写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展/トークショー】R1.7/6(土) 浜中悠樹「UTSUROI」@galleryMain

【写真展/トークショー】R1.7/6(土) 浜中悠樹「UTSUROI」@galleryMain

日本画のスタイルを引用し、街の木々が付ける葉と花の写真を、伊勢和紙によって仕上げる作家、浜中悠樹の個展である。会場はスタイリッシュな掛け軸で包まれた。以下、7/6に行われた作家トークの内容と作品・展示より紹介。

作者・浜中氏(右)と聞き手:ギャラリー主の中澤氏(左)

【会期】2019.7/3(水)~7/15(月)

 

浜中氏はデザイナー稼業20年に亘るベテランである。本シリーズの撮影、構築においてはその知見と発想が活かされてきた。クライアントの課題をビジュアルによって解決し、先方の要望にビジュアルで応える職能は、まさに同様の手法によって都市の美を保全していた木々の剪定、造園の技術への気付きを促し、作品へと結実させた。

 

会場に立ち並ぶ高さ2.8mの掛け軸は、日本画に寄せた「写真」である。京都で生まれ育ったことが、日本の伝統美術への関心を抱かせることとなったらしい。日本画を意識した作品の制作に当たっては、要件として、木々・植物を撮ること、和紙で仕上げること、平面性を持たせること、二色展開とすること、といった方針が執られた。

ルールによって作品はフォームを獲得して強度を増し、明確な世界観を伝えるようになる。植物というモチーフは、古来から活け花や水墨画などで定番となってきた。撮影が曇天時に限られたのは、平面性を確保するために、陰影、光のムラの出ない時に撮るためだ。二色に絞るのは、西洋絵画とは逆に、鑑賞者が自由に想像したり考える余地、余白の美をより確保するためだ。

だが何よりも重要だったのは、京都市内の木々でなければならなかったということだ。それらは木と木が全く重ならないよう、空が綺麗に見えるよう、計算の上で手入れされていると、作者は繰り返す。人に見られること、余白の美まで意識した剪定がきちんと為されている点は、京都の街ならではの文化と伝統であるという。

 

浜中氏はこうした木々の形、剪定の意図をある程度、理解できると言う。どこをどう見せたいがために職人はこのように切ったか、という点だ。言わば本作は、デザイナー同士の読み合いが交錯した結果が作品と化したとも言えよう。 

 

デザイナーの思考は必ず鑑賞(者)に対して先攻する。浜中氏がこれまで写真作家としてキャリアを築き、評価を得てきた(ミオ写真奨励賞2010 入選、第35回写真新世紀 優秀賞など)過程は、まさにそうした職能と努力によるものであった。どのようにすれば評価され勝てるのかを見越して行動した結果、受賞に結び付いたと語る(無論、その読みを超えた部分が人との出会いといった形で更なる次の展開を呼ぶあたりの話が多く、面白かったわけだが…)。 成果物をアウトプットした先に、場にはどんな化学反応が起きるのかというポイントから、逆算で組み立てることができるデザイナー脳は、例えば撮影行為や暗室ワークそのものに没入するフォトグラファー勢の思考とは、また一味異なる回路なのかも知れない。

 

一方で、写真家としてのキャリアは意外と最近始まったところだ。2009年、写真系スクール(大阪国際メディア図書館・写真表現大学)の門を叩き、写真作家のなり方、活動の仕方について、お作法の基本を一通り学んだ。奇しくも私の先輩に当たる。

最初期の作品は《植物視点》、都市の路上に咲く植物らのポートレイト風味の作品である。身近な自然を人に見立て、ローアングルから三脚でその表情を撮る。四季の表情を捉えた作品群は「ミオ写真奨励賞2010」で入選を果たした。ギャラリストの中澤氏と出会ったのはその頃だという。その後、作品は樹木をテーマとした《樹々万葉(きぎのよろずは)》、《UTSUROI(うつろい)》へと移行していく。

 

本作《UTSUROI》は掛け軸による日本画的展開を旨とするが、更に3つの小テーマから成っているという。1本の樹の形状をポートレイト的に捉えたもの、複数の樹が寄った遠景のもの、レンズのボケ味による掠れを水墨画に見立てて花(桜と梅)を撮ったもの、である。

平安時代から1000年近い歴史の中で、自然との調和、衣・食・住との関わりの中で、植物の物理的な扱いと、植物への認知は変容していったと言えよう。本作は洗練された、文化としての折り合いがついた「植物」の姿を映像化したものと言える。

植物は、美しさや癒しといった文脈で語られることが多いが、本来的には怖いものであることや、自然というもの自体が、人の手が入れられていなければ美しくも何ともないものだと指摘があった。その通りだ。登山でもそうだが、良い山というのは人が登れるようにデザインされた山のことを指し、そうでない自然100%のルートは、ルートやコースという概念の外側にあり、人間にとってはただの異常、危険なだけである。私たちが認識できる「自然」とは、ある形、フォームを持った、人の手により整えられた後のものであると言えよう。

 

なぜデザイン同様に手で描かずに、写真なのかという問いに対して、手作業は作者の恣意が入るが、写真はあくまで自然という外部の美そのものを捉えられるから、といった解が語られた。

確かに、この精妙かつ複雑な木々の枝葉の造形は、それそのものの映像として提示することの方が面白い。だが例えば1920年代に、ポール・ストランドやイモージェン・カニンガムらがピクトリアリズムを離れ、写真にしか出来ない写真表現を求めて植物の造形をモチーフとして撮影したのとは意図が全く異なる。浜中作品は現代の都市が内包していたデザイン(庭師、植木職人などの技術仕事)を切り出して見せたことに面白さと価値がある。

それは先述の通り、自然を巡る「文化」の表出が本題だからだ。そしてなおさら、作品の接続先が、日本画、伊勢和紙、掛け軸、和の空間での展示・・・と、「写真」からフォーマットや支持体、素材などへと次々に拡散してゆくので、総合的に古典的・伝統的な「美」の方向で語られる(語られざるを得ない)作品となっている。

だが、本質的には、浜中作品が取り組んでいるのは、あくまで都市のドキュメンタリー写真なのではないかと思う。作者の黎明期の話、撮影手法の話、考察などを聴いていると、結局はどこまでも「写真」という行為で木々を捉え、語ろうとしており、掛け軸の白い余白が木々の背景・都市の空であって、デザイナーの手業ではないことからも、日本文化や和紙の話題よりも力強く効いてくるのは、都市、写真、自然という文化、という3点セットなのである。

 

日本の「都市」(多くは東京を中心として)はこれまで写真において、無秩序でカオスであるとか、監視と権力の賜物であるとか、空虚で虚無的であるとか、意味の外側で造形が自己生成され続けているとか、様々な語られ方をしてきた。概ねポジティブさとは異なる角度での語られ方である。

しかし、都市が人の手――職人技により、自然との調和を計算した上で、美的に調律され続けていたことは、あまり写真で指摘されていない。というよりそのような都市は、稀有である。東京、横浜、名古屋、大阪、福岡などの大都市で撮影行為に殉じていても、建築家や行政、ディベロッパー以外が吹き込むデザインの息吹は、なかなか見えてこない。

一見、規制や監視や経済性や行政の計画などにさんざん覆われた都市空間に、文化財登録や世界遺産などの看板とは別の次元で、民が歩く道や空で、かつての王朝の影が差しているなどということには、誰も気付かない。思いも至らない。だがその点こそ、浜中氏が「京都市内でしか、こうした木々は撮ることができない」と指摘する通り、本作が京都市内にしか見い出せない何者かのうつろいについて、都市論のドキュメンタリーとなっている証左であろう。それは、都市に刻まれた影、そこに永く住み続けてきた人々の心に、今なお深く刻まれた、王朝の影ではないだろうか。その影の姿をなぞるように、人々は鋏を入れ、木々と空の形を、都の形を整えている。

  

今後は京都以外の都市でも、大阪の堺や鎌倉でも、剪定の違いに目を付けながら、撮影に取り組んでいきたいとのことであった。どのような「デザイン」が浮かび上がるか楽しみである。

 

( ´ - ` ) 完。