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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】DOMANI・明日2020 傷付いた風景の向こうに @国立新美術館

【ART】DOMANI・明日2020 傷付いた風景の向こうに @国立新美術館

風景、記録、記憶、傷というテーマは、時間をかけて対象と向き合い、そして声高には語らない「写真」と相性がよい。10組の出展作家のうち5組が写真である。プロローグの石内都、米田知子から、藤岡亜弥の広島、佐藤雅晴の福島の映像を経て、畠山直哉の樹の作品で現在へと結ばれる。 

【会期】2020.1/11(土)~2/16(日)

 

個人の歴史も国の歴史も、紐解けば傷の歴史だ。いわば歴史とは大なり小なり傷によって紡がれている。よほど最近に経済的に勢い付いた新興国でもない限り、戦争や内戦、自然災害、経済危機、重大犯罪などによって、歴史が編まれ、何かしらかの深い傷を負っている。本展示は「日本博スペシャル展」、文化庁新進芸術家海外研修制度の成果の発表の場であるが、キラキラニッポン万歳などではなく、しくしくとした感傷でもなく、日本列島の抱えた傷の記憶と、傷を負いながらも今を歩んでいることを示す内容だった。

 

セクションやこちら

 

・プロローグ ― 身体と風景

・1.傷ついた風景 ― 75年目を迎える広島と長崎

・2.「庭」という風景 ー 作家の死を超えて

・3.風景に生きる小さきもの

・4.傷ついた風景をまなざす、傷ついた身体

・5.自然の摂理、時間の蓄積

・6.エピローグ ー 再生に向かう風景

 

 

印象に残ったものをいくつか。

 

 

◆プロローグ

では石内都《Scars》シリーズ:女性の体の傷跡を撮った作品などと、米田知子《Scene》、《コレスポンデンス ー 友への手紙》シリーズが展開される。

石内作品は丁寧にかつ空間の間取りをしっかり取れば、やはり素晴らしい。しばし見入る。

 

米田知子《Scene》はかつて戦争、紛争の舞台となった地の現在形を撮る。いわゆる「写真だけ見ても何の写真か全然分からない」類のもので、タイトルの地名を見ながらググりましょう。世の中には、何も知らなくても分かる写真と、知ることで分かる写真があるのだが、後者の代表格だと思います。ノルマンディーでピンとくるけど。でもこういう、観光客がダラダラしてるビーチだとは思わないわけです。キャパを知ってたら尚更。そこが面白い。歴史とは固定された符号なのか。個々人の記憶や印象の賜物なのか。何なのか、と。

 

同じく米田知子《コレスポンデンス ー 友への手紙》は初めて見た。小さなモノクロ写真で、タイトルの下にそれぞれの土地の説明書きがある。小説家、アルベール・カミュの創造の源となった、土地、アルジェリアとフランスの土地を巡るものだ。ここにも戦争の歴史がある。

米田知子なら阪神・淡路大震災の傷や記憶を撮ったシリーズもあったと思うが、海外研修制度という枠組みだからこういうセレクトなんでしょうかね。

 

 

◆1.傷ついた風景 ― 75年目を迎える広島と長崎

藤岡亜弥《川はゆく》シリーズと、森淳一の作品。藤岡作品は通路っぽいコーナーの両脇で展開、森作品は油彩や彫刻だが、次のセクション2・若林奮と同じ部屋で展開されているので、実質的にはあまりセクションの区別がなく、混ざり合っている感。

《川はゆく》、戦後の写真史で語られてきた「ヒロシマ」の枠組みを更新した作品だったと思う。ここに写っているのは2013~2019年の日常の光景で、戦争、原爆の傷や、反戦反核のメッセージでもない。だが日常の中に原爆記念館にて保管、発信される記憶や8月6日のセレモニーなどが効いていて、それ抜きにはこの街はありえない、大阪や東京などとは全く異なる都市であることが見えてくる。そこが面白い。あらゆるものが等価に立ち現れて写り込んでくる、それが平成という時代の一つの解答だったように感じる。

 

 

2.「庭」という風景 ー 作家の死を超えて

彫刻家・若林奮(いさむ)のドローイングや銅板などの作品群。眺めていても何も分からないが、解説やその他検索によって知れば知るほど、実に体を張った社会的プロジェクトだった。

舞台は東京都西多摩郡・日の出町、ごみ処分場の建設を巡る反対運動において、これらの作品は生み出された。成長し続ける東京、都心部及び郊外の人口増加に伴うごみ処分の問題、処分場の建設が必要となり、そして地元自治体の経済と補助金の関係性から、日の出町の緑豊かな土地が処分場の引受先となった。

緑の破壊、処分場の稼働によって有害物質が土壌に漏出する恐れなど、自然が危機に曝されたことで、1980年に建設が動きだすのと同時期から反対運動が起き、その後も運動は継続。若林奮がいつから参加したかは分からないが、1995年から作品の制作年が刻まれているので、その辺りから本格的に参加したものと思われる。

その作品とは、「緑の森の一角獣座」吉増剛造命名)という庭である。処分場の建設予定地に確保されたトラスト地に作られた。展示されているのはその構想、デッサンである。

現地の写真がないので、箱状に区切られた「庭」なのか、ランドアートなのか、それとも巨大な彫刻のような出で立ちだったのか、想像するほかはない。

解説では「庭」だ。土地と作品が一体化しているもので、作品の撤去命令が出ても土地自体が作品なので撤去は出来ず、強制収用により建設を強行すれば作品の破壊=著作権侵害にあたる。ゴミによって埋め立てられても作品=土地としては見えないところで存在し続ける。行政の思惑、権力に屈しない戦略的な取り組みだ。

結果としてトラスト地は強制接収されるのだが、これはとても面白かった。行政や企業の行使する暴力に、市民は守られ、恩恵を受けながら、いつどこで自分が奪われる側に回るのかは未知数だ。官民の回す死のルーレットに、いかにして生き延びるか、表現・表現者はいかに抗するのか、それは永遠のテーマであるように思う。ただ、反対運動を展開した活動家らの側がどのような存在だったのか、対応し続けた行政側の視点も聞きたくなった。 

 

 

◆4.傷ついた風景をまなざす、傷ついた身体

 2019年3月に逝去した佐藤雅晴の映像作品が2点。大画面の《福島尾行》(2018)は隣の自動演奏ピアノとセットだ。小さなTVモニタでは渡独して初めての作品《I touch Dream #1》(1999)が流れている。

遡ること1年ほど前のTwitter上では、佐藤が余命宣告を受けながら開催した個展「死神先生」のことや、最期を惜しむ人たちのツイートが多数見受けられた。あの時、美術関係者らが投稿し続けていた惜しみの様子は、どこかリアルタイムでオンラインな、看取りや通夜にも似ていた、そんな空気があったことを思い出した。

作者が独特なのは、リアル動画に対してトレースの技法を全面的に用いていることで、輪郭線をくっきり縁取られた映像は、質感が一気に高精度のアニメのようになる。そんな作者のスタイルを知らなかったことと、プロジェクションの映像がそこまでクリアでなかったため、輪郭線には全く気付かなかった。ただ、福島の再開発で、積み上げられていく防潮堤のコンクリートと、積み上がってゆく除染土入りのフレコンバックが淡々と映されていた。5、6年前位の光景だろうかと思って、制作年を見ると、2018年の今現在がこの有様だということだった。

つまり、私の中では「被災」はもう終わったもののようになっていたらしい。何やら決定的に、被災地と「私達」の日常とがセパレートされてしまっていて、私は傷の外側に生きているのだなと知った。まあそういう優等生的な感想文は誰でも書けるのでどうでも良いのですが、どうでもよくないまずさが残る。とにかく、優しい語り口調でこれらの夥しい量の建造物と堆積物が、しっかり画面に入ってくる、そこが重要だった。 

で、会場の画面では全く分からなかった「トレース」の輪郭線については、youtube大先生の教えを乞うとしっかり分かります。これだよこれ。線めっちゃ線。輪郭線抜きで鑑賞したのでドキュメンタリーとして受け止めたわけだが、輪郭線を得て鑑賞したらばどのような効果がもたらされただろうか。

 


佐藤雅晴―福島尾行 / Masaharu Sato - Fukushima Trace

 

 

5.自然の摂理、時間の蓄積

日高理恵子の岩絵具で描く樹々、枝の精密な絵画作品が6点。本展示のキービジュアルにもなっている作品だ。単体では国立国際美術館でも度々目にしていたので、一度に沢山観られるのは嬉しい。

 

図録や資料に落とし込まれると、枝や幹は黒の効いた、デザイン的な平面造形としか言いようがないのだが、実際に巨大な絵画の前に立つと、奥行きをかなり感じる。写真化されることに慣れ切った風景を、写真ではないやり方で、人力で凄まじい労力をかけて、写真の眼を再び身体化させてビジュアル化し直した――写真の文体を絵画の手へともう一度引き戻して、体で再構築した、そんな低温の凄みがある。そのとんでもない労力が生み出す枝の造形の細密さの隅々が、色のない空、失効した遠近の向こう側へと伸びてゆき、そこに写真的な、零度の奥行きを見るのかも知れない。

 

 

宮永愛子《景色のはじまり》(2011-2012)は、天井から垂れさがる高さ3.8mの大作。

約12万枚のキンモクセイの葉から成る本作は、天女の衣のように神秘的だ。2011年の震災の後、被災地に駆け付けたり滞在するのではなく、地元の京都にて、自分は自分にできることをしよう、という思いで作られたらしい。葉は様々な人の協力で、全国各地から集められたという。気の遠くなるような作業の作品だが、あの2011年に、被災地に行かずに作品を作り続けるという決断は、とてつもない精神力を要されたことだろう。当時、多くのアーティストらが精力的に現地へ向かっていたことであろうと察する。

多くの一般市民もまた、何もしないことに耐えられず、ある者はボランティアに、ある者は観光に、ある者はデモ参加に、ある者はツイート連投によって311後の状況と自分との折り合いを付けようと試みていた。それは焦燥だった。その渦中でこんな、祈りにも似た作品を作っていた人物がいた(しかも有名な作家だった)とは...。

 

 

6.エピローグ ー 再生に向かう風景

締め括りは、畠山直哉が2018~2019年に撮影した《untitled (tsunami trees)》シリーズが23点。どれも三陸の被災地に立つ、一本の樹だ。

まさに傷である。樹の周囲には何もなく、異様に平らだ。2011年の「あの日」、3.11へのリセットボタンが押されてしまったような場所である。信じたくはないが、これが2019年現在の三陸の姿なのだ。だが背景は、滅びながらも着実に再生を進めている。樹も、半身をもがれるように枝葉が大きく傷付いたまま、生きている。2階建て家屋も軽々と飲み込み、幾つもの街を壊滅させた津波の中で、これらの樹は生き延びたのだ。それだけで感動的だ。

樹は立っている。命あるものが立っている限り、この地点は「今」を更新し続ける。

確かに、私達は「あの日」の向こうに戻ることは出来ない。さりとて、3.11の後をただただ生き続けることを受け容れるのもまた容易ではない。だからなのか、三陸から遠く離れた土地で日常を生きる私にとっては、心理的には海外と同じぐらい切り離されている。きっとそうでないと日常を生きられないからだ。だが写真によって、切り離されていた荒れ果てた土地が、「あの日」の頃の衝撃的で痛ましい情報の錯綜の記憶と再結合する。そして、緑の生い茂りつつある光景によって、現地は再生と回復を歩んでいるのだという希望を抱く。この心の極端な揺り戻しが、感動的という言葉をもたらしたのだろう。

 

畠山直哉の写真が優れているのは、樹という普遍的なモチーフにより、分離してしまった被災の記憶と「今」を、再び被災地へと束ねるためだが、それだけではない。作家のコントロールを超えた雑多な背景をしっかりと受け止めて写し込んでいることだ。言い換えるなら、現地の日常・現実そのものが写真に宿される。今も終わりのない土木に従事する作業員、作業車両、瓦礫や、打ち上げられたままのフロート、なぎ倒されたままの木々、引き上げる者もなく水辺に放置されたコンテナ、その上に留まる鳥たち。

これらの光景が告げるのは、2019年になってもこの状態:被災地は傷だらけだというシンプルな現実だ。それが、写真の本来的な機能であり、役割である。背景の統一性のなさは、広範囲にわたって様々な場所で撮られたことを意味する。もしかすると、真の主役は中央の樹ではなく、樹が立っているそれぞれの土地全体の状況なのかも知れない。それらは実に多彩で広範な場所での「傷」を物語っている。

 

三陸の地が「傷」を完全に覆い隠せるようになる日は、いつ来るのだろうか。もしかすると、もう来ないのかもしれない。1995年の阪神・淡路大震災の時とは、全く異なる時代を生きなければならないのではないか。関西在住、90年代目覚ましい再生期に思春期を生きていた私は、そんな不安に駆られた。永遠に治らない傷を抱え、それを自己の一部として認めて、明日を生きていくという生き方である。傷痕ではなく、「傷」そのものを、だ。都市部の再生機能によって守られてきた私には、その覚悟は、全く無かった。そういうことを知った。 

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(  >_<) 2時間ぐらいかけてゆっくり見たかった。。

 

国立新美術館の閉館時間は、平時は18時。金曜・土曜は20時に延長される。これを、私の下調べでは21時閉館だったので、余裕あるもんねと森美術館でよゆうかましていました。死んだ。入場時に持ち時間が瀕死で、ゲーゲー言いながら50分ぐらいで超駆け足で鑑賞しました。なんでこんなことになったか。夏季です。夏季には閉館が21時にまで伸びるらしい。やられたァァアー。夏季ぃいいー。

 

 

( ´ - ` ) 別れたおんなの名前を叫んでるような終わり方ですね。もうちょっと聡明に生きたい。

 

 

( ´ - ` ) 完。