H27.5.10(日)【ART】「still moving」@元・崇仁小学校(後編)
不意に廃校舎へ吸い寄せられるかたちとなった「still moving」展だが、京都PARASOPHIA関連イベントの中では最も地域との対話がしっかりしており、ビエンナーレ系イベントとしてしっくりくるのであった。
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H27.5.10(日)【ART】「still moving」@元・崇仁小学校(前編)
京都PARASOPHIAの屋外展示作品:ヘフナー/ザックス「Suujin Park」を観に、JR京都駅付近の「崇仁地区」を訪れたところ、連携プログラム「still moving」なるものが催されていた。
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堀川団地の一角に宇宙あり
<前編>
団地だと思って足を踏み入れるとそこは宇宙であった。
笹本 晃(ササモト アキ)《ラストコール、誤りハッピーアワー》
作家自身によるパフォーマンスを収めた映像作品となっているが、映像の域を超えており、即興演技とも「インスタレーション」ともつかぬ緊張感溢れたものとなっている。写真のように、キャスター付きのゴミ箱に身を投じ、部屋中をガラーッガラーッと駆け出したり、おもむろに予期せぬ展開が来るため、見るものに滑稽さと戦慄をもたらす。
「彼女は何者?」
会場には彼女が暴れ回った痕が生き生きと残る。
パンフレットの解説によれば
『空間を彫刻的に分節し、その環境の中で自らの身体によるダンス、言葉、モノを用いて即興的なパフォーマンスを行う作品を数多く発表している。日常的な出来事や行為から着想された即興的な展開に見える彼女の作品は、実は緻密に構成されたもので、インスタレーションの静的空間と動的パフォーマンスとが複雑に交差する迷宮的物語世界となっている。』
と、全く意味が解らないがだいたい合っている。
扇風機に紙をバサバサ飛ばされながら、顔で紙を押さえ、何かを読み上げる。単発的に発せられるフレーズはすべて英語。
そしておもむろにメガネを選び、鏡に向かって装着したと思うと、メガネにコーヒーを注入する。
意図は全く解らないが、画の破壊力がすごい。
コーヒーで視界を奪われてからの彼女は実に饒舌である。私は英語を介さないので意味は解らないが感情に突き動かされて歩き回り、何かをひたすら訴える。
「日常」というものは私たちが普段「これはだいたいこうだよね」と共通して理解し、共有している手続きの連続から成り立っている。叫びや踊りや形の定まらない動作はそのプロトコルの記述を超える。しかし力任せにそれらを行使するとただの暴力、破壊に終わる。「日常」を形作る物理的な空間の中で、ある手順に則りながら徐々に、しかし緩急をつけて、プロトコルを解体してゆくとどうなるのか。
彼女の企てはよく手順を踏まえた装置的なものであって、一つ一つの挙動は意味不明なことになっているのだが思わず「その先を見たい」と思ってしまう。
そして壁の向こうにパタンと消えたかと思うと、壁ごと部屋を押し潰しにかかってくる。ブルドーザーのように日常を崩してゆく
しかし公式本によると、笹本氏のテーマは「ロマンス」である。
/(^o^)\ むちゃ言うな。
余計に分からなくなった。私はロマンスという概念について考えたことがなかったので、ここから先は解釈不能。ロマンスと、空き瓶なぎ倒し、コーヒーメガネ…ロマンスとは何だろう。ロマンスカーは分かる。流線型のアイツ。江の島のあ(略)
「ロマンス」で検索すると主な意味としては以下の2点が出てくる。
1.
「非日常」に近いかなと思ったがそのような客観的なものではない、もっと主観に寄ったもののようだ。片思いに近いような。
コーヒーぶっかけてやがる。
液体を誰か/何かにぶっかけるとロマンス値が上がる。
笹本晃でした。
こういう人が職場にいたらいいな ( ゚ε゚ )いません。
そして別棟では打って変わって、深き幻想の床の間。
ピピロッティ・リスト《進化的トレーニング(堀川―不安は消滅する)》
原初の記憶を呼び覚ます、陶酔、極彩、浮遊の映像が続く。酒と投入させてくれれば最高の幻夢体験となるだろう。
んnんん。あああああ
あああんnんnnん あんんんんnnnnあ
あああ/(^o^)\ああああ
自然の色彩が続き、時折、人間の形へと回収され、胎児のようになったり、体のパーツが現れたりする。
見る者の精神を原初に回帰させる。
( ー_ー)( ー_ー)( ー_ー)
そして隣の寝室にもう一つの宇宙。
ピピロッティ・リスト《巨大な西洋梨の記録》
お布団がキラキラと輝き、宇宙がすぐそこにあります。
スーツ姿のリーマンが浮遊、回転しながら迫ってくる。
これは大変だ。
女子も布団宇宙の彼方よりぐるぐる回ってやってくる。
冴えない4畳ほどの小さな和室、しみったれた白い昭和布団が
この変貌。
なんというエロスだろうか。この闇の中で妻を抱きたい。
(※妻いません( ゚q ゚ )
堀川団地を宇宙に接続し直した、きっと半世紀の間だれも成し得なかったことだと思う、それがアーティストというものの恐ろしき実力なのだと知った。
眩暈がします。
Yeh. クラクラ( ゚ p゚ )
幻夢とともにありたいものです。
PARASOPHIA@京都芸術センター
四条烏丸。そこは銀行やオフィスビルが、大きな車道を囲んで立ち並ぶ。京都で最も都市を感じるところです。しかし路地を一つ裏に入ると、喧騒が遠のいて、穏やかな時間が流れます。「京都芸術センター」はそんな一角にて静かに門を開いています。
展示作品はたった1点。しかしその破壊力は恐らくPARASOPHIA随一でした。
中心あたり。
「京都芸術センター」。
明治2年(1869年)に開校した明倫小学校を、平成5年(1995年)閉校後も継続利用。校舎は昭和6年(1931年)改修後のもの。
作品展示、演劇だけでなく各種ワークショップ、作品制作等、様々な創造の現場として活用。大阪方面に流通していないチラシも多くて面白い。
PARASOPHIA特別連携プログラム:川村麻純「鳥の歌」。
フォント、デザインが秀逸で心惹かれる。なにかなと観に行ってみると映像作品で、女性が3人めいめい喋っている。要領を得なくて呆けた顔をしていたら身の上話?フィクション?ノンフィクション?それが何処まで続くのか分からなくなってしまったので中座し外に出た。
小学校を見ているのが心地よかったです。
存在自体が芸術的
だなんて言ってしまいそうになる。
音を立てずに歩けたら
しのび。
遊んでいると作品になかなか着きません。
到着。
講堂には板が張り巡らされ、同時多発的にほうぼうで映像が投影されている。
それらはとても興奮していて、一目で異常なことが起きていると判る。
アーノウト・ミック《異言》
大企業の株主総会か、新製品のお披露目会か、組織にはつきものの重大な「儀式」の進行が淡々と映し出されている。・・・はずが、次々に社員?が催眠?にかけられ、意識を失って倒れていく。これは危険な香りのする自己啓発セミナー?
「ヤバくて胡散臭い自己啓発セミナーの手口」と「大企業の儀式」 のどちらとも取れる熱狂が続く。音声は敢えて流されておらず、私たち鑑賞者は中途半端に客観的な立ち位置のまま、なかなかにクレイジーな高揚、興奮の極みにあるこの集団から目を離すことが許されない。怒っているような凄い形相で拳を振り回し、椅子から立ち上がってウロウロ歩き回る男性、視線の定まらないまま手を宙に回し続ける者など、それをスーツ姿の大の大人がやっているのであるから、まともなのか、おかしいのか、簡単には割り切れないのです。
崇高な法悦なのか、いや生理現象としての感情失禁なのか。人々が口々に意味不明なことを喚き、呟き、地上十センチぐらい足が浮いてしまったように箍が外れたこの状況は、一体何と呼べばいいのか。
何かとんでもないことが起きる、そして起きてしまう、まさにその場を見事に顕わにした作品。
こわいよー/(^o^)\
目の前の光景が「会社」「儀式」なのか「宗教」「奇跡」なのか、答えはございません。激しく揺らめく集団心理などを見つめましょう。
演技とは思えないシーンも多くて、これ撮った人は最高だなあと思いました。
1時間ぐらい凝視してしまった。
( ゚q ゚ )良い作品でした。
【ART】ラバーダック2014(2)スタンプラリーで増殖中
2014年12月、あひるは増殖し、スタンプラリーと称して堂島、中之島エリアを侵略していた。
・2014年(前編) ラバーダック2014(1)巨大あひる - 写遊百珍
(・2010年(夜) ラバーダック2010(1)夕暮れ~夜 - 写遊百珍 )
(・2010年(昼) ラバーダック2010(2)昼~夕方 - 写遊百珍 )
(・2009年(昼) 水都2009 (1)フローティング・ダック - 写遊百珍 )
スタンプラリーの期間は2014.11/28(金)~12/25(木)まで。
中之島ウエストエリア内の6カ所に及んで点在するあひるちゃんを探し出さなければいけない。
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【ART】ラバーダック2014(1)巨大あひる
冬の大阪に飛来する黄色い天使 ( ゚q ゚ ) 我らが愛しの「ラバーダック」に逢いに行く。
・2010年(夜) ラバーダック2010(1)夕暮れ~夜 - 写遊百珍
・2010年(昼) ラバーダック2010(2)昼~夕方 - 写遊百珍
・2009年(昼) 水都2009 (1)フローティング・ダック - 写遊百珍
記事作成をさぼっているだけで、あひるちゃんは毎年のように来ています。
\(^o^)/ 尻
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