nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】鈴木育郎「終夏」(2019.10/5 トークショー/社会学者・岸政彦)@HIJU GALLERY

「今日はアートと技術の話が全くないね」「生き方です生き方」「食いもんが良くて女の子が可愛いっていう」 鈴木育郎と岸政彦の飾らない喋りは異様なドライブ感を伴った。しびれました。 

【会期】2019.9/14~10/14

 

 

 

社会学者にして小説家の岸氏がトークに招かれたのは、以前に雑誌の撮影(太田出版『atプラス28』2016年6月発刊、生活史特集号の表紙撮影)にて、鈴木氏がカメラマンを務めたことに端を発する。その時の鈴木氏の印象を、真っ赤なコートで、手ぶらで、ぼろぼろのニコン1台だけ持っていて、「男」丸出し、何か強烈にかっこよかったという。写真は京橋の商店街で撮られた。

以来、付き合いが始まり、岸氏の小説『ビニール傘』(新潮社、2017年1月)の表紙や作中での写真撮影を鈴木氏が務めたり、逆に鈴木氏の写真集『月夜』(日販アイピーエス、2018年3月)の後書きを岸氏が執筆するといった形で関係が続いている。

 

トークと写真集から鈴木育郎という写真家について分かったことは、「食いもんが良い」「女の子が可愛い」「写真やめたいんすよ」という3本立てだった。以下、話の順序を入れ替えつつメモをまとめる。

 

1.「食いもんが良い」

岸氏が終盤のまとめに入る頃に繰り返した言葉で、これで実際、鈴木作品はかなり総括されている。次の「女の子が可愛い」と共に、まさに言葉の通り、言語化するとそうとしか言えない。そういう作品群である。更に鈴木氏の「やっぱ食いもんと女の子ですね」の追い打ちが、異様に端的に、刺さる。

だが、当の写真が食べ物と女性を優れて美しく可愛く撮ったものかというと、少し意味が違う。確かに食い物と女の子の写真が非常に多いが、一般的に想像されるような、綺麗で「映える」写真とは前提が異なっている。「映え」てはいない。ただ受け容れるしかない強固な現実としてそれらは作者の目の前に在る・居るのだ。そこに美化はない。美化の余地がないぐらいに食い物と女の子が在る・居るのだ。

とにかく作中では食べ物、果物と女の子とが頻繁に登場し、あとは鈴木氏の従事する鳶職の工事現場や同僚、主に仕事で行った先の日常的な光景などが順々に繰り返される。実際に鈴木氏は味にもこだわりがあり、ラーメンでもオムライスでも、美味い店とそうでない店があり、一度美味い店を知ると舌が肥えるし、本当に美味い店には繰り返し通っているとの話であった。食べるということ。人に会うこと、異性に会うことと並んで重要なこと。それは非常時にも揺るぐことがない。例え311の震災当日の状況が撮られていたとしても、カタストロフィー自体が主たるテーマとなることはない。震災当日を含めたその他多くの日々を「生きる」こと、そのものが撮られている。

ギャラリー内の展示作品だけだと「日常」を「日記」のように撮ったのかな、という感想に留まった。しかし机上に並んだ多数の写真集をめくっていくと、どの写真集でも女の子と食べ物が尋常でない頻度で登場し、複数ページに亘って連続し、単なる日常や日記と呼べるものではなくなっている。肉感的な引力の波に引き込まれることこの上ない。ギャラリーの壁面でA4サイズで流し見してゆくのと、1枚ずつめくって見ていくのとでは写真の重みはかなり異なり、食べ物は重く腹に響いてくる。原理は分からない。ただただ無視できなくなってゆく。

 

鈴木作品の鑑賞に当たっては、必ず写真集を読むべきだ、それも複数冊読むべきだ。流し読みでも全然良いから、とにかく体を使って「めくる」ことが重要だ。めくり続けると、食べ物の連続でボディブローが効いてきて一種ラリった状態になる、これでもかと追い打ちを掛けてくる凄みを嫌でも体感できる。食べ物の写真のボリュームと連続は確実に脳のどこかを刺激して、鑑賞者の心身に変調をもたらす。それらの写真は、私達から一方的に見られるものではなく、また作者によって一方的に見られたものの記録にもなっておらず、食べ物がこちらを見つめてくるのだ。眼鼻がないにも関わらず、こちらを見てくる写真だ。脳を押され過ぎてぎておかしくなってしまったのだろうか? 点が三つで逆三角形を成しているので顔のように見える、といった錯視の話ではない。寿司や焼き鳥、葡萄などがこちらを見てくるのだ。そういう体験は今までしたことがないが、日常を軽やかに切り取ったというだけではこうはならない。作者の飾らない並ならぬ欲望が、食材を、果実を変質させてしまうのか。

距離感のせいだ。この距離感は明らかに作者にとって対等で重要な存在、一対一の関係性だ。注意を付したいのは、女性と食べ物が等価で交換可能という、性による一方的消費の視線の構造などではないことだ。つまり写真家の欲望の眼差しを見る、という文体ではない。鈴木育郎という一人の、一個の人間が生存するために不可欠で重要で素晴らしい存在、である。そのことが写っている。その関係性の取り結びの結果が、幾度となく繰り返される食い物と女の子の写真であり、それを何度も繰り返す写真集という形態である。食い物の写真の方が物量としては多い。当然かも知れない、私達は習慣として1日3食を欠かさない。それは根源的な生のリズムとなっていて、食事の都度、私達は喜びと活力を得る。そのシンプルな事実に立脚した鈴木氏の視座は、今、食べ物が目の前にあるという事実を最大限に受け容れる、圧倒的受容の眼差しだ。そのことが、肉や果実の膨らみ、輝き、潤いの中で、食べ物がこちらを見てくるような存在として立ち上がらせるのである。

 

 

中でも特に目を引いた食べ物の写真として、オムライスのことが話題に上った。

それはギャラリー内の作品群でも繰り返し登場し、「日常」の中で特別な印象をもたらす。鈴木氏はこのモチーフを重要視しているような気配を度々見せ、核心的な話になりそうになるところで、度々、答えはふっと逸らされた。「なんでオムライスかって、分かったんすよ!」 その結論は? と言うと、トマト、卵、肉から成り、トマトと鶏肉とライスが混ぜ合わさり、それらを卵が覆う様は、唯一の被爆国としての、焼け爛れた日本の大地に希望が覆いかぶさって、何かほっとする感じの…ネガティブなものを覆い隠す… と二度ほど語っては岸氏に制止されていた。

もはや絶望的に意味は分からないが、とにかく個人的に重要であることはよく伝わった。卵が内部を覆って膨らんでいること、ケチャップの赤いツヤや膨らみが魅惑的であることは、実によく伝わる。それが大切な女性のような親しみをもって、暮らしのそこに居るということも、伝わってくる。いや、と言うよりも、そうやってオムライス一つでとんでもないストーリーを一生懸命語り、わけが分からないなりに、こちらに何かを伝えてくれようとしている気持ちにさせるあたりに、被写体となった人達は心を許し、笑顔を鈴木氏のカメラに向けてきたのだろうなと感じた。この独特な、少年とも青年ともつかぬ熱っぽさが、女性たちの心を動かしてきた気がする。飾らない熱。

同業の鳶の職人が車中で食べるフランクフルトのシーンなど、飯が美味いということはこういうことなんだよと繰り返し撮っていく。鈴木氏の写真は問う写真、暴く写真ではない。受け容れる写真だ。飯を「食う」写真だ。食うことは行為そのものであり、欲望の後に来る行為だ。また、対象を自己と一体化するという意味では、非常に積極的な、最大限の受容とも言えるだろう。だから鈴木作品には視線の欲望を感じない。

 

トークでも「欲」について「最近では写真の自己顕示欲は無くなってきたが、食欲と性欲は無くならない」と語っており、とはいえ恋愛関係については誰彼構わずということでもなく、情動に駆られての性愛はご卒業といった感じであった。ただ、食欲、ことに植物、果物に対する関心はかなりのもので、元来から強いものがあり、鳶職で稼いだお金を果物の木や苗の購入にばんばん充てては実家に植え、それをまた父親にことごとく伐採されたというエピソードが語られた。

こうした植物、果物を巡る作者との関係は、「写真でなくても表現できるんすよ」という話、創造行為としての育成の話に結びついていく。

 

2.「女の子が可愛い」

食べ物と並んで重要なモチーフが、親密で、素敵な表情をする女性たちの存在である。彼女らは作者と何かしらの関係を結んでいる。それは性愛に限らない。出会ったり、会話をしたり、酒を飲んだり、口説いたり、別れたり…そうした中で撮る・撮られるの関係に至ったものだ。だが「私写真」とも異なっている。私写真は写真家たる「私」が世界=文体の基盤となる。鈴木氏の写真は「私」性が意外と薄い。鈴木育郎という「俺」のフィルターを透された上で、現実世界の様々な事柄が写されているのだが、鈴木氏個人の肉感や欲望に依らないもの、もう少し上澄みにある、相手との関係性自体、関係における了解の後の状況を撮っているようだ。岸氏はそうした鈴木氏の文体を「優しさ」と表現した。

 

トークで強調されたのが「相手が嫌がる写真は出したくない」「悪い写真は撮りたくない」「相手に見せられなきゃ意味無い、自分だけ良くても意味無い」ということだった。こんなに明確に言語化されるとは思わなかったので意外だった。写真集『月夜』などで登場する女性たちは、裸や自傷の痕など心身の露出度も高く、より踏み込んだ写真となっている。だからきっとガンガン女性の内部へ迫っていこうとするタイプなのかもしれないと早合点した。確かに『月夜』撮影当時、2010~2011年にかけてはまだ写真表現の自己顕示欲が昂っていて、ギラギラしていた頃だったらしい。だがその時でも相手には写真を渡して了解を得ており、喜ばれない・見せられないと判断したものは表に出していないのだそうだ。

表現として絵になる、美しいに決まっていると分かり切っている瞬間があることは重々承知しつつも、「別れ際の泣いてる顔とか、センチメンタルで良いに決まってるけど、何でも撮りゃいいってもんじゃない」と、明確な一線を引いている。1985年生まれ。写真に深入りするきっかけは20代前半、バンド時代に出会った荒木経惟の『荒木経惟写真全集3 陽子』。荒木の写真は簡単そうに見えるが、実際に撮ってみると非常に難しいということが分かり、そこから写真にハマっていった。しかし写真に対するスタンス、被写体との関係性は荒木経惟と根柢で異なる。むしろ同じHIJU GALLERYで先日トークを行った浦芝眞史、赤鹿麻耶ら、同世代の写真家らのスタンスに極めて近い。写真・フレーミングの暴力性に非常に自覚的であること、被写体との関係性に必ず注意を払い、了解を前提としている感性が大いに共通しているのだ。

 

被写体の女の子の話になると鈴木氏は「いやー、切ないんすよー」「ほろ苦いんですよー」と苦しそうに言った。

連絡先も交換していない人も多いだろう。交換していても身辺の状況が変われば、結婚したり引っ越したりで途切れた人は多いだろう、あるいは311の震災を境に連絡が付かなくなった人も多いだろう。「切ない」という気持ちの意味は、単なる恋愛上の喪失感やすれ違いの傷に留まらない気がした。性別を超えて、個人間の出会いと別れに伴う切なさのことかもしれない。そもそも現世を「生きる」上でつきまとう何か普遍的な虚しさ、儚さ、揺れ動く心持ちを、作者は敏感に、常に身に負っているのかも知れない。そのため日常の食事や風景を繰り返し、大量に、執拗に何度でも撮るのかも知れない。必然的な生の儚さゆえに。

 

もう一点、写真家ならではの切なさもある。写真と、その中で素敵な笑顔を浮かべる女性たちとの間にある距離感だ。

「写真を撮ってなかったら、彼女らの顔は思い出せる」「写真を撮ってたら、写真の記憶になってしまう」そのことに自覚的でありながら、しかし鈴木氏は、今後がどうなるかは別としても、少なくとも今日までは写真家であったから、写真を撮らずにはいられない。撮り、写真集に編み、世に発表することと、自身が「生きる」こととを切り離すことは出来なかった。その心境は最近変化しているとみられるが、写真家であり続ける限りは、写真、被写体、記憶との三角関係は永遠に続くだろう。写真を撮れば、その人・個人との関係は、被写体との記憶、写真との関係にすり替わってしまう。鈴木氏が撮る「関係性」は、写真のための関係ではなく、生の出会いや対面の喜びに満ちていて、そのあとにシャッターが切られている。写真に溺れず、そのバランス感覚を維持し続けるだけの、強靭な体幹、筋力を維持していることは特筆すべきだろう。

  

3.「写真やめたいんすよ」 

鈴木育郎の写真家としてのキャリアは、写真集『解業』(げごう)が2013年度・写真新世紀のグランプリを獲得してから本格化した。しかし本人によれば「オファーがないんで」「放っとかれてるんで」と、特に大きな露出があるわけではなく、むしろ「営業したくないんす」と強調した。爆笑した。営業したくない。こんなに後ろ向きなコメントをはっきりと朗々と写真家の口から聴けたのは貴重な機会だったかもしれない。この人のことが好きになった。蜷川実花が1996年に同じ写真新世紀で優秀賞を取って写真家デビューした際には、出版社各社に作品を送りまくって営業をかけたと言われるが、見事に真逆である。なんて飾らない人だろうか。この人のことは信頼できる、と思った。

 

それでどうやって食べているかというと、鳶職で収入を得ている。私には鳶職の仕組みがよく分かっていないのだが、写真活動をし、資金がなくなれば鳶をして貯えを作る、という比較的マイペースな生活サイクルを送っているようだ。実際今回の展示においても、基本的にHIJU GALLERYはギャラリー代を作家から取らないのだが、プリント等の準備によってお金がなくなり、また鳶の仕事を入れて苦境を凌いでいるとのことだ。現在の現場は福井県で、この日も移動して会場にやって来た。「前借してて大変なんすよ」「プリント代計算してないっす」「半額は払いましたよ」「払ってたら生活できてない」恐ろしい。

本展示のために新たに18冊の写真集が手作りされたが、編集はPCではなくキンコーズに入り浸ってひたすらプリント作業。時系列で、その場で展開を考えながら、レーザープリントに手差しで紙を入れていく。体を動かして作るのだ。この写真集が、高価である。残念ながら手が出ないが安くても4、5万円はする。10万円近いものもある。1タイトルにつき2~3冊しか作られていないのだ。一般的に写真作家は、額装されたプリントを限定されたエディション数で販売するが、鈴木氏にとっては手作りの写真集がそれに当たる。

また、鳶職として全国各地の建築現場を回ることは、1つの現場に数週間などしばらく滞在するため、様々な地域の何気ないものに眼を向けることに繋がっている。撮影のためだけの滞在であれば数日で通り過ぎてしまうところだが、仕事となると各地の空気、風景が、身体、日常に落とし込まれてゆくらしい。その地で体を使って労働を行い、飯を食い、人と出会う中で、何気ないものを新しく発見していくのだろう。本展示の写真も大阪、広島、長崎など様々な街で撮られていた。

 

撮影機材は、主としてニコマートの50㎜、たまにニコンF。50㎜は一番いいすね、一番寄れる、人間を撮るなら50㎜。しかし機材の話はその程度で、こだわりがほとんどない。むしろモノを持たない。そして電子機器やアプリが使えない。岸氏の証言によると「この人、LINEとかメッセージとかがだめで」「全部電話なんですよ」と、細かい修正指示なども全て電話という、鈴木氏のアナログぶりが明かされた。

とにかくアナログである。「パソコン持ってないす」「パソコンとか、モノを持ちたくないんすよ」「フォトショップイラレも持ってない」、しかしフィルム価格が近年高騰していることを受けて「いやー、フィルムが1本1,300円でやめたんすよ」という。デジカメの扱いについて、PCが無いのにどうするのかと聞かれると「カメラのキタムラにSDカードを持って行けばモニターを見ながらプリントできる」「プリントしたやつをスマホで撮って送ったり、プリントをスキャンして送る」と、あまり(全く)デジカメのメリットが活かされない作業フローが明かされた。1枚のSDカードを使いまわし、内部でデリートしていくのも「編集」でしょう、という持論とともに、極めてアナログなやり方でもここまでの力量と熱度で写真作品の制作と発表は可能であることを示すこととなった。

 

だがトークで早々に岸氏が質問した「写真やめたいってインタビューで言っていたけれど?」というテーマが、最も近年の鈴木氏の心境について核心を突くものだっただろう。笑いが起きつつも、あながち冗談でもなく、「写真をやめたい」の話題はトーク中断続的に繰り返し語られた。

理由の一つは先に書いた通り、金銭的な問題も深く関わっている。収入に対する作品制作の出費が重すぎるため、これ以上の展開は難しいようだ。「次にこんなん作りたいとか、ある?」「いや、もうね…」厳しいようだ。展示はもういいかな、などと、この展示が最後になるかも知れないことが仄めかされた。

もう一点は、「写真でなくても表現できる」という実感めいたものだ。最近かなり熱心に植物を育てているのは、発芽させて育てるという行為が創造的であり、それもまた作品なのではないかという感触ゆえだ。ゆっくりと植物を育てる方へシフトしたいと言う。「俺が求めてるのは生き抜く力なんすよ」、写真でなくてもいいという話は植物に限らず、岸氏が指摘したように文章で、色んな土地での出会いや別れや関係について「書く」という行為でももしかすると代替可能なのかもしれない。そうではないのかもしれない。

 

ここまで身に着けた技を、習慣を果たして手放せるものだろうか。写真家は写真から自由になることが出来るのだろうか。あまり写真家のトークで語られない(当たり前か、)テーマだが、それゆえに非常に刺激的な問いかけとして私の中に残った。 

貴重なタイミングに立ち会えたのかもしれない。

 

 

 

 

手前左の「鳶」は写真新世紀に応募し、東京都写真美術館で展示したときの現物。ボロボロになったものを補修して今回再びの展示。かなりの枚数だ。恐ろしいパワーが濃縮されている。お値段、50万円。 欲しいが…。 

 

サインありがとうございました。

「結局写真の技術的な話とかアートの話なんもしてないよね」と言いつつ、けれど写真の専門家でもないのでこの作品をどう解釈するかは、その方面の方にお任せする、という流れから、女の子と食い物の話で概ねトークの1時間半が、楽しく過ぎていった。楽しかった。

 

( ´ - ` ) 完。