nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【映画】堀貴秀監督『JUNK HEAD』@第七藝術劇場

お馴染み定番のSF世界の設定に、味のあるストップモーションアニメの風味、執念の手作り迫力、細部の超絶クオリティ。

だけではない。

話が進んでもずっと脆弱なボディのままの主人公、そしてクエストが「上へ」ではなく底なしの「下へ」と落ちてゆくことが、非常に示唆的な作品でした。

 

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以下はとりとめもなく、鑑賞のメモです。正確なあらすじやキャラ設定は公式サイトが詳しいので、そちらでどうぞ。こちらではすっとばします。 

 

◆本作の概要的なもの

これみてね。 

gaga.ne.jp

 

遠い未来3385年の話です。人類は未知のウイルスによって人口減少、生殖能力の喪失に見舞われ、生存の危機に瀕している。その体は無機物に置き換わっていて、サイボーグそのものだ。打開策として、かつて人間が製造し、地表より下に押し込めた人工生命体「マリガン」の遺伝子(=生殖能力)を持ち帰ることが計画され、地下の奥深くへ潜る調査員が募集された。

 

地上での主人公はダンス講師だが、人口減で経営が厳しくなり、調査員に志願する。底なしの地下へと送り込まれた主人公だが、途中で狙撃されてバラバラになる。その頭部を博士に拾われ、記憶喪失のまま、ジャンクな体で再生される。長い地下の旅が始まる。

この時代の「人間」は自我を頭部に格納されただけのサイボーグ的存在なので、作中では主人公の顔が計6回も変わる。タイトルの『JUNK HEAD』の由来でもあるだろう。

 

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パンフより主人公の解説。 けっこうひどい流転の運命を辿ります。

 

粗いあらすじはこんな感じだが(結局書いてるやん)、パンフを見ると人類とマリガンの辿った歴史と地下の住人達の設定はもっと壮大だった。しかし本作は、予備知識ゼロで観ても何の支障もなかった。スッと入ってくる。 

 

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( ´ ¬`) これが全部手作り。しかも組織力資本力ではなく、ほぼ堀監督の独力で作られている。 

7年かけて作ったんですって。

総コマ数は14万。当然、1カットずつ動かしてデジカメで撮影してゆく。

動画というものは、1秒24コマの静止画を連続して流すことで動いて見える仕組みになっている。つまり1秒の動画を作るのに24カットの撮影が必要になる。きがくるいそうですね。本作の世界観もさることながら、作者がなぜこの苦行をやり続けられたのか、脅威の継続力や人生観についても謎が大いに残ります。

 

Yahoo!ニュースがインタビューに答えているので参考になる。

news.yahoo.co.jp

中途半端な人生に嫌気がさし、40歳目前で一念発起、本作の制作に着手した…とのこと。意外と遅かったんですね。

 

堀監督も、独りで7年間もセミの幼虫のように籠っていたわけではない。 

実は、本作の前段にあたる作品が、2013年11月に渋谷アップリンク(惜しくも今年5/20で閉館…。)にて、1日限りで自主上映された。それが『JUNK HEAD 1』だ。映像制作の経験もないまま、内装業の勤めの傍ら、たった1人で4年かけて制作した30分の短編映画である。

 

2015年1月からは、制作スタッフを3~4人(作者含めて)に増やし、2年4カ月かけて新たに70分の映像を制作、30分版の前作に足し合わせて修正し、トータル1時間40分の長編作品が生まれた。

それが本作である。

2017年4月に完成、海外の映画祭に出品・受賞しているが、今回:2021年3月26日からの劇場公開までブランクが4年間もある。国内での上映先を求めて営業・交渉を続けていたのだろうか。現在では上映館が日本全国で100館を超えていて、とんでもないヒット作になりつつある。

 

その魅力は何なのか? 個人的に気になったポイントを挙げてみる。

 

 

ストップモーションセルアニメ、CGアニメ、実写の複合体

本作はアニメのようでアニメでない。

改めて言う必要もないが、言わざるを得ないほど驚愕の技術と作り込み、どうかしているレベルのコマ撮りアニメです。ありがとうございました。 

これです。ちょっと観ましょう。 

 


www.youtube.com

 

(  ╹◡╹)  アニメと実写のハイブリッド種。 

これを観て、「アニメ、CGの平面表現と、実写という立体表現との狭間を開拓している」と強く実感した。

アニメが物理的な質感を獲得した映像である。動きはセルやCGのようにスマートなものではなく、コマ撮りならではのベタベタとした、吸い付くような時間の流れ方をする。だが一般的に想像する「コマ撮り」のカクカク感がなく、コマは丁寧に繋ぎ合わされていて、どの動きも繊細な表情が宿っていた。そのため、かなり早い段階でコマ撮りであることを意識しなくなり、新しい領域のアニメとして受け取っていた。

 

本作の制作光景の裏舞台はパンフレットに詳しいが、実に、常軌を逸している(誉め言葉です)。

人形をコマ撮りして加工・編集して映像を作るだけでも大変なのに、元となる人形から背景・舞台から全て手作りている。しかも、全身の動きを表情豊かなものにするため、1㎜単位で各パーツを動かせるよう、非常に細かく精密な骨格を自作している。ヒト型のキャラだけでなく、各種マリガン:肉のモンスター達の骨格も実に細かい。

 

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パンフのキャラクター制作紹介ページ。手が不器用すぎて折り紙のやっこさんすら折れない私には恐ろしすぎる内容。

 

更に圧倒的なディテールを誇るのが各場面のセットだ。これはもう「セットを作る」というより、そういう地下文明を発見したと言うべき、人為的な行為を超えたものがある。

 

パンフレットはコンテンツぎっしりの55ページ、フルカラー。

store.gaga.co.jp

パンフレットの解説は実に詳細で、後から展開や登場キャラを思い出すのにとても良かった。他の映画なら評論の寄稿や著名人のコメント、イメージカットなどがバランス良く配されているものだが、このパンフは堀監督が設定や制作環境・作業をドサドサと紹介し続ける、狂った情熱が素晴らしい内容だった。

 

コマ撮りについて堀監督は以下のように述べる。 

SF映画というのは制作費が高額でハリウッドでは100億円以上が当たり前のジャンルだが、それは実写(CG含む)映像だからで、2,3Dアニメではやはりそこまでの迫力を出すことは難しい。

コマ撮りは映像自体は実写なので、上手く作れば予算を抑えてハリウッド実写に迫れる可能性があると感じた。

「持たざる者」が、「全てを制した者」の領域(=ハリウッド的な映画業界)で戦って勝つために、この手作りコマ撮りアニメという圧倒的に負荷のかかる手法を選んだことが分かる。情熱が狂っているだけではない、生存戦略だったのだ。

 

「持たざる者」、長い長い間、膨大な時間と労力を費やしながらも何者にもなれず、ただコツコツと歩き続けるしかなかった堀監督のキャリアは、本作における重要な柱となっている。後述しゃす。

 

 

◆慣れ親しんだサイバーパンクSF世界観

世界観は弐瓶勉の作品、特に『BLAME!』に似ている。一部設定は『バイオメガ』等にも通じている。

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未来の世界。サイバー化した人間。自然は人工物に覆われ、半ば永遠に続く構造体。無機物の中に現れる有機物はカオスな、異形で狂暴な生物種。器官が剥き出しになった体。食うか食われるかの戦い。「空」も「土」も見えない世界。果てのない探索。遺伝子を求める旅。ウイルス感染による変異。等々。

世界観と設定の全てに覚えがある。だがそれは特定の先行作品への傾倒というより恐らく、脈々と受け継がれてきたサイバーパンクSFの真っ当な系譜、共通言語のようなものだろう。

 

地表・人間の住む都市世界と対照的に描かれるのが、地下のマリガンの世界だが、その果てがない。縦にも横にもどこまでも続いているように見える。しかも洞窟などではなく高度かつ巨大な構造物が延々と続く。それは80年代後半、90年代に日本の写真家らが追い求めた首都圏の巨大構造物のスケール感にも通じる。人間が不在となる、無機物が無機物を自己増殖させ続ける世界…。

そろそろ現実には、都市構造体を維持していくことの不可避のコスト負担が世知辛い現実問題となりつつあるが、この無尽蔵な構造体をひたすら彷徨うクエストの謎と魅力が、本作では遺憾なく発揮されている。

 

そしてストーリー自体も、キャラの会話内容もシンプルだ。込み入った議論はない。ファミコン時代のゲームの登場人物ぐらいシンプルな語法と情報量でやりとりがなされている。登場するほとんどが人工生命体マリガンの末裔で、人間ほど複雑なことを考えない、自己と外界との関係や構造に認識が及ばない(機能上ゆえか、必要性がないためか?)ためだ。

 

詳細な設定も、ストーリーも予習なしで、普通にスッと入り込めたのは、こうした慣れ親しんだ世界観がベースになっているためだと思う。

 

 

◆下り続けるリアル、無力な主人公のリアル

だが私が慣れ親しんできた従来のサイバーパンクもの、例えば弐瓶勉BLAME!』や木城ゆきと銃夢』では空間・構造上の「上」(外、と言ってもよい)を目指すストーリーと、困難・脅威を打破してゆく主人公の「強さ」が存在した。空や宇宙に象徴される、現在置かれている状況の「外」へと向かう力と意思が作品の要諦となる。『マトリックス』も基本的に主人公は強く、銃撃戦・格闘戦を繰り広げて認識の外側、夢の向こう側へ向かおうとする。

 

本作が面白いのは「下」へと下り続けることだ。

最初から主人公は地下世界の調査というミッションに乗って下るのだが、元々の動機は、大きくは人類(もはや自我のデータでしかなさそうだが)の行き詰まりによる調査であるとともに、本人にとっても経済的事情からの志願であり、要は上昇志向を全く持たない、現状維持できればベスト、さもなくば転落という、なかなか夢のない世界である。

一応、マリガンの側からすれば「人間」は造物主に当たり、後に主人公は「神様」と呼ばれ、協力を得られるようになる。それまでの平板な日常からすれば、異世界転生モノのような面白みもある。ただしそこに行き着くまでに、主人公は物理的に損傷・欠損しまくり、ガラクタから手仕事で粗雑に再構築され、記憶も語彙も失い、発語機能も失い、モンスターに襲われ・・・まあ受難の方が長い。そこいらの異世界転生モノとはわけが違う。

空間構造としての「下」にも果てがない。探索中も、モンスターに襲われて構造体の中で落下を繰り返す。

そのスケールはまさに『BLAME!』の「上」=宇宙へと無限に続く都市構造と対を成している。誰が何のために、どうやって作ったのか分からない規模の、主体と目的のない構造だけが続いている。住み着いたマリガン達も、知能レベルがまちまちだが、いずれも自分の外側のことは関心がないため、ただ与えられた状況での役割と生存を繰り返している。構造を構造として把握している者がいない。よって構造体は無限大として提示され、それが地球なのかも分からなかった。

 

そして、主人公がずっと無力なままであることは、非常に斬新であった。

未知のクエストにおいて、困難を突破することは物語の見どころのはずだが、本作ではラスト(「ラスボス」vs「3バカ」+主人公の壮絶なバトル)を除いて、突破という概念が存在しない。では何かというと、落下と襲撃、改造によって流転するのが主で、そこには主体性すらない。

そして、改造による可変的な身体に期待される強化や武器の獲得も、ない。頼りないガラクタ、あるいはゆるキャラのような、過酷な環境を突破するにはあまりに足りない身体しか与えられない。歩いていたら天井や物陰からモンスター化したマリガンに突然襲われて食われることが日常茶飯事だが、走って逃げることしかできない。重力子放射線射出装置? ダマスカスブレード? ございません。逃げるだけです。

 

下層を生きる、奪われて生きる、どんな目に遭っても「生きる」ことに終わりがない、そしてどこまでも「弱い」。そのことがじりじりと描かれ続ける作品だった。

 

落ちても落ちても終わらない自己、主体性もあるのか無いのか分からない自己、そのケリの付け方は、歩き続ける以外にない、とでも言わんばかりの作品だ。しかし「人間」ならではの情と生真面目さ、囚われがないがためのアクシデントが積み重なって、奇妙な出会いが続いてゆき、先が開けてゆく。

これは「底辺」こそが共通状況としてのリアルである現在の私達に、どこか地続きの感性のようにも思うところだ。これには、前述のように、作者の長い長い孤独な創作の格闘を如実に反映したリアルさなのではないかと想像させられた。

 

 

 

 

しかし本作は「壮大な3部作 第一章」と銘打たれている。

今回の興行で得られた資金や世間の認知を元手に、続編が作られていく可能性が大である。作者の手を少しずつ離れた作品になってゆくだろう。塚本晋也『鉄男』シリーズみたいになっていくのかな。今後どのような世界の構造、物語の展開、主人公の変化があるかは、まだまだ未知なのである。

 

どうなるんやろう(  ╹◡╹)。。。

 

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 ( ´ - ` ) 完。