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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真表現大学】2017年度 修了制作展 作品レビュー(後編:人、コミュニティ)

【写真表現大学】2017年度 修了制作展 作品レビュー(後編:人、コミュニティ)

表大修了展レビュー後半は、人やコミュニティとの「つながり」 に眼を向けた作家の方々を特集します。

 

みんな誰かとつながっているんだ。つながりたいし

つながることからは逃げられないんだ。

 

 なぜ表現をするのか。なぜ写真をやるのか。なぜinstagramFacebookではいけなかったのか。その問いに対する答えは、究極的には「つながり」ではないでしょうか。

 

誰かと繋がっていること、繋がりたいと想うことの先には、行動が不可欠です。Webサービスを駆使しても、それだけでは行動としては足りず、しかし会話や抱擁、セックスによっても伝わらない、伝えられない何かというものがあります。あるんだ。それを映像によって何かできへんか、なんとかしたいと、多くの先人が苦心してきました、私達も同様にうんうん言いながら取り組んできました。

 

<前編> 


つながりを切断して、バラバラのかけらをガン細胞化させようと必死になった私と異なり、皆さんは物語やドキュメンタリーを紡いでおられます。だんだん自虐的になってきたな。そういう芸風の評論でやっていこう(喪)。

 

 

<設定軸:分類チャート> 

評価値ではなく、今回の展示における立ち位置、程度だと思ってください。

 

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(2)(x、y)=(私性、人・コミュニティ)

人やつながりを撮る中でも、もっぱら自分自身の方向性を模索するため、作家性を育むため、自分が生きていく上で必要だからという「私性」に基づく活動の方々を紹介します。

前述のように桜井氏、山本氏は、サービスとしての撮影と作家性の涵養という両面の要素が強いため、プロット位置を中間に近づけています。鷹岡さんについては、単に自己目的というより、もっと大きな力?によって作品作りを推進されているようにも感じるので、あえて少しx軸を調整しました。佐々木氏、高橋氏はこれからどんどんおもしろくなるはず。 

 

①小谷泰子 / 『黒い自画像』

黒いです。闇でしょうか。

  

これだけで「この作家さんは格が違う」と概ね全員が了解し、厳粛なムードになりました。よい作品には威厳があり、作家の世界が広がっています。日常の時間の流れから作品の世界へ明らかに場が切り替わるという現象が起きます。どうすればそうなるかは不明ですが、空間の性質が変わります。会場の照明が明るすぎたのは残念でした。

 

残念ながらご本人に会ったこともないので、コンセプト等は聞けていません。黒い闇の中には作家本人の顔が朧げに浮かび上がり、セルフポートレイトであることに気付きます。暗闇を纏ってこの世界から身を潜めているようであるし、逆に長い暗闇から徐々に「自分」を再構築して浮かび上がろうとしているようにも見えます。ただ、表情は前を向いており、ポジティブなものを感じます。

 

ご不在なので講師が代弁。

【講評】 

・アーティストとして90年代に活動、東京都写真美術館でも展示経験がある。(恐らく「第3回東京国際写真ビエンナーレ」の「青の追求」「青の波動」等)

・この10~20年近く作家活動を停止していたが、その間に写真は完全にデジタル化してしまい、再開するにあたってはデジタルの使い方を学びなおす必要があったことから「夜間コース」に入学した。

・作家自身の心境、谷に落ちるような闇の感情と、再生への思いが表れている。10年間の闇とここからの自分であると言えよう。

・心理学につながる作品とも言える。写真は、写真だけでは成り立たない。他の分野とのコラボレーションによって何か重要なことを伝えるものである。 

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②鷹岡のり子 / 『いのちの輝き』

長い作家キャリアをお持ちですが、小谷氏とは真逆で、10年近く表大のゼミに通い続けておられる。  

花が徐々に枯れていく様子を自然光で写した作品ですが、タイトルのとおり「生命」そのものを見つめた映像です。花の記録ではないことが、すいません私の写真が乱雑ですが、生で見ていただければもう。一発で分かりますので。はい。

 

2006年、母親が生死を彷徨う状況にあったとき、チューリップが枯れてドライフラワーと化していたのを撮影。するとそこには生命力が写り込んでおり、「もしかすると母もこうやって懸命に生きようとしているのでは」と気付かされたとのこと。

それからは、出窓で枯れ行く花を、三脚を立てて撮り続ける日々です。ギャラリーと組みながら、国内外での展示・販売の機会を得て活動しておられます。

 

【講評】 

・家庭の主婦だから撮れる写真。この花は出窓の花瓶に差し込む光で撮られている。世の中の多くの人は、光の最も美しい10時~14時頃には、家にはいない。(プロの写真家ですらも)

・この花の写真は「花」には見えない。ぱっと見たら人体の一部かなと思った。作家はおそらく「違う目」で世界を見ていて、面白い。

 

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③岩見あづさ / 『ぼくのめせん』~周りが変わるふしぎなゆらぎ~

 

いよいよ本格的に写真のあり方が変わりゆく潮目の時代だなあと思います。「87歳アマチュア写真家」西本喜美子氏しかり、この「普通の家庭の主婦」岩見さんしかり。EOS 1D系を仲間でずらりと並べて桜や飛騨の合掌造りを撮ってSNSで切磋琢磨する時代から、早くもノン・カメラマンが写真作家となる時代に突入です。

 

被写体となっているのは全介助状態の8歳の息子さんで、日々の家事をしながら介助もし、その上で、撮影やセレクトまでこなして展示にまで漕ぎつけるのは、至難の業であると思われますが、それがこのような形で実現できるのは、撮影機材や編集ソフトなど、写真メディアを取り巻く技術の革新が進んだ結果と言えます。

 

「私達はわりと普通に暮らしています」岩見さんは言います。「これまでの障がい者をおさめた写真は、ノーマルな人との違いが写されていた。けれど実際に毎日生活している私にとっては、彼はかわいそうでもインパクトでもない。そんな特殊な存在だったら、私達、くつろげないですよね」

 

岩見さんは母親であり介護者である以上、自分だけでは撮ることができないシーンが多いため、家族が協力して代わる代わる撮影役を務めました。撮られる側と撮る側が混ざり合うという珍しい形態をとります。さらに、息子さんのヘッドギアにウェアラブルカメラを取り付け、リモートでシャッターを切ることで、彼の見ている視界をも形にしました。こうなると、作家は誰なのか。まるで息子さんがプロデュースして本作を皆に作らせたかのような不思議な力を思わせます。

 

【総評】

・これはパラリンピックへのカウンターとなる活動。選手は特殊な場で活躍するスターだが、こちらは日常の中が舞台である。 

・従来の映画、映像作家、写真家でもこれは撮れない。荒木経惟のプライベート・ドキュメンタリーの「後」に来るもの。以前は作家が全て撮るものだったが、こちらでは誰が撮影したか定かではなく、立場の違いが溶け込んでいる。

・彼自身がポートレイトとしてこの作品を撮った、とも言えるのではないか。

 

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④佐々木久実 / 『つながる親族の力』~たわいもない話が生き方を形づくる~

 もちつきは文化です。 

よそさまの家の恒例行事を聞いていると、昔から大事にしている行事ほど、段取りが大変で、いつまで続けられるのか正直分からないといった様子です。佐々木さん家では餅つきを50年以上にわたって続けてきましたが、この度、最後の回となったとのこと。

 

ご自身が世界の文化、神話など、代々受け継がれていくものに関心があり、「私にとっての当たり前は、ほかの人の当たり前ではない」と語っておられたのが、本質を突いていて、ときめきました。海外にもよく行かれるらしいので、今後多彩な「日常」が蓄積されていくと思われます。

 

学校入学前に撮っておいた写真だが、重要なコア・コンセプトとなりうるものであったため、展示として出すことに。写真は撮れるだけ撮っておくに越したことはない、と誰かが言っていた気がします。事物が消滅した後に撮ることはできません。何かを感じたら即撮りましょう。半分自分自身に言い聞かせています。

 

 【講評】

・もちつきは文化人類学。写真を集めて編集することによって文化は見えてくる。(1枚では分からない)

・70年代の万博以降、文化人類学は論文から国立民族学博物館の時代へ、展示、映像メディアへと移行した。

・まとめ方がよかった。こうして見ると儀式のよう。色んな国の文化を取り上げてほしい。 

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⑤高橋咲 / 『ジュウゴ』

 唯一の十代の生徒さんです。 

15歳の妹さんを撮ってきたものを作品として発表。

妹さんがファンキーです。フォトブックをめくると全ページが妹さんです。例えば学校や仲間とつるむシーン、心象光景はない。であれば作者の日常景としては偏っている。しかし、妹さんのポートレイト集でもない。低価なフィルムカメラで撮られたと思わしき色調、描写からは、作家自身と被写体である妹との境目がなだらかに繋がっているように見えます。生活の共犯者のような、二人で一緒にいることによって得られる落ち着きや安らぎを感じました。

 

作者は高校に入ったものの「周りが賢すぎてドロップアウトした」らしく、夜間に入りなおし、しかしやはり自身のやりたいこととギャップがあったのか、最近ではバイトをみっちり入れる合間に表大に来ては、photoshopIllustratorを習得する日々を過ごしている模様。 

 

 本人がいません。

【講評】

 ・社会や家族との微妙な関係性がベースにあり、世間的にはイレギュラーな存在となっている。日本の高校生には「定番のコース」(大学・専門学校への進学、就職、結婚など)があり、そこからこぼれ落ちた人は、関係が断ち切れてしまう。

・「定番」は刷り込みであるが、コースを外れた人は自分のことを語ることができなくなる。何を自分の拠り所にすれば良いのか。写真はその手段となりうる。

  

 フォトブックの巻末によると「妹を撮るのに飽きた」とはっきり書いてあって、何か心境の変化があるのかもしれません。ここから何を見ようとするか、見てみたい気持ちです。

飽きても多分ぐるっと回って帰ってきたりするので、まあ気長にやるといいことがあります。カメラが変わるだけでやる気が復活するかもしれません。(案外そういう人も多い) 

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小川真奈美 / 『陶彫にたくす愛のまなざし』~東健次の平和へのメッセージ~

 三重県松阪市の山奥に潜む芸術空間「虹の泉」に密着。

小川さんの地元でも知る人ぞ知る人物、陶芸作家・東健次氏の世界を世に伝えたいとの思いから、取材を重ねてきました。 

山奥の5,800㎡の敷地を自ら切り開き、窯を入れ、74歳で亡くなるまで35年間にわたって一人で作品を作り続けた人物です。けた外れの情熱家で、なんでも当初はアルゼンチンで理想郷を築こうとして7年間土地を探し求めたものの、イメージに合わなかったらしく、辿り着いたのが三重の山奥だったらしい。窯でパーツを焼いてはそれを組み合わせて、等身大かそれより大きめの人物像を作り、ひたすら作り続けます。誰かに売るためでもなく、ただただ自分の子供ように愛を注いで作り続けます。

 

 東氏のテーマである愛、平和、特に「若者へのエール」をいかに写真で表現するか、かなり難題でしたが、あるとき考案された手法が、広大な敷地をまんべんなく撮るのではなく、陶彫作品の目の部分に込められた作者の想いを、3枚連続写真で、動きをもって表すということでした。

  

※実際の現地には、膨大な数の陶彫がいます。

 

【講評】

 ・格の違いのある作家に対峙するには、全身、全体を相手にすると太刀打ちできない。

・最も重要なポイントである「目線」に注目し、今回はそれだけを抜き出した。

・3枚の写真でズレ、動きの響き合いから、作家の想いを映像にした。

・1枚だと造形美で止まり、2枚だと対立関係になってしまう。3枚であることが必然的だった。1/125秒で写し取られる「1枚」は、「真実」ではなく、断片である。1枚だけでは、真実は果たして語り得るだろうか。

 

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⑦村上弘 / 『猫は家に帰り、僕は散歩に出る』~プチ家出、自然を巡る~

 「写俳」、写真と俳句の融合で作品づくりをしています。

「フォトヘルスケア」コースでは写真と俳句を融合して、1枚のビジュアルにしています。

写真による表現においてはどうしても創作の厳しさが求められ、他者や自己との戦いになります。同じ土俵に乗るとたぶん個別の事情お構いなしの評価になります。かなしいですね。

しかし日常を生きていくことの自信を取り戻しつつ、セルフケアから表現へつなげていく上では、まず穏やかな土俵で、ということで、自分たちで土俵を作るようにして、独自のフォーマットでアウトプットがなされました。岩宮武二の俳句精神の継承などがあり、写真と俳句が融合しています。

 

【講評】

・ご本人、非常に真面目だから、もっとおかしな、ひょうげた表現してもいいかもね

・軽妙洒脱なエッセイ風の作品。これ、猫が部屋に居座るので、作者の方が家出してるんです。

・元々、俳句は大衆文化であったが、写真の登場によって存在感を失った。今、写真もまた力が落ち気味で、代わりに言葉がTwitterの登場で力を上げてきている。写真と俳句を改めて再出発させてはどうかという発想である。

 

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⑧井上晃啓 / 『僕は旅散歩にいく』~指先が創るイメージから俳句を詠む~

 「写俳」作家、日常を描くの巻。

井上氏も写俳ですが、画面内の構造の線がはっきりしている印象があります。

垂直・水平をまず力強く引いていて、その上で被写体を載せていく。非常にスタンダードな風景写真の原則があって、それが「井上さんの写真は力がある」という感想に結びついているように感じます。村上氏の写真は線というより画面上の地形やモノを面としてふわっと置いている印象があり、文法が違うのが面白いです。

 

二人の写真は初めて一眼レフを買ったときの喜びを思い出させる効果がありました。昔は私も、モンスターがどうとか言ってませんでした、地元の畑とかビニルハウスや青空を、通過する電車とともに、水平線がどうとかブツブツ言いながら撮っていたものです。全て現代アートのせいだ。あれは麻薬。

 

このお二人のような素朴な表現は、アートの現場で戦っていける人材を育てる場(=大学等)ではなかなか評価されない、ということでもあります。

 

( ´ -`) ※井上さんは左のほうです。モンスターではない。

 

【講評】

・芸大に進んだものの辛さを覚え、表大でのセルフケアを通じて作品作りをしているところ。旧態依然とした大学の中で、自分の作品で押し返していけるよう、少しづつ自信をつけていく。(芸大・美大の内部を知らないのですが、厳しく作家性を問われる模様)

・写真がうまいんですよ。散歩に行くような軽やかさで撮ってくる。これを作品へ昇華するには、「何を思うか」を伝える必要がある。俳句の力がその支えになる。

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山本美紀子 / 『40±』

 自身と同年代、40代前後の女性らを特集しています。 

「自分自身」を生きていると作者が思った友人、知人らの活動を取材し、テキストと写真で生き方を伝えます。

みっこはんの特徴は、彼女らの多様な選択肢について、ほどよいフラットさで筆を執っているところです。男性社会に象徴される価値体系への異議申し立てや、「常識」への反撃や告発は、そこにはない。また逆に、登場人物を過剰に称えたり、自身を昂らせることもしない。

あくまで一線向こうに身を置いていて、浮かび上がる「自分自身の像」のようなものを、心象光景としての風景に反映させながら語るので、歌詞のない歌のように、自然に聴こえてくる。よって、私のようなナーバスな人間でも、ポートフォリオの次のページに、自然と手が伸びる。読み進めることができる。

本当の意味で「聡明な」人は、この世界に正解がないことを前提に生きている。ただ自分自身が生きていく上で納得できるか、無理がないかがポイントであって、人に正解を投げつけるようなことはしない。登場人物そしてみっこはんは、そういうことなのだと感じました。 

 

ポートフォリオがでかい。いいなあ。このサイズで私もやろうか悩んでました。

このサイズで見開きいっぱいに風景が来るので迫力すごかった。

 

【講評】

・アカデミックな写真、美術教育を受けていない人こそが、新しいことを展開する。現代は変革期である。「アラフォー」と呼ばれる人たちを通じて、セルフポートレイトを撮っていくこと、続けていくことが大切、ぜひ個展を。

・時代の中でどうやって作品、想いを伝えていくか。作家は評論家に支えられる。自分が評論家を選ぶこと。全ての分野において、その意義は評論家の仕事が支えている。

 ・石内都「1947」が参考になる。40歳になった作家が、自分の身体の衰えを自覚したとき、自身と同年代(1947年生まれ)の女性の手と足を撮った。

ポートフォリオが素敵ですね。よく考えられている。

 

 

ポトフォリ一番よかった ( ´ - ` )ノ

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 ⑩桜井祥直 / 『自然と不自然の嘘』

写真は果たして真実を言うでしょうか。嘘を言うのでしょうか。

 

 

地元・鳥取のプロカメラマンとして活動し、人物・風景を美しく撮ることに長けておられます。その高い技術力と、ご本人の朗らかなキャラクターと、鳥取で活躍した大作家・植田正治の虚構性とを合わせた世界を展開します。「どれが合成か、どれがストレートか分からない」、真実のような嘘のような映像を、鳥取の自然を舞台に撮影しています。

 

つくづく思うのが、私と似ているなあということです。この会場で一番私と似ているんじゃないでしょうか。「どれが合成でどれがストレートか分からない」あたりは全くそう。

一枚一枚の画の力はあるが、隣り合う作品同士はどう繋がっていくのか、全体として何を語るものなのか、世界観としてもっと詰めていける。ダークもシリアスもポップもいけるし、アイデアの引き出しも豊富で、それを実現できる力量はあるが、全体を統制して物語にまとめる編集力がほしいところ。あるいは物語が成立しないことを語るならば、断片の渦や濃霧感をどう構築するか。等々、と私の後輩が指摘しており、ああ私に非常に似ているなあと客観的に思った次第であります。また飲みましょう。

 

プレゼンのトップバッターだったので謎にハードルめっちゃ上がっててお疲れ様でした。

 

【講評】

・この仕事は植田正治の精神を継承したもの。写真史の文脈を理解し、過去からのバトンを受け取ったもの。植田氏は土門拳の「絶対非演出絶対スナップ」の時代に「演出」写真を創作した、稀有な作家。それが可能だったのは彼が鳥取という圏外にいたからである。

・「演出」にはストーリー性がある。これらの作品は単写真としてはよいが、ストーリー性が課題。1枚の写真が何に繋がるか? 技術的には問題ない。

・写っている人の面白さから「風景」をもっと感じさせたい。日本海側という独特の風土があり、人為的な演出を超えた感動につながるはず。 

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<休憩>

 

ニャー。 

 

のばします。

 

バキバキバキバキ。

 

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(3)(x、y)=(プロ・サービス、人・コミュニティ)

 

最後に、人やつながりを撮る中でも、プロカメラマンとしての仕事や公的な利用を目的とした作品を制作する方々を紹介します。

最終成果物として、クライアントへの納品、公共的な利用がはっきり確定している斎藤氏の作品を最大値に振っています。しかし話を聴けば聴くほど、作者自身の心象であるとも感じ、単なる仕事でもないと判断して、少し「私性」の側へ振りました。

次いで、写真を自身の商売に生かしていくことの明確さから、恒川氏をプロット。点数が1点だけだったのでこれ以上は判断は難しい。長村氏、田中氏、佐藤美幸氏らの取材撮影の仕事がいい感じです。時本氏は逆に、普段のお金をもらう仕事の外側で、個人的にドキュメンタリーを行っていることから、位置づけを調整しました。 

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①齊藤いりす / 『2nd ホームタウン』~故郷じゃないのに愛しい町~

 地域おこし協力隊として赴任した、福井県高浜町での四季景です。

幸運にも、非常に気の合うデザイナーさんと組むことができたため、ご本人の希望をかなり的確に実現したポストカードやチラシになったとのこと。ご覧ください、爽快感と美しさのあるデザイン。作家はよいギャラリスト、よい批評家、そしてよいデザイナーと組むことで、お客さんへ伝わる力が全然違ってきます。そういう風にありたい(泣く

 

 

 

現在、高浜町文化会館にて、約2年間の活動を通じて撮りためた写真90点を展示中。そのため修了展には数を絞って4点のみ展示となった。

 

<展示情報>

 H30.2/22(木)~3/25(日) @高浜町文化会館

<★Link> 

  高浜町 「2nd ホームタウン ~故郷じゃないのに愛しい町~」

 

高浜町という土地の魅力を広報する目的でまとめられているが、何よりも作者が惚れ込んでシャッターを切っていることが分かる。観光客では撮れない写真、けれど地元民ではこのような、ちょっと絵になる光景は逆に撮れないようにも思う。そのあたりの揺らぎ加減が好きです。 

人口減少や超高齢化をはじめ、たぶん地元では頭の痛い課題が山積していると思われるが、そういったことをあまり感じさせない、美しい光景が続きます。作者が仕事で風景を撮ったというよりも、高浜町の住民の希望に寄り添うような、作者の想いが感じられます。

 

【講評】

・作者は写真教育のバックグラウンドを持たない(美大・芸大卒でもなく、スタジオ上がりでもない)が、地域活性化の活動を行い、写真・映像を用いている。

・写真の価値は時代で変わる。現代はプロジェクトのための写真が求められる時代となった。一歩引いた形で日本海の風景を、広い視野から淡々と撮っている。(昭和の写真家のようにがっつり日本海の独特な風土を撮るというスタンスではない)

・2年間という、長いようで短い期間、異邦人として撮ってきたことが分かる。

 

この展示を最後として、いりすさんは高浜町を卒業して、次は徳島県のまたちょっと辺鄙なところへ移住されます。次回の「2nd ホームタウン」に乞うご期待。 

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②恒川直也 / 『素顔の七五三』

自営で美容室をされており、ご本人は美容師、パートナーが着付けを担当。同時にその場で記念の写真撮影まで出来るようにするため、夜間コースでプロのスタジオ撮影技術を学ばれました。

 

今回初めて作品を見たのと、1点だけのため、私から言うことがあまりありません。

 

【講評】

・スタジオでヘアメイクしてその場で自分で写真も撮りたいということで入学された。限られたスペースで、バック紙やライトをセットし、環境を作った。

 ・写真館で撮るようなきちっとした七五三の写真ではなく、ちょっと気の抜けたような面白いものも撮るような仕事に。メモリアル写真の変質、新しいイメージを作っていく活動。 

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③佐藤美幸 / 『義太夫節』~渾身の力を込めて~

 文楽です。人形浄瑠璃における語り手で、登場人物のセリフから状況説明まで引き受け、独特の口調で、全力で歌うように語ります。 

渾身です。

えらいことになっています。

伝統芸能の難しいところが、ジャンルについて知らないと、ぜんぜん何も分からないことです。

ここで説明を盛り込み始めると、私の身がもたないので、youtubeでかんべんしてください。

 


はい。わかりましたね。

美幸さんは文楽太夫さんと知り合ううち、稽古事としてその技術を習う門下生がいることを知ります。稽古の現場に出入りし、学校の写真作品作りの一環として撮影をさせてもらっているうちに、関係が深まり、2年越しで作品にすることができました。

 

浄瑠璃の何が面白いかというと、太夫の「顔」だそうです。これらの、渾身の力で大の大人が語る姿が、とにかく印象的なのだと。被写体の皆さんは素人です。その業界のプロではなく、師匠について稽古事として習っている身。師匠にめっちゃどやされながら、めっちゃ必死で、ものすごい形相で声を振り絞るのだそう。

 

【講評】

・4×4=16枚のイメージ、複数の映像を並べて比較させる、これはどちらかというと美術的手法である。旧来の写真の手法は1枚ずつ額装して見せるものだった。

・手法はアートだが、ポートフォリオも含めてその内容は、伝統芸能のドキュメンタリーとなっている。

・専門的過ぎてあまり世間に知られていない世界を、社会に伝えていくという役割がある。今後、依頼がたくさん寄せられるのではないか。伝統芸能はそのジャンルについての知識がなければ撮ることができない。

 

美幸さんは通訳者。伝統芸能の側の世界と、我々のような何も知らない人の世界とを、わかりやすい日本語でつないでくれる、ナビゲーターです。こういう人がいないと、基本的に文化とか伝統は敷居がめんどくさくなり、ゲームやアニメに流れてしまうのが世の常です。ぜひ続けて特集していってほしいです。

(かくいう私も、「太夫」が何をしている人のことか全然知らなかった)

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④長村玲奈 / 『京友禅』~町家に生きる文化~

 昨年に引き続き、京都の伝統工芸職人を取材。

京友禅の型染め職人さんの工房を取材。体験実習に行って取材交渉し、展開が広がりました。

工房は町屋のなかにあり、うなぎの寝床のような細長い家の形状を生かして、着物の半反分を染めて干せるような工夫がなされている。職人は現在3代目だが、後継者がいないため、自分の代で終わりになりそうだという話。えー。

この職人だけでなく、仕事に関わる道具である特殊な刷毛(鹿の毛から作る)を製作する職人や、型染の「型」を作る職人も、ごくごく僅かの人数しか現存していない。産業全体が消滅の間際にあると。消えてしまう。たいへんや。

 

彼女とは同期生なので割と状況を知っており、最近いきなり画のクオリティが高まったのは、EOS 5D Mark Ⅳを導入したことの影響も大きい。カメラマンの腕の一つには、機材を的確に扱う技術力もあります。予算の範囲内で機材投資は積極的にやるべきです。

取材においては、現地の様々なシーンのカットをそつなく押さえており、仕事のできる公務員のような万能選手です。バランスが良い。打席に立ったらきっちりヒットを打ってくる選手です。仕事のできる人だ。

 

そしてもう1点、プロカメラマンのゼミに通っていることから、ライティングの研究としてそのへんで拾ってきた落ち葉をオブジェとして撮影。かっこいいですね。みなさんも光を大事にしましょう。

 

【講評】

 ・この展示は画家の見せ方と言える。一つはデッサン、スチル作品、光と対象をよく観察し、作者の技術力が確かであることを見せる。もう一つはテーマ性の作品。技術を活かして応用編の仕事ができることを示す。

・「伝統」が曲がり角に来ている。誰かが撮り続けないといけない。「型染の職人」は、全体からすると「パーツの職人」となり、人間国宝にはなれない。すると誰も注目しないため、記録すらされずに消えていってしまう。

・仕事道具をちゃんと撮っていて、モノの力が出ている。その道具を見るだけで物語を想起できる。 

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田中久美子 / 『カフェつくり人』~場をつくり 結びあい 和をひろげる~

カフェの個性を特集しました。 

これぞと思うカフェを探し出して取材を申し入れ、撮影、インタビューし、写真での展示とブック編集を行った。特にブックの完成度が高く、普通に情報誌として書店に置いてありそうな出来栄え。

日頃はWebデザイナーとして仕事されているが、そのスキルが生かされていて、仕事のレベルで形に出来ています。すごいニャー。

店主の顔が見えるような、インテリアやコーヒーカップに注目して撮影、店の雰囲気を掴めるよう工夫したとのこと。

 

 紙、Web媒体で展開したいとのこと。地図まで付いてる。まじか。

すごいニャー。うらやましい。(※筆者はIllustratorのパスが大の苦手)

 

カフェめっちゃ行ったので他のテーマもやってみたいとのこと。ソウデスヨネ。

 

【講評】

・1つの店に対して写真5枚で構成している。なぜ5枚か。1枚で店の雰囲気を伝えきることはできない。ビジュアルの依頼仕事をこなす上で、俯瞰、細部、深さを出して、一定の仕事をきちんとこなせると言えるためには、やはり最低5枚が必要になる。

(ここでは基本構成として、①仕事中の店主、②外観、③店内 ④カップ ⑤サイドメニューや他の店員など)

・デザイナーだけあってphotoshopIllustratorを駆使して、一人でメディアミックスができる。あと彼女はドローンも飛ばせますから。

・これで10店舗こなせればプロとして活躍できる。 

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⑥時本玄 / 『いのち育む農業高校』~喜びに汗をかく青春~

 農業高校の生徒さんの学びの一幕を切り取ります。 

(作者不在のため、講評も交えて説明を記載)

 

時本氏はプロとして学校の卒業アルバムのための撮影を請け負っているが、それだけにとどまらない撮影をぜひしたいという思いから、表大の夜間コースに来て、個人的な作品としての活動をプラスオンしたとのこと。加西市からの通いです。(ものすごく遠いイメージがあったが高速を使うと1時間少しで来れる模様) 

 

農業高校には幾つかコースがあるが、どんどん人数が減っている。毎年80人が入学するうち、農業科を選ぶ人は年間1人程度と、農業の衰退がはっきり目に見えるような状況があるらしい。後継者がいません。

彼らの生活に触れて作者は何か形に残さないといけないと感じたそうです。

写真だけを見ているとポジティブで、いい感じなので、そのようなシリアスな現状には気付かなかったです。牛のまなざしが優しい。

 

今年8月には作品80点ほどを用いて個展を行うとのこと。

 

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⑦吉川育子 / 『咲くや庭造り』~愛と奮闘の物語~

受講のカリキュラムの都合から、2年間かけて卒業されます。昨年度からずっとガーデニングを特集してこられました。 

 

プロとして身を立てたいと希望があり、ガーデニングを専門的に撮れるプロカメラマンとなることを講師に提案され、オープンガーデンの機会に様々な私邸を取材、交渉し、作品として形にまとめられました。

今作では8名の庭園を特集。イングリッシュガーデンが主だという。どの庭主も、春から初夏にかけての僅かなシーズンにお披露目するためだけに、1年をかけて調整し、手入れを続けているとのこと。

 

カメラ操作にまだ不慣れだった昨年度とは段違いに写真の技術が上達し、画の力がしっかりと立ってきました。それぞれの庭の特徴的な部分を捉えているのも、努力の賜物です。そう、吉川さんは誰よりも努力家なのです。

 

なんとブックまで挑戦されており、本当に努力家だなと感服です。

 

【講評】

・「ガーデニング写真家」は今までありそうでいなかった。時代は中古物件の時代になりつつある。日本では新築住宅の信仰があり、家は新築で建てるものという価値観を育むような住宅政策がなされている。家は実は消費財だったのだ。しかし現在、人口減などから新築物件は売れない時代になってきた。

・そこで欧米の価値観も参照し、中古物件に住宅メーカーが注目している。その際、価値を決めるのは家屋自体の価値もさることながら、庭の手入れの状況も価値としてカウントされる。ガーデニング写真家は、庭の価値を伝えるための仕事を手掛けるようになる。

ガーデニング写真家は、女性の方が向いている職業である。個人宅の庭を撮りに行くには、必然的に昼間になる。応対するのは恐らく主婦になる。男性が日中、家を訪ねて中に入ることは、色々とハードルがある。

・家ごとにテーマがあって作り込んでいることが写真を見てもわかる。庭主の想いや意思をもっと見たい気がする。

 

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 非常に駆け足になったが、以上で、2017年度、写真表現大学・修了制作展のレビューを終えましょう。

 

私もここで卒業となるが、なんとまたゼミ生として2018年度も通うことになっているので、相変わらずblogの投稿は表大の授業レポに偏ることが予想されます。 

 

マンネリ化しないよう、書き方のフォーマットについては随時工夫をしていきたいところです。絵心があれば漫画にでもしたいところだが… あと書きすぎて時間をめっちゃ食うのを何とかしたい。簡素化は必要だと思っています。

  

  

( ´ - ` )ノ お疲れ様でした。