nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】高橋健太郎《A RED HAT  赤い帽子》@大阪ニコンサロン

【写真展】高橋健太郎《A RED HAT  赤い帽子》@大阪ニコンサロン

治安維持法は過去の話ではない。今もその文脈は生きている。

【会期】2019.10/10~10/23

 

 

淡々とした写真である。

 

写真だけを見れば、二人の高齢男性の暮らしを追った、なだらかなドキュメンタリーである。ただただ、地味な余生の暮らしの様子が写し出されている。だが二人が置かれてきた厳しく理不尽で、そして「適法」な状況は、展示の冒頭からはっきりと示されている。

 

本作の登場人物:松本五郎と菱谷良一は、1940年代初頭に起きた「生活図画事件」で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた者たちだ。

当時、彼らを含む27名が治安維持法により「合法的に」逮捕されたわけだが、その目的は、社会主義共産主義、各種宗教などの思想を取り締まり、革命などで国体に揺らぎが生じる事態を防止することであった。松本氏・菱谷氏の二人は革命を企てようとしたわけではない。が、在籍していた旭川師範学校の美術部で指導に当たっていた教師・熊田満佐吾の教える「生活図画」が思想的にアウトとされた。

生活図画とは、身の回りの生活を見つめ、より良い方向へ変えていくことを目指すという美術教育である。それが共産主義的であるとして、「思想犯」であると判断された。教師の熊田が特高警察により逮捕された後には、芋づる式に二人の逮捕へと至ることとなった。

熊田の逮捕によって危機感を抱いた学校側から、反省をするよう指導されていたにも関わらず、二人は逮捕された。そして共産主義思想に傾倒していたことを自供するよう、調書は強引に作られていき、約1年の刑務所生活を強いられた。

 

このあたりの経緯をまとめた動画があったのでどうぞ。菱谷氏が喋っている姿が見れます。


1600915 伝える、伝わる~生活図画事件の証言~ (TVF2016応募作品)

 

 

 

本展示は、『事件そのものを”視覚的に撮れない”という事実は「生活図画事件」の持つ意味を際立たせ、現代に立ち返らせる。』、『治安維持法によって何十万と存在した不当に逮捕された犠牲者たち、そしてその中でも現在97歳と98歳のこの2人の今しか写せないという現実をどう捉えるのか。』という作者の問題意識によって撮られ、編集されている。

法に基づいて正当に発動された国家の暴力と、その理不尽さを生き延びた証人を取り上げたのは、作者の現在進行形での危機感に他ならない。

 

『菱谷さんと松本さんは当時、「治安維持法」は一般の人には関係なく、国家転覆を目論む人間を捕まえるためにあると思っていた。何故なら当時の政治家がそう答弁していたからだ。』

この一文はそのまま現代に跳ね返る。2017年6月に成立した「テロ等準備罪」の成立である。

作者がステートメントの冒頭に引用する法務大臣の答弁『意味のある場所の写真を撮ったりしながら歩くなどの外形的な事情が認められる場合には、実行準備行為と認定できることとなろう。』は、2017年5月のものだ。治安維持法が跋扈していた時代の在り様を綺麗になぞるかのような不気味さがある。この答弁、写真界隈で話題になったことが特に無かったように思う。私自身がこうして読んで初めて気付いたぐらいだ。

 

展示では、現在の松本氏・菱谷氏が送る、現在のゆったりとした暮らしと、過去を語るもの:学生時代の白黒写真、治安維持法にまつわる資料、刑務所の過去の写真などがリズムよく添えられている。過去の参照は、悲劇性や怒りの主張を過度に帯びないよう、本体となる現在の二人の写真を崩さないように配置されている。

 

 

 

会場は壁面を1枚追加しており、普段のニコンサロンの倍近い点数が並んでいる。厚めの写真集をめくっていくようにして、鑑賞する。最も引き込まれたのが、国会への請願行動に出る様子の写真だ。二人は未だに名誉回復がなされていない。当時、治安維持法の下で特高警察により逮捕された件は、「適法」である。それが国の姿勢である。今なお、1940年代――「戦前」の事案のケリは付いていない。当事者らがもうすぐ寿命で去ってしまった後には、ただ新しく整備された法令と、それを行使する行政の力だけが残るのだろうか。

 

 

この2019年は、「表現の自由」を巡る議論、意見の分断が相次いだが、民の感情的な分断以上に不気味だったのは、地方自治体首長による表現への介入、文化庁のスピーディな動き(あいちトリエンナーレ補助金の全額不交付の決定、映画『宮本から君へ』の助成金交付内定の取消、「芸術文化振興基金助成金交付要綱」の一部改訂など)であった。

権力の側が恣意的に、能動的に、「表現」について実行力を及ぼすことが立て続けに起きている今、本作品が示した「戦前」の出来事は、「現在」に着実に連なる危うさである。本作はそのことを再認識するための、土壌の一つとなっていくだろう。そうあってほしい。

 

 

( ´ - ` ) 完。