【写真展】ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展@伊丹市立美術館
H30.5/12(土)、美術館で無料の映画鑑賞会があったのだが、朝10時4分頃に着いたら、映画鑑賞整理券はもう配布済み。えっ。人気すごいなソール・ライター。
傘と水滴とガラスの都市スナップで、一躍有名人になってしまった人。2013年11月没。
2017年4~6月に渋谷Bunkamuraで展示があって、1年経っての関西入りです。待ち望まれていたのか、えらい客入りでおます。若いカップルもいれば中高年の夫婦や女性複数組もいるし、同年代ぐらいの女性単独客もいるし、客の世代が広いです。
あまりに昨年の展示で拡散され話題・有名になったせいか、ソール・ライターで検索すれば、作品の魅力や彼の生涯についてきれいにまとめたサイトが沢山出てきます。やったね。もう安心して手を抜けます。よってここではソール解説しません。
前回2017年4~6月展示について記録をつけていないので、比較ができませんが、今回はBunkamuraよりもずっと狭い会場で、3つに分かれたフロアを横断しながら見て回ります。美術館というより資料館のような内装と間取り。
その分、彼の来歴や、何に影響を受けてスタイルを確立したか、資料編がよくまとまっていて、理解が進みました。渋谷では「食うためにファッション写真やってたけど、本当にやりたかったのは抽象画」ということが印象付けられ、今回は更に何歩か踏み込めた感です。
展示構成は大まかにこう。
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<フロア1> モノクロ
①作家プロフィール、各方面からの影響について
②1940年代 初期の都市モノクロスナップ
③1940~50年代 仕事ファッションフォト
④1940後半~50年代 都市モノクロスナップ
<フロア2> カラー
・1940後半~50年代 都市カラースナップ
<フロア3> 絵画、女性ポートレイト
①抽象絵画
②プライベートでの女性ポートレイト(モノクロ)
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何と言ってもフロア2のカラー写真が素晴らしいです。
この展示構成とソールの作品の強さから確信したことがあります。「みんな勇気づけられただろうなあ」ということです。
スマホを持っている人の大半は潜在的なフォトグラファーだと考えたほうがいいでしょう。皆、控え目に振る舞いながらも、自信のある一枚をなんかこうインスタや鍵垢のTwitterに時折投稿しているのが、現代人の実情ではないでしょうか。多くの人が大なり小なり「自分は実はフォトグラファーなのだ」という自負を持っているのです。そうに違いない。
私たち80年代生まれ・年寄り銀塩フィルムの最後世代は、写真が非常に手軽なものになった恩恵をフルに受けました。が、それでも現像と暗室作業、ラボへの注文等が必要である点は相当なハードルでした。しかし現代は、全部スマホの中で出来ます。写真系インフラの総転換によって、全ての作業が手元で出来ます。しかも同じ画像からモノクロとカラーの両方を加工出力でき、それらの扱いは等価に近いものとなっています。
そのため、来場者の多くは「素晴らしい作品を鑑賞する」というよりも「何かセンスなり技なりを盗み取って自分のものにしてやろう」とか「なるほどこう切り取れば画が強くなるのか」といった、フォトグラファーとしての当事者意識から展示を観ることが出来たのではないでしょうか。
モノクロとカラーの使い分けが相当に自由な世代であることも、ソール作品への入り方と受け止め方に一定の間口の広さをもたらしたと考えられます。
後に昼飯を食いながら、地方で活躍するプロカメラマン氏の話を聴いたのですが、「ウン十年やってきたアマチュアカメラマンに限って、フィルムでないと"表現"じゃないとか、モノクロでないと"表現"じゃないとか批判する」「自分が気持ちよくなりたいだけ」「機材のうんちくばっかり」と渋い顔をしていました。マウンティングおじさんというやつです。ピンがきてないとか、モノクロじゃないからとか、フィルムじゃないからとか、デジタルだからだとか、挙句「君は俺ほど苦労して撮ってない」とか、とにかくマウンティングをとらないと死ぬ人種です。そのくせ全然死ぬ気配がありません。どうなってんの。
そういう人種が徐々にかつ確実に、ソール・ライター作品のごとき「モノクロだろうがカラーだろうが、良いものは良い」「一枚の物語とか主題がどうとか関係なく、良いものは良い」「苦労とか機材とか関係なく、良いものは良い」といった、世界の多様さと魅力の豊富さによって、淘汰されていけばいいなあと願っています。
そういう時代の転換期を示すものとしてソール・ライター展は、今こうして人気が高まったものと考えています。淘汰ばんざい。うはは。そしていつしか私も、新しい世代によって老害と断ぜられ、死を望まれる日が来るのでしょう。うはは。たまりませんね。ああ。いやだな。鬱になります。
しかしですね残酷なお知らせがあります。
構図の切り取りや日常のスナップをどれだけ腐心しても手に入らないものがあります。眼で見たものを脳で処理する工程において、実は何らかのフォーマットが噛んでいます。物を考えるときに母国語の文法で考えるのと同じです。
我々凡夫はですね、基本的な明るさとフレーミング以外は大部分をカメラと加工ソフトに委ねています。無意識下で、これまでの人生で触れてきたテレビとかゲーム、印象に残る広告やファッションなどの映像記憶などです。それらの兼ね合いで統御、出力作業が行われ、写真となってアウトプットされます。
ソール・ライターは我々とは異なり、強力なフォーマットを有しています。元々は画家志望で、かなり研究したり感銘を受けたりしてやってきたお人なので、具体的な引用元があります。会場では以下のような固有名詞が挙がっていました。
・マティス
・浮世絵
また加えるなら、父親がユダヤ教の高名なラビ(学者、指導者的な立場)であり、ソールは後を継ぐことを期待されていて神学を学んでいた(画家になることは反対されていた)など、宗教観が精神面での下地になっていることも挙げられるでしょう。
私個人の体感からも、ソール・ライター作品の魅力は、上記項目にきれいに当てはまるものがありました。
①色彩、平面の強い画面構成(分割・重なり)
②都市スナップとしての強さ(都市と人の織りなす瞬間)
③日本人的な、曖昧さや情緒感、儚さ、婉曲的表現
本当に各作品で系譜がはっきりと読み取れるので面白いです。各種フォーマットの切り替えと、彼自身の日常への眼差しとのマッチングと昇華が非常に強力に行われていて、なんていうかびびりました。どうなってんすか先輩。
逆に言えば、画像処理に用いるフォーマットを何も導入していない人間が写真を撮った場合、それらの写真から読み取れることはあるのか? という疑問が生じます。いわゆる観光写真とか、デジャヴ感のある写真というやつです。たまに「写真を極めるには何万枚も撮らなくてはいけない」と枚数論を宣う人がいますが、「一日1万本バット素振りしていれば甲子園に行ける」と言っているのに近く、奇妙な信仰なので、関わらないようにしています。
なので写真史なり美術史なりを踏まえた人は強いし、作品を読むことができるし、そうでない人はフレーミングをどれだけ工夫してもその先に行けないということが、写真の前提としてあります。ソール・ライター展からはそうしたシンプルな事実も教わるべきでしょう。
彼の眼差しを、1950年代のアメリカ路上スナップ写真家(ロバート・フランク、ウィリアム・クライン等)に比べても面白いです。
ソールの画は圧倒的に「曖昧」「優しい」「色彩的」であるが、「弱く」はないです。表現のフォーマットを絵画寄りに変えているだけで、画としての強度は非常に高いです。
また、彼らとの共通点はやはり「アメリカという国の冷たさ」「現代都市が個人を凌駕し、覆いつくす」ところです。ガラス面を介さず直接に都市の中の「人」が撮られるとき、それは大量の広告や看板、あるいは冷たい路上とビルの壁面に囲い込まれ、都市のパーツの一部へと転じているように見えます。都市の中で、「個人」は消失してしまうのか。永遠のテーマですね。平安時代や秦の始皇帝の時代にカメラがなかったのは悔やまれます。
ソールが日本文化・美術に対して、並みならぬ関心を抱いていたことについては、図録「ソール・ライターのすべて」(2017 青幻舎)のあとがきで、ポリーヌ・ヴェルマール(ニューヨーク国際写真センター、アソシエイト・キュレーター)がしっかりと筆を割いているので、しっかり読むべきです。日本人でない人たちが時代を超えながら日本文化をしっかりと理解し語っているのを傍から見る羽目になり、複雑な気持ちになり、酒がはかどります。
はかどります ( ´ - ` )