写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】H30.1/20(土)_「写真集出版講座」(講師:中島厚秀 先生)

【写真表現大学】H30.1/20(土)_「写真集出版講座」(講師:中島厚秀 先生)

 

( ´ - ` ) 皆さん写真集を出したいですか。

 

 

( ´ - ` ) 出したいですよね。

 

 

この日は、中島厚秀先生の特別レク「写真集出版講座」を聴講しました。

いいだろー。3コマ連続(※計6時間)です。

いいだろー。

中島先生、現在は熊本県の崇城(そうじょう)大学で総合教育センター准教授としてお勤めですが、元・光琳出版社にて編集者として写真集制作を手掛けておられた、歴戦の強者であります。

  

 

 教務のメールからプロフィールを借りてきました。

  

中島厚秀先生(崇城大学総合教育センター准教授)
光琳社出版にて、アート、写真、デザイン、建築分野の出版に携わる。

第24回木村伊兵衛賞受賞作  ホンマタカシ「TOKYO SUBURBIA 東京郊外」、

第25回木村伊兵衛賞受賞作  鈴木理策「PILES OF TIME」 など、

多くの写真集をプロデュース。

1997年よりインターメディウム研究所に参加。彩都メディアラボサイエンス映像シンクプロダクションにてデジタルコンテンツの企画、クロスメディア編集に携わる。

 

3年ほど前まで、京都の写真集系の出版社「青菁社」(せいせいしゃ)に勤めておられました。先輩のお手伝い(笑) このレベルの方の言う「手伝い」は軽く桁が違う働きだったりするのでおそろしいですw

 

www.seiseisha.net

 

 

 

( ´ - ` ) アラーキーとも仕事をしておられます。

 

写真界もとい出版業界の「一番いい時代」から、現在のように非常に厳しく苦しい時代にかけて現場で体を張ってこられたので、レクでは「編集者というポジションで写真家を支えてきた側」のお話を聞くことができました。濃厚です。

 

 

テクニカルな話と業界の内情のお話、有名な写真家との関りなどが語られ、特にアラーキーにまつわる話が多かったのが面白かったです。アラーキーって風体から言動から作品から存在がメディア的すぎて実際のところがよく分からないじゃないですか。けれど「意外とすごく真面目な方なんですよ」「女の子が『あたしもモデルになりたい』て言うと、止めるんですよ、『やめときなさい、擦り減っちゃうよ』って」といった風に、生身の付き合いのある人から聞くのは面白いです。

 

 

(1)アイスブレイク:生徒による写真(集)紹介

景気づけに生徒一人ひとりが自分の好きな写真を、図書館の写真集を用いてプレゼン紹介します。言わば自分の写真を売り込みに行くときの要領です。

1年近く学んできている成果があり、皆それぞれのテーマ、個性とはっきりとリンクした写真集がセレクトされていて面白いものでした。

 

  

 中には「めっちゃ好きだけど作家の押しが凄いのでめっちゃ嫌いな面もある」(戸田氏>アラーキー)、「好きなので逆に出来るだけ見ないようにしている」(桜井氏>やなぎみわ)といった、創作系あるあるコメントが味わいでした。 

 

 

他にも、上田義彦マーティン・パーダイアン・アーバス、倫子、石川竜一、テリ・ワイ様などが出ました。

先生「ホンマタカシ上田義彦は本当に写真がうまい」と、実力がトップクラスであることが語られました。業界に精通した方の目から作家について語られると俄然興味がわきます。上田義彦はノーマークだったので今後チェック。

 

 私は東松照明「SKIN OF THE NATION」を紹介しました。近代化の完了と共に日本は表皮だけのイメージのような国家になっていた、ということです。みんなイメージの亡霊なんだよ(><) FF10のザナルカンドにつながるかも知れん。

 

戸田氏「ぼくね、アラーキーの作品はめっちゃすきなんですけど、ここ(写真とページの余白に荒木が何か手書きしてるのを指さして)、こういうことするから、押し付けが凄いんですよ。俺を見ろ!みたいな。せっかく作品の世界に浸りたいのに、冷めるんすよ」

 

先生「それたぶん、まあほぼ、無意識でやってますね」「生活そのものが写真みたいな方なんで」

 

( ´ - ` ) アイスブレイクが効いてだいぶ温まりました。

 

 

(2)編集者の眼差し

 

※レク中に説明のあった「出版界の委託販売の仕組み」や「出版と取次と書店の関係」については、以下のサイトが分かりやすいのでリンクします。

 

kot-book.com

 

 

さて、のっけから真骨頂です。

 

・「私たち編集の人間が作品を見る時には、どのイメージの断片を組み合わせてきたか、そのパターンを読んでいます」

これは、どの作家の系譜を引き継いだイメージなのかを見ているということです。怖い話ですが、見る人が見れば何かしら映像のルーツは分かるし、逆にルーツがない(=学びがない)ことも全てバレているということです。あえてルーツを隠蔽、回避している場合でもたぶんその不自然な挙動から色々バレることでしょう。3分も喋れば思想や出身地が知れるのと同じですね。

 

例えば米津玄師についても批評家が語れば見事にRADWIMPSBUMP OF CHICKENとの接点、ルーツが指摘されたりして、どんな天才にも(天才だからこそ)血脈はあるのだなあと気付かされます。作品・作家を単点ではなく、脈で見ている。

 

「写真史上の作家も、見ていくと幾つかにパターン絞られてきますよ」

写真史に残るような作家ですら、ある「脈」で収斂されるのだから、我々は・・・ ウッ! 酸欠で白目を向きます。BT・2004年6月号「「デジグラフィ」は写真家を殺すのか」(飯沢耕太郎×土屋誠一)を読みましょう。

 

 もういっちょ。

  

・「作品を写真集にしたときに、どんな層に反応するかを見ています。性別、年齢層、職業、行動パターン・・・どんなお客さんが手に取って、どんな立地の店で何部出るかな、と」

これは日々、組織の歯車として奮闘しておられる同志諸兄なら痛切にシンパシーなお言葉なのではないでしょうか。あるよね。モノは売るもので、売るということは流通やマーケ、訴求力、メディア展開、すなわち大人の数字のお話があります。数字でしか話はできへんねんぞとお小言をする課長や部長のいつもの例の表情が全てです。はい。

逆に作家界を生きんとする人種にとっては、写真集は作家の分身、魂であり、身を切られるような思いを伴い、「魂はマーケなんかじゃねえんだよ!」という例の葛藤があります。あるよね。

 

( ´ - ` ) スーハー(深呼吸)

 

  

・「ただし、これらは作品の価値とは全く別の話です」

  

( ´ - ` ) あっすごいいいことおっしゃる(救い)。

  

「気合の入ったぶ厚いポートフォリオを持ち込んで来られても、短時間で作家のことを理解することは出来ません」「みなさん”評価してくれ!”って感じで来られるんですよね」「出版社は”評価”は出来ません」「出版社の社員には期待しないでください」

 

(つд`) こういう大人の話をちゃんとしてくれる人がですね、やっぱり河合塾とか高校とかにトークショーで来ていただけたら、変な「出版社幻想」「メディア神話」みたいなものに囚われずに、就活なり交渉なりが、早い段階で出来たと思うんです。ええ。

仰ることが仰る通りすぎてエンドルフィンが出ました。顔と名前と性格とカメラの趣味とLINEの返信頻度とその他色々を把握し合っている学校の仲間ですらも、合評の場でうまく評論してあげられません。つらい。みんなポートフォリオ持ち歩いては人に見せてるんですかね??? 私そんなかっこいいことしたことがありません。

 

出版社・編集者は、作家とは「作品」を見る視点 / 立場が、全く異なります。出版・編集というビジネスを回すための眼差しで、作品を見ている。そこで「写真集出版のお断り」が発生しても、それは作品の価値以外の部分の話が非常に大きい、ということだそうです。

 

この件は先生が折に触れて繰り返し繰り返し述べられたことで、会社や担当者個人、業界などの、「作家・作品以外の部分での都合」 に起因する「お断り」が発生することが非常に多いとのことです。

しかし

「才能ある人を発掘したいという思いは、書店も出版社も同じなんです」

あっまじすか。目から鱗しました。救いです・

 

 

「もし断られても、恨まないでくださいね」

 ( ´ - ` ) 男の嫉妬は女より怖い、というお話を聞かせていただきました。実際そうで、男の嫉妬は相手を殺すまでやることが知られています。ライオンなどを見ていると概ねオスは身内を殺す生き物だなあと思いますね。

 

 

・「合わない担当者、だめな担当者もいます。まずいと思ったら逃げてください」

出版・編集も色々あり、例えば大手出版になると本当に「社員」なので、何人もいるし、顔が見えない。中には口だけでうまいこと言って、本だけポンと出す人もいる。当然、書店も読者も育たず、人目に触れない物になってしまう。更には金だけ持っていく例もある。

 

「だめだと思ったら、次の機会にお金を回した方がいいです」いいですなあそういう大人の話だいすきです(白目)。

  

 

 

休憩。

 

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ここで「木村伊兵衛賞」の受賞作品ラインナップを元に、写真集と出版界の動きを押さえます。

 

・2000年を期に出版会が変化。鑑賞する写真から私的な写真へ。(一般人・日常が写真界に参加)

・同時に、出版会も好調。写真集がよく売れた時代。

 

私見】 個人的にも、90年代半ばあたりから「写真」「カメラ」の位置付けが一変し、非常に軽やかに誰もが撮って世に送り出すものに変容した実感がある。特に音楽雑誌がとてもアーティスティックになり、アーティストの個性、世界観と写真とが高度にコラボレートしていった。広告・プロ・職人の世界から、日常の肌感覚へと写真・カメラが「解き放たれた」感。小室ファミリーを始めとする「J-POP」が「歌謡曲」「アイドル」を脱したのと構図は近いのではないか。

 

 

 

・2008年「浅田家」を境に出版界が失速。

・取次店の「総量規制」が契機となり、出版社が本を刷れなくなる。

(辿ってみると、大手取次店・日販が2010年1月から開始。市場(書店での購買数)を見ながら、出版社からの受託および書店への委託の総量を調整(削減)し始めた)

 

・広告系の業界が経費で写真集を買っていたのが、2000年以降だんだん経費で落ちなくなり、青山ブックセンターやパルコ系のリブロが失速した。

 

 

 

( ´ - ` ) 密かに志賀理江子ファンです。古賀絵里子とてれこになって慌てること多数。古賀氏も大好きです。

 

私見】 

2004年、私が就活~社会人になった頃はすでにインターネットが相当な力を持ち、出版界は今後どうなるか分からないぞという疑念がかなりあった。書店では、味のある陳列、手作りPOPの工夫(=書店員の愛、センス)によって売上を高める事例などが聞こえてはいたが、絶対にこの先まずいぞという確信があり、自分の就活先に一軒も出版・新聞・書店系をセレクトしなかったことを思い出す。

 

出版界で課題となっていたのは、委託システムによる自転車操業、紙からデジタル化への移行だけではなく、大手古本チェーン店の台頭もあったと記憶している。それに、万引き被害が馬鹿にならない。経産省が公表した平成14年のアンケート結果では、書店における万引被害の年間平均額は約211.8万円(回答数483通)。写真集が売れる売れないとかいう話以前の問題が沼ですなあ。

 

 

(3)末松 グニエ 文(すえまつ グニエ あや) 氏の写真集の事例

表大の先輩であり、フリーランスのカメラマンをされている末松氏。出身地である愛知・尾張一宮の織物産業の現場に密着し、じっくり取材した写真集「糸がつむぐお話」について、その制作と流通の経緯を紐解きが行われました。

 

表大生の間では色々と参考文献になっている「糸がつむぐお話」。現地取材のあり方、訴求力のあるカット、写真集としての編集力と体裁、テーマ性、社会性など、教科書としての効果が高い一冊(二冊か)。

 

末松氏の作品テーマとして、尾張一宮の手織工場の昔ながらの現場、手作業への眼差しがあり、老夫婦2人で経営する手織工場の姿を特集した展示を地元で催したところ、繊維商社モリリンの会長の目に留まり、ぜひ繊維業界を盛り上げていきたいという話になり、写真集を制作することになったということです。

それを表大の畑先生に相談したところ、中島先生に相談が行き、写真集出版に向けてモリリン社と交渉が始まります。

モリリン社も、会社の広告としてではなく、繊維・織物産業の歴史、文化について、ちゃんとした写真集として書店に出したいという思いがあり、協力関係で発行へと至ります。発行はモリリン、発売は青菁社という名義になっており、モリリンが全額出しています。すごい。

 

<参考>

・末松グニエ文氏


 

・繊維総合商社モリリン


 

モリリン側が「50店舗以上に展開して、平積みしたい」というビジョンがあり、非常に積極的だったそうです。どのぐらいかというと、出版費用は社の広告宣伝費で見ることができるので、書店での売値はいくらでもよいと。そんな話があるんですか。あるんですか。あるのか。。。

よく聞くのが、作家がまとまった数を買い受ける約束で出すというパターン、あるいは実売に箔をつけるのに買うパターン。うちのじいちゃんもぎょうさん本出してたけど、儲けなんかなくて、身銭切ってやってたな・・・普通はそうです。

 

今道子のくだりが面白くて、「鎌倉のほんとにお嬢さんで、自分の写真集500部とか買い取らはる」という、あれだけの人でもそうなのか・・・軽い眩暈がしました。あうあう。作家によってはセルフ買い取り分を合算すると家が1軒建つといった話を聞きます。なんのために出版するのか分かりませんが、もう少し作家にとって生きやすい世界になりますようにと今年の七夕では祈願しようと思います。

 

末松氏はモリリン社から製作費を受けながら制作活動を行い、写真集出版についても社が一定数(発行部数の2/3)を買い取るスキームが立てられるという、羨ましい、いやすごいお話でした。愛があるとそういうことになるのかなあ。私もきっと都市が自我を持つようになったらたぶん厚遇してくれて、不老不死の義体をあてがってくれたりするはずなんで、それまでがんばろうと思います。千年後かな。

 

 

(4)写真集の作り方

 ・8切ぐらいの少し大きめのプリントを、部屋いっぱいに広げる

 →全カットを俯瞰する(100枚ぐらいになる)

 →作家、編集、デザイナーらと「ああだ」「こうだ」言う

 →最終的に「えいやあ」で決める

 →写真集になる。

 →飲みに行く

 

・作家はああだこうだ悩む。「私は作家さんが悩んでるときは、待ちますね」、こちらの答えを押し付けはしないです、一緒に寄り添っていく、とのこと。

 

 

・ページネーションについては、作家がこだわるほどは読者は並び方にこだわってない。むしろ「作品、物語は読者が作るもの」「伝説は読者が作る」である。

 

・写真集の価値が、写真の並べ方で認められることはまずない。鈴木理策でも、写真を入れ替えた場合どうなるかをメソッドとして比較分析することは不可能。

(→【私見】言い換えると、優れた写真家、優れた作品というのは、「それはそれでしかありえない」ような一期一会の聖性を宿しているか、逆に個々のイメージが類稀な原初性を宿し、無限に組み合わせが発生するような力がある、とも言える)

 

・正解はない。小説の捉え方が千差万別であるのと同じ。

 

・ユーザープロファイルが見える方が、商業としては分かりやすい。引用元の分かる作品。PRのポイントを絞ること。

(→【私見】先日、広告関係の方と飲んだ時に「良いものは一言で他人に説明できる」と仰っていた。その「一言」は語り手によってまちまちであるが、しかしその作品に触れた人は、他の人に語らずにはいられないという。それが名作の特徴である。インフルエンザだ。)

 

 

 

そんな感じでレクは進み、進んでいったので、「うちも写真集出したいわあ」「いやもう出す」「出る」という熱い思いが皆の胸に芽生えたんじゃないかなあと思います。推定形なのは私が中座して野村佐紀子トークショーに行ってしまったからです。ちなみに向こうでも編集者の町口覚氏の編集話だったのでシンクロニシティを感じました。宇宙だ。

  

(5)日本と欧米の写真集出版の違い

< 日本>

・前述のとおり委託販売システム。書店は非常に多い(2017年現在、約12,500軒)が、返本率が6割に上る。公共図書館も個人の作家の作品は収蔵しない。しかし北海道から沖縄まで、全国の書店に発売日に一斉に配荷されている流通システムの精度はすごい。

・展覧会カタログは沢山売れている。(⇔美術館と書店は直接リンクしない)

 

<欧米>

・日本で3千部しか売れない写真集が10倍売れる。公共図書館が収蔵するため。逆に書店が少ない(通販・郵送の文化)。

・展覧会の企画に出版社が参加し、美術館のキュレーターと出版のエディターがともに作り上げていく。そこで出版社は美術館で本を売るとともに、書店で売れる部数を見込み、その分を利益として回収できるようなコスト設計、単価設定を行う。そのためある程度の部数を刷ることができる。

 

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・写真家、古谷誠一は欧米のマーケットに日本人写真家を紹介した功労者。オーストリアグラーツで副編集長として活躍。澤田知子アラーキーを現地に伝える。

 

・1997年、ウィーンの「セセッション館」の100周年記念にアラーキー「Tokyo Comedy」展を企画、開催する。しかし作品を日本から空輸するにあたって中身が猥褻写真であるとのタレコミが入り、外務省が急遽飛行機を止める騒ぎに。中島先生が外務省に出向いて6時間にわたって事情釈明、何とか無事出国できたそうな。

・しかし現地でスライド上映した「アラキネマ」は保守年配の客にはブーイングで、荒木本人も「ウィーンの百姓に俺の写真が分かるか!」と切り返す。激しい。なお若者層にはウケた模様。

 

 

(6)質疑応答、写真集紹介 

・昔は「読者カード」の読者のおたよりが心のオアシスでした。

・高橋恭司は8×10の天才で、見えないものが撮れる、写ってしまう。

上田義彦は光を待つ、光が来るまで待つ。土門拳を超えたいと本人談。

・電子写真集は、グラビアアイドルが主流。「写真集」の検索結果はアイドルばかり。日本はそもそも電子書籍が売れていない。スマホならPDFでいいだろうという感じ。

・マンガすらも、紙媒体で買った人が、作品が好きすぎて電子でも買っているという構図。

 

 

最後に私の質疑。

 

Q_写真集出版に至る過程は、個展などを経て段階的に力をつけていくのが良いか。

A_古屋誠一は16Pぐらいのブックレットを配り回っていた。ブックを自分で作ってみたら良い、誰に言われようと作っていくのがいい。誰かが見てくれる。

現在、出版、写真界はしっかりしていない。いつか流通経路はぶっ壊れると思う。京都の織物業界がダメになったように。その時がチャンス。自分で作品を送り出すといい。

日銭は大切。仕事しながらやっていけばいい。

 

 

( ´ - ` ) ZINE作ってみるかー。個展会場に置きたいな。 

 

高橋恭司「Life Goes on」 は、職人がプリントを本に手貼りしているという、凄いし美しいんだけれども保管に物凄く困る写真集。実際ほとんどの写真が四隅が剥がれつつあり、中には剥がれたページもあって、修理本扱いに。

 何気ない日常に秘められた光景の、とりとめの無さそうな瞬間に、美しい瞬間の強度を見いだし、しっかりと撮る。素敵だがこれは扱いが難しすぎる。はがれるー。

 

 

 ( ´ - ` ) 中座しましたがそんな感じの写真集レクでした。

 

   

 

よいレクを受けると脳の回路が切り替わり、日常の姿が一変して、何かが見えるようになります。さかあがりが初めて出来たときとか、受験に失敗したとき、愛別離苦を初めて知ったときに、そういう回路の切り替わりが生じたものです。毎分毎秒そうありたいものです。くるっちまうかな。

 

 

( ´ - ` )ノ  完