nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【映画】「神々のたそがれ」「フルスタリョフ、車を」アレクセイ・ゲルマン監督 @九条シネヌーヴォ

【映画】「神々のたそがれ」「フルスタリョフ、車を」アレクセイ・ゲルマン監督 @九条シネヌーヴォ

 

H29.6/16(金)

 

大阪における映画文化の屋台骨は九条のシネ・ヌーヴォと十三の第七藝術劇場が支えていると言っても過言ではありません。

ナナゲイに浮気してばかりいて、6~7年ぶりに行きました。

 

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わー 相変わらずじゃーん。

\(^o^)/ わーい。

 

シネ・ヌーヴォでは現在「ロシア・ソビエト映画祭」を開催していて、名前だけは知っているけど観たことがないまま放置している名作を回収できるチャンス。

 

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なんかすごいものを観たので、断片的にでもメモを残そうと思う。

以下、個人的感想メモ。ネタバレが嫌いな方は開かないでください。

 

 「神々のたそがれ」2013年 アレクセイ・ゲルマン監督

映画として面白いか、どれぐらい面白いかを、一般的な評価の仕方で説明ができない。

「こんな映画は今まで観たことがないし、今後も出会うことはない」という映画であり、濃厚でどろりとした衝撃が続き、このゲルマン監督の映像世界の体験の濃さは、「これはこういう世界」として別フォルダに大事にとっておく感じになります。ラーメン界でいうと無鉄砲のドロドロラーメンは神だ、というあの特別感が近い。

ヴェルナー・ヘルツォークアレハンドロ・ホドロフスキーが好きならかなりイケるのではないか説があります。 

 

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1次大戦前後の風景のよう。これのどこが2013年の映画なのか、いやもうすごい。

あえて情報を一切入れずに観に行き、鑑賞後にパンフレットを読んで驚かされることばかりだった。

 おどろきポイント。

 

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◎原作はSF小説ストルガツキー兄弟「神様はつらい」1962年)

 ⇔帝政ロシア時代の農奴でも題材にしてるのかってぐらい前近代的、封建時代めいた暮らしぶり、理知的でない人々の姿、生活環境の映像が冒頭から延々続き、SFというジャンルを微塵も感じさせない。冒頭のナレーション文で「別の惑星」「王国の首都アルカナル」と、舞台が地球外惑星であることは明記されているが、単なる比喩だったのかなと思うぐらい、以後のストーリーに特に絡んでこない。

 

◎2013年の映画? うそでしょ

 ⇔上記と被るが、あたかも、ありのままに粗野でズタボロで前近代的な時代に撮影されたかと思うぐらいの、ズタボロでぐっちゃぐちゃの世界。始終、雨が降り、屋根からも雨漏りは絶えない。まともな地面はなく常に粘度のある泥にまみれ、一様に世界は未開の暗黒に押し込められている。現代ロシアの蒙を表現しているのか…。

 

◎主人公の貴族は地球から派遣された観察者の一人

 ⇔小説の設定はほとんど語られず、地球人であることに由来するセンシティヴな苦悩が描写されていない。終盤こそ「神はつらい」としきりにぼやくが、それは周囲の理解を超えたポテンシャルを有した才覚ある人物だからかなとしか思わない。

小説版での主人公は、自分の地球人としての理性的なポテンシャルと、異星の文明発展には影響を及ぼしてはいけないという微妙な立場から、色々と葛藤するらしいのだが、本作映画では葛藤どころか前近代的で不衛生な世界にしっかり馴染んだ振る舞いをしていて判別などつかない。ツバ吐きすぎ、周囲も小汚い奴隷、従者だらけ。

 

 

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主役となる貴族、ドン・ルマータ。実は地球人で、王国内で知識人を迫害する策略家ドン・レバの圧政に抗っていく。とはいえ映画を観ている時点では、映像の力があまりに圧倒的に濃厚すぎ、五感がたえず音と画面の動きや、登場人物らの粗野な振る舞いなどに釘づけになって、物語を追うことは非常に難しい。ストーリーを理解しなくても十分に「何かヤバい世界が目の前で起きている」と分かります。ええ。

 

 

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原作ではアルカナル王国の体制がファシズム化へ傾倒していくことと、ドン・ルマータ自身の力を超えた問題でもあることからなかなか手を出せないあたりのもどかしい状況が描かれているらしいのだが、映画ではもどかしさがありません。ルマータが原住民と区別がつかないぐらいドライなのです。

 

 

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寝起きに、わけのわからない楽器を吹き、上も下もなく汚物とも食物とも付かないものが散乱する食卓が延々映し出され、ルマータは無秩序の中の王として強調されている。

この映画における世界の特徴は、上下が無分別であること。近代化を終えていなくても、一定の権威を重んじる社会では、行儀作法や衛生面の問題から、

◎土と水とそれ以外を区別する

◎身体から出すものと入れるものを区別する

ということを厳格に守っていくと思うが、

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この映画の世界ではかなり曖昧で、常に徹底してグチャグチャしている。映し出される世界自体が何かの未分化な社会の内臓のようで、臓腑の中の営みを観ているような気分です。四六時中グチャグチャと音が鳴っている。

この世界の人々は一応貨幣経済で生計を立てているらしいのだが、役割、属性の未分化さも気になるところで、市民と農奴の間ぐらいの曖昧な人たちが画面を行ったり来たりする。ドン・ルマータを畏れているはずだが、貴族や権威との間がまだまだ分離されていない気持ちの悪さが特徴。

カメラワークの特異さを生んでいるのがその点で、急に視界を部分的にさえぎって登場する、まるでこちら(鑑賞者側)に別の登場人物がいるかのように凝視してくる、カメラ目線が凄いのです。

 

 

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パンフの写真を改めてみると、さすが俳優だし、カメラワークが綺麗だし、絵になる印象的な一枚をバシッとセレクトしている。

しかし実際の映像体験としては、全然別物である。やはり上下の区別が常に曖昧で、口に入れたものを即吐き出したり、屋内もドロドロ、グチャグチャと泥だらけだったり、食物と汚物の区別が描写上はっきりしなかったり、唾や鼻水や泥や雨水や何やらで誰かのどこかは濡れていたりする。そして雑に処刑されます。

 

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食事が食事として形をなしていたのは最後のほうの、みそしるみたいなのを鍋から掬って食べてるところぐらいだった。貴族として振る舞っている序盤はもう食べてるのか噴き出しているのか不明。

 

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曖昧だったのは食事だけでなく戦闘の描き方も同様で、物語としては敵対する勢力との戦闘が2回あるが、明確なアクションシーンがなく、悪い夢、酔いすぎたときの視界のようにのろのろともたついた動きの中で、泥酔者のやりとりのような要領を得ない中で、気付くとルマータが相手の目玉を潰していたり、腹に刃物を突き立てている。一般的な恐れやためらいを超越した人物として、半ば周囲の生き方から逸脱した存在として動き回っている。

そのため最初はニヒリストの話かも知れないと思った。「神はつらい」と嘆くばかりだし。だが肝心の神がおらず宗教観、キリスト教に結びつくものが一切ないという特異な状況。なんせここで言う「神」は、地球より約800年分、文明が遅れた星へ送り込まれたルマータ自身。その暗黒たるや、あるのは上下をぐちゃぐちゃにする雨・雨漏りとグチャッグチャッと鳴り続ける音声ばかりが世界を覆っています。

 

 

 

フルスタリョフ、車を」(1998年)アレクセイ・ゲルマン監督

タイトルはかなり前から知っていたものの、なかなか見る機会に恵まれなかった作品。

 

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ソ連スターリン時代の政府高官、側近たちの隠されたドラマを淡々と、やや翳が射す感じに描いたものと思っていたが、全然違った。

 

序盤はかなりアップテンポで若干コミカル。スターリン体制下であることを忘れ、主人公:ロシア人将校(中将)であり脳外科医でもある大男・ユーリの家族、職場である大病院の医師仲間、彼の少々飛んだキャラクターが描かれていく。不協和音の手前あたりで賑わしさが矢継ぎ早に飛んできて、ストーリーや人生というより、断片的なポートレイトを幾つもバラバラと繋げたように忙しい。キャラもカメラもじっとしていない。

 

 

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物語らしい物語の線路にはっきりと観客を乗せないのがゲルマン監督の手法。物語上のアクシデント:「医師会陰謀事件」からKGBガサ入れ、逮捕、転落、流転など運命全般はユーリを主人公として紡いでいくが、物語のメタな構造上の主人公はユーリの息子を主人公として描く。一家の暮らしのどこかざわざわとした混線気味の状況、特にKGB捜査後の引越しと転落に伴う混乱、母親の錯乱については、少年の眼差しが辛い。それもまた映像が切り変わっていき、浸ることを許されない。

 

 

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当初のコミカル色が何だったのかというのがユーリ逮捕以後の展開。観ていて「うわあ・・・」となるね。うわあだわ。ユダヤ人医師たちがソ連指導者層の暗殺を諮ったとでっち上げられた上での逮捕なので、犯罪者の中でもやや上のクラスの処理がなされるかと思っていたら、ひどい。うわあひどい。それ。レイプ。ああ。うわあ。

 

 

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 こういう↑ ちょっとおしゃれ映画的な画像の印象しかなかったので、途中の陰惨な暴行、国家組織の理不尽な強力さは想定しておらず、狂ったように雪を口に入れて、咽喉に流し込まれた精液の風味を和らげようとする姿に合掌でした。

 

ここからまた急展開し、待遇が元に戻されるとともに、ある男の匿われ治療を受けている別荘へ。そこには、寝たきりで失禁・脱糞し、悪臭を放つ男。腹部にガスが溜まっているが、自力では放屁もできない。窓から吹き込んだ風でクローゼットが開き、チラッと見えた軍服と、その風貌から、これがスターリンだと気づくユーリ。

 

 

 

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ラストはなんだかいい感じに。 

 

 万人にはお勧めできないが、本能的、直感的に気になる人は、絶対に観た方がよい映画だと言えます。なぜか。理由がありません。どこがどう凄いか、どこに価値があるかを説明できないが、言葉にしてみますと、

「言葉にできない体験をした、それはとても大きくて重いものだった、けれど不快なのではなく、何か濃ゆくて、得体の知れない衝撃があった」

 ということになります。

 ただし旧ソ連の体制、スターリンという歴史的人物にまつわる歴史的なトラウマについて理解がないと意味が分からないので、中学時代の社会の資料集に目を通すなどしましょう。

 

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九条シネ・ヌーヴォでした。