韓・日という2か国間の枠組みを超えた視座が繰り広げられる交流展。新たな「地図」の可能性を得た。

- ◆出展者、関係者概要
- ◆自身の線引きを巡って_金サジ、石川竜一、三浦宗民
- ◆歴史を辿り直してみる_イ・ヒョンスン、高橋健太郎、ソウ・メイリ
- ◆国家の線引きを巡って:混ざり合う領域_チョン・ジュハ、岩波友紀
- ◆韓国という歴史体の再考_コ・ウンヒ、ノ・ギフン、チョン・フン
知らない作家が多い上に、不慣れな韓国人名であるため、展示・作家の軸や傾向を掴むのに時間がかかってしまったが、その甲斐はあった。
◆展示概要
会場の各作家QRコード解説文はこちらのサイトに集約されていた。
会場は独特な構造で、展示室そのものが階段のように2階層化されていて、前半分が1階部分になっており、フロア中央の階段から先は2階部分になる。限られたスペースに15名もの写真家の展示を詰め込むのは大変だったと思う、2階部分は壁面だけでは足りないので更にフロアにフレームの囲いを設置して、その内外にも写真を展示していた。
日韓/韓日の現代写真交流展として試みられたのは、地図に埋もれた「声」の再起動だ。
政治的・外交的なせめぎ合いと妥結点として地図上に引かれた国境線の下に、侵略や抗戦や撤退、奪還といった線の揺らぎに満ちた歴史があり、そこに生きる人々にとっては制度とはまた別の身体感覚としての土地がある、その「力」を静かに呼び起こそうとするものであった。
それも、反政治的運動や権利闘争といった強く大きな声の形ではなく、あくまで個々人の記憶や身体性によって、表現の形で、それぞれに想うものを描き出すことで為されている。
想いと身体から生じた形象のマイクロウェイブが地図=政治・制度・社会通念や国民感情の枠組みを潜り抜けて、もう一つの地層を浮かび上がらせてゆくことが企図されており、ゆえに本展示、そして各写真家とも、分かりやすく力強いスローガンは標榜していない。アイデンティティーを叫ばず、国旗も持たない。写真家と写真は、寄せては返す歴史と記憶と心情の波が重なる風景を写している。「東アジア」と一括りにされたこの一帯の、フラットに乾いた地図を、地層化させる試みだ。
これらは本展の図録、チョン・フン(Jung Hoon、啓明大教授)による序文が語るテーマである。
実際、どの写真もそれと見て分かる分かりやすさを帯びておらず、国旗的明確さを傍らに置いてそれぞれの立ち会った歴史や記憶や人への想いと眼差しから構成されている(現代写真だ)ので、理解にはテキストが重要となる。
◆出展者、関係者概要
出展作家が多いだけでなく日韓の様々な写真関係者が関与しているので、こちらの京都芸術大学の情報発信blogが体系的に理解しやすい。
以下、引用抜粋させていただく。
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<主催>
主催:啓明大学校(韓国)
主管:啓明大学校 啓明市民教育院 市民大学
後援:啓明大学校 RISE 推進団
協力:株式会社 赤々舎
<展覧会 参加作家>
チョン・ジュハ(Chung Chuha)、ノ・ギフン(Noh Gihun)、チョン・フン(Jung Hoon)、岩波友紀、石川竜一、髙橋健太郎、金サジ
<展覧会 参加作家(教育・研究交流)>
キム・ウィロ(Kim Euiro)、オム・ジャンフン(Eom Janghoon)、三浦宗民、ソウ・メイリ(Zeng Mingli)、イ・ヒョンスン(Lee Hyunsoon)チョン・オクスン(Jeong Oksun)、チェ・ランシク(Choi Rangsik)、コ・ウニ(Go Eunhee)
<企画>
企画総括:チョン・フン / Jung Hoon(啓明大学校 写真映像メディア学科 教授)
共同キュレーター:姫野希美(赤々舎 代表)
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日本と韓国の写真家、計15名のグループ展。展示の短観をXに投稿しようと、ざっとアーティスト名を拾って「うち10名が韓国の写真家で~」と書きこんだのだが、程なくして「やらかした」感に付き纏われることになった。
「10名が韓国の」。これは。いかがなものか。「日本人が5名」とまではさすがに書いていなかったことには自分でも安堵したが、金サジや三浦宗民を「日本人」と安直に括るとは、さっそくやらかした感がある。
◆自身の線引きを巡って_金サジ、石川竜一、三浦宗民
線引き。
つまりそういうことだ。
国と人とに分かりやすい線引きがなされていることに対し、誰がどのように線引きをするのか?/線引きのない光景は可能か?/そこにどんな地図が現れるのか? それを問うはずの展示だったというのに、既存の線を再強化しようとした。
国や人について、特に、端的に語ろうとするとき、線引きは容赦なく、しかも悪意なく無意識のうちに実行される。言語に組み込まれているのか?
この点はまさに金サジ、石川竜一、三浦宗民の作品で問われていたテーマである。
金サジ《物語》は既刊の写真集(2022,赤々舎)と同タイトルのため、出展作品は写真集と同じと思われる。(写真集持っていないので憶測です)



「日本における在日コリアン・ディアスポラ」を自認し、「アイデンティティが支配され否定されてきたという歴史によってアイデンティティが形成されている」コリアンの矛盾を出発点として、「日本で生まれ育った韓国人としての存在そのものの創世神話」を創りだす。写真が儀礼的・伝統的な形式と、演出と分かる装飾に満ちているのは、作者が韓国伝統舞踊を修練してきたことと深い関わりがある。
日本への加害責任の追及を呈するでもなく、コリアンとしての立場・アイデンティティーを強調するわけでもない。韓・日の二項対立をぶつけてより高次へと至ろうとするよりも、高さはそのままに様々な矛盾や歪さをも抱えながら、それらを複存させた物語を生々しく、かつ権威をもって――政治・統治の側が用いてきた正当な神話の話法を逆に唱え返すようにして表出している。
石川竜一《MIDNIGHT SEOUL》は本展示の中では日本人にとって最も親しみやすく伝わりの良い写真だったのではないか。





本展示の中では最も名が知られていて、石川作品を観る機会が最も多かった=スタイルに慣れ親しんでいるというのもあるが、そもそもの撮影行為と文体にも馴染みがある。写真家が自らの身を異国・異文化の投げ込み、カメラは身体の眼となって現地での出会いと溶け込み、交わりを写し出す。活況のコミュニケーションからなるエロス。90年代から藤代冥砂や荒木経惟などのスナップ写真で馴染みのものだ。
韓国への滞在時に作者は若い女性に声を掛け、連れられていった先で、若者らが集まるスペースでのクラブパーティーに混ざって写真は撮られている。元から仲間の一員だったように自然な距離で彼ら彼女らを撮りつつも、曖昧なブレや同化はしていない、写真が溶けていない、被写体の存在はしかと強い輪郭線を持っていて、撮影者も鑑賞者もその中へは勝手に侵入できない、自主独立を重んじた上での対話、グルーヴ感があるのが、いつもの石川竜一だと実感する。月並みな感想になるが、言われなければそこは日本の都市の片隅と思えそうな雰囲気であり、写っている彼ら彼女らはマイノリティでもマジョリティでもなく、性別や国籍の線引きも効かない、まさに境界線の無化されたアジールであることを感じた。
三浦宗民(Miura Jongmin)は金サジと同じく本人の出自自体が境界上にある。日本人と韓国人のハーフであり、InstaBioのプロフィールからは「日本の青森県生まれ、韓国・木浦市育ち、15歳で単身、日本へ帰国し札幌に住む」とある。自身の氏名についても、親から与えられた漢字氏名はそのままに、しかし自身のより深い納得感を得つつ、漢字名のニュアンスも取りこぼさないために、下の名前を韓国読み「Jongmin」から「Jong」へと派生させている。



作品《ESCAPE: THE STUDY OF FRAGMENTED TIME》はドキッとした。日本人の感覚では瓶に花を挿して地面に置いているのを見ると死者への供花、弔いを反射的に想起する。そこに、まさにフラグメントとしての、無額装の写真が大小様々なサイズで散りばめられ、床にも直置きされている。死・喪失、弔い、再生? ステートメントを見ると花の意味は異なるようで、「生」の物語化(=写真の物語化)に抗するために写真を断片的に撮り、そうした写真行為を更に痕跡化するために作品の前に花を置いてポラロイド写真を毎日同時刻に撮影、更に作品の前にポラロイドを重ねて置いていく、というものだった。



入り組んだ構造と、本来の「作品」の部分と、解釈が何もできずにいた――写真と花との組み合わせ、更にその組み合わせを撮ったポラロイドから、供花のイメージが強すぎて、大切な誰かへの手向け? あるいは大切な記憶との惜別? で読んでしまった。水に浸かった廃屋群、キリスト像、褪せた女性のカラー写真などが一層そうさせた。単なるフラグメント、何気ない日常の作品ではないことは確かだ。作者の「生」は絶えず何らかの「死」や弔いによって前へと進んでいく、写真行為も然りである。そんな姿勢を感じた。
◆歴史を辿り直してみる_イ・ヒョンスン、高橋健太郎、ソウ・メイリ
作家自身のアイデンティティーの混線、作家の行動による境界横断の作品を見てきたが、作家が「歴史」を顧みて、辿り直してみる作品を挙げたい。このアプローチ自体は写真に限らず現代美術でも非常に多くお馴染みのものだが、それぞれ独特な手法と視点があった。
イ・ヒョンスン(Lee Hyunsoon)《記憶の衝突》では、家族アルバムの写真が取り上げられる。セピア、グレーの古写真に写る女性は恐らく作者の母親であり、ステートメントによれば遺された書籍は父親のものだ。ここまでであれば個人的な追憶、親子関係の話だが、本作では作者と同じ年代だった頃の両親に思いを馳せることで、韓国という国の近代史、激動の時代を辿ることへと接続している。



作者の詳細なプロフィールが分からなかったので年代が不明だが、写真の質感からすると1950~60年代だろうか? 戦後韓国史をざっと俯瞰すると、日本がポツダム宣言を受諾した後、朝鮮半島は北緯38度線を境として南北をそれぞれ米・ソが支配。1950年6月25日から朝鮮戦争が始まり、1953年7月27日に休戦協定が締結された(韓国側は調印していない)。一方で、韓国国内の政治体制は独裁政権状態であり、休戦後1960年4月に「四月革命」が起きて李承晩政権が倒されるも、1961年には軍部の朴正煕がクーデターを起こし軍事独裁政権となる。以降もクーデターや市民弾圧、人権抑圧などの激しい動乱が続いたが、ソウルオリンピックを1年後に控えた1987年、盧泰愚大統領は民主化宣言を行った。
展示から日本人の私がこれらを読み取ることは不可能だったが、韓国という国の中でもその記憶・歴史は世代によって大きなギャップがあるだろうことを察した。
日本と韓国の歴史を沖縄の地で顧みるのが、高橋健太郎《小菊のある部屋》だ。展示だけを見ていてもその3つの地が重なっているとは気付かない。だが何らかの女性の後ろ姿を追っていることが示される。青い海に差し出された、古いモノクロ写真をつまむ手が、極めて詩的で、本展示の中でも最も印象に残っている。(STEPHEN SHORE『The Nature Photographs(写真の本質)』を想起させたことが最大の要因ではある) 写真の中の写真の中の女性は、頭に白い被り物をして、海の向こうを見ている。それが誰なのかは分からない、頬に刻まれた大きな皺が印象的だ。


その他には特に情報らしい情報がない。むしろその写真を持つ青い爪の女性の手や、ガラス面に写り込む女性の手、写真を撮り歩いているのであろう作者の影などが意味を持ってくる。写真を通じて作者が土地と歴史の中を歩いて、ある人物の生きた歩みを追い、その記憶的光景へと入り込んでいこうとしている。
その人物とは「戦時中、朝鮮半島から沖縄へと渡ることを余儀なくされ、日本軍による『戦時性暴力』について、のちにはじめて証言を行ったひと」で、1944年に沖縄に着き、渡嘉敷島へ連れて行かれ、山へ逃れ、戦後も沖縄本島を移動しながら生きて、1991年に那覇で最期を迎えたという。作者はそうしたことを古い新聞記事のスクラップから知り、那覇に滞在してまだ半年と日の浅い自身の身体を、沖縄の地と、その女性の存在/不在に身を重ねながら、シャッターを切っていったのだった。
本作はソウル市立美術アーカイブの企画展「Into Other Rivers」にて、《そばにある不在》とのタイトルで出展された。
(追記)
本blog公開後、作者氏からメッセージをいただいた。写真に写り込んだ「古写真を持つ青いネイルの手」は、なんと作者自身の手だった。予想の斜め上だったので驚いた。沖縄滞在中に、ジェンダー観への見直し、社会の性規範への問い掛けへ着手し始めたという。
更に、本作で取り上げられた「戦時性暴力についての証言を行ったひと」は、「女性とは規定していない」とのことだった。まさに私は経験則から、被害者の性別をレッテル化し、特定の女性像を作り上げていたことになる(表現の不自由展などで受けてきた主張が逆説的な影響を蓄積させてきたのか・・・)。
時代が違っていたら当人は別の属性を選択できていたかもしれない、その可能性を自身の作品テーマとして開いておきたいという作者の思いは、国家の政策・権力による被害者個人に焦点を当てた活動(『A Red Hat / 赤い帽子』のような)とはまた異なるシリ-ズの到来を予期させる。
ソウ・メイリ(Zeng Mingli)《八岐の園(やまたのその)》はかなりユニークな作品だ。展示の写真と文章を追っていた際にはイ・ヒョンスン同様に自身の家族の記憶や系譜を顧みるものと思われたのだが、「パックマン」ステージを模したイラストが全くの謎だった。




ステートメントを読むと、なんと本作はゲーム仕立てになっているという。鑑賞者はプレイヤーとなって迷路(恐らくパックマン風のマップ)を辿り、敵?障害物?のアイコンに出くわすたびに、対応する写真やテキストに当たっていくことになる。それらは作者の実際の経験を基にしているので、プレイヤーは作者の人生の選択肢を何度も組み換え、やり直すことになる。そこに、分岐した時間上の仮想的な「もう一人の作者」が生じるのだ。これは、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』に収められている短編、その名も同じ『八岐の園』を参照・引用した構造となっている。
実に意欲的で独創的な作品だが、肝心の迷路をどう見てどう使えば展示作品に対応していくのか全く分からなかったのが惜しまれる。
◆国家の線引きを巡って:混ざり合う領域_チョン・ジュハ、岩波友紀
個人を超えて、国のスケールで境界を扱う作品に触れていこう。

会場に入ってすぐ、背後を振り返ると、2階分の高さの大きな壁面いっぱいに、モノクロームの牛と牧場の写真から、カラーの東北地方の美しくも異様な光景へと繋がってゆくのが見渡せる。 前者はチョン・ジュハ(Chung Chuha)《パラ・ダイス(Para-Dies)》、後者は岩波友紀《Blue Persimmons》で、両作品はともに東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の被災地が舞台となっており、展示も互いに混ざり合う波のように、組み合わさるような形態となっている。


チョン・ジュハ《パラ・ダイス(Para-Dies)》の、送電線を背にカメラに迫る黒い牛たちが、福島第一原子力発電所事故の非難指示区域(後の警戒区域)内で「死なされずに生かされた存在」と知って、本展示の現わそうとするものが私の中で明確になった。牛は、まさに事後的に政治によって引かれた境界線によって、その「生」の意味を一変されている。本来は肉なり牛乳へ加工されて、首都圏をはじめとする都市部に提供する はずだったものが、生まれた役割を奪われたまま生きている。その「生」の意味をどう捉えるべきか? 送電線(電力)と牛(肉)が写り込む光景は、それまで透明だったインフラの断層を露わにしているとともに、臨界を超えた牛の存在を問う。
岩波友紀《Blue Persimmons》もまた境界の際どさ、限界ともいえる状況を写し出している。地元の農家のすぐそこに迫る処分土のフレコンバックは異常だ。行き場を失った(あるいはとても長い待機中の)土が、予期せぬ未知の地層を形成している。黒とブルーの人工的な配列が恐らく現地では無限に積み上げられていて、その風景の中で地元民のコミュニティは再生し、生きてゆく。




燃えるような橙色の河は、原発事故によって行き場を失って廃棄された柿。これもチョン・ジュハの「牛」と同じく、生産者と消費者の間、産地と都市部の間を繋いでいたはずの透明なインフラの断層面を示す光景となっている。ただ、それは詩的で美しい。境界線上に留まったままの柿がシュールレアリスム的な異常な帯域を指し示している。(余談だがもしかしたら世界恐慌禍の農村部でウォーカー・エヴァンズもそのような異物が浮き上がる詩的な世界観に遭遇していたのかもしれない。)


両者の作品はともに複数の境界線の存在を問い、その線上においては分けたはずの領域が混ざり合っていることを示している。福島第一原発から半径10㎞圏内の「避難指示区域」を定めた極めて強力な政治的判断の線。インフラ・経済のライフラインとしての線。展示空間上の区分けの境界線。そして日・韓の国境や国籍の境界線。本展示が「韓日国交正常化60周年記念」を冠するからには、と、韓国の写真家がここで東日本大震災・福島原発事故の作品を出してくるとは思ってもいなかったのだ。会場に入るや否や、私は自分の認識にいつのまにか根付いていた「線」を掻き回され、溶かされることになったわけだ。
◆韓国という歴史体の再考_コ・ウンヒ、ノ・ギフン、チョン・フン
地図上に引かれた政治的、経済的、外交的な境界線が、その中身を暴かれたとき、思いもよらない光景を見せる。そこは線どころか、異質な何かが混ざり合う力場である。前項では日本が舞台となったが、最後に、韓国という国の中身へと迫る3名を取り上げよう。
コ・ウンヒ(Go Eunhee)《K-55》では、米国(米軍)が圧倒的な存在感をもって写されている。とてもフレンドリーに兵士や戦闘機が撮られ、地元民との距離も近いところも含めて、これはまったく沖縄の米軍基地ではないのかと反射的に想起したのだが、韓国の「平沢(ピョンテク)」という街なのだった。



キャンプ・ハンフリーズ、世界最大の米軍海外基地と評されている。2022年には龍山基地の主要機能も全て平沢へ移設された。沖縄―日本と同じ世界が、すぐ近くの韓国にもあった。驚きとともに、日本も韓国も、米国(米軍)の介入抜きにはその歴史がありえず、現在に至る歴史を語れず、また現在の姿も維持できないであろうことに気付かされた。これは大きな盲点だった。韓国の歴史を語る際には日本の植民地支配の歴史に言及すること、その責任問題を問うことがテンプレート化していたが、少し視点をずらしたところに、より大きな「力」の存在があったのだ。
ノ・ギフン(Noh Gihun)『青い日』で写される青い光景は、1948年「済州島4.3事件」の犠牲者らが最後に目にしたと思わしき光景を、12時間にわたって長時間露光したものだ。歴史資料の多くがモノクロ写真であるのと対象的で、犠牲者らの視界の記憶を、生きていた個人のものとして映し出している。


ここでやはり「韓国(大韓民国)」という国家の成り立ちの事情と歴史に触れることになる。写真だけを幾ら見つめてみても何も出てこない。韓国という国家を見なければならない。
朝鮮半島は日本敗戦後に米・ソによって南北で分割統治されたが、米軍支配下で発足した李承晩政権が統治する南朝鮮において、済州島には反対勢力が集まっており、南朝鮮単独選挙への反対運動、武装蜂起から、鎮圧のための大規模な虐殺事件へと発展してしまった。その最中に「大韓民国」は独立したのだ。そしてこの国作りと虐殺には米軍の深い関与があった。青い光景はそのような告発はしない。文字で語るようなことは何も言わない。だが歴史は島に残されている。
チョン・フン(Jung Hoon)『NOW NOWHERE HERE, ONLY PHOTOGRAPHS』は、他の作家と一線を隠すステートメントで一切の説明がなく、タイトルを反復しているのみ。

「いま、ここは不在である。写真だけが、そこにある。」
写真は否応なくアメリカである。撮影地が全て判別できたわけではないが、一番インパクトをもって迫るのが自由の女神像のコスプレをした人物で、太すぎてまるでブリキの怪人だ。彼は「26ブロードウェイ」(スタンダード・オイル・ビルディング)を背に立ち、誇張された象徴的「アメリカ」を語っている。撮影地が判明した他の写真も、アメリカ東海岸側:ニューヨーク、フィラデルフィア、メリーランド州、そしてワシントンDCあたりの光景だ。「アメリカ」の中心も中心を撮っている。
何故なのか?



少し調べてみるとこれらの地は、どうやら韓国の歴史と無関係ではない。フィラデルフィアは1919年、日本による植民地支配に抗するために第1回朝鮮人会議(First Korean Congress)が開催され、独立宣言書が読み上げられた地である。ワシントンDCのナショナル・モール内には第二次世界大戦記念碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑とともに「朝鮮戦争戦没者慰霊碑」が立っている。またニュージャージー州アトランティックシティにも「ニュージャージー州朝鮮戦争記念碑」として兵士の像が立ち、その向こうにバリーズ・アトランティックシティ・ホテル&カジノが輝いている。
ここまで見てきた他の作品とは逆に、アメリカという国の歴史に「韓国」が深く刻まれていることが分かっていく。地球を賭した東西冷戦構造下において、アメリカが執った自由民主化政策(あるいは、支配)のデザイン、プロダクトの一つとして、韓国(大韓民国)、そして日本が作り出されたのだ。アメリカのアイデンティティーとして、韓国や日本が、彼らの物語として組み込まれているということなのだろうか。
こうしたことは私が写真から勝手に読んだだけで、作者がどこまで意図していたかは不明である。説明が一切ない題名とステートメントは、政治的主義主張立場の一切を手放して、「写真」を開放し、鑑賞者が自由に読解する――新たな地図を鑑賞者が描き出してゆくよう奨励するためのパワーメッセージだったのかもしれない。
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はい。全員は紹介しきれなかったものの、主要な作家・作品について自分なりに位置づけや傾向、テーマを整理できたように思います。想像以上に時間が掛かってしまった。
多くの作品は直接には説明をしていない、ステートメントも然りで、言葉で触れられていてもその中味が分からない。「日本から見た韓国」の世界史的な単語、そしてこれまで芸術分野で取り沙汰されてきた(特に日本人作家によって)歴史的テーマしか知らないためだ。
「東アジア」という広い圏域で見た時、その視座と問題意識は変わる。これは大きな発見だった。今、緊張の強まる東アジア情勢の中では、こうした新たな地図を生成する想像力がますます必要になるだろう。
完( ◜◡゜)っ