PARASOPHIA@京都芸術センター
四条烏丸。そこは銀行やオフィスビルが、大きな車道を囲んで立ち並ぶ。京都で最も都市を感じるところです。しかし路地を一つ裏に入ると、喧騒が遠のいて、穏やかな時間が流れます。「京都芸術センター」はそんな一角にて静かに門を開いています。
展示作品はたった1点。しかしその破壊力は恐らくPARASOPHIA随一でした。
中心あたり。
「京都芸術センター」。
明治2年(1869年)に開校した明倫小学校を、平成5年(1995年)閉校後も継続利用。校舎は昭和6年(1931年)改修後のもの。
作品展示、演劇だけでなく各種ワークショップ、作品制作等、様々な創造の現場として活用。大阪方面に流通していないチラシも多くて面白い。
PARASOPHIA特別連携プログラム:川村麻純「鳥の歌」。
フォント、デザインが秀逸で心惹かれる。なにかなと観に行ってみると映像作品で、女性が3人めいめい喋っている。要領を得なくて呆けた顔をしていたら身の上話?フィクション?ノンフィクション?それが何処まで続くのか分からなくなってしまったので中座し外に出た。
小学校を見ているのが心地よかったです。
存在自体が芸術的
だなんて言ってしまいそうになる。
音を立てずに歩けたら
しのび。
遊んでいると作品になかなか着きません。
到着。
講堂には板が張り巡らされ、同時多発的にほうぼうで映像が投影されている。
それらはとても興奮していて、一目で異常なことが起きていると判る。
アーノウト・ミック《異言》
大企業の株主総会か、新製品のお披露目会か、組織にはつきものの重大な「儀式」の進行が淡々と映し出されている。・・・はずが、次々に社員?が催眠?にかけられ、意識を失って倒れていく。これは危険な香りのする自己啓発セミナー?
「ヤバくて胡散臭い自己啓発セミナーの手口」と「大企業の儀式」 のどちらとも取れる熱狂が続く。音声は敢えて流されておらず、私たち鑑賞者は中途半端に客観的な立ち位置のまま、なかなかにクレイジーな高揚、興奮の極みにあるこの集団から目を離すことが許されない。怒っているような凄い形相で拳を振り回し、椅子から立ち上がってウロウロ歩き回る男性、視線の定まらないまま手を宙に回し続ける者など、それをスーツ姿の大の大人がやっているのであるから、まともなのか、おかしいのか、簡単には割り切れないのです。
崇高な法悦なのか、いや生理現象としての感情失禁なのか。人々が口々に意味不明なことを喚き、呟き、地上十センチぐらい足が浮いてしまったように箍が外れたこの状況は、一体何と呼べばいいのか。
何かとんでもないことが起きる、そして起きてしまう、まさにその場を見事に顕わにした作品。
こわいよー/(^o^)\
目の前の光景が「会社」「儀式」なのか「宗教」「奇跡」なのか、答えはございません。激しく揺らめく集団心理などを見つめましょう。
演技とは思えないシーンも多くて、これ撮った人は最高だなあと思いました。
1時間ぐらい凝視してしまった。
( ゚q ゚ )良い作品でした。