写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】R2.7/13_甲斐啓二郎「骨の髄 Down to the Bone」@大阪ニコンサロン

【会期】R2.7/9(木)~7/15(水)

 

作者は祭りの中に身を投じ、「倫理以前の人間の姿」に達した人々の姿を捉えていく。本展示ではこれまで発表してきた4ヵ国・5つの祭事(イングランド、日本、ジョージアボリビア)のシリーズをダイジェスト版のように特集している。

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「祭りの写真」から想像するものとはかなり異なる世界観だ。不穏なエネルギーが満ちていて、時にはまるで内戦や紛争のシーンのようですらある。よくある「祭りの写真」が、祭りの形態やフォーマットを外側から撮ったもの=形として収まっているのに対して、本作は「祭り」の型を記録するのではなく、カメラ・作家の眼が祭りという嵐の内側へ潜行し、参加者らの理性や制度の枷が外れた姿を見出している。

 

 分類の出来ない思考や感情のエネルギーを見て私はそれを「狂気」と呼んだ。集まった人の数だけ濃厚に昂り、湖の中のような場を形成している。参加者らは熱狂している。写真は無音だからとても静かに狂っている。顔と眼には深い酩酊と覚醒が折り重なっていて、その感情を読むことはできない。催眠術に掛かったような眼で、苦痛や不快さを意に介さず、自己の意思を超えた力と混ざり合っている。

 

彼らは祭りに没入しているが、祭りを楽しんでいるのとは全く違う。「楽しい」とは「自己」が確保されているときに抱く感想なのだと思うが、本作の世界は理不尽さにも似ていて、自己と他者の区分、自己の感情の境目がなくなる。

彼らはどこかへ向かっている。どこへ。分からない。ただし、どこかへ、ある方向へと向かっていく。その先にあるもの、中心にあるものは、はっきりとは示されない。ただ、寄せては返す波の中で漂い、泳ぎ、うろつき、構え、力を放とうとする者たちの横顔や後ろ姿が写し出される。剥き出しで、中から見た「祭り」の姿がある。

 

それぞれの祭りには伝統があり、形式とルールがあり、大枠としての進行手順がある。しかしその内部は巨大なサナギのようにとろけている。鑑賞者は作品から、相反するものを見る。一つは、ヒトという生物種が他の動物らと近い存在――人智の外側にある暴力的な生々しさを持った存在であること。もう一つは逆に、動物的本能による衣食住や性の営みとは別次元の、動物にとっては不要な営みにここまで没入している事実である。理解不能の領域である。 

ある特定の集落や地域では、定期的に催される「祭り」を核として、個人の生活から集落、組織のスケジュールや価値体系が編み上げられているというのは、珍しいことではない。例えば徳島市に移り住んだ友人は阿波踊りのために、岸和田市出身の知人はだんじり祭のために、年間のスケジュールが全て決まっている。終業後には会合があり、楽器や躍りの練習があり、一年かけて儀式が催されたりと、僅か数日の祭りのために「それ以外の」全ての時間がセットされている。

祭り、それは個人の好悪や価値観を超えたものであるにも関わらず、個人の生を深く貫き、どこかへと強烈に突き動かす力である。どこへ向かうのか。分からない。我々に強烈な渇望を与え続けるものであることは知っている。祭りなしでは「一年」という時間軸が、ひどくのっぺりしたものになってしまう――生も死もない場所になってしまうような覚束なさがある。

本作はその光と闇が激しく混ざり合い、混濁する、「祭り」の真っ只中を内側から見つめる。写っている参加者らが、どこへ向かうのか、どこに辿り着いたのか。それは、分からない。だがこの混迷した力の濃密な揺らぎは、喉の奥、脳の奥を掻き立ててくるものがある。何かの渇望を思い起こさせる。

 

 

( ´ - ` ) 

 

 

ここで終わろうかと思いましたが、せっかくなので、個別の祭りのシリーズについて、会場のキャプションを簡略化してメモしておきましょう。

 

 

◆「Shrove Tuesday」(イングランド

 現在のフットボールの原型とも言われている「Shrovetide Football」(シュローヴタイド・フットボール)を撮影したもの。ルールはほとんどなく、教会に入らない、人を殺さないの2点、後は何をやってもよし。町全体をフィールドとする。ボールは約2kg。

 

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写真は静謐で美しいが、YouTubeで動画を見たらもっと滅茶苦茶でびっくりした。なんじゃこれは。ワールドカップで優勝したときの群衆のような熱狂、大勢、密集、掴み合い。とにかく人だらけで、街が人間の海と化している。こんな中で巨大なボールを巡って戦っている。いやボールが見えない。普通にぶん殴ってるし、なにこれ、ボールどこ行ったの・・・ もはや目的が・・・  

 


Violent mass brawl erupts at UK's notorious Atherstone Ball Game: Extended

 

おいボールどこいった

殴っとるやないか(驚)

何が目的だったか全員覚えてないやろ

ただ皆が手当たり次第に殴り合ってるわけではなく、時折、何か気が満ちたらぶん殴りだすようだ。道頓堀に飛び込む時の妙な間合いに近い?ですかね。 

 

 

◆「骨の髄 Down to the Bone」(日本・秋田県

秋田県仙北郡美郷町、2/11~2/15で行われる「六郷のカマクラ」祭の「竹打ち」。

昔から酒造りが盛んな地域で、酒樽の材料として竹が豊富に使われていた。酒蔵同士のライバル心から自然発生的に生まれた祭事だという。 

 

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これも動画で見たらイメ―ジがあまりに違い過ぎてびびった。

 

(  >_<) 風雅なんだか荒々しいんだか分からない闘争。直接体で攻撃し合わず、めちゃめちゃ長い竹でびよんびよん叩くもどかしさに風雅を感じる。

しかし現地はもう闘争本能が沸き沸きしている。掛け声、歓声が阪神ファンよりやばい。

 


秋田の大バカ祭り、奇祭「六郷の竹うち」その1 Battle of Bamboo Festival Part1

 

竹打ちは三回戦やるようだが、何がどうなったらこれ「戦い」に決着が着くんだろうか・・・ とにかく長い竹がびよんびよんしなってて、相手をぶったたくこと自体が難しそう。もどかしさがまた燃えるのかも知れない。

 

 

動画を見ていたら、だんだん本作の展示の評とは、違う方向に認識が変容してきた。作者が実際に見て体験してきたのは、動画の方の、荒々しく危険ですらある闘争的な「祭り」であろう。水の中のような静止画の世界は表現としての果実であって、現場は怒気溢れる声と体が降りかかってくる、とてもカオスで生々しいものだ。

 

 

◆「Opens and Stands Up」(ジョージア

「Lelo」というフットボールのようなゲーム。 ジョージア(旧グルジア)西部グリア州のシュフティという村で毎年行われる。

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イングランドの「Shrovetide Football」にルールなどが類似している。ボールが16㎏もある点が大きな違いだ。何が入ってるんですかね。スーパーとかで売ってるお米が一袋10㎏ですから、おい無茶苦茶に重たいやないか。みんなもはやボール関係なく揉み合いたいだけなのでは...

 

 

◆「手負いの熊 Wounded Bears」(日本・長野県)

 だんだんそれぞれの祭りのヤバさが分かってきたけど、これもたいがい凄い。

長野県下高井郡野沢温泉村、1/13~1/15に行われる道祖神祭り」のクライマックス「火付け」の儀式。

祭りの主役は厄年の男性らで、「三夜講」(さんやこう)と呼ばれる42歳・41歳・40歳の3学年の男衆と、25歳の男性。彼らは仕事も休んで1週間以上かけて社殿を造り上げる。それは高さ10数m、横幅8mにもなる。めちゃくちゃ大きい。

「火付け」は文字通り、村民が火を付けようとしてくる儀式。

 

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祭りというよりは、闘争のような凄みに満ちた写真だ。

「社殿」の上は巨大な台座となり、「三夜講」のメンバーが座す。25歳男衆はその根元で構え、火のついた松明を手に火を付けようと襲撃を繰り返す村民から、社殿を守り続ける。

 

動画で見たらやはり想像とだいぶ違った。火の付いた大量の枝の束(簡易な松明)を手にした村民、向かっていって25歳の男衆らをバチバチ叩いている。叩いてる! ひいい! 火でたたいてる!! 一定間隔でリズムを取りながら襲撃するので、掛け声や歌に合わせているのだろうか。

 


日本一の火祭り<野沢温泉の道祖神祭り>2018・4K

 

(><)バチバチー。

 

いやこれ めっちゃバチバチいうてますやん。ものすごい燃えてるし

火のついた枝で人を叩くっていうビジュアルがもう凄すぎる。私が野沢温泉に生まれてたら人生詰んでたな。逃げられない祭りだ。

社殿の上にけっこうな人数が乗ってるのも恐ろしい。誰がこんな設定を考えたんだ。容赦なさすぎる上に見応えがありすぎる。いつの時代でも名プロデューサーがいたんでしょうなあ。

 

これは新型コロナが収まったらぜひ観に行きたい。

 

 

◆「Charanga」(ボリビア

 毎年5/3にボリビア中央部のポトシ県・マチャで行われる「Tinku」(ティンク)というケンカ祭りを撮ったもの。インカ帝国以前からあるとのこと。

歌、楽器、踊りと、素手での殴り合い。広場を歩き、他の集落のグループと出会うと喧嘩開始。血が出るまで殴り合うのは、流れた血を母なる大地の神に捧げて豊作を祈るためだという。

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この祭りの写真だけは他の作品と異なり、何をしているかがとても明確だった。観衆が取り巻く円陣の中で、二人の人物が相対し、素手で闘う。実にシンプルだ。警察が大勢見えるので、程々の所で止めに入るようだ。

 


Tinku: Ritual boliviano de luta e colheita

動画でも探してみたが、この円陣、闘う者と観客という境界ははっきりしているときもあれば、崩れて曖昧な時も多い。始まりは、異なる集落同士が出会うとグチャグチャッとした感じで入り乱れ、手の早い者が仕掛け出して、なし崩し的に喧嘩が始まる。

基本は1対1の殴り合い。わりと容赦がない。バチーン。本気やないか。こんな祭り絶対にいやだ。バチーン。強いもの同士の闘いだと、間に入るのも、場を崩すのもアレだということで、皆、円陣形式になるんではなかろうか。場の全体が盛り上がっていて、とりとめのついていない状態だと、誰かしら適当に襲撃していく形になり、観客の円陣も崩れて乱戦模様になり、警察が割って入るなど。

 

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ふうー。

 

( ´ - ` ) 祭りの動画は胃がもたれる。。。

 

しかし動画を見たら、何かこう腹に落ちてきて納得した。

 

前段で文章を書いてたときに、妙に筆が進まず、何をどう書いても空振りし、何かイヤな予感がしていたが、やはりそうだった。

作者は実際に現場を見て、身を浸して得た凄まじさから言葉と写真を編み出しているが、私はどこか美しく静謐なムードの写真「だけ」から意味を読もうとしたため、決定的に何かが食い違ってしまい、言葉を結べなかったようだ。動画を見てよく分かった。

 

祭り、とんでもない世界である。自分でも火祭りをいくつか観に行ったことがあるが、日常生活が長いとあの熱狂も忘れてしまうものだ。

勿論、動画の方が正確で良いとか、写真の情報量には限界があるとか、そういう話には還元したくない。どちらも味わうと、「祭り」の世界観の幅が広がる。その意味では、客観的に外側から撮った動画では、参加者らの主観が宿している狂気の中身は分からない。

個が溶けて行くようなパーソナルの内面に迫れるのは、写真の静けさならではの技かも知れない。

 

 

祭り行きたい、、

 

( ´ - ` ) 完。