《ベロベロ》《サスケ》《遊戯―A GAME―》の3シリーズからセレクトされた展示で、深瀬が「猫」になる――
展示キュレーションは「深瀬昌久アーカイブス」の創設者・ディレクターであるトモ・コスガ(以下、呼びやすく「トモ氏」と呼称)が実施し、展示初日の晩にはトーク「猫を巡る深瀬昌久の写真表現」にも登壇。深瀬という写真家を「猫」の観点から読み解き、写真から見える深瀬像を深化・構造化させてみせた。
【会期】R4.5/14~6/7 /【トーク】R4.5/14(土)17:00~19:00
関西では「KYOTOGRAPHIE 2018」本体プログラム展示「遊戯」以来ではないだろうか。日本写真史に名を刻むレジェンドでありながら、物故作家ゆえに長い間、展示や写真集で目にする機会がなかったが、今では遺族を中心としたアーカイブ活動が行われており、こうして少し待てば作品に触れられる。有難いことだ。
以下、表記がややこしいので、深瀬作品に関するカラスのことは「烏」と表記します。
■トーク:猫と深瀬
今回のトモ氏のトークは、「烏」と並んで多くの作品シリーズに登場するもう一つの重要モチーフ:「猫」と、深瀬昌久との関係について読み解き、その読解をいかに今回の展示で再構成したかの話が主であった。
深瀬の人生には影のように。常に猫がいた、と紹介された限り、深瀬と猫の付き合いは大きく5代にわたる。
- 幼少期~高校生:「タマ」
- 1950~ 日大写真学科時代:「クロ」
- 1964~ 松原団地での妻・洋子との生活:「ヘボ」と「カボ」
- 70年代後半~ :「サスケ」(1代目・2代目*)と「モモエ」
- 1990~ 新宿独り暮らし:「グレ」
※「サスケ」は飼い始めて約10日後に行方不明に。100枚ほどの迷い猫のポスターを貼ると迷い猫が連れて来られた。それはサスケではなかったが、深瀬はサスケと名付けて飼うことにしたという。
そして、イメージに反するが、猫の写真集を3部作で出していた。
- 『サスケ!!いとしき猫よ』(青年書館、1979)
- 『ビバ!!サスケ 子猫の風景・キャットライフ別冊』(ペットライフ社、1979)
- 『猫の麦わら帽子』(文化出版局、1979)
40年近い作家人生で存命中に刊行された写真集は8冊しかない(近い世代の荒木経惟や森山大道と比べると極めて少ない)ことを考えると、うち3冊を猫が占めているのは興味深いところだ。どうしても「私写真」の代表格として語られてきたので「洋子」と「烏」の印象が強烈である。
(ちなみに猫写真集、古本販売サイトのプレビュー画面を見てみたが、普通に可愛い猫写真に見せかけて、ぐっと表現世界に踏み込んだ多重露光の作品が入ってたりする。容赦がなくて面白い。)
また、写真集の刊行年というより、それぞれの写真シリーズが作られた時期に注目すると、時期ごとの主要テーマ、モチーフ、「猫」の位置付けも見えてくるという。1970~80年代にかけては「猫」「烏」「家族」(妻・洋子)といった深瀬を象徴する重要テーマが直列し、同時期展開した時代ということが分かる。
ここで「猫」は深瀬の遊戯性を、「烏」は寂寥という相反する性質を表し、ともに「洋子」と過ごした日々であり、洋子を失った後の日々でもある。
このようにトークでは、深瀬の生活、いや人生の随伴者であった「猫」が、作品においても頻繁に登場すること、これまで深瀬の分身・心情の代理人として語られてきた「烏」と対になる存在であると紹介された。また、その撮り方や深瀬自身の立ち位置も、自己と「猫」との境界、見る―見られるの関係性が曖昧になった、
■展示《遊戯―A GAME―》(1984)
《ベロベロ》《サスケ》《遊戯―A GAME―》はどれも「KYOTOGRAPHIE 2018」でお目見えしていた作品である。特に超大型ポラロイドで撮られた《遊戯―A GAME―》はKGのキービジュアル、象徴的な存在だったので、再会の念を超えてより一層KG感があり、リバイバル展の感すらある。だが本展示はまた趣旨が異なる。
舌のアップ、深瀬自身の顔、猫(深瀬の愛猫サスケ)の顔のカットは、深瀬昌久と「猫」、写真表現との重要な関係を物語っている。
普通の撮影写真ではない。A4サイズの写真に待ち針を刺しまくったものを、イメージサイズ20×24インチの超巨大ポラロイドで複写した作品である。あまりにも描写力が高いため、針が直接に肌・肉を貫いているようにしか見えない。痛い。とてもではないが複写には見えない。写真は記録・複製から成る視覚芸術=身体的接触を伴わないはずだが、この、痛覚に直接来る感じはどうだ。それに半開きの唇から出た舌は、こちらを今にも舐めそうな動的な雰囲気がある。
この直接的な感触をトモ氏は「触覚性」や「視覚的触覚」と呼び、注目している。ざらついた舌で相手を舐めるような感触、親し気でいて――恐らく当の本人は親密な気持ちを持っていながら、舐められた側は快とも不快ともつかぬ微妙な感触を覚える、直接的な接触。トモ氏はこれを「猫」と深瀬昌久とが重なっているポイントだと言う。
単体で見れば、これらの作品は「写真」という平面1枚の表象を巡る、針と赤い糸を用いた工作と、複写を用いた巧みなリアリティの造形的表現・・・に留まったであろう。
だがトモ氏の読み解きでは、深瀬自身のポートレイトとサスケの顔とは構図上もうまく重なり合うもので、肌に刺された待ち針は猫の毛・毛穴として重なるという。
トモ氏は深瀬の有名な一節を紹介する。「なんだか猫になってしまった」「この写真集は、サスケとモモエに姿を借りた、私の『自画像』といえるのかもしれない」と。このくだりは写真集『サスケ』(赤々舎、2021)でも確認できる。
トモ氏が提唱するのが、「深瀬昌久は猫(サスケ)に自分を重ねていた」「深瀬は猫になりたかったのではないか」という読みである。
当然、故人ゆえ直接その動機をインタビューすることは出来ない。よって遺された作品群から読解することとなる。逆に、それしか方法がなく、それゆえ自由なアクセスと多角的なアプローチが成立しうる。こうした作品読解の自由、読解の機会を公に開くことがアーカイブ活動の意義であるとトモ氏は語った。
猫と自身を重ねる表現の働きは、《ベロベロ》シリーズに特に顕著だ。
◼️展示《ベロベロ》(1991)
まさにタイトル通りの写真、まさに「猫になってしまった」人間、としか言いようがない。
何度見ても意表を突かれてぎょっとする。バーで様々な人達とベロを突き合わせている。なんだこれは???
( ´ - ` ) べろちゅう。
森山大道、尾仲浩二、荒木経惟といった写真界の重鎮が、何ともいえない表情で深瀬とベロを交わしている。初見であろうが二度目であろうがとにかく意味不明で、異様な衝撃を受ける。
しかも謎の色が付いていて、ドローイングにしてはベロンとしていて、どうにも妙な生傷のような色の付け方だ。気持ち悪いとまでは言わないでも、生理的にへんな感じでぬらぬらする。写真全体も黄色やピンクだ。荒木経惟のいかにも「前衛」で「芸術」的な、「粋な」写真ドローイングとは全く違って、狙いがまるで掴めない。視界を薄く覆う膜のようで、視覚的な明度・解像度を下げてまで感触の異質感を醸すことを優先させているようにも見える。
これもトモ氏の構造的解説によって意図が浮かび上がってくる。まさに「なんだか猫になってしまった」深瀬の、猫的な触覚としての表現活動、かつ、表現の形をした生理現象なのだろう。この動作は《サスケ》シリーズの写真と呼応していて、猫がアクビで舌をベロンと出す仕草や身近なものにコンタクトを取るときの動作と重ね合わさるものとなる。
そしてトモ氏の見立てでは、謎のドローイングは深瀬自身の顔のみに掛けられていて、その三本筋はまさに猫の爪痕を象ったものではないかという。言われて初めて気付いた。爪だ。ねこじるしだ。深瀬は猫になってしまったのだ…。
そもそも表現とは言え、身近な人たちやバーで隣り合った人に「舌」でベロンと接触するものだろうか? 普通それはないだろう・・・。やるなら明確に分かりやすい仕掛け(舌を使った触覚型現代アーティストなんです、とか?)を立て看板にして、行為の意味性(あるいは無意味さ)を立てようものだが、この人と写真にはそんな狙いすらない。
前提の文脈によっては(「洋子」ー「烏」路線での自己破滅型私写真家、など)、全てを失った滅茶苦茶に人恋しい人間の、無垢で不器用かつ終局的なコミュニケーションにも見えるだろう。
だが同じ「寂しさ」ベースでも、キャバ嬢や風俗で舌を絡めようとする親爺と深瀬とを決定的に分かつのが、表現(者)の本質であり、「猫」の本分なのだ。情動に身を委ねて舌をねちゃねちゃと絡ませるのではなく、交わしているのは舌先だ。センサーのような舌の使い方はまさに猫の愛情表現に似ているという。実際、猫が深瀬の鼻先を舐めている写真も入っていて、それが起点となって反転した姿とも考えられる。
なぜ猫になってしまったのか・・・。
ここが、トモ氏の指摘する西田幾多郎の「主客未分」の肝である。
西欧人と違い、日本人は「自分」と「他者」が未分化、区分できない状態にあることが、深瀬の写真には特に顕著であることを指摘したものだ。本来は仏教の「無」を根源として成立した精神状態だが、深瀬においては「愛」という「純粋経験」があり、そこで「主体」と「客体」が連続していると考えられる。
◼️展示《サスケ》(1970年代)
最後は愛猫サスケである。
猫写真で、可愛くて、躍動感がある。だがここまで見てきた通り、トークを聴くと、それだけの写真ではなくなる。
先述の通り、深瀬作品における「猫(サスケ)」は、「烏」と対になって妻・「洋子」との関係性を陰(烏)と陽(猫)の二面性から象徴・継承している。
妻を巡る時系列を見ておこう。1963年洋子と出会う、1964年に結婚。1968-73年に深瀬がしばしば家出、1973年の1年間で妻を撮り続け、写真集『洋子』を制作、遂に1976年、離婚。その年に逃避行、「烏」シリーズ制作。そして1977年、友人から子猫を譲り受けて「サスケ」と名付け、関係が始まる。
つまり「洋子」「烏」「サスケ」が同時期に重なる。
「愛」を根本の純粋経験とする「主客未分」の感性によって、妻・猫・烏が同じ「深瀬昌久」という人間の生きる世界へと転換される。本来は――現代の感覚から言えば、多様な個別の主体が併存しているのが世界の在り様だが、それらを作者本人の一人称から語る表現世界へと変換する文体、すなわち私小説の文体が、深瀬昌久や荒木経惟といった写真家の切り拓いた領域であっただろう。それらは私生活を表現の対象かつ舞台とし、「私写真」と呼ばれてきた。
だがトモ氏は モチーフの扱われ方、被写体との図像的な関連に具体的に踏み込んで読み解く中で、「私写真」という呼び方はせず、「主客未分」という言葉を充てた。深瀬の写真は、私生活を自然主義的に、リアリズム的に表現するどころか、あるいは演技的に劇場化するに留まらず、猫の生理や触知の器官(舌)の動きと連動し、主格=深瀬がそれへと憑依していく。
説明を聞いた後では何気ないサスケの頭越しのカットも、主格=サスケ=深瀬という憑依の視座として見える。アバターのように入り込んでいる。
だがVRやアバターには真似できないのが、器官の細部への執着だ。ぬめりとざらつきのある猫の舌にカメラは向けられる。あくびで丸く蠢く舌はクォーテーションとなって、深瀬の主観を導引する函数となり、受肉の器となるだろう。
■アーカイブ活動の意義
写真集ベースで見れば寡作な作家に対して、こうした分析が可能となったのは、トモ氏が2000年代・学生時代の頃から写真雑誌をスクラップし収集し続け、文字通りアーカイブを構築していたためだ。結果的に、写真集には載っていない数多くの作品を時系列で蓄積することができた。(ゼロ年代あたりには既に写真集の中古市場が高騰していて、容易には買えなかったことも大きな要因ではある。)
アーカイブ活動の具体的な成果として、近年の写真集の発刊、国内外での数々の展示が挙げられた。これらの詳細は省くが、代わりに、トークでアナウンスされた直近の大きなニュースを2点紹介する。
1点目は、深瀬昌久・映画化の話がある。2021年4月1日・トモ氏の動画で告知されているので詳しくはこちらをどうぞ。
原題『Ravens』。監督はマーク・ギル、主演は浅野忠信。面立ちがなんか似てるし、表現に懸ける姿勢なども、既に安心感しかない。話としては妻・洋子との波乱に満ちた結婚を描くラブストーリーになるという。2022年春から撮影開始と述べられていたから、今もう動き出しているのだろう。
「深瀬昌久アーカイブス」の調査成果を踏まえて作られているというから、原作(?)が最大限尊重されるであろうことが期待できる。
個人的には、「深瀬昌久アーカイブス」の成果と存在感について、はっきりと目に見える形で触れられたのが冒頭に述べた「KYOTOGRAPHIE 2018」での展示と、同年に刊行された総集編的写真集『MASAHISA FUKASE』(赤々舎、2018)だった。
この写真集はすごい。それまで長らく謎に包まれていた(そして情報発信・更新がなされず、忘れ去られていた)「深瀬昌久」なる写真家の全容が、時系列で分かる。今回色々と書いてきた/トークで話された内容も、多くはこの写真集で文章として掲載されている。これ1冊あれば基本情報が押さえられるのが有難い。
ただ、この写真集が制作された時点では、妻・洋子を撮ったシリーズは、ご本人の許諾がどうしても得られず未掲載となっていた。何でも当時、約1年待ったが返事が得られず、止むを得ず未掲載での刊行に踏み切ったという。
しかしこのたび、「洋子」の写真集が出せることになったという。驚きのニュースだ。打診したらOKが出たという。
今のところ「洋子 写真集」で検索しても松金洋子と嘉門洋子しか出てこず、懐かしさが漂う状況となっているが、そのうち公式発表がリリースされれば深瀬昌久が検索上位を占めるようになるのだろう。楽しみだ。なんせ中古市場では、『洋子』(朝日ソノラマ、1978)は7~8万円台から15万円もする。むちゃくちゃである。買えるわけあらへん。なので、復刻/再編集は大変にありがたい。ありがとうございます(拝む)。
なお、この件に関しては個人的に「ウッ、」と思うことがある。自戒というか反省というか、やや脱線するがいい機会なので恥でも晒しておく。
総集編写真集『MASAHISA FUKASE』が刊行された際、何かの書評で写真評論家・飯沢耕太郎が「深瀬を語る上で重要な『洋子』が未掲載なので、これは総集編としては不完全である。完全版に期待したい」といった趣旨のことを書いた。それに対し、「いや無理って言ってるやん」「そんな無茶言うなや」とTwitterで少し話題になったことがあった。
その時私は、Twitter民にありがちな正義感を振りかざして「写真界の管理職のつもりか」「課長すかw」などと、結構元気よく揶揄したことを、よく覚えている。早計であった。まさかこうして『洋子』が世に出る日が来ようとは、想像していなかった。当事者でも何でもなく、写真界隈の外にいた雑魚ガヤだったので、可・不可の難易度など知りようもないのは当然なのだが・・・
これは、飯沢氏に対して頭を垂れてどうのという話ではなく、リアル「人間万事塞翁が馬」が人間社会では起きうるのだということを、完全に見誤っていた。その不明を恥じている。表現の世界では理屈を超えた力が働くのだということを・・・ そして上記のような書評を寄せたのは写真「評論」行為としては当然の姿勢、論理的帰結であったことも。こうして状況が一気に好転した今となっては、色々と、こぜまい自分の「良識」では計れない物事があるのだと、思い知った次第である。
なんかそういう吐露というか、自己反省を書き残さないといけないぐらい衝撃だったのであった。
深瀬昌久アーカイブス、もといトモ氏が、絶対無理だと誰もが思った困難を乗り越えて、新しい展開を生み出し続けていったのは、まさに過去のレジェンドの「私写真」的な功績・定説を、現役世代の言葉と社会活動によって、その意義を再解釈・アップデートし続けたことの成果に他ならない。猫(サスケ)が主題として、深瀬世界の構造を語るものとして取り上げられた本展示は、そうした意義を実感するものだった。
ねこはかわいい ( ´ - ` )
深瀬昌久は・・・ いかついけど、そのうち可愛く感じる・・・のか?
( ´ - ` ) 完。