写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【映画】HELLO WORLD

 【映画】HELLO WORLD

 感想メモ。夢オチならぬ夢目覚めオチだったのかどうかわかりませんけども。

f:id:MAREOSIEV:20190930233504j:image

 

良く出来ている。

 

 

( ´ - ` )  良く出来ていますよ。

 

 

 

( ´ - ` ) 良く出来ていました。

 

 

誰が見てもある程度面白いと感じるのではないでしゃうか。SFだけれども。SFの定義ってもう忘れましたけれど、非現実的な手法や設定を日常にブチ込んで物語を編む行為はSFでいいかな。皆さん「君の名は。」で時空を飛び越えたり歴史が書き換えられることにかなり耐性がついたと思うので、本作もフラットに楽しめるだろうというものです。ちょっと泣いてる人とかいましたね。うへえー。まじか。

 

実に良く出来ていて、アニメーションの美しさ、学園・初恋の美しさ、仮想世界の儚さ、闘い、前を向いてゆくこと、大切な人を守りにいくこと、困難に飛び込むこと、敵と戦うこと、時空を超えること、あらゆる面でエモく、美しいのです。

主人公自身から初恋の人から世界全てがデータに過ぎないという虚しさも、それらに介入して救いを見出そうとした未来/別世界の「自分」もまたデータに過ぎないという虚しさも、エモさの前ではすべてが輝かしくて虚しさの微塵もありません。そういうところは青春アニメですね。虚しさとは青春の後に来る老成、悲しい大人のサガ、人格の陰影のようなものだとすると、この作品は形を変えたエモくてナードなドラゴンボールと言ってもよく、いろいろと元気とやる気と勢いで乗り切ります。ドラゴンボールやないか! ちがうんですけどね。中盤以降は苦境の中での格闘が続きますが、別人かと思うぐらいヒーローします。恋愛に一歩踏み込むとオスが強くなるのは「バキ」なのかなと思いますが、根拠のない力と突破。美しいです。良く出来ていました。てんこ盛りです。

 

てんこ盛りなので、ジャンルはSFと学園と恋愛と何やらかんやら混ざっていて、いい具合です。何かしら鑑賞者のどこかに引っ掛かるポイントがあったと思います。冴えない主人公が立つ日常は、システムが完璧にトレースした現実の複製データの集合体に過ぎませんが、それでも主観の中では日常は不可逆で、たった一度きりの人生で、燃えた本は戻らないし、過ぎ去った日々は過ぎ去ったままとなるようです。どういうデータの保管方式なんですかね?? 情報が時間と空間で管理されているから? でもそれだとデータが自分をデータ(複製)だと自覚した時点からけっこうな乱れが生じてアレなことになりそうな気がしますが。システム復旧のためのガードマンが自動発動して増殖しまくるにとどまります。良く出来たシステムだなあ。

 

データに過ぎないはずなんですけれどね。全然主人公がショックも受けてないし悩んでもいない。ただ、未来の伝道者(大人になった自分)の指南を受けて、ヒロインと距離を埋めていくという「恋愛ゲーム」に興じるわけです。初恋なんですけどね。学園固有のイベントに向けて日々好感ポイントを貯めていくってそいつぁゲームだ。しかもシナリオは大人の自分から全部聞いているし。

 

ああそうかこれは複数のゲームが入れ子構造になったゲームパッケージなんだ、と気付きました。だから「映画」や「SF」の枠組みで鑑賞してしまうと、そもそもの構造自体につきまとう悲劇性や虚無に対してあまりに登場人物が無自覚で無反応という、それこそ虚無な展開が理解できないし凄く勿体ないなーーと思ってしまうわけですが、なるほど、これはゲームだと思えば解決です。こちらが干渉できないゲームなので見る専ですが。

ゲームだと思えば、異世界にパッパッと行くのも、強力な(チート級の)道具、サポーターが味方するのもOKです。むしろ初見プレイではそういう助力がなければ詰みです。いっそ何度か詰んでから行動を再考してプレイしなおすような内容でもよかったとか思います。年寄りは好き勝手言うてすいまへん。本作ではヤタガラスが魔法兼武器兼防具というチート役です。というか無茶苦茶です。敵も無限湧きするわ合体するわ変形するわでせこいので、それぐらいでおあいこですが。

恋愛ゲー→カインゲー(裏切りゲー)→世界線超えゲー→姫奪還ゲー→戦闘ゲー→ゲーム終了→夢覚め:現実ゲー開始、という一連の流れを整理できたところで、「どこまで行っても、優等生な作品だなあという以上の印象が抱けませんでした。」という当初の致命的な感想に対する上書きが自分なりに出来ました。これはゲームのあらすじのプロットだと思えば、後は各場面で観客が任意でつまんで、各自妄想を繰り広げるのが正しいと言えます。文学や映画だと思うと良さがなくなります。詰めのチープさは、ゲームゆえの作りの「あそび」が確保されているのではということです。好意的だなあ私。

だってさあー。世界改変や艱難辛苦突破の話であればもっと序盤から落雷をブラックホールで吸い込むような描写は欲しかった(やればできるやないか!)。し、意思ある「私」の生きる世界や「私」自体が単なるビッグデータの集積に過ぎないと言うのなら、そのことの恐ろしさや薄っぺらさは欲しかった。し、データ元の現実世界というものがどこかに在るのなら、その世界とデータ世界とはどこまで行っても異なる質感であるということが描き分けられていたり、所詮はデータにすぎない主人公たちが少しでも「自分」についてうろたえたなら、凄まじく良かっただろうと思わざるを得ないのです。あれかな。昭和生まれだからかな。すんまへん。

 

でも「マトリックス」のように、世界の覚醒を求めない、世界の「真実」を全く求めず、ただ別世界/未来の自分に奪われたヒロインを奪還することしか頭にない、恐ろしく閉鎖した、二人の世界に埋没してしまえるこの感じは、日本独特の世界観だと言ってしまってよろしいでしょうか。日本には特異な宗教観がありましてですね。恋愛至上教とでも言いましょうか。日本には神様はいませんが、学園とか初恋が神聖な場としてありまして、エネルギーが高いので時が止まったりゆがんだり異世界との行き来が容易になります。なってましたね。おめでとう。

 

光と恋に満ち溢れながら、セカイを舞台に主人公がほぼ一人でガンガン改変していくって、おいそれって「君の名は。」「天気の子」じゃないですかよ?

そうなんですよ「君の名は。」が先行作品として無かったならばどれだけ観る側としては幸せだったことか。そう、構造としても、美しさとしても、泣かせ方としても、「君の名は。」によく似ていた。

でも「君の名は。」では登場人物らは少なくとも、町が隕石で消滅したという圧倒的現実があって、それを巡ってああだこうだしていました。ポスト311というリアルな今日的宿命を乗り越えて、「シン・ゴジラ」とともに311を半ばフィクション的に消化した感がありました。「HELLO~」では依り代となる現実が、ストーリーとしては薄くて、ヒロインが花火大会で落雷に撃たれる悲劇を回避するという、あるようなないようなプロットを巡ってあれします。その代わりに物語が依り代にしているのは、京都の現実の街並みをしっかりトレースした舞台設定、背景の描き方です。これは関西人としては非常にうれしい。京都そのものです。京都の描写はすごいけれどそれ以外はペラペラなのが映画というよりゲーム的です。京都駅ビルは1997年に開業した際に「SFみたい」「ブレードランナー的な」とまんまSFとして語られていた建造物ですが、本当にSFの舞台になったので、おめでとうございます。それだけでも関西人は観に行く価値があるよね。

 

ペラペラに拍車を掛けているのがキャストの厚みです。登場人物がいるようでいないのが本作の特徴です。主人公とヒロインと主人公(未来/異世界)の2人(3人)だけがほぼ物語を回している。だから初恋と自己啓発と独り立ちをぐるぐるやってる感じです。前半の学園・恋愛ゲーのうちはまだ登場人物が多いのですが、世界線をまたぐあたりになってくると、同格の力を持った人間がいないので、基本的に主人公と主人公(未来/異世界)とのやりとりになります。その薄い関係性の中で過去を思い出すシーンがちょいちょいありますが、ペラペラな過去のリフレインではなあ…自分しかおらんやん…。

 

この(その)(あの)世界が、偽か真か、この(その)(あの)「私」が虚構か実かといった根本的な問題は、一切不問。いやあ。いまどきの恋愛観/セカイ感ってこうなんですかな。うらやましい。うらやましいかな? どうかな。時空を超えて辿り着いた向こう側で、そして夢から覚めた月面で、初恋の人にしか出会えないというのも、全ての力が初恋の人のためにだけ出せるというのも、何だか壮絶な不幸のような気もしますんね。超常の力で改変できる世界って、それだけ弱くて狭いっていうことなんではないかと思います、旦那あ、見なせえ、法人税も払わぬ大企業や、長期政権の化け物と化した政府与党や、相変わらず出没するあおり族の底知れぬしぶとさを。力なんて無力なものですよ。

しかし中でも、向こう(別世界/未来の自分のいる世界)へ行ったり、そこから帰ってくるときの、次元が歪んで描写は良かった。良かったですね。狂ってますね。その描写、ビッグデータの集積から抜け出たりまた戻っていくときの話と絶対に相容れない描写やろと思いましたけど、あの描写は良かった。世界を超えて越境していく描写はガチでした。あれ? 恋心を抱くとか、異性との距離をつめて、相手の存在へと向かっていくことと、「今」「ここ」の世界線を超えることとが、同じ現象として描かれているのではないでしょうか? なるほど。初恋って「今」「ここ」の地球を超えて、別の宇宙へ旅立つことだったんですかね。まじかよ。ご苦労様です。

 

( ´ - ` )