nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R3.8/27~9/7_千賀英俊「HOMI」@gallery 176

昭和の古い団地を背景に、南米系の面立ちの人々がいい顔で写っている。ブラジルをはじめ南米からの出稼ぎ労働者が多く住まう、愛知県豊田市「保見団地(ほみだんち)」である。

作者は約20年にわたってこの団地を撮影してきた。写真は静かに提示され、人々は異国人ではなく同じ距離の「住民」として写っている。多くの人が期待するであろうスキャンダラス性がない分、本展示では写真を見るだけでなく、作者から保見団地の変化や、被写体となった人々の話を聴くことで、意味が現れてくるだろう。

 

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【会期】2021.8/27(金)~9/7(火)

 

保見団地は豊田市が人口増加に備えて造成したもので、1975年から入居が始まった。全体で67棟にも及び、全人口11,000人のうち、在日ブラジル人の人口は40%超(3000人弱)と、圧倒的な割合を誇る(2018年時点)

1990年の入管法改正より、ブラジルをはじめとした南米から日本へ出稼ぎに来た日系人移民たちが、他所よりも安いという理由で住み着くようになったのが始まりだという。言うまでもなく豊田市トヨタ自動車関連の一大工場地域で、そこで働くために今も南米から労働者が訪れ、また何年かすれば母国へと帰っていく。移民の数は経済・生産状況に左右される。

保見団地を巡る状況について、この記事が客観的なデータが多く、参考になる。

 

「保見団地」の特異性=南米色の強さは、今ではかなり知られているが、知名度の拡大に一役買ったのはやはり写真家・名越啓介の活動だろう。

名越は2013年冬から約3年間にわたって現地に住み込んで撮影し、『週刊プレイボーイ』に記事を掲載されつつ、2016年12月にはVice Media Japanから写真集『Familia 保見団地』を発刊した。さらに「VICE」などWebメディアでの関連インタビュー等の記事が出回り、何気ない昭和風の団地群が「日本であって日本でない」治外法権のような スポットであることを多くの人に印象付かせ、好奇心を向けさせた。

 

「団地」という、昭和から続く日本の何気ない生活領域がブラジル化しているという事実は衝撃で、物珍しさからか、「日本」のアイデンティティークライシスも含むためか、名越だけでなく多くの人を突き動かし、今もWebには様々な書き手・撮り手の現地レポート記事や動画が散見される。

 

写真集『Familia』では、名越啓介と組んで仕事をしていた著述家・藤野眞功(フジノミサオ)が団地に住み着いた経緯を書いているが、『プレイボーイ』に記事を売り込むためのネタとして、ブラジル人がニューイヤーで盛り上がったり、ワールドカップで盛り上がる様を押さえようと苦心していたことが描かれている。読者・鑑賞者との接点、入口としては、お騒がせの外国人移住者というバッドテイストな切り口であったことが伺える。

 

だが名越の写真には浮かれたところや、露悪あるいは告発めいた視線はない。腰を据えて、保見団地という大きな家庭の内に入り込んで、衣・食・住、出産や子育てに肉薄しながら撮っている。写真には生活の肉感と陰影、動き、そして生活音が色濃く写る。付かず離れずのところで捉えている名越の視座は、それぞれの家庭の、見えざる第3の家族のようだ。

 

 

さて、前振りが長くなったが、本展示:千賀英俊『HOMI』について見ていこう。

「保見団地」という場の特異性と、流布している情報・イメージとなると、そこに食い込んで発信してきた写真家として、どうしても名越啓介に言及する必要があった。

 

千賀作品は、名越作品とは逆に、写真としては寡黙である。タトゥーやカーニバル衣装など、ビジュアル的に目立つ人物や衣装は写り込むが、撮られたシーン、写真自体の表情は落ち着いている。話を聞けばその光景も、日常的に続く祝祭や脱線ではなく、ごく一部であったり、今ではもう見られない光景だったりする。

 

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同じ「保見団地」でも、名越啓介が様々な要素で「動」なら、千賀作品は「静」である。名越作品では1枚1枚のシーンにはビジュアルの強さがある。家族や情や紐帯などの意味があり、その情緒的な強さが「ファミリー」という総体を醸している。千賀作品では各シーンが明確な意味から一呼吸おいて抜け出たところに被写体を写している。写真の指示対象が、目の前の現象――ブラジル人の治外法権的な様相や日本人コミュニティとの対比や、異国での「家族」のドキュメンタリーというより、焦点はもう少し奥深いところにあるように思われる。

 

代表例がサンバの衣装をした女性らの写真で、一見「ブラジル人移民らしい」奔放さ、日本文化の塗り替え事例のようにも見えるかもしれないが、話を聞くと、日本人とブラジル人ら、住民間の交流の機会を持つための策として、毎夏恒例の盆踊りにサンバをくっつけたことがあったのだという。しかし住民間で一定の交流ができるようになり、サンバは行われなくなった。

また、一見普通の日本人のように見える女性が、部屋の中で写っている写真、背後には日本人ではない面立ちの遺影が、和の仏教式ではないスタイルの仏壇(南米の仏壇、と言うとおかしいのだが)に据えられていて、「日本人」か「南米人」かという二分法のきかない住人であることが分かる。

この方はかつて日本からブラジルへ渡った移民の2世である。見た目は日本人だが言葉や信仰などの中身はブラジル人である。そしてその息子、つまり3世に当たる子が保見団地で生まれ育っている。移民自体は日本語に不自由でも、日本で生まれ育った子らは学校で日本語を学べるため、見た目は南米人だが中身は日本により順化した存在となっている。

 

本作にはそうしたボーダーの混乱が秘められている。「ブラジル人移民労働者」の一言では括れない、しかし「日本人」とも呼べない住人たち。

要因として、作者が撮影を重ねてきた20年の間に、地道にかなりの住民間の融和が進んだことが大きい。

当時の団地は、外を歩いていてもリズミカルな南米音楽が聴こえてきたし、路上もゴミであふれて燃えた車も放置してあった。この20年で大きく保見団地も変わってきた。きれいになったし音楽が聞こえてくることも少なくなった。日系二世も多かった日系ブラジル人も日本で生まれてくる子供も増えて3世や4世の世代になってきている。

 

写真だけでは見えないエピソード、来歴、過去や、「日本」なるものとの関係性のところが本作の主な指示対象であり、写真のビジュアル自体が直接的な答えとはなっていないが、何かありそうだという示唆に富んでいる。そのため作者から話を聴くということが不可欠となっていた。

それが写真展示として良いのかどうかは一旦置いておいて、作者が表したかったのはステートメントの締め括りの通り、人種や国籍、文化といったものの「境界の曖昧さ」にあるだろう。

それを可能にしたのは、時間をかけながら「日本」の地元と交流し、日本側のマナーやルール、言語を飲み込み、会得しながら、自らを地元民と化していった、南米人移民らの努力と歴史そのものであり、作者から話を聴くというのは、そのことを浮かび上がらせることに繋がる。

 

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どの写真からも最も伝わってきたのは「保見団地」の古さ、老朽度合いだった。内装も外観もくたびれた「昭和」、右肩上がりの人口増に応じるためのインフラ、つまり時代も役目も既に終わっている。当然ながら耐震性能も今の基準を満たしていないので、各棟が独自に対策するにとどまり、抜本的な建替計画などは今のところ立っていない。

作者曰く、本作はこのまま幾らでもに継続することが出来てしまうが、区切りを付けるとするなら、老朽化・耐震対策のための建替え時期だろうという。

 

団地で培われてきた独特なコミュニティ、今後どうなるかは未知数である。

 

 

( ´ - ` ) 完。