nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART―写真展】対談:野村佐紀子×町口覚(写真展「Ango」関連イベント)@ gallery176

【ART―写真展】対談:野村佐紀子×町口覚(写真展「Ango」関連イベント)@ gallery176

 

H30.1/20(土)

もう平成も終わろうとしているのに、安吾が愛されている。半端なく。写真集のフォルムがねじれるぐらい、愛されている。

 

ひねくれているのだ。全部安吾のせいだ。

 

そんな無頼の作家に愛を寄せて映像を綴る写真家も、その世界をねじれで具現化してみせるデザイナーもまた、手ごわい。だから書かずに記憶の土に還そうかなと思っていたが、どうも脳裏で、あの丸眼鏡のぎょろ目を向いて筆を握る、林忠彦の撮った安吾が、オイコラと言ってくる。書かざるを得ない。

 

結論は、愛だった。

愛されていた。坂口安吾が。

本人が中継を視聴してたら照れて肌着であのカオスの居間から逃げ出すんじゃないか。場が愛に包まれていた。トークショー及び写真、そして写真集の装丁が語る結論は、安吾への愛。裏返せばそれは、現代という薄ら寒い何かに対する、漠とした懸念や異議申し立てが綯い交ぜになった、複雑な心境の現れなのかもしれない。

 

 

満員御礼。こりゃすごい。

(※アイレベルです)

 

野村佐紀子氏の写真集「Ango」は、坂口安吾の小説「戦争と一人の女」を写真により現代の映像で語る試み。いや、愛。いや、・・・とかく一般的な名詞では、冷徹すぎて伝わらない。詳しくは野村氏の作品に直に触れていただきたい。

 

この企画は町口覚氏が、写真家と日本近現代の文学作品とを出会わせ交わらせ、写真・写真集という映像体験によって現在に再解釈せしめるもの。野村氏で第4弾になる。

「戦争と一人の女」は1946年10月が初出の小説だが、当時はGHQの検閲によりゲラ刷りの時点で大幅削除となった。

同作の完全版が2000年に改めて収録されたのを皮切りに、2012年あたりから近藤ようこが漫画化、井上淳一が映画化するなど、静かな安吾の波が来ている。二度目の五輪を迎えようとしている今、なぜ戦中戦後のあの男の眼、魂に我々は惹かれるのか。

神経をとがらせては擦り減らす現代、私たちは素肌感でいたいだけなのだと思う。誰にも右に左に言われたくはないし、どんな美辞麗句も別段欲しくはない。ただ「生きていたい」だけだ。しかしそれが、なかなか言えない。

 

 

ひどく断片にはなるが、当日のトークのメモを列挙する。

正確なものではない。隙間は印象で埋めてください。

--------------------------------------------------------

◆町口氏

・動物の写真多いよね。何を思ってセレクトしてるのかな。

・あと煙突も。

 

◎野村氏

・気持ちいいんでしょうね。

山口県の出身なんで。煙突多いんですよ、小倉と山口。

・写真と文字が合わさってるけど、キャプションにはなってない。

 

◆町口氏

・煙突の写真が、安吾の描いてる女に合ってる。

・写真集では一人ではなく、色んな女性のヌードが入ってる。

・写真は何度も選びなおした。154点も、何が写っているか徹底的に見て、8×10のバライタで全部預かって延々見た。スキャニングして、トランプ大のコピーにして、毎日持ち歩いて見てた。

 

・左紀子の写真は「黒」がカラフルなんだよ。情報量がある。森山大道の黒とは違う(大道は乱暴に黒くできる)。デザイナーしてて、黒が一番カラフルだと思ってて。一番難しい。この展示だけでも黒の階調がものすごくある。さすがに写真集では再現しきれない。

・プリントを見るとき、最初は階調を見る。で、写ってるものを見るのにカードにする。お風呂、電車の中、ずーっと見ていく。すると身体化される頃合いがあって、「これだこれだ」と。

・ベタな話、まずコンテンツで分類していく。光の軌道とか、煙突とか、ねことか。あとはどうシーケンス立てていくか。そこに部屋の写真が入ってきて、坂口安吾の「戦争」へ…

・一旦選んで、もっぺん無になる。これ、だめだ、とか。でも「ここだけ変えればいいか」ということはない。1枚1枚めくってまた見ていく。 

・最後のねこの写真がすごく良くって。

 

◎野村氏

・「指輪ホテル」の人が「ねこ亡くなっちゃう」って言うので、見に行って…。

・途中で「ピッ」てきたら「パーッ」て編集したんですか?

◆町口氏

・それまでの紆余曲折がすごい。とにかく荒れ狂ってる。

◎野村氏

・本をひねるってアイデアは? なんで?

 (※写真集「Ango」は装丁がひねられている、特異な本。1枚目の写真を再度ご覧ください)

◆町口氏

・アムスのブックフェアに行って。すっごいヒマな時ってあるでしょ。名刺で遊んでひねってたら「これ、いけんじゃね!??」って、もうラフ描いてた。裁断機でここ寝かせて…とか。で、製本に言って、すぐ日本に帰りたくなって、「理論的にはできるでしょ」「最低3千部だなー」とか言ってさ。

 

・こんなひねくれた本・・・って思ったら、「いるじゃん、ひねくれものが!!」

 安吾と、左紀子だ! ばかみたいに写真撮ってるから。

 これなら本ひねっても負けねえわ。

 

--------------------------------------------------------

<捕捉>

安吾「戦争と一人の女」は、太平洋戦争末期から、戦争が終わってしまった直後にかけての二人の男女の間柄を描いている。戦争とは教科書的である。現代においては、悲惨で悲劇で、繰り返してはならないものとされ、戦中においては鬼畜米英・帝国万歳、戦後は民主主義&平和主義、である。

それは壮大なフィクションであり、大きな舞台装置のようだ。しかし終戦のまさに瞬間、新たな国家が始まるまでのノンフィクションの真空地帯に、二人の男女は、なまの「生」で晒され合う。

「女」は初めからこの世は遊び、フィクションだと見なしており、戦争の有無に関係なく、男の心理も自分の立ち位置も見えている。男は、戦争という生きるか死ぬかの舞台の間は「滅茶々々に」舞台をやる腹でいたが、いざ戦争が終わってしまうと、女への分析(=遊女だから、けがれているから、)で脳が空転している。本当はとことん女に執着しているのに、女と同じところにいるのに、それを否定し続け、関係の冷えが深まることを淡々と確信してゆく。女にはそれが全て見えている。

そんな二人の営みの応酬の中には、国家も主義も正義も、立ち入りようもない。もしこんな本が出回ったら、誰も戦争に取り組まないし、また誰も戦後国家の復興にも集中しないだろう。

--------------------------------------------------------

<捕捉2> 

写真集「Ango」は日、英、独の3カ国語バージョンがあり、タイトルロゴの色がそれぞれ異なるのはこだわり。

安吾のことを一ミリも知らない他国の人でも、その国の言葉に訳して、読んでもらえれば、伝わるものがある。それが安吾という作家の力であり、文学の力である。

--------------------------------------------------------

<捕捉3>

写真集「十代目松本幸四郎 残夢」は、1979年に三代目松本金太郎として襲名してから2017年11月25日の七代目市川染五郎として勤め上げるまでの593役の写真を収める。なお、役としては800は演じている。

膨大な写真から整理して選ぶのに1年を要している。最初の方の写真は松竹から借りたもの。70年代の松竹の写真は良く、80年代からダメになったと町口氏。カメラマンが変わったのでは疑惑。

野村氏が専属的に撮影するようになってから、楽屋の光景などが入るようになった。町口氏曰く「この人が入ってくるから、愛の情報量がある」。眼差しが一貫していることについて「愛の矛先があるんだろうね」。

--------------------------------------------------------

<捕捉4>

「黒闇」について。

野村佐紀子・写真集「黒闇」は、モノクロームの時間が、厚い水柱のように湛えられた、その底で漂いながら、ことばの及ばない時の中を巡っていく。「ことの端」など無く、すべてが、一つの海のように、暗く繋がっている。

テキストを評論家・上野昴志と官能小説家・草凪優が書いており、特に後者は、同じ「表現者」から視た野村氏を語っていて必読、とのこと。

草凪優・小説「黒闇」では逆転して、装丁を町口氏、表紙の写真を野村氏が担当。

--------------------------------------------------------

 

◆町口氏

安吾と野村の本、みんな読めと。製本、デザイナー、巻き込んだ人みんなに読ませて伝えてる。坂口安吾が何を言っているのか、伝えないと「ヤバい」。自分が何を刷ってるのか、伝えてるのかを分からせないといけない。

・「Ango」のロゴはみんな集めて英語版何色、ドイツ語版、何色って、デザイナーになってもらって決めた。ただし日本語版は俺が決めると。何色かって? バカヤロー。イエローモンキーだよ!

・パリに行ってると、自分の国のアイデンティティ持ってないとコミュニケーションが取れない。(だから、坂口安吾を読まなくてはいけない)

 

◎野村氏

・昔は苦悩してましたね、自分の思いが書店まで伝わらないって。

 

◆町口氏

・出版の構造ですね。紙の流れ、紙には問屋がいっぱいいる。

・日本の流通システムは素晴らしい一面もある。北から南まで新刊が同時に並ぶ。ファックな面は、基本的に全て「委託」。返品がある。こういう本(「Ango」のような精妙に手をかけた書物)はリスクが大きい、ボロボロになって返ってくる。

・頑張らないと本が浮かばれない。

  

 

 

<参加者からのQ&A>

Q「写真集で選ばれた154枚のセレクトの共通点は?」

 

野村氏「撮るのも選ぶのも、愛が必要。」

   「坂口の作品ではなく、坂口への、愛」

 

 

 

 

 

「gallery176」では、いつも旬の作家を招聘して、血の通ったトークイベントや写真集の販売などをされており、「作家」の生態や素顔に触れる機会が得られる。

 

本当は大学時代にこういう場に出入りしておくべきであった。そうやって、しかるべき「先輩」の背を見て学ぶ時期があったら、よかった。

しかし今更言っても仕方がないし、あの当時は自分なりにやるべきことがあってラリッていたので、仕方がない。

 

 

この日はひどくて、阪急電車の乗り換えに5回も失敗し、会場の「gallery176」になかなか辿り着けなかった。阪急は毎日毎日通勤で使っているのにだ。凄かった。自白剤でも飲まされたか、認知症が始まったようだった。

たかだか茨木市駅から服部天神駅に行くだけのことが出来なかった上に、朝から財布を紛失していた。この日はひどかった。星占いは普通でした。自分にものすごい断層ができたような夕方だった。

 

 

 この日、途中までは普通だったんですよ。

 

( ↓ ※途中)

 

( ´ - ` )ノ 

 

 

坂口安吾野村佐紀子を改めて読み返すと、国家や戦争とは、近代人が作り出した巨大な物語の集大成、実害を伴う虚構だと感じる。それを背景にして、私たちは今そこにいて、シーツをぐしゃぐしゃにするようにして、今そこにいる者どうしで関わり合って、交じり合わざるを得ない、この国がどうあるべきで何処に向かうべきかということを論じるよりももっと速く、目の前のその人の眼差しのことが、いちばん気になる。そんなことを気付かせられる。

 

※諸説あります

 

( ´ - ` ) 完。