【ART】ソフィ・カル「限局性激痛」@原美術館
2020年12月の閉館予定が発表された品川の原美術館で、ソフィ・カルの失恋カウントダウン作品を堪能できる。この、有り難いような少々怖いような切ないような心持ちよ。19年ぶり(前回1999-2000年)の再現展だという。
原美術館。今のうちにたくさん拝んでおきましょう。館内及び展示作品は撮影不可。ああん。
ソフィ・カルの『限局性激痛』とは、2部構成からなる自伝的インスタレーションである。
作家は1984年10月25日から、日本での3ヶ月間の滞在(うち1ヶ月近くは移動)を経て、フランスへの帰国日・1985年1月24日に恋人との電話で破局を告げられ、人生最大の苦しみを味わう。
作品の第一部は、日本へ向かう長い旅路と、日本での滞在中の様子について、1日につき1枚の写真や手紙などを提示し、時系列で並べてゆく。すべては滞在最終日=破局へと向かうための物語となっており、作品の1枚1枚には最終日までの日数+「DAYS TO UNHAPPINESS」と記したゴム印が税関手続きのように押されている。不幸しかない。このパートは受け身、作者が受けた破局という出来事を事後に可視化している。
第二部は逆に作家が能動的、戦略的にアクションをとるもので、帰国後の作家が自身の痛み、苦しみを癒すべく、「厄払いのために、滞在中の出来事ではなく、私の苦しみを人に語ることに決めた」とし、プロジェクト的なルールを設定して癒しの活動に取り組み、その成果を示すものとなっている。その形式とは、誰か聴き手を見つけてきて、人生最悪の心境を吐露し、同時に、今度はその話の聴き手(偶然出会っただけの人も含まれる)からも、その人が最も苦しんだ経験を語ってもらい、両者の語りをテキストに起こすというものだ。これらの成果は布地に文字で印刷され、時系列でソフィ・カルとその聴き手の独白が交互に提示されてゆく。
これらの破局にまつわる体験と治癒は、1984年の日本への旅から、1985年に帰国し、語り合いを始め、その3か月後には苦しみが癒えて終了を迎えるのだが、作品として形にされ、発表に至ったのは1999年である。「厄払いが成功してしまうと、ぶり返すのが怖かったので私はこの一件を忘れ去った。十五年たって、私はそれを掘り起こすのである」、破局からわずか5日後にはパート2の相互最悪独白を開始しているというのに、形にできるまでのブランクの長さに驚く。1953年生まれなので、46歳。尋常ならざる創作力(偏執力?)を持つ世界的作家であっても、自身の傷を外部に晒すことの困難さを伴うことが分かる。
鑑賞の感想などをメモしよう。
まず第一部だが、人様の展示で心がぞわぞわと微動しだし、不安になり、支柱が白蟻に食われるように不安定になったのは初めてかもしれない。感情移入や共鳴などではない。ある種の確かな狂気が、空気、視界を伝って、こちらの内面へと伝染してきたのだ。「精神」というものがここまではっきりと立ち上る作品は初めてだった。それは「世界観」だの「感性」「心情」「女性ならではの身体性」などと美しく誤魔化せるものではない。もっと危険な、直載な言い方をすれば病的さを過分に孕んだ沼のようなものだった。
明らかに日本に着いてからの作者はどうかしている。何と言えば良いのか、恋愛の不安定な状況がどうのという話ではなく、それによって作者が本来抱えていた不安定さが露出している、下手をすれば加速して語られていると言えば良いのか。毎日毎日、寺社の鳥居や地蔵を執拗に撮ったり、三日続けて占い師の元を訪ねて執拗に助言の具体性を求め、「私はどこへ行けば良いのか」と問い詰めたり、木々や紐に括り付けられた御神籤の束を撮ったりし、その映像、視界の記録の束は、明らかに「精神」の外皮が剥き出しになり、体液ならぬ情液とでもいうのか何かいけないものが漏出している。何よりも不気味なのがテキストで、彼氏のことや日本で出会った記者との関わり、アクシデントを日記メモのように綴っているのだが、その語りの全てが自覚のない妄想なのではないかと思えてくる圧倒的な不気味さがある。風呂の残り湯に浸かる浸からないの議論、記者に首を絞められ殺意を向けられた話、取材のため貸し出した幼少期の写真を返してもらえなくて滞在先のホテルまで押し掛けて罵られた件、今井俊満に酒宴に招かれた際に置いてあったイヴ・クラインの作品の人型は彼氏を型を取ったものだとすぐ判ったこと、それは昨夜の浮気を責めに彼氏が来たみたいに見えたこと、等々。高名な女の占い師に食い下がってどこへ行けば良いのかを聞き出したソフィは「身障者センターを訪問しなさい」というお告げを(無理矢理)得ることに成功するが、翌日センター前で三時間待って、ようやく出くわした盲人に歓迎の意を表してむき出しのスプーン、ナイフ、フォークを手渡して握らせ、その姿を写真に撮っている。書いていてやはり意味が分からない。
これらは15年後に作品として物語化された際に、謎めかして膨らまされたフィクション、物語という可能性もあるかもしれない。制作にかかるエピソードは知らないので何とも言えないが、しかしこの感じは身に覚えがある。周囲との関わりを通じて一定の客観的視座を保つのではなく、自己の中だけで世界との関わりを一方的に完結させ、時には独自の「事実」を生みだしてしまういう人物。しばしば文学作品では「信頼できない語り手」として挙げられるが、ソフィの言動はまさにその恐れがあるように感じられた。彼女の一人称記述がほぼ全ての証言となっている世界の中では、彼女の言葉と写真だけが「事実」の全てであり、確認のしようがなく、むしろ時折挿入される『ル・モンド』記者の記述や手紙などとソフィの言動との間に横たわるズレは、ソフィの精神が何かのっぴきならない事態にあることを明らかにしているように見えてならなかった。狂人の内面である。
写真の文体もどうかしている。上手いのだが、日本での滞在が始まってからは被写体と像は一対一の関係を強固に結び、視座は被写体に対して真正面から揺るぎのない食い入り方をしている。それは解釈の余地もブレや逃げも与えない。写真を撮っているというより、作者がこの世界との関係を結ぶに当たって何か支障を来していることすら懸念してしまう。中平卓馬が記憶を無くした後に深い呪いに掛かったような不気味さが一時期の写真にはある。白黒で寺社の呪物を撮り続けるのは何か感応するものがあったのだろうか。
そんなソフィにも好転が来る。 1月に入ると彼氏から、具体的に会うための日時の連絡が来るのだ。これを境に、被写体は寺社の地蔵から日常のさりげのないものへ移り変わる。人間界にようやく帰って来たような明るさが差す。
しかし最終的には前述の通り、唐突な別れ話によってこの物語は終了となる。帰国に際して、ニューデリーの空港で彼氏と落ち合うことにしていたのだが、搭乗直前で航空会社から「事故のため入院し、貴殿とデリーで落ち合えず」とのメモを手渡される。最悪の事態を想像しながら連絡がつくまで10時間を要したが、結局それは彼氏が足の爪が食い込んだのを病院で処置してもらっただけで、ただソフィに会いに来たくない、別れたいがための口実であった。最後の電話では、他の女の子が好きだという3分にも満たないやりとりで関係は破局を迎えた。
第二部ではその破局くだりが、ソフィの独白によって細かく描写されていく。第一部では、航空会社から渡されたメモの一枚で終わるため、事の状況が分からないまま観客は当初のソフィ・カルと同じく、彼氏が重傷、もしくは死亡、あるいは大嘘かを案じつつ、次のフロアへ向かうことになる。
第二部は巨大な布地にテキストのみの展示で、文体や内容に狂気は特に見られない。あるとすればその執拗さで、破局から5日目、6日目、7日目、8日目、12日目、16日目、21日目、22日目、28日目、31日目、35日目、36日目、40日目、43日目、48日目、50日目、58日目、65日目、77日目、90日目、計20日分、作者と聴き手の2人分の独白を記している。
当初は事細かに彼氏から受けた仕打ち、破局について、日時と飛行機、医者であり彼氏と友人である父親に連絡がつくまで10時間を要したこと、電話の最後のやり取り、インペリアルホテルの261号室で1人で電話とカーペットを見つめて一晩を明かしたこと、などが語られている。独白の構成要素は徐々にディテールの再編集を重ねられ、ベッドイン初夜はウェディングドレスを着たこと、幼少期には彼を諦めたこと、30才で付き合うことが出来たこと、父親は交際を勧められなかったこと、彼からは心の底からは愛してるわけではないと告げられていたこと、不安定な間柄ながらも振り切るように日本滞在を決めて出てきたこと、別れのやり取りをしたホテルの電話が赤かったこと、カーペットが黴臭かったこと、ツインベッドは青い模様で、最後のやりとりは文章4つで言い終えるのに3分とかからなかったことなどが、随時、足したり引かれたりして語られていた。
はっきりと言葉の分量が減ったのが30日後ぐらいからである。聴き手役の側の独白が、兄弟や親を亡くしたこと、恋人をとられたことなど、作者の悲しみを相対化させるには十分な厚くて重い話ばかりなのが興味深い。最後の90日目の独白では、作者の分量は当初の1/5ほどになり、締め括りも『惨めな、ありふれた物語である。くどくどと繰り返すには値しない物語。』と、風邪が治りましたといわんばかりに切り捨てている。その時の聴き手側の独白は、顔面の変形した奇形児を出産した体験談であった。
こうして怒濤の展示を体感してみると、第一部では一人の人間の「精神」に否応なく巻き込まれ、鑑賞者は当時のソフィ・カルと同じ類いの呪いに身を襲われてしまう。第二部ではそれらの正常ならざるものの背景、全容が可視化されることで鑑賞者には安心、鑑賞者としての視座、立ち位置が再び与えられ、作者もまた、独白の比較によって客観、相対視を得て、回復を見せていく。極めてスリリングな体験をした。
注記したいのは、「これはよくあること」「女性はみんなこういう生き物」「男の人は気付いていないだけ」という、女性側からの(よくある)苦言めいた指摘もあるかもしれない。しかしそのような、了解可能な話とは別物の厄介さを身に覚えた。「精神」から体液が漏れ出している実感。私が身に帯びた、神経の逆転し総毛立つような震えは、そのような陳腐な話ではない。もっと恐ろしいもの、今そこにいる一人の人が、言葉も視界も、何一つ私たちと噛み合わないまま「事実」を生成し続け、噛み合わないままその世界を生きていることを見せ付けられる怖さだ。失効された意味の数々が、行き場をなくして神経の末端で腫れ上がり、ありもしないことを「事実」として五感に認識させ、言葉のうしろを塗り替えてゆく。その一部始終を隣で目の当たりにした、そんな土曜日の昼だった。
( ╹p╹) 完