写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】ヒガシジユウイチロウ「A=A A≠A (building)」@KOBE 819 GALLERY

【写真展】ヒガシジユウイチロウ「A=A A≠A (building)」@KOBE 819 GALLERY

コピーの連続の中で、イメージの連続性は失われ、別のものへと転化する。それは社会における時の流れ、歴史もまた同じなのではないか。

【会期】2019.11/9(土)~11/17(日)

 

作者の手法は尖っている。モノクロの原稿Aをコピーし、得られた複写Aを、更にコピーする。この操作を2000回繰り返す。

するとデータが劣化を起こし、徐々に情報が抜け落ちてゆく。色の薄い部分は次第にデータの無い状態、白色に至り、それが画面を逆浸食してゆく。試行500回のあたりで像のディテールは細胞壁の集合体のようになり、セルの輪郭線を残してグラデーションの薄い部分が抜け落ちる。1000回に至る頃には全体像としての形そのものが大きく欠落し、残骸のようで、死んだ細胞の塊、枯れた葉の葉脈と呼ばざるを得ない姿に変貌する。それ以降、2000回に向かっては大きな変化はなく、全体がどんどん縮小する。

本来、コピーは元のデータを「写す」ものなので、これらは元の形態を維持した「A=A」となるはずだった。だが試行回数を増すうちに、作家の想定を超えて情報の劣化、イメージの変質が起き、結果的に、どこからかの時点で「A≠A」となることが明らかとなった。

その発見を元に、試行のアクション自体を展示・作品として徹底的に見せてきたのが2017年頃からの活動であり、2018年「KG+」で私が本作と遭遇したのもまさにこの時期だった。

 

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当時は、情報の複製を過剰に試行することで、情報が情報でなくなる、イメージがイメージでなくなる現象を観客に突き付けた。それは「写真」はどこから写真でなくなるのか、という議論も孕んでいた。数学的な手法により過剰に情報を扱うスタイルは、漫画家の小林銅蟲と似ていると感じた。ただし小林が数値を爆発的に巨大化させる「巨大数」を扱い、しばしば作品内で絵柄や物語を増幅で「バグ」らせるのに対し、ヒガシジは極端に情報を減算させ、ゼロに極限まで近づいていく点は真逆である。 

 

そして本展示からは、作成工程を見せる段階からいよいよ作品自体を鑑賞・評価の対象として提示することを目標とし、「2000回の複製」という手法、それによる情報劣化の過程は伏せられている。会場にあるのは、木箱に収められた写真集のようなブロックであった。だがこれは、写真集ではなく、めくることもはできない。1ブロック500枚のコピー写真が接着され固められた、イメージのオブジェなのだ。

まず会場に入って私が行ったことが、逡巡だった。「この写真集のようなものは、めくって中を見てもよいのかどうか?」しかしどうも構造上めくれないように出来ているようだ。そして会場にもステートメントにも「触らないでください」とも「手に取ってめくってください」とも書いていない。内容の解釈以前に、この「作品」とどう関係を結べば良いのか、そこからが大きな問いかけとなっていた。

 

結局、居合わせたギャラリーオーナー・野元氏に話しかけることになる。本作の始まりはそこからだった。

野元氏の語りを聴くことによって、本作の主眼としているところが徐々に判明していった。まず、作品の物理的な取り扱いについては、「これらは1枚1枚ちゃんとコピーされているが、全ページが接着されているので、めくることができない」とのことだ。よって、断面に見る紙の積み重なりの質感を元に、鑑賞者は頭の中でページをめくることになる。

そして最大のポイントが、本作の主題となっている物件である。見覚えのある「原爆ドーム」のようで、何か少し違う。これは「広島県物産陳列館」である。この建物が原爆によって破壊され、終戦後に保存、改修などを施されて、現在の「原爆ドーム」へと辿り着く。

作者が「原爆ドーム」ならぬ、「広島県物産陳列館」を題材に選んだのは、戦前から戦中にかけての時代区分の曖昧さを指摘するためだと考えられよう。確かに、太平洋戦争の開戦日は1941年12月8日、広島への原爆投下は1945年8月6日、終戦日は同年8月15日と、歴史としての刻みは揺るぎなく確定されている。それに伴って、政府や企業の内側では、あるいは制度、あるいは広島や長崎では、それこそ一夜にして別の世界に切り替わるような激変に見舞われたのだろう。

しかし、戦前・戦中・戦後といった時代区分は便宜上の分類である。日本列島の隅々が、ある日突然にして別の世界に切り替わったわけではなく、地域差、個人差もありつつ、1日1日の連続性を経ながら徐々に変化していったことは注意すべきだろう。この連続性こそ、本作「A=A A≠A」が孕む制作過程や思考の特性とリンクするものだ。

 

これが「原爆ドーム」だったなら、それは記号化された「ヒロシマ」を即座に指し、スムーズに「戦後」、それも戦争反省というメッセージを付与されたアイコンとして即座に機能してしまう。その時の「A=A」と「A≠A」は、「戦後日本」(=戦争反省国家)という共同幻想が、同語反復の中で劣化し、やがて力尽きてゆくことを暗喩するものとなっていただろう。それはそれで興味深い作品となっただろうが、やや一義的なものに留まったかも知れない。

 

作家とギャラリストが俯瞰する射程は更にその先にある。彼らが企てたのは歴史的俯瞰からの現代批判である。

彼らの狙うところは、「戦後」という共同幻想の開始1日前、2日前、…n日前のどこかからか存在していたはずの「戦中」、そしてそれ以前の「戦前」なる世界へ、我々の眼差しを立ち返らせることだ。そのためには、固定されたアイコンとしての「原爆ドーム」ではなく、その前身を語る記憶としてのイメージが必要だった。そして、歴史としては語られることなく丸められてしまう単位としての1日、1+1日、2+1日、…n+1日…を経るうちに、当時の内外の状況が変化し、同じ「昭和」がまるきり性格の異なる国へと変貌していったことを、顧みる。

広島県物産陳列館が建てられた1915年には、日清、日露の2つの戦争を経て急速に工業化を進め、産業振興に沸いていたという。だが、世界恐慌関東大震災で不況が強まり、日中戦争、太平洋戦争へと歩みを進めるにつれ、文化や産業の賑わいは、軍国の色合いを強めてゆく。1943年には陳列館の全ての展示室が軍のために使われた。移ろう日々の中で、当初の姿から思いも付かない別の何かへと変質していった陳列館、広島という町、日本というものと、本作とは何か連動するものがあるだろう。

 

そうして一度、過去へ投げかけた眼差しは、「現代」へ再び帰ってこなければならない。何故なら、現代の状況が非常にまずいことになっているから――はっきりと言うと、安倍政権とその周囲に居並ぶ者たちの感性、発想が、まるでかつての輝かしき神国の幻想へ、回帰したがっているように見えてならないからだ。戦後日本という、現代を牽引してきた幻想(=現実の生)を超えたところにある、美しく輝かしき本物の幻想・神の国(=現実の死)への憧憬である。政府与党とその周辺、それを支持する識者、一般人ら問わずの度重なる放言、強弁、断絶は、民の現実的な暮らしの安定を否定せんばかりの美しさと暴力に満ちている。

 

それは、まさに「戦中」への回帰を望む感性なのではないか。本作は、その危機感を作家とギャラリスト:ヒガシジ・野元が共有した中で構築されたものと言えよう。

 

展示をひとしきり見終えると、正面のカウンターに立てかけられた作品が少し風変りであることに気付く。コピー1枚目、最初の「A」のイメージがくり抜かれて、鏡が挿入されている。

 

これが、「戦前」「戦中」「戦後」を経て、「今」に戻ってくるための仕掛けだ。作品を見ようとすれば、今そこにいる鑑賞者自身が避け難く目に映ってしまう。時空トリップからの強制着地だ。

作品に切り込みを入れて異物を挿入することを作家が了解したのは、それだけの必要性があったのだろう。それが前述のいう危機感、現代への批判意識なのだと思う。

 

会場で話題になったのが、展示の動線である。こうして正面のカウンターにて、自己=現在に向き合った後は、会場の構成上、またぐるっと回って入口へと引き返さねばならない。それは奇しくも、「現在」から戦前、戦中の世界へ回帰してしまう流れになっているのだ。最も批判し乗り越えんとしていたはずの円環を、展示会場自体が具現化しているという、皮肉な構造になっている。

個人的には、それは現状への批判が正しく行われた結果なのだと感じた。本企画では、作品の制作はヒガシジ氏が、会場の構成、展開方法を野元氏が、それぞれ明確に分けて担当している。そのため、作者の想いを受けつつも、また異なる視点で場が作られたことが、一定の批評性を呼び込んだと思われる。

「今」の先には、ビルの窓、白いカーテンしかない。それはまるで、現政権、あるいは我々大人たちが将来の日本について、何のビジョンも示すことが出来なかったことの照り返しのようだ。そうなのだ。残念ながら、私達の胸の中には、「こうありたい」という「日本」の像が、無かったのだ。「どうすればいいんでしょうかね、」「ロックでも流しましょうか、」と、まるで60~70年代の人達のようなことを言って苦笑いをした。 

 

面白かった。

 

現状では正直言って、こうした意味体系を理解することは、ギャラリストか作者のガイド抜きでは不可能である。熱心に長時間語ってくれる中で、こちらも応答し、総じて作品との対話となる中で、鑑賞者は、ボン、と置かれたコピーの塊のことを、仮想の写真集として脳内で何枚も何枚もめくることが出来るようになる。そうして、徐々に移ろいゆく画像の変質とともに、戦前の広島の景色を思い、戦中、戦後へ変容していくグラデーションを思い、徐々に戦中・神国への回帰を匂わせる現代の日々のことを思うようになる。

それはなかなかに長い道のりだ。この、作品との合意形成の過程を、純粋に展示で実現できれば良いのだが。他の会場で展開したときに、必ずしもプレゼンに長けた人間が在中できるとは限らない。写真から構成されてはいるが、現代美術の彫刻、インスタレーションに近い展示のため、写真の読み方とは全く異なる態度が要される。鑑賞者の層が写真圏とはまた異なり、意味が分からないまま退出してしまう来場者も多いかもしれない。

よって、一つには、作者が手間暇をかけ、体で作業して生成したコピーの束を、やはり鑑賞者も体を使ってめくる、読むといった、物理的な参加――対価の発生しない労働を行うことが必要なのではないだろうか。現状では、その労働はプレゼンを聴く、ディスカッションを行う、という形で成されているため、それを鑑賞者の体の作業に戻すのも面白いと思う。映像やキャプションを工夫することで、作品には指一本触れずに「コピーを(頭の中で)めくる」労働に代わる体験を催させることも可能かもしれない。いずれも簡単ではないが、伸びしろが多い展示だと思った。

 

 

( ´ - ` ) 

 

最後に補足。

本来、写真を論じる時には、まず写真史を参照し、写真としての文脈上の価値を論じるべきであって、こうした現政権への不満や不安を語ることは、「正しい」写真評論ではないと重々自覚している。

であればそのような正しい評論は、「正しい」評論家の方にお任せしたいと思う。なぜなら、既に「表現」が現政権の判断、およびその周辺の関係機関や識者などの配慮、感性によって、排除・抑圧されているからだ。現在進行形で、実際に新聞沙汰の事件が起きている。“文句を言わず、この国の美しさに参加せよ。” このような要請に対して何か抗弁しなければ、「表現」は今後立ち直れなくなるかもしれない。私はそうした状況が不満だ。「不快な」表現を許さないという空気が、私には不満だ。

もしも最後までこうした状況に文句を言える人種がいるとすれば、それはアーティストしかいないと思っている。一般民間人は、自身の生活を維持するだけで精一杯だからだ。よって、表現者の思考・思想に呼応する言葉が必要だと実感する。これを何と呼ぶのかは後回しにして、私はとにかく現状に即して書こうと思った次第でございます。合掌。 

 

( ´ - ` ) 完。