【ART―写真展】20世紀の写真芸術 ー学生がつくる大阪新美術館・enocoのコレクション展ー
H29.11/23(木)@大阪府立江之子島文化芸術創造センター
先月ぐらいからエドワード・ウェストン「裸体」をWebで見かけるようになった。大阪市のホームページで写真展示の企画が謳われている。
「大阪新美術館」の整備を進めている大阪市と、美術品を多数保有する大阪府とが収蔵作品を出し合って展示を行うという。企画の運営に当たっては、芸術に関心のある学生が外部研修生として参加するワークショップの形で実施されている。入場無料だ。やったね。
大阪で生で見られるとは思わなかった >E・ウェストン
行政が写真史の学びとして写真の展示をやる。いい時代になった。写真はただの道楽ではないということが広まると、私のごとき人種は生きやすくなるのでありがたい限り。
会場「江之子島文化芸術創造センター」に来ました。
本展示の肝となっているのが、海外の写真近代史と、関西における写真の近・現代史である。昭和初期のアマチュア勢(浪華、丹平)と花博、そして岩宮武二という関西写真のDNA特集だ。なかなかこのラインナップはお目にかかれない。この感じで突っ走って市立府立問わず大阪写真美術館でも建ててくれれば嬉しい。うれしいんだがなあ。だめかな。カジノよりアートセンター建ててほしいなあ。アート作品の制作に協力したら割引価格でカジノできるとか。被写体になる、脳内麻薬の計測に協力する、ドキュメンタリー取材に応じる等。だめかな。はい。
展示構成は5章から成る。芸術を学ぶ学生のワークショップだけあって、手堅く歴史学をしている。現在の「写真」のルーツとなる「近代」―20世紀初頭、アメリカ・イタリア・ドイツ・ロシア、そして関西でどのような模索と創造が行われていたかを辿るものとなっている。
しかし全体像として写真史の概要が頭に入っていることが必要だ。少なくともスティーグリッツ、モホリ=ナジあたりが何をした人物なのか分かっていないと「へえ昔の写真ってこんなもんか」と見くびって家路につくことになる。画像処理、視覚効果のドスの効き方については、現代のレタッチや光学技術の方がインパクトが深くて、昔の作品は逆に薄味かもしれない。
だがこの「現代」は今さっき突然発生したわけではなく、何かが変容しながら今の形になったのである。まるで生き物だ。ではその「何か」とは何だ、というあたりを知ろうとすると、残念ながら学ぶ以外の方法があまりないので、先人の活動を観ましょう。
( ´ - `)
個人的に色々ツボったので、各章ごとに印象に残った作品をメモした。
【第1章】倶楽部からの始まり -なにわの写真家たち-
日本写真史で注目すべき動向として、戦前:1900年初頭のアマチュア写真家勢力の勃興がある。彼らは精力的に表現活動としての写真を撮り、絵画を意識したピクトリアリズム写真から、次第に海外からもたらされる新興写真、ストレートフォトの影響を受け、次々にその熱を具現化していく。その動きは関西で特に盛んだった。
残念なことに戦争が本格化するにつれ、前衛的な表現は規制されるとともに、写真は報道写真としての社会的使命を負うことで生き延びる道を選び、アマチュア表現の時代は終わりを告げる。
〇「クラブ石鹸」小石清(1931年)
本展示のチラシにも使われている写真。石鹸とその泡の筋であるが、何かが狂ったようにカッコ良い。戦前ですよ? モノとしての突き放された存在と、モノを冷徹に写し取る写真の特性とがマッチしている。カッコつけすぎず、白い物体を石鹸ですよと言っているあたりがコミカル。商用にも報道にも何にも役立ちそうになく、表現のためだけの写真であり、その精神がかっこいい。
〇「漁」上田備山(1930年代)
画面左はぐわぐわっとした強い光の揺らぎと、画面右は深く刻まれた歪な網の影から構成される。金属板をえぐりつけた彫刻作品のようで、写真の感じすらしない。まさにアマチュアの本懐極まれり。フォトジェニックとかインスタ映えなんてクソ食らえとばかりの怪作。なのにタイトルがカメラ雑誌の素人投稿作品のようでギャップに萌える。
〇河野徹、榎本次郎とか(1930年代)
ザ・アマチュア。幸せそう。これは幸せな写真。社会的評価とか関係ない感じがいいですね。
〇「作品2(ダンサー2)」、「嫁ぐ寂しさ」佐保山堯海(1950年)
「ダンサー」は、画面左下にダンサーの女性がおり、その背景ほとんどを舞台に描かれたと思わしき抽象的な絵が占めている。この絵が濃く、不安定な心象の揺らぎに満ちている。ダンサーは恍惚気味の表情だが、付け睫毛がものすごく長くてカールしており、踊っているのはむしろ睫毛だ。エロスでも美しさでもない謎の力がある。
「嫁ぐ寂しさ」は、結婚式の2次会の店内で花嫁を撮ったものだろうか、披露宴にしてはずいぶん店が粗いし狭い。背後のブラインドがひしゃげているし、背後の窓や店員と花嫁の距離感が狭い。その表情は微妙そのもので面白い。
( ´ -`) 戦後の写真とはまた異質な濃さがあり、妙に腕力のある表現でした。主義だと言ってもいい。日常のささやかな心象の機微などは表されていない、コンポラとか90年代のような繊細さはゼロ。機械の眼が外界を捉える機能面に着目している。
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【第2章】個人のための写真へ -戦後を生きた写真家-
戦後の日本の写真家、及び花博写真美術館での展示作品(花博閉会後は大阪府に寄贈)から構成される。戦時中には出来なかった個人の自由な表現が戦後日本では一気に花咲き、絶対非演出絶対スナップの土門拳がアマチュアを写真雑誌の月例で指導する一方、新しい世界観を体現する写真家たちが出現した。
〇「What I am doing (1) 」 山沢栄子(1976年)
出た。緑色の半透明の板2枚を上下に組み合わせた、というだけの空間構成だが、それ以外には考えられないという完成された不思議な世界。どうなってるんすか。
〇「Ohiro Theater.Ohiro」「Tampa Florida」杉本博司(1980年、1979年)
映画館のスクリーンを、映画の上映時間分だけ露光させて撮影した作品。TOPのリニューアルオープン時に観たものと違い、小さいサイズでの展示。描写が桁違いに緻密なので注視し始めると止められなくなる。
〇花博の人たち(関口哲也とか菅井日人とか)(1980年代)
花、自然の写真ですなあ。瑛九、山沢栄子、杉本博司といった怪物勢のコーナーに並べられると完全に埋もれる。バケモノと一般民間人の違いが際立った。
入江泰吉はすぐわかる。
古都・奈良の、我々日本人にしみこんでいるイメージが体現されている。なぜかはよくわからないが、私たちには原イメージとでもいうのか、「日本」とか「古都」というと、京都や奈良の最上級の広告写真、ドキュメンタリー映像のような、独特の優しい風合い、手触り感、色合い、郷愁の念、ぬくもり、朧げな美しさがひとまとめになってインストールされている。日本人というOSの基礎の一つとして根底にそれが流れている。 入江泰吉はそういう奈良を撮っている。
( ´ - ` ) このコーナーはチーム花博が一般民間人に見えるのが残念。可能ならば、花博写真美術館の意義を写真史にセットするための展示に出来たらよかった。つくば科学万博’85に絡めて設置された「つくば写真美術館」との関係や、80年代を境として個人ギャラリーまたは百貨店での展示から、公的美術館が写真セクションを設置し、日本における写真の位置づけが大きな変化を迎える節目となった点をおさえて語ることができれば、花博写真美術館の意義及び現在の関西圏(まさに大阪新美術館)の取り組みの意義へと繋げられるのでは。
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【第3章】宣言するモダニスト -激動するヨーロッパの写真新機軸-
1920~30年代、1次大戦のトラウマを孕みながら、工業製品、科学技術の著しい進展によって、世界中が大量生産と機械の時代へと変換されていく渦中。ヨーロッパ各国で新興芸術運動が勃興。写真は新しきメディアとして盛んに活用された。イタリア未来派、ドイツのノイエ・ザッハリヒカイト、バウハウスなど。絵画ではキュビスムの論理性に疑義を唱え、ダダイズムからシュールレアリスムが花咲く。
〇山脇巌(1930年代)
バウハウスに留学していた数少ない日本人。あとで調べると写真家ではなく建築家らしい。妙にアップした人の顔や、ボウルをたくさん重ねて立体図形とも日用品ともつかない形状を撮っている。色々模索してた模様。
〇アレクサンドル・ロトチェンコ(1920~30年代)
スピード感のあるフォント、グラフィックデザインでおなじみのロシア構成主義作家。写真もやっていて、スポーツ選手、人間ピラミッドを撮っている。つくづく人間ピラミッド、組体操というのは非人間的な「構成」だなあと感じる。
〇ラースロー・モホリ=ナギ(1920~30年代)
めちゃくちゃ有名人なのに、いまいちどういう作品の人かを思い出せない不思議な人。写真作品として絵を完成させることより、思考の実践として写真というメディアを使い倒していた印象。作品は思考のデッサン、ラフ画、あるいは実験結果のレポートメモのようだ。天才の思考を追うのはたいへん。
【第4章】レンズ越しのanother -20世紀の欧米写真-
現代写真の原型となった超有名な作家・作品が並ぶ。生で観られてありがとうございます。印象主義絵画と双子の兄弟として生まれた写真が、芸術史の鬼子として分離独立宣言を果たした、輝かしき日の姿である。大阪府ってこんないいもの持ってたんですか。うへえ。
〇「ピーマン No.30」「裸体」エドワード・ウェストン(1930,36年)
肉厚の女体にしか見えないピーマンと、それと似たフォルムを魅せる裸婦。この二枚が並ぶのは眼福です。ありがたい。
しかし会場に埋もれている気がする。ポスターの絵柄で受ける印象の強さと真逆に、写真の存在感がなかった。会場の主役級として一段引き立ててあげたいぐらい。当ててよい照明の強さとか規定があるのかもしれない。思っていたほど画面内を見つめることがなかった。全体がダークトーンで光っていて、私自身が反射していたせいかもしれない。
「船の接岸」(不明)、「春」(1901年)、「二つの塔、ニューヨーク」(1913年)、「飛行船」(1910年頃)の4枚。どれも素朴で何の変哲もないストレート写真。主題や撮りたい構図があり、そして周辺がある。都市を舞台にしていて、周囲には様々な物が写り込んでいる。写真をやり始めた人がハウツーに従いながら撮った、最初の写真に似ている。
そのように、現在当たり前に撮られている写真の、基本的な文法が体現されている。その点がすごい。原型だ。先祖に会ったような心境。ここから始まったんだなあという実感がわく。
〇ジェリー・ユルズマン(1960年代)
「私が自分自身と出会った小さな森」(1967年)、「浮遊する木、さやえんどう」(1969年)の2枚。圧倒的に独自のダークファンタジーな映像世界を誇り、しかも写真でなければこの緻密な木々、葉や根の質感を描画することはできない。現代のネオ・シュールレアリストといった趣。マン・レイが増強されて蘇ってきて、分裂する現代人の心象に癒しと不安を挿入していく感じ。
( ´ - ` ) このコーナーは好き。80年代の作家らも全然知らない人で、発見があった。80年代の写真界は混迷していて語り難いる。日本もアメリカも、やるべきことが70年代までで相当やりつくされた感が漂う。
ダダやシュールの時代、絵画系アート側が写真をコラージュとして取り込み、60年代に大量の印刷物、広告やポップアートが写真を完全に取り込んで消費し、それらの手法を80年代には写真側が逆取り込みして、手元で作成したイメージのコラージュを写真で撮るということが流行っていた? しかしコラージュは力がない。
対して、眼前の「今」の瞬間を儚くも力強く記録したナン・ゴールディンの凄さが分かる(展示されてはいないので皆さん想起しましょう)。
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【第5章】ただそこにある -大阪の巨匠 岩宮武二-
岩宮武二が20点並ぶという素敵なコーナー。こんな調子で中山岩太、安井仲治など関西が誇る歴史的写真家をどんどん特集してほしい。(いまいち自分でもそのへんが抜け落ちていて、ブレッソンがおしゃれだよねとか、ケルテスゆがんでていいよねとかばっかり言ってる。)
岩宮の本分とする、日本の中に組み込まれた配置の美、幾何学の作品と、風景や人物のしっとりした作品との2本立てで展開される。
余裕のある写真を撮らはりますなあ。余裕という言葉が浮かんだ。画面にたっぷり「間」を置いている。それでいて、日本の風景を少々見慣れない観点から撮っている。おそらく連続するミニマルなパターンに注目しているのだが、海外の作家と違い、日本の独特の暗さ、空気の湿った重みが乗っている。雪をまとった鳥取砂丘、京都・北山の杉林も、みなまで言わない。
( ´ - ` ) 楽しかったです。
会場のある阿波座駅周辺は、巨大な高速道路が勢いよく生育していて、絵にかいたような「都市」の姿が観察できます。車に轢かれない程度に観測しましょう。