写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展/トークショー】R2.8/29_井上雄輔「CONTAINERS」@gallery176

スタイリッシュなコンテナの写真。無駄のない、洗練された姿は、何を物語っているのか。

gallery 176での個展とトーク内容について、直近の写真集『CONTAINERS IN TOKYO』の内容と比較しつつレポです。

 

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【会期】2020.8/28(金)~9/8(火)

 

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1.作品_本展示と写真集より

見ての通り、コンテナの写真である。

 

どの写真でもコンテナは真横を向いて、積み上げられたブロックのように静止している。実際には、海外から港に到着した荷物が物流網に乗り、首都高を走っていくところを高速シャッターで写し止められた姿である。厳密な条件設定のもとで撮影されているため、コンテナのみが画面中央に綺麗に収まっており、文字通り「コンテナ」以外の要素――それを運搬するトラックの運転席やタイヤ周り、荷台などは一切写っていない。「コンテナ」という形状とデザインが浮かび上がるのが、井上作品の特徴だ。

 

本展示と、2018年9月発刊の写真集『CONTAINERS IN TOKYO』の印象と大きく異なったのが、まさに「背景」の存在であった。写真集の作品の半数近くはコンテナの背後が白い曇天で飛んでおり、コンテナの色とロゴという記号性が浮かび上がっていて、それは都市のデザイン、巨大な看板といった趣での存在感を示していた。

写真集の末尾、写真評論家・タカザワケンジの寄稿文「瞬間のタイポロジーがまさにその点について言及している。私達の生活と物流との関わりに触れつつ、作者の厳密な撮影スタイル・撮影上の規則性と、デジタル一眼レフカメラによる高速シャッター撮影によって高速を走り去るコンテナを真横から捉えることを結び付け、タイポロジー(類型学、形式論的な写真)が時間軸上で体現されたものと評している。また、コンテナ自体の厳密に統一された規格と背景の無表情さは、シャーロット・コットンのいう「現代写真のクールさ」と、物流機能を備えた都市のクールさそのものであると締め括っている。

 

本展示では写真集の内容から更に思い切ったセレクトがなされ、「背景」がしっかり写り込んだ写真のみで構成されているため、「タイポロジー」の領域から別のものへ移行している印象が強い。

B0サイズのパネル5点とA2サイズのブック5点、大きく伸ばされることで、「背景」もまた、主役として、造形として「見る」ことに耐えうるコンテンツ量を備えている。

そこには大きく2つの要素が重ね合わせとなっている。

1点目は、繰り返し述べてきた通りのデザイン性である。箱を真横から撮っているので平面性から色と企業ロゴの強さが増す。走る広告塔のように文字は鮮やかで、遠目からでも「EVERGREEN」「MRERSK」「OOCL」といった誰もが目にしたことのあるロゴが認識できる。コンテナは物流のための保管と移動の装置としてだけでなく、企業PRの顔として積み上げられ、飛び回っているのだ。背景が不在の場合、このデザイン性が事実上、看板と化して強く引き立つ。

2点目も前述のとおり、立体のオブジェクトとしての性質である。波打つ箱の表面の凹凸・襞や、錆のディテールが平面性に確かな物性をもたらし、モノとしての質感を保持している。それでいて、程よい曇りの日に限定して撮影されているため、写り込む陰影は最低限に留まり、全体の平面性は保持されている。この独特の物性は、「都市」の造形が平面と直線の繰り返しと貼り合わせから構成されていることとリンクし、「都市」の奥行き、レイヤーの重なりを更に増幅する。

 

コンテナは、色と記号というデザイン、記号性だけでなく、周囲の高速道路の造形、背後の建築物の造形の予期せぬ姿形、凹凸、陰影と渡り合うオブジェクトの度合いを強め、その両者の重ね合わせの状態となっている。

これによって、インフラとして日常的に世話になりながら、目には見えていなかった「物流」が象徴的に、(写真集よりも更に明確に)可視化されたと言えるだろう。背景の写り込みによってドキュメンタリーの色合いが出てきたように感じる。

 

他方で、この重ね合わせの中に、詩情/私情が蓄えられる余地もまた生じる。なぜかコンテナは幼少期の朧げな記憶と結び付いているようで、その形状やロゴから微かに非日常の香りを覚える。海や湾岸部という何もない地が、非日常の特別な場所であった時分、憧憬の記憶を留める象徴物としてコンテナは働いていたらしい。解凍によって、私的な記憶のどこかをトリガーとなって刺激する。

それはやはり、日常生活の場でコンテナを目にする機会が稀であることも一因だろう。作者によれば、コンテナはいつでも走っているわけではなく、海運業や港湾関係が営業している日時に限られるという。非日常の旅で昂った情動、心象を投げ込む「箱」として機能していたのだろうか。

コンテナが都市の造形の構成の一部となりながら、背景に埋もれず主題して成立し得るのは、異世界への憧憬を孕んでいるがゆえの力なのだろうか。コンテナは、国境や地域といった地理的な移動だけでなく、私的な記憶の時間軸での遡上をも合わせ持っているのかも知れない。

 

 

2.トークより

トークでは、主に作品の変遷についてインタビューがなされた。

5年前に写真系のスクール(東京綜合写真専門学校)に入学。出された課題に応じて撮影したのが、川崎の工業地帯のコンテナであった。

最初期は止まって(停まって)いるコンテナをそのまま撮っていたのが、タイヤが写ると「はたらくくるま」感が強く、次第に余分な構成要素をそぎ落としてゆく。同時にワンパターンに陥るのを防ぐため、車道を移動している姿を追うようになり、今のスタイルに行き着いたという。高速道路側面のガードレールがトレーラーの車体、足回り部分をうまく隠し、本作のようにコンテナのみが浮き上がった。

背景の存在感が増しているのは、パターン化を防ぐためと、都市――東京の記録という意味合いも強いようだ。2020年の五輪に向けて都市は変化し続けており、撮っているうちにも道路や建物の補修が行われ、ビルが取り壊されたりしたという。本作が今後もどこまで続けられるのかは未知数のようだが、記録という観点が加わると更に変化していくだろうか。

 

・・・と、「記録」と言われて、その場では納得していたのだが、改めて写真集を見ていると、作品の「背景」の抽象度が高いため、東京のどこで何をバックに撮ったのか全く分からない。果たしてこれは「記録」と呼ぶのだろうか? 少なくとも鑑賞者にとっては、「背景」はどこまでも匿名のオブジェであり、終わらない空間の断片である。

切り取られた都市空間はスナップ的だろうか? 否である。本作は撮影条件や被写体の厳密性、フォームが構成要素として大きなウェイトを占めているため、スナップの雑多さや偶発性は否定される。

しかしその撮影行為は、言うならば狩猟に似ている。作者は撮影に適した地点を足で稼いで探し回り、首都高に望遠レンズを向け、コンテナがやってくるのをじっと待つ。単にコンテナなら何でも良いわけではなく、周囲・背景との相性も重要視しているため、3~4時間のあいだ集中して待機することもあるという。都市の物流の動きを読んで待ち、側面から1/2,500秒のシャッターで撃ち抜く。それは動物写真家、昆虫写真家が息を殺して待ち伏せる姿を連想させる。

 

コンテナの写真は、「都市」なる大きな非生物の生態へと接続されるかもしれない。あるいは逆に、更に規格やルールの研ぎ澄まされたタイポロジーの変種、現代アート的なフォームへと移行するかもしれない。都市空間という「背景」を得たことで、身近でありながら見えない「物流」なるものを可視化したドキュメンタリーの要素も備えている。今後どんな切り口が展開されるのか、興味深いところだ。

 

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( ´ - ` ) 完。