写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】R2.7/18_荒井俊明「カムナビ」@大阪ニコンサロン

【会期】2020.7/16(木)~7/22(水)

 

「陰」がよく効いたモノクロームで撮られた様々な山の中は、作者自身が山に抱く畏敬の念と相伴って、異界としての姿を現す。

 

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カムナビ=「神奈備」とは、神の霊が鎮座する山や森を指す言葉で、日本古来の神道に由来する。

実際に山や森に入った時にも、歴史を刻んだ石碑や巨石、社の存在によっても、そうした信仰が受け継がれてきたことを察することができるだろう。

 

本作では古びた社や狐の像といった信仰の残置物もさることながら、魔物のように姿かたちを揺らめかせる樹々、岩、森の方が多く登場する。これもまた実際に、山や森へと深く立ち入った時に体験することだが、平時は「植物」や「岩」や「地形」として区分/整理して捉えられているものたちが、どこかから・いつしか、境目を失って、巨大な生命?零体?のように、こちらの全身に迫ってくるのだ。特に低山の登山で、天気が悪かったり、疲労が積もってくると境目は消失しやすい。

 

例えば私のように心身をサブカルに侵された不届き者であれば、この魔性の現れをまた「比類なき化け物の棲み処!これは魔界じゃ!」とみだりに喜び、写真という近代光学機器の力に依存しながら(なんだかんだで安全なので)イメージを採集するところであるが、作者は全く逆で、本気で恐れを抱き、敬意を払って接している。

会場で話をさせていただいたが、一番強く残っている言葉が「山に入るときは、塩と数珠を必ず持って行って下さい!」という警句だった。「本当に恐いので」と、有無を言わせぬ真剣さがあった。

もちろんサブカルクソ野郎である私は、そんな敬虔な発想は微塵もなく、というより、これまで参考にしてきた多数の登山指南書やWebサイトには、山の装備に「塩」「お数珠」と書かれたものはなかった。森や山を近代スポーツ的な観点で分析すると、そういうことになるのかも知れない。

 

作者の言葉に向き合うならば、山や森は現在進行形で生きている「神域」なのである。作品のコンセプトとして、歴史や民俗学からの学びとして、距離を持った意味として語られる「カムナビ」ではなく、そこは今まさに超常の力が宿っている現場なのである。その意味では、山を撮影の舞台・主題とする他の写真家らとも、心の置き所がまた少し(大きく)違うかもしれない。

 

作者は「いつもヒヤヒヤしながら撮っている」と語りつつも、そんな思いをして、なぜ撮りに行ってしまうのですかと尋ねると「それは、ぞわぞわするものを撮りたいって思うでしょう?」とのこと。鳥肌が立つぐらい「感じる」らしい。ただ事ではない。

そんな場の力を敏感に感じ、そこから先へ踏み込めないほどに強く覚える畏怖の念を、写真家としての欲が少しばかり勝った結果が、これらの作品なのだ。そんな相反する力が一人の人間の中に渦巻いているのは興味深い。

いや、写真が近代の光学技術=前近代の闇を明るくするものだとすれば、理に適っていると言うべきだろうか。「写真(家)」という力は、「ヒト」と「神域」との間に走る深い谷間を上空から見おろし、人工衛星のように無線を送り、ヒトをナビゲートし、谷間を迂回させ乗り越えさせてゆくのかも知れない。

 

だが作者も、恐れを語るだけではない。時折差し挟まれる人工物や、首のとれた狐の像のカットは、山が人の手によりみだりに管理・開発されたかと思えば、林業も廃れて放置され、かつての信仰の場も野晒しになっていること――神域が乱れてしまっていることを指摘する。

私がとても見入ってしまったカットがある。真っ黒い南方系の樹木のような出で立ちのイノシシが、柵の中にいる。科学的に見ればそれは、人間の畑作を荒らすので駆除目的で捕らえられた害獣ということになる。作者はそれを樹とも化け物ともつかぬ黒い禍々しい何かとして現わした。そこには人間の手には負えるものではない力としての「自然」観が反映されている。

 

神域の結界が乱れると、山は力を無くすのではなく、力のバランスが失われて不安定になる、はっきりと覚えてはいないがそのような話に至ったような印象がある。魔性のような樹々、岩が蠢いているイメージは、祭事や祭壇の喪失から制御を失った神の力が、そこいら中へと漏れ出て、人と神の分離帯が見失われた結果なのかも知れない。

 

 

だが私はどうもそういうのが好きだ。これぞカオスの場。都市空間はカオスを排除することで成り立っていて、私はつらいのです。ああ無性に山に入りたい。塩と数珠の準備でもしますか。

 

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( ´ - ` ) 完。