメリカの大文字の歴史とヤン個人の歴史とが混じり合う。ホワイトハウスの書簡や公的な書類、恋人からプレゼントされた車の鍵、1979年にシンガポールで撮られた家族写真(自分たちの家族の写真か?)など。丁寧に一枚ずつ提示されるホワイトハウスの書簡は、バレエのチケットを取ってくれてありがとうとか、君の秘書はマジ有能とか、わりと中身がない。

 

大部分を省略したが、このように鑑賞空間・行為が非直線的であることに加え、個々の作品自体が切断的であり、意味がスムーズに繋がらないことが、本展示の難しさに直結している。目の前のモノ、それらの接続先・あるいは切断元を見にいく必要があるだろう。作家や国家の背景、すなわち歴史との照合がどうしても不可欠なのだ。

  

4.再接続――継ぎ直される「私」たち

会場内で最も混乱させられたのは、公・私の二項対立に分類できない、第三の立ち位置のオブジェである。やはり説明を逃れたモノとして登場する以上、他の様々なオブジェと対等な存在感があるため、身動きが取れなくなり、どう捉えれば良いのか分からなくなった。

だがこうして全体像から振り返ってみると、それらは公の歴史に対する反証であり、また、私的な歴史や関係性を踏まえて提示された新たな接続可能性でもある。木材と、金塗り・金継ぎがそうだ。

 

目録で何度も登場する「クレイグ・マクナマラ所有のシエラ・オーチャード農場から切り出されたブラック・ウォールナット材の・・・」という妙に固有名詞のボリュームのあるタイトル名は、それに気付かせるための仕掛けだろう。シエラ・オーチャード農場で切り出された木材と、それらを使って作られたテーブルや台は、バラバラに分解されたケネディ政権閣議室の椅子との対置関係ではないか。クレイグ・マクナマラは、ケネディ政権時代に国務長官を務め、ベトナム戦争の指揮を執ったロバート・マクナマラの一人息子である。目録では二人の「マクナマラ」の名がひっきりなしに繰り返される。

目録の解説にはこうある。

ヴォーが、父の遺品を収集して展示するようになった時、クレイグ・マクマナラ氏はヴォーの作品のために果樹園とその木材を贈っている。 

 

何気なく床に置かれた木材は、時代と場所を超えて、ベトナム戦争に端を発する異邦人としてのヤンの人生に、新たな絆の在りようを象徴しているかのようだ。本展示の図録では、なんと本展示の作品や会場の記録を一切掲載せず、シエラ・オーチャード農場でヤンとクレイグ・マクマナラがこの木材を作っている写真ばかりで構成されていることから、非常に重要なテーマであることが伺える。

 

「金継ぎ」も同様に、分け隔てられているヤンとアメリカ、西欧なるものとを結び付ける重要なテーマである。

終盤で多数展開される金塗りの作品、天の川銀河の闇の奥にある巨大なブラックホールでは、コカ・コーラジョニー・ウォーカーの使用済み使用済み段ボールに金を塗ったり、アメリカ国旗を金で描いたものを、何枚も天井から吊るしている。コーラのラベルと同等に分かりやすく表面的なアイコンとしての「アメリカ」は、キラキラと金色に頭上で輝く。

これはポップアートや表象の問いかけというより、少し先の『無題』(かつてPXショップで売られていた、清川廣樹(漆芸舎)による金継ぎが施されたラッキー・ストライクのカートン箱)にあるように、割れ目を金で繋ぎ合わせて美しく修復する「金継ぎ」の概念の可能性を拡張し、自分と西欧との関係の語り口として転用したのではないだろうか。大文字の歴史や宗教は作家の手によりスライスできても(逆に、当人のアイデンティティーとの間に深い断絶を生じてたとしても)、日常生活に入り込み、日々、口にするものを切断することは出来ない。グローバルな輸送や大量消費の一部としてヤンの身体や生活はコーラや酒と関係を結んでいるということか。会場の床にはコカ・コーラジョニー・ウォーカーの空き瓶がしばしば並べ立てられ、作者滞在型の展示の場のような、謎の生活感が漂っている。

 

照明器具、光の彫刻であるイサム・ノグチ「あかり」シリーズ2点を「参考出品」していることも、ノグチの来歴―アメリカと日本のどちらにも属し、どちらとも選択できない生い立ちに対する、ヤンのシンパシーなのだろうか。

 

分け離されていた自己の歴史や在りようを、自身の身近な活動や関係性から手繰り寄せ、繋ぎ合わせる活動は、こうして集合体として俯瞰すると「現代アート」と呼べるものになるが、一つ一つはとても地味な行為であり、そのモノ自体も特別なものではない。私的な関係性から農場で木を育て、木材を切り出す作者とクレイグ・マクマナラの取り組みは、同じ「木」というモチーフでもヨーゼフ・ボイス「7000本の樫の木」(1982~87)と比較してみると、社会や「私達」の在りようと問いかけが昔とは根本的に異なる次元に来たのだと実感する。

 

 

語り足りないだろうし、全く正解とも思えないのだが、以上のような感想を抱いた。この言語化は、実に多くの時間と労力を費やされた。面白かった。

 

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 ( ´ - ` )完。