【映画】「ドキュメンタリー映画 岡本太郎の沖縄」@第七藝術劇場
このタイトルで「岡本太郎のドキュメンタリー」だと思って観に行くと、思わぬ空振りに遭う。正確には「かつて岡本太郎が愛した沖縄が失ったもの・遺されたものを追うドキュメンタリー」だ。
本作は、岡本太郎の写真集「岡本太郎の沖縄」( 日本放送出版協会、2000年)を元とした映画である。
1959年、1966年の2回にわたって沖縄を訪れた岡本太郎。彼が熱心に残した多数の写真にインスパイアされて、現代の映像作家らが行動を開始し、当時の撮影の舞台を訪ね、各カットの今と昔とを照合させる。そして、写真に写っていた島民やその子孫を訪ね、インタビューを行っている。岡本太郎の沖縄探訪プロジェクトを、まさに約60年の時を経て現代の沖縄で再開するものだと言えよう。
あまり知られていないが、岡本太郎は多数の写真を撮っている。1950年代から日本列島を東へ西へと奔走して文化人類学的な取材を重ねるなかで、写真は有効なアプローチ手段となった。だが岡本太郎の写真は単なる記録を超えていて、多数の写真図版が今なお発刊されている。そこには、取材先の土地がそれぞれに持つ土着の空気や土が生きており、日本が近代化を果たす過程で失われてゆく営みや風習が、映像として濃厚に遺されている。
本作のキャッチフレーズにもなっているように、『沖縄とは、私にとって一つの恋のようなものだった』と岡本太郎は語り、沖縄に強烈に惚れ込んでいたようだ。列島を行脚した末に1959年に沖縄へ辿り着いた時、本土では失われてしまった「日本」の原風景を発見し、興奮し、その感情を「恋」とまで表わしている。これは只事ではない。
強烈な思慕を湧き上がらせた点は、まさに東松照明に生じた現象とまるで同じである。東松は雑誌の取材で返還前の1969年、沖縄に複数回(波照間島も合わせると3回か)訪れているが、基地の島にあって、却ってアメリカナイズされずに遺されていた「日本」を発見し、非常に感激を覚えたのであった。さっそく本土復帰の1972年4月、東松は沖縄へ住民票を移し、約1年間の滞在の後、次は宮古島へ7ヶ月、その後はより南西へ、国境を越えて東南アジアの島々を1年間追うという生活を続けることとなった。
経済史上は、1955年頃からが高度成長期とされており、ちょうど1964年東京五輪に向けた各種整備も本格化していく時期だったのではないだろうか。すなわち、明治維新や度々の戦争はありながらも、それまで受け継がれてきた「日本」というものの実体が、ついに暮らしのレベルで書き換えられてゆく時代を迎えたのだ。
本映画が度々取り上げる、過去の沖縄の姿(写真)は、そうした巨匠らが発見した「日本」、或いは本来の「沖縄」の原型が写っていると解釈できる。残念ながら80年代生まれの私にとっては、「日本の原風景」=郊外の住宅街と都市部の高層ビル群なので、実感が全く湧かない。だが言わんとしていることは分かる。都市から電柱・電線・広告・看板の類を全て撤去、浄化されたとしたら、私は「日本風土の破壊だ」と、猛烈に喪失感に苛まれるだろう。そういうこととして本作を見る時、人々の暮らしが何かカオスの胎動と共にあることについて言及しているのではないかと思うようになった。それは、自然や「神」との交流である。
民俗学者・宮本常一もまた、日本列島における大量の写真資料を遺している。ここには、川、海、山といった自然界に寄り添って集落を形成し、土地に根差した産業があり、そのコミュニティの内側には伝統的に受け継がれてきた祭り、風習、神の存在が根深く息づいている。風土と切り離された住居システムを打ち立てるのではなく、風土に開かれ、風や光が通り抜ける場としての家屋や集落のあり方が、その写真群からも伺える。
ただし写真の性質が宮本常一と岡本太郎とではまた異なる。宮本の写真は資料・記録として整然としている。観測者、研究者としての立ち位置が守られていて、一定の距離から先には対象に介入しない。岡本太郎の写真はもっと近い。人であれ祭りであれ、斜め前から両目でぐいと掴んで引き寄せている。フォーマットも、行事の衣装のバストアップや仮面のクローズアップで、全身が写っていなかったり、闇・影が射していたり、構図自体が傾いていたりする。それが、却ってシュールな生命力に満ちている。そのシュールさを更に強めていくと東松照明に繋がるだろうか。東松まで行くと民俗学的な色合いが薄れ、異界そのものの内側に入り込んでいて、その中から洗練された撮り方によって、祭事や伝統的衣装の美しさを表出している。呪術、カオスを逆に感じないのが東松写真の不思議なところだ。
だがカメラの眼を現代の沖縄に向けるとき、既に島内には画一化された都市生活が行き渡っている。かつて岡本太郎が見い出したものは、見い出せそうもない。(現代の沖縄を語る眼としては石川竜一になるだろう) 太郎が撮った写真がモノクロで味わいがある、などという意味ではない。暮らしのあり方が根底から変質したのだ。作中で度々「失われた」という言い回しのナレーションがなされるが、伝統的な営みを受け継いでいくことは容易ではなく、その当事者らは高齢化により先細り、廃絶が目に見えている。
作中で登場する人間国宝・平良敏子(たいら としこ)の「芭蕉布」(ばしょうふ)作りが、その代表事例だ。全ての素材、染料や繊維から全て手作りで用意し、編み上げていくという大変な産業だ。現在97歳の超高齢である。すっかり失われてしまった沖縄の本来の姿を、今も遺す貴重な存在として取り上げられるのだが、同時にそれは終わりゆくものとして映る。
終わりゆく「沖縄」、終わってしまった「沖縄」。昭和の高度成長期にその決定打があった。
本作の後半は沖縄本島から東に5.3㎞の小さな島、久高島(くだかじま)の伝統的儀式「イザイホー」と、それを取り仕切る「久高ノロ」(くだかノロ)について語り、過去の記録映像と、現在の島民らのインタビューを織り合わせながらアプローチしていく。久高ノロは、まさに滅びゆく「沖縄」の象徴であった。ノロとは祝女と書き、祭祀を司る神職、神官である。本作の広報のメインキャッチとして用いられ、また太郎の写真集の表紙も飾っていた彼女は、太郎が訪問した2年後の1961年に亡くなったという。
この写真は深い慈愛や神秘性を湛えており、見過ごすことのできない存在感を放つ。映画制作者らは写真集の表紙、この久高ノロの写真を持って、島内を回ってインタビューを行い、島のこと、彼女のこと、儀式のことについて、地元民の言葉を紡いでいく。言わば、岡本太郎が本作における看板としての主役なら、ストーリーの実質的な骨子としての主役は彼女である。
現役時代はその厳格さゆえに「乃木大将」の異名をとった彼女だが、物事の本質を鋭く見抜く人でもあった。時代の流れ、移り変わりから、600年の歴史を持つ「イザイホー」が廃止となることも、久高ノロという制度が終わることも、彼女は分かっていたのではないか…と語られる。
イザイホーは12年に1度だけ行われる儀礼だ。久高島出身者で、30~41歳の女性は祭りの日になると必ず島に戻ってきて、この通過儀礼を受けなければいけない。久高島内のコミュニティの維持、ガバナンスが、古来より島内に神を設定することで、神事、神との交流によってなされているためだ。一般的な法令に加えて、もう一つ生活上のしきたりのレイヤーがあると言えよう。その根本には、男は漁に出て島を留守にするため、女が島を守らねばならなかったという歴史的経緯がある。そこで女性は全員、島を守る神官となるために儀式を通過しなければならないものとされた。人生で3回経験して初めてこれは完成されると語られており、2回では何かが足りないのだと言っていた。
youtubeには1978年のものしかないが、1966年時の映像は衝撃が深い。そちらは白黒のため、真夜中の暗闇で、照明を浴びながら、白装束の女性らが掛け声を上げながら縦列で行き来する姿に、こちらの意識も揺り動かされるものがあった。深い神秘性というのか、真の「祭」の気配が満ちていた。素人目にも明らかに参加者らのトランスが伝わってくる。イザイホーに参加した当時のことを聞かれると、思い出して語られるのは、頭がぼうっとするような感覚、大勢の鑑賞者らとは別の世界に入っている感じについてであった。一種のエクスタシーがそこには満ちている。
沖縄の根源的、琉球王国から続く脈動、命のようなものがそこにはあった。
制度と呼ぶにはあまりに生々しく、呪術やスピリチュアルなどという単語では到底語れない、血の通った儀式である。だがこの伝統的儀礼も1990年、終了を迎える。最高位の官職が2人揃っていないと出来ないのだが、1名は死去、残されたもう1名は80歳で入院していた。夜通し走り続ける儀式なので参加はできないと。
そしてイザイホーを終わりにすることを協議しているらしき様子や、その決定を神に伝えているであろう姿の記録映像も、本作では登場した。胸がざわざわした。映像の力は凄い。その場の雰囲気が異様に切迫していることが分かる。あってはならない決定を下さなければならない時が来たのだという、言わば異常事態である。本来、神と人との間に立ち、伝統を守り継承し、神とアクセスする立場の者が、神とのアクセスを人間側から閉ざすことになった旨を報告し、宣言しなければならない。この辛さは、いかほどのものがあったろうか。この様子を見られただけでも、本作を観た甲斐があったというものだ。
そして本作では、もう一点重要な切り込みがある。『週刊朝日』1967年1月20日号に掲載された岡本太郎の久高島のルポに関する醜聞の顛末についてだ。
紙面には、イザイホーだけでなく、地元の風葬の風習が報告された。風葬の現場を訪れ、野晒しになった頭蓋骨や、木箱の棺に入った遺体、それらを撮影している太郎の姿が写真で掲載された。この件で太郎は、勝手に棺を開けて、死者の眠りを暴いたとして非難を浴びた。このセンセーショナルな報道によって、風葬の風習があることが知れ渡り、大勢の心無い来訪者が押し寄せ、現場を荒らすようになったため、地元の人たちはその場をコンクリートで固めることになったという。
本作が切り込んだのは、関係者らを辿ってインタビューを行う中で、この一件が岡本太郎の行き過ぎた好奇心や非常識による個人的な行動などではなく、新聞社らの手引きにより催された、集団での「見学会」であったこと、つまり地元との了解が得られた中での現地訪問であったこと、そして太郎は遺体の入った棺を暴いてはいないということであった。むしろ、どうも観ていると、新聞社らの動きが妙というか、太郎を持ち出してセンセーショナルな発表をぶち上げ、そして炎上のつけは太郎に押し付けた、という構図が見えたような思いがした。
というのも、取材に応じた人たちは誰も、太郎は悪くない、という口調なのだ。現地への案内で車を走らせた島民は「世の中が進歩して、風葬もいつかは外に分かるときが来たと思う」と達観した感じの口調。当時すでに、古来からの伝統的風習も、高度成長期を迎えた日本社会とはもはや折り合わないものであることを感じていたのだろうか。10名だか20名だかの取材陣らを、そのような重要な場所へ招き入れるという大胆なサービスをしたのも、何か思いがあってのことだったのかもしれない。神の島も、近代社会との折り合いの中で、変わらないといけないという端境期にあったのだろうか。
そういった感じの映画であった。
全体を通じてかなり淡々としており、平坦なので、仕事帰りだと寝てしまうかもしれない。寝ました。だめだ。イザイホーのところまではかなり平坦。
岡本太郎のインスピレショーンの源泉を見れる、などと期待していくと目も当てられないだろう(正しくはまさにインスピレーションの源泉そのものだが、我々現代人がアミューズメント的に期待するものとは遠くかけ離れている)。
現在と太郎時代を行き来し、太郎の内面が見えそうなところもありつつ、現在の文化的ドキュメンタリーを予想以上にしっかりやっていくので、構成においては見づらく、意識が向こう側へ入っていきたいのに、いけない場面も多々あった。井浦新のナレーションが、邪魔なときと、あって正解の時との差が激しく、これもつらい。しかし、構成や技法上のことよりも、岡本太郎という稀代の芸術家が見い出した沖縄の「魂」のようなものと、それを巡るスキャンダルの顛末について、知ることが出来たのは大変良かったと思う。
現代の沖縄を語るうえでは、根深く続く日本政府とアメリカとの関係性、各種反対運動や地元の思いなどの超複雑な状況を避けては通れないところだが、本blogでは意図的に度外視した。本作もまたその問題についてはあえて触れていないためだ。いや、それらのシリアスな情勢の向こう側、一つ越えた奥の方にいる、素朴な暮らしを営む島民たちの姿、魂へとアプローチしようとするのが、本作の試みなのだと解釈したためだ。
( ´ - ` ) 完。