nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R3.3/20_「さよなら壹燈舎、また逢いましょう smile&smile」@PhotoGallery 壹燈舎

関西の写真系ギャラリーが3/21(日)、また一つ幕を閉じた。最後の展示はゆかりのある約60名によるグループ展。

2009年の開廊以来、毎週のように展示を催し続けてきた場である。ただ、HPには「一旦閉廊します」「近い機会に、必ずお会いしましょう」とあり、今後また再開される意思を込めたメッセージが掲げられている。

 

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【会期】2021.3/17(水)~3/21(日)

 

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壹燈舎には1~2回しか行かずじまいだった。

 

ここ2、3年は大阪の写真系ギャラリーをラウンドしてきたが、自分の時間の使い方の下手さもあって、梅田から心斎橋方面に下る時には定点観測スポットとして絞り込んだ1~2カ所しか観られなくて、特に、事後にこうしてblogレポートを書くことを考えると、最優先で通うギャラリーですらも毎回の展示を追うことが不可能だったため、壹燈舎の優先順位は常に後回しだった。

口では表現(写真)に貴賤はないとか、どんな表現(写真)にも価値があるとか、リベラルめいたことを言いながらも、結局のところ全てを満遍なく鑑賞・レポートすることは不可能であって、どうしても評価の確かな「作家性」や「社会性」の強い作品に寄ってしまった。結果だけ見れば、私がある種、権威主義化していたことは否めないだろう。

 

そんな自戒めいた繋がりというか思い出しかない。

王道の?実力者が次々に登場するニコンサロンをはじめとしてThe Third Gallery、BLOOM、Solaris、176、ハイジュの展示をキャッチアップしては読解に手こずるのが楽しかったしやりがいがあった。その一方では、写真を好きな人が好きなペースで好きなものを発表できる場として、壹燈舎やアビィやBEATS GALLERYのような写真の場があることは、大阪・関西という、東京の外のローカルにとって、ささやかながらも写真文化の支えになっていることを常々感じていた。文化などというものは結局、教育機関有識者が保護するものではなく、今を生きている人間たちの集まりによって作られる時間と場所に他ならない。

 

社会(と呼ばれる読み書きリテラシーの高い人々の層)や写真界やアート市場にリンクしていなくても、また、「映える」写真で注目とフォロワーを集めメーカーやファッション界と接続するなどということが全然なかったとしても、朴訥な日記のような写真、そういう作家性というのもアリなのではないか?と思ったりもする。

私はまだまだ異世界バトルの最中というか、やりたいことの優先順位があるので、そうした作品について本blogで個別に殊更に取り上げることはないが、それができるのは同じ「写真」でも多彩な「場」があればこそだろう。

 

壹燈舎については、古き良き写真好きな方々の交流の場という感想を抱いている。モノクロもカラーもあり、80~90年代頃の写風を感じる風合いだった。市場や評価への参入とは別のところで、写真を愛している方々の「場」であった。

同じ性格の場として「BEATS GALLERY」があるが、ビーツほどは写欲というか私写真のエッジは立たせていない。ただし無欲なのではなく表現のベクトルの違いで、穏やかながら、日常の中に写真によって自己の世界を見い出している点では同じだろう。

 

自分(たち)の悦びのために撮られる写真の存在を認める場所として。

 

本展示は、展示に参加してきた写真家らの同窓会やお別れ会のような場となっていた。メモ用紙にコメントを書いて自由に貼り付けられ、廃校になってしまう母校を惜しむような雰囲気で、愛が溢れていた。 

 

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写真は1人1枚を出展していて、それぞれまちまちで、ギャラリーとの思い出の詰まったものや、風景のスナップ、人物などなど。どの作品もぬくもりがあった。

 

エモーショナルな写真にも2つあって、ひとつはソール・ライターのような、どんな人にも伝わる美術上の「攻め」の公的なエモさ、もうひとつは個人の掌に握られた思い出の紙片のような、共有されないかもしれないけれどその人にとっては大切なエモさ、本展示では後者の方がずらっと並んでいた。それはInstagramなどSNSで見せる写真などともやはり違う意味があるように思われた。

 

 

私もできるだけ、1日でも多く、現場を回っていかないとなあと思いました。回れてません。ひい(窮する声)。

 

( ´ - ` ) 完。