写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】小原一真「Exposure/Everlasting - 30年後に見えなくなるもの」@フォトギャラリーサイ

 【写真展】小原一真「Exposure/Everlasting - 30年後に見えなくなるもの」@フォトギャラリーサイ

 チェルノブイリが経た30年間、見えない傷に満ちた月日は、3.11後の日本がこれから歩もうとしている道なのかも知れない。

 

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【会場】フォトギャラリーサイ
  (〒553-0002 大阪市福島区鷺洲2-7-19

【日時】2019年2月2日(土) – 3月3日(日)
 ・[休館日]  月(祝日含む)・木
 ・[火・水・金]  13:00- 19:00
 ・[土]  10:00- 19:00 ・[日]  10:00- 17:00
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フォトギャラリーサイは、日本家屋を改造した空間である。一階はギャラリースペースの他に、古い家具に囲まれた和室が迷路のように続く。

 

暗がりに沈んだ和室で、調度品の合間にぽつぽつと白く光る箱がある。目が慣れてくるとその白い光は、内側から照明を当てた写真であることに気付く。廃墟や人の痕跡らしい。ずいぶん昔に撮られた写真なのだろうか。時間そのものが結晶化して鉱石と化したようにざらざらとしている。最初にレクを受けていなければ、遠い昔の写真を再プリントしたものと思ってしまっただろう。

 

これらは作品《Exposure》シリーズ、2015年から2年間のうちに撮られたものだ。露出、被曝といった意味がある。

撮影に使われた中判フィルムは、チェルノブイリで未使用の状態で発見された、30年近く昔のものである。住民同様に被爆しているのかもしれない。とうに消費期限を過ぎているため、カラーフィルムであるにも関わらず、色は石灰岩のように白い。通常の何倍もの時間をかけて現像、露光されることで、ようやくこの、化石のような像が現われてくるという。

 

ひときわ眼を惹く写真がある。大理石の像のようにたたずむ女性の横顔である。

彼女は、チェルノブイリ原発事故の際に母親の胎内で被爆した。その影響で発病し、甲状腺を取り除いたため、多量の薬が毎日手離せない。

暗闇に真っ白に光る写真群は、経過した30年という時間の結晶であり、彼女の心象なのかもしれない。床には錠剤も作品の一部として展示されている。彼女も、フィルム自体も、誰の目にも見えないところで、静かに被爆し、傷付いている。白い写真は、30年間積もり続けた個人の傷であり、歴史の傷を表している。

 

 

 

展示会場では、すんなりとチェルノブイリに思いを馳せることが出来たわけではない。むしろ困難があった。日本家屋の、迷路のような調度品と間取りの暗がりの中で、強い光で写真が白く光っているので、かなりの違和感を覚え、写真の中へ入り込むことが難しかった。家の内装ばかりに目が向いてしまった。

 

「普通のホワイトキューブで見たかったかも」と言うと、仲間が指摘した。「これ、日本の暮らし――福島の暮らしと、チェルノブイリがリンクしてるってことですかね。」  恐らくそうだと思った。

アート作品として一般的なギャラリーに陳列することは幾らでも出来たはずで、それをあえて、和の生活空間へ潜り込ませたところに、作者のジャーナリストとしての意思を感じる。遠い東欧の昔の出来事、それは30年を経て、日本人にとっては他人事ではなくなってしまった。小原氏は3.11・東日本大震災以降、自分に出来ることはないかと動き出し、被災地の撮影を経て福島第一原発の除染作業員を取材、自身もまた作業員となりながら、原発、被災地を撮り、発表してきた。既に多くの人の中で、原発、被災地のことは忘れ去られつつある。恥ずかしながら私自身にその実感がある。忘れることによって日々の生活が送れていると言っても過言ではない。だから、作者も押し付けはしない。振り返るきっかけをもたらすための工夫を最大限に行うのみだ。

 

 

2階に上がると、眺望が一変する。

作品《Everlasting》である。永久に続く、不朽の、という意味がある。

四角い展示用の部屋の壁面に、ぐるりと写真が並ぶ。部屋を右回りに時が流れている。列車だ。東欧を列車が移動している。車内・車外の光景が流れる中に、地元民の暮らしや人生のシーンが挿入される。

 

列車は、スラブチッチというウクライナ北部のニュータウンチェルノブイリを結んでいる。スラブチッチは、チェルノブイリ原発事故でゴーストタウンと化したプリピャチの代替都市として作られ、事故の2年後から入居が始まった。現在、住民らは鉄道でチェルノブイリへと向かい、「石棺」の建設や除染作業を行う。それが日常なのだ。

 

結婚式の様子や、家族の記念写真などからは、のどかな、素朴な町の営みしか見えない。車内の空気も、穏やかだ。説明を抜きにして見れば、東欧の旅の写真かと見紛うかもしれない。。だが、除染作業員としての装備を身に付けた男性の写真に、何か気付くことになるだろう。

 

写真群は、1日の時間の流れであり、1年の季節の巡りそのものでもあった。薄暗い車内は陽を浴びて、明るく光に満ち、また再び暗さへと傾いて行く。草木が緑を増してゆき、太陽の光に溢れ、また雪と夜が訪れる。

幸せな光景にすら感じられた。会場内には、列車内で録られたであろう音が響いている。

 

日常があった。日常を生きていた。世界でも有数の、特殊な事情を抱えた街だろう。30年近くかけて、その事情を日常として、人々は暮らしている。

 

何が正解かを言うことはできない。そもそも国のあり方が違いすぎる。事故後こうした都市の建設の決定を下した旧ソ連と、我々の暮らす今の日本とは、国と国民の関係性が大きく異なる。

それゆえなのか、判断を差し置いて、想像させられるものがある。原発事故後の日常を生きるとはどういうことなのかを、客観的に見ることになる。見ることができた。

正直な話をさせていただくと、正面から「お前はフクシマの惨状をどう思うのか」「原発再稼働の是非をどう考えるのか」などと問われると、非常にきつい。答えようがない。いかなる答えも、質問者の政治的な意図に絡めとられそうな気がして、身構えざるを得ない。私だけでなく多くの人が、同様の状況にあるのではないか。それに、遠くて近い身内の惨劇、苦境は、つらい。私達は残酷にできていて、安定して生活するために、つらいものを見ないようにする傾向がある。

 

小原氏の活動と作品は、政治的な立場を脱したところから、見えざる存在であった「原発事故後の世界を生きる人たち」を可視化した。生活、人生が、しっかりと営まれていることを示した。それは、地球上で極めて特異な地でありながらも、我々の送る日常と変わらない素朴さがあった。

 

地球を一週回って、ようやく、福島が今どうなっているだろうかを少し想像した。凄まじく残酷に生きている自分に気付いた。

 

 

 

 

 ( ´ - ` ) 完。