『六本木クロッシング2010展:芸術は可能か』後編。
長い長い。。
予想以上に引っ張ってしまいました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)六本木駅到着→東京ミッドタウン→21_21 DESIGN SIGHT
http://mareosiev.hatenablog.com/entry/20100327/1270306044
(2)六本木通り→六本木ヒルズ
http://mareosiev.hatenablog.com/entry/20100328/1270373655
(3)六本木ヒルズアリーナ;ビフォア・フラワー
http://mareosiev.hatenablog.com/entry/20100329/1270390079
(4)『六本木クロッシング2010展:芸術は可能か』前編
http://mareosiev.hatenablog.com/entry/20100330/1271598478
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
時刻で言うと、午前4時を回るぐらいです。
( ゚〜゚ )夜も更けて、祭りはとうとう終わる。
加藤翼(作品名不明)
でかい。
ラワンベニヤ、OSB、赤松垂木、SPF、虎ロープ
でかい。
スペース中央に巨大すぎるベニヤの箱? のようなものが置かれ、ひとつの底辺の端からはロープが伸びている。
巨大ベニヤ箱は傾いていて、倒されるのか引き起こされるのかどちらかの最中のようだ。
「これの何がどう作品なんだ?」
答えは周囲に置かれた記録映像より明らかになる。
本当に「引き倒して起こす」、それだけなのだ。
はい??? と思ったが、映像を観ていて解った。
まず、でかすぎて一人では絶対に出来ない。
必然的に他者との共同作業になる。
≪凹凸01≫(2007)では、加藤翼の自宅前で、車道を占めて引き起こす様子が流されるが、これがなかなか動かない。
大人三人がかりでやっと。普通に力を入れても全然ダメで、全体重をかけて地面にへばりつくぐらい全力で引いている。
こんなに単純極まりない作業なのに、無事に引き起こした後の達成感は観ていても伝わってくる。
≪H.H.H.H.≫(ホーム・ホテルズ・ハルニャン・ハウス)(2008)では、更に巨大なベニヤ箱が登場。
加藤翼本人と、彼の兄の部屋をモチーフとした箱なので、ちょっとした家みたいな大きさがある。
それを、上野恩賜公園で、何人もの人がロープを引いて倒す。
企画を通じて、作家と参加者、参加者同士で関わりが生じる様子が伝わる。
自ら「ハードコア・コミュニケーション」と称するプロジェクトにふさわしい
男前な企画である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Rogues' Gallery(ログズギャラリー)≪DELAY≫
素敵だった。
機械的な音楽からノイズ的なものが好きな私にとって、彼らの映像と音のハウリングは心地よい陶酔感があった。
「彼らは、1994年から≪ガソリンミュージック&クルージング≫を始動。」
「シトロエンXM-Xに高出力音響システムを搭載し、ドライブする車の走行音を車内のアンプやスピーカー、エフェクターを通して電気的に強調したドライブ・パフォーマンスである」
「ログズギャラリーは、このドライブを1998年のシトロエンの廃車登録まで、大阪を中心に約300回600名の人々と行い」
「2006年、シトロエンを再生させ、≪ガソリンミュージック&クルージング、日本横断、2006-2007≫を始動。車の整備場所となった北海道の帯広を皮切りに、釧路・青森・豊田・横浜・高松・和歌山・淡路島・広島・高知・倉敷・大阪・丸亀・福岡・山口などの各都市でドライブやデモンストレーション、トークショーなどを実施。
このプロジェクトでは、車内にヴィデオカメラとGPSを設置し、膨大な記録が蓄積された。」
(公式カタログ P90・木ノ下智恵子)ということで、
写真は車内ビデオカメラからの映像。これが右端の一番外側の一枚から左へと渦を巻いて中央の一枚に至るまで、少しずつ時間がずらされていて、タイムラグで迫ってくる微妙なズレが響き続ける電子的な走行音と相まってトランス感が高いのです。
ただの車の音が音楽になるとは。
これも好きな作品でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宇治野宗輝≪THE BALLAD OF BACKYARD≫
続いてサウンドものを。
90年代から活動しているサウンド・スカルプチャー制作作家。
日用品、電化製品、車のパーツなどの既製品を組み合わせて作られるシステムはどこで何が鳴っているのか混乱して、目で追うのが楽しい。
海外で発表した作品にはタクシーと街路清掃車を丸ごと使ったものもあり、非常に大胆で面白い。
http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/M/MAREOSIEV/20100328/20100328044052.jpg:image
ターンテーブル周りはまだ想像がつくが、
部屋・・・??
天井に迫るぐらい積み上げられた棚やスピーカー。
黒板には簡略図が。
全然解らんがとにかく楽しいことになっている。
そしてあちこちで定期的に「バン!!!」 「ガチャコガチャコ!」と鳴り出す。
忘れた頃に「バン!!!」。心臓に悪い。
はめていたレコードが何かは見えなかったけど、いい顔していた。
最近はレコードもまた下火だよなあ。
モノとしての存在感は抜群なのだが。
っていうか色鉛筆刺さってる!
('o' ) もう何がどうなって音をアレしてるのか解りません。。
サウンドシステムの司令塔「TOWER」らしい。
車一台丸ごと置いていた。
こいつが「バン!!!」て大きな音を立てます。凶悪だ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
HITOTZUKI(Kami+Sasu)≪The Firmanent≫
2010/インスタレーション
スケーター系、グラフィティアーティストのKamiと、果実や葉をモチーフに幾何学模様を制作するSasuのユニット。
「太陽と月」という意味を表す名前には、「男と女、陰と陽、+と−など相反する要素が融合して一つの調和した世界を創り出す」という意思が込められているとのこと。
絵が巨大で、不思議な透明感があった。
東京、大阪の街の陰に散らばるタグやステッカーをもっぱら追っている私だが、こういう透明感のある、突き抜けた作品は見たことがない。さすがはアーティスト。
これは会場入りしてその場で描いたというのだから、実に戦い慣れたものである。
写真には写っていないが、絵の下はスケーター仕様で「凹」の字に似た斜面になっている。
まさに「路上」の作品だ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
鈴木ヒラク≪Road≫
2010/インスタレーション;約5,000個の反射板、ミクスト・メディア
この人も路上に目を向けている作家。
旅先の路面フロッタージュ、ドローイング<GENGA>(街中で見た看板や路上のサインから生まれた幾何学・有機的な形態)、枯葉の葉脈を基にした絵画作品などが挙げられる。
息を飲む、圧倒的な世界が展開していた。
会場の暗さや照明の当て方によっては更に強い魔力を放ったかもしれない。
一つ一つの模様の形が何とも言えない。
全体の収束感もたまらない。
ずっと見ていたい作品。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
contact Gonzo≪untitled≫
2010/インスタレーション
これは生で観たかった。。。
気付いたらもう終わっていたという。
一見、殴り合いに見えるが、実は非常に練られた格闘技的舞踏のようなもので、
メンバー三名が即興的にパフォーマンスを行うというもの。
今回の六本木クロッシング展公式ポスターの写真で、つかみ合っているぼうずの男たちが、彼らです。
この時点で時間が4時半をすぎていて、もうだいぶ終わりに近づいていた。
気持ちが焦って映像見てません。
彼らの名義「contact Gonzo」(コンタクト・ゴンゾ)とは、単なるユニット名ではなく、「痛みの哲学、接触の技法」という謳い文句の体現とその方法論の総称であるとガイドブックに記されていた。
「個人が社会(世界)に前のめりに接触するスタンスと、常に危うさを伴った遊戯(活動)を持続する意思がある」とのことだが、次こそは生で彼らの掴み合い、くんずほぐれつを観てみたいものだ。
・・・で、今、「びわ湖ホール夏のフェスティバル2007」youtube見たら、
想像以上に本当にバチバチしばいたり、けつ蹴ったり、音が「パーン!」「パチー!」と鳴っていた。
会場の床に靴が擦れて、バスケ選手のように無言の中で「キュッキュ」といってる。
2009年、別府商店街の「踊りに行くぜ!Vol.9」を見たら、もっと舞踏だった。
くるくる回り、身をひねりながら相手の力を受け流して次の動作へ繋ぐ。素敵だ。
すげえ。。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(アーティスト名)
読み方が分かりません。
どこにも書いてません!
こういう名前のグラフィティ・ライターで、東京を中心に90年代中頃から活躍しているという。
他の同業者らのタギングとは一線を画するセンス、スキルで評価されていたのだとか。
全然知らなかった、
というか見たことなかった。
作品は撮影禁止で手元に無し。
というタグが壁一面に配置され、映像で街中に描かれる様子を追う。
また、彼のコレクション物で独自の部屋を構成してみせた。
基本的にです。
これ読めへんから呼びようもない。
「オシャレな蜀台に乗った火のついた蝋燭」?
プリンスが一時期そういうことしてたような…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
小金沢健人≪CANBEREAD≫
2010/ヴィデオ・インスタレーション
映像作品、立体作品、インスタレーション・ドローイング等。
光が部屋いっぱいに飛び交ったり、蛍光灯が並べられたり、TVモニターが並んでいたりする。
先へ進むと壁の向こうは空間が全く切り替わって、薄暗い、四方を映像で満たされた部屋に。
濡らした指でグラス縁をツーするとうわんうわんと音が鳴るが、
それが空間に満ちている状況である。
作品の意味とかコンセプトっていうより、こういう映像は私にとって、
VJ的というか、日頃聴いてる音楽に普通に合うので、すんなり入ってきてしまうので
逆に何かを考えることが不可能なんです。。
心地良い。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
米田知子≪kimusa≫
2009/Cプリント
何を思ったか撮ってません。どうした俺。
彼女は<ONE PLUS ONE>や<SCENE>で、その場所にまつわる歴史、記憶を踏まえて今の何気ない光景を美しく、静謐に撮る。
地名やそこに付随する歴史的事件を知ると、途端に写真に写っている光景が何か「立って」くるのが特徴だ。
直接的なアプローチではなく、観る者の内側から想像として戦争など歴史を湧き上がらせるため、深々とした印象を残す。
フロイトや谷崎潤一郎ら近現代の知識人が生前に使用していたメガネ×彼らの著作物の取り合わせシリーズも有名だ。
2008年に原美術館で、それ以前にも中之島の国立国際美術館で観ていた。
非常に心を打たれた。
今回は韓国に焦点を当てている。
どうりでキムチ的なタイトルなわけだ。
相変わらずその静謐で、徹底的に綿密な描写はさすがとしか言いようがござんせん。
ソウルにある元韓国国軍機務司令部「kimusa」の内部を特集。
日本統治下では官立病院として使われていて、数々の扉やかつて使われていたであろう配線の跡など、
軍事的管理の痕跡をどこかに感じることができ、
そこでまた我々は自発的に内面からふつふつと考えさせられるという。
廃墟、古ビルにはありがちなことです。
マヤカン然り。
ちなみに「kimusa」は2012年には韓国の国立現代美術館のソウル分館として生まれ変わる予定。
現在でも既に『Platform Seoul 2009』といったアートイベントで使用されている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
青山悟≪Glitter Pieces≫
2008-2010/ポリエステルにメタリック糸で刺繍
職人芸のお方。
一瞬、写真か特殊な印刷のデザインかと思ったが、全部刺繍だ。
「下地を覆い尽くすほど丹念に縫い込まれた写実的な作品は、すべて旧式の工業用ミシンと気の遠くなるような反復作業によって生み出される。モチーフを選んでオーガンジーの布に転写した後、数針ごとに上糸と下糸の色を変え色調や陰影を表現していく」
(公式ガイド P42 国枝かつら)
とあるように、気の遠くなるような作業から出来ている。
気が遠くなります。
今作の<Glitter Pieces>は、印刷メディアに掲載された写真や記事そのものをモチーフとして切り取り、メタリック糸と黒糸だけで刺繍し作り上げている。
粗めの点描画のような質感はまさに新聞紙に印刷された記事のようでもあるが、照明を受けて浮かび上がり光る絵は宝石のような不思議な力を湛えていた。
たぶん裏面と一つで二つにして見ないとメッセージの真意が計りかねるはずだが
「想像力に頼ることなく純粋な労働だけで圧倒的な美を形成できるか」と青山悟は語るそうだが、これは十分に出来ています。ええ。大丈夫です。
刺繍って言われて気付いたが、遠目に近づいていく時には電子光源で内側から光ってるのかと思った。
写真にするとこの程度だが、実際にはもっと、照明をぐっと落とした暗いコーナーで、浮かび上がるようにキラキラとデザイン、色彩が生きていた。
観る者を少し不安にさせるような揺さぶりの色調、いかす。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
高嶺格≪baby insa-dong≫
2004/Cプリント、アクリルパネル、DVD、液晶モニタ
90年代初頭より活動、ダムタイプのメンバーとしても参加していた。
「横浜トリエンナーレ2005」で≪鹿児島エスペラント≫というインスタレーションを発表していて知っている人もいるかと。私は残念ながら観てない。
調べてみたら活動が多岐に亘るので私ではレビューのしようもない。最近は大学で演劇≪アロマロア・エロゲロエ≫を手掛けていた。遡れば巨大な顔の彫刻を作っていたり、森永砒素ミルク事件の被害者である木村さんという人の身体ケア、性的ケアを収めた映像作品≪木村さん≫を上映していた。何かと興味深いアーティストである。
ダムタイプに関わったということもあってか、性(性器)に関する作品が目を引き、また、異なる価値観や背景を持った他者へのアプローチとその困難さについて触れられている。
今回の展示は、高嶺氏本人と在日韓国人であるパートナーについて。
「あなたのその、在日に対する嫌悪感は、なんやの?」という、彼女から投げ掛けられた問いに対する内省を日本語・ハングル・英語による3ヶ国語で掲載し、写真で結婚式〜ドラァグクイーンを呼んでの祝宴の模様を追う。
写真はLサイズより小さい。映画のフィルムのように続いている。高嶺氏の問いと気付きのプロセスを丁寧に追っていて、非常に分かりやすい。
語り口調で綴られたテキストは「在日」に対する自分の意識を国家間の問題とかなんやら歴史的なアレとかで簡単に済ますのではなくもっと面白かった。が、象徴的なフレーズを全部忘れたのでもう書けません。
そろそろ体力の限界。。
ふとんが恋しくなる頃合いです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
横溝静≪all≫
2008〜/Cプリント
撮ってません。
写真を写真で撮る、ということに抵抗でも感じたか。
相変わらず静謐で、「他者」の距離感などが浮かび上がるような作品。
以前、天保山サントリーミュージアム『インシデンタル・アフェアーズ』展で≪stranger≫で彼の作品を初めて観たが、それは全く見ず知らずの他人に日時を指定した手紙を送り、10分ほど自宅の窓辺に立ってもらって、了承が得られれば指定した時間に横溝氏が赴いて屋外から撮影する、というもの。
撮影者と被写体とが直接に出会うことがなく、どのように撮られているのか分からないのだ。こんな試みがあったとは、と、非常に衝撃を受けたことを覚えている。
今作は、彼の住むロンドンで売春を生業とする女性らに金を払い、彼女らの普段の仕事場で撮影。
いつも男性客らが見るその視点で、衣類を脱いだ彼女らを撮る。
女性とか性とかセックスというと、アラーキー的な生々しいサガとかオンナのパワーを想像するが、
今更ながらあれは彼の文体の話であって、
現実にはもっと静かで、互いに見つめたり、見つめられたりする何か「関係」のようなものが静かに浮かび上がってきた。
彼女ら売春婦(もっと良い呼称はないのか?なんだか古臭くてイヤだ)の眼差し、表情は薄暗い室内の影に隠れていて、ヒップや乳房、下腹部、そして髪のなめらかな曲線に視点は定まっている。美しいと思った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
森村泰昌≪なにものかへのレクイエム≫(独裁者を笑え スキゾフレニック)
2008/2チャンネル・ヴィデオ
出た。
歴史上の名画や有名人に自ら変装し、セルフポートレイトを撮るあのお方。
今回は「独裁者」。もう言うまでもなく全力でヒトラー総統だ。
実際にはチャップリンの「独裁者」を戯画化している。
例の総統をパロディにした作品を更にパロディにしていて、コミカル指数は高かったが、
わあわあ煽り立てるナンセンスな言葉と、静かに悲しさすら浮かべて語り出すときの落差が激しすぎて「え?」「なに?」「どっちが本物?」と混乱させられる。
モノクロのセルフポートレイトもあるが、この会場では映像作品のみ展示。
ちょうど同時期に東京都写真美術館で<なにものかへのレクイエム−戦場の頂上の芸術−>をやっていて、事前に観てきたところだった。
これだけでヒトラー総統とわかる。
最高のアイコン。
ノータリン、アホデンネン、ミナゴロシ的なことを舌巻きまくって演説中。
興奮ドイツ語風の何かしらと思えば文末が日本語罵倒という。
スクリーンが二つ並んでいて、一方が動いているとき他方は静止する。熱狂的な狂気の演説(罵倒?)と、メランコリーな目での静かな訴え。アホなことをさんざん言うた直後に至極尤もなことを言うので、観ている側としては非常にぐらつかされる。
こんな具合。
同一人物にこんなことされたら正常な判断できません。
動く森村泰昌が堪能できます。
≪独裁者を笑え≫って、ほんまに帽子のマークがハーケンクロイツではなく「笑」だから困る。
頭何個分もある巨大な地球儀のビニールボールを投げて戯れている姿は可愛い。
講演を一度観に行ったことがあるけど、至って淡々と判り易く説明してくれる素敵なおじ様という印象だった。
エキセントリックな作品とは裏腹。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダムタイプ≪S/N≫
1995年のパフォーマンス記録映像
全然観ることができてません。
イスは満員、立ち見も並んでいて、眠気が限界。
閉館時間が迫っていた上に、上映時間85分という大作。
( o_o )”ちょっと待ってくれ。
むりやで、
しかしおしいことをしたものだ。
っていうかこんな大作こんなところで流されたら逆に困る。
DVD化などしていないようだし、
ううぇー、
10分ほど覗いて「これは・・・」「わけわかんねえが、凄いな」と感じた。
理解を超えたパワーを感じる。
今も、手元の公式ガイドブックの写真を見ていて、他の作家/作品と違う迫力を感じる。
なんだこれは。
私が偶然見かけたのは、ちょうど女が空港のゲートか何かで、自分のパスポートのページを次々に破り捨てるところだった。
「I don't need this page.」とベタベタに拙い和製英語で言いながら、女が自分自身を規定し保証する重要な書類を破いては捨てていく。
検索に掛ければ何か分かるかと思ったが逆に混乱してしまった。
ダムタイプのメンバーの一人だった古橋悌二の存在が大きい。彼はゲイであり、ドラァグクイーンであり、そしてHIV感染者だったという。
92年の彼の感染についてのカミングアウトを契機として《S/N》は生まれ、94年のアデレード・フェスティヴァル(オーストラリア)での初演から12カ国16都市で上演されたという。
95年に古橋悌二は敗血症で他界してしまうのだが、私が今のところ分かったのはこういう年表的なことだけ。
どこかでダムタイプ特集展とかやらないものか。。。
これでフラフラになりながらも、六本木クロッシングは何とか見終えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回はおまけ。
ヒルズの展望台(人大杉)と、帰り道に路上で発見した作品をまとめて終了です。