nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】2025.9/26-11/24「岡山芸術交流2025 青豆の公園」

青豆とは村上春樹1Q84』登場人物であり、その謎めいた人物に触発されたことが本展示のコンセプトー現実と空想の交点となっているという。全然わからんがとりあえず良かった。

良かったといっても今まで回と基準が違いすぎて比較はできない。

 

2016年に始まり、3年に1度開かれる芸術祭「岡山芸術交流」。4回目となる今回はなぜか、全展示無料。展示ボリュームは格段に減って、ちょっと芸術祭としては足りないぐらいだったが、無料でこれだけやってくれるなら全然いいですOK。

同じ市街地にあるオリエント美術館の常設展示と、新アートスポット「ラビットホール」「福岡醬油ギャラリー」を組み合わせて回ると、ボリューム感・満足度は丁度良かった。完璧に、丁度になったのだった。

 

◆会場構成、鑑賞した展示

前回までは鑑賞料を普通にとっていた(大人1,800円)のに、急に無料になった。理由はよく分からないが採算は大丈夫ですか。だいたい芸術祭というのは一発屋企画でもないかぎり、回を増すごとにだんだん規模拡大し、豪勢になるとともに客の費用負担も増えていく(KYOTOGRAPHIEが典型例)ものだが、今回は逆に、無料になるとともに、展示ボリュームが大幅に減った。

 

これまで3回の芸術祭では、9時スタートで16時頃に見終わるところが、今回は9時半過ぎから鑑賞開始、14時半には完了した。

まとまった数・規模の展示がある「天神山文化プラザ」「旧内山下小学校」「城下地下広場」と併せて、その周辺の「岡山シンフォニービル」「岡山神社」「旧寫眞イガラシ」「丸の内ハウス」「岡山県立図書館」などが一纏めのエリアとして核心部、メインプログラムと呼ぶにふさわしいだろう。

コンプリートしたわけではない。南の商店街や西の公園、交番は、基本的に小規模な展示と判断して飛ばした。

 

従来であれば、岡山城林原美術館岡山市立オリエント美術館(館内)も会場となっていたのだが、今回はなかった。文化プラザ、小学校の展示も、体感的には従前の1/3~1/5で、プラザ内はがらんどう、学校の校舎や体育館には入れず屋外展示のみと、明らかにボリュームは少ない。オリエント美術館に至っては入口前に顔はめパネルを置いているだけという省力化だ。

 

◆無料化の意図について

無料なので文句は全然ない。大阪人は無料を貴びます。むしろ無料でここまでやれているのがすごい。しかしなぜあえて無料にしたかのアナウンスが会場や公式Webサイト内では見当たらなかった。「美術手帖」昨年末の記事が参考になった。

bijutsutecho.com

「より多くの人が鑑賞できるように」「特に子供が世界的な現代アート作品を生で体験する貴重な機会を提供する」まあ綺麗な理由だ。しかし会場をスカスカにし、商店街に少々作品を散りばめてもそれは作品体験とはならない。祭典には密度と圧が必要だ。

 

ここからは個人的な空想。

 

まず他の芸術祭、アート展示との色分け、生存競争上の戦略というのは思いつく。

ちょうど1年前の秋に催された「森の芸術祭 晴れの国・岡山」は、エリアこそ違えど、同じ岡山県で、中国山地側をがっつり東西の端から端まで横断する、非常に大規模な芸術祭で、ボリューム・内容にも凄みがあった。これとの区別・住み分けを図るべくアピール強化を行う意義はあっただろう。

www.hyperneko.com

それと、「ラビットホール」(2025年4月開館)、「福岡醤油ギャラリー(ラビットホール別館)」(2021年4月開館)の存在が見逃せない。どちらも岡山市街地、本芸術祭と完全に同じエリア内で運営されているアートスポットだ。設置・運営主体が「公益財団法人 石川文化振興財団」で、これは「岡山芸術交流」総合プロデューサー・石川康晴が理事長を務める団体である。

www.ishikawafoundation.org

www.ishikawafoundation.org

つまり芸術祭と私設美術館の運営元が実質的に同一人物という状況にあり、どちらもぴったり同じエリアで展示を展開しているのだ。

 

また、 運営・エリアだけでなく展示作品も重なっている。「ラビットホール」収蔵作品のアーティスト名を見て驚いた。フィリップ・パレーノ、リアム・ギリック、島袋道浩は今回の芸術祭と共通している。そもそもフィリップ・パレーノは芸術祭のアーティスティック・ディレクターだ。過去の岡山芸術交流と照らし合わせると、イアン・チェン、サイモン・フジワラ、ペーター・フィッシュリ/ダヴィッド・ヴァイスの名が被っている。別館:福岡醬油ギャラリーの展示も、今回はライアン・ガンダーなので同じく芸術祭と共通している。

完璧なシンクロ。

旬の現代アートを、建築物とともに総合的な空間インスタレーションとして構成し、上質なアートの場として提供する。「ラビットホール」「福岡醬油ギャラリー」は「岡山芸術交流」のアーカイブ的な場であった。というか、芸術祭メインプログラムそのもの機能を果たしているようにしか見えなかった。

 

となれば、この有料の2つの展示館を岡山市街地の「現代アート」のコアとして打ち立て、逆に「岡山芸術交流」という催しを無料化して敷居をぐっと下げ、不特定多数の老若男女を呼び込むための祭事とし、そこからコアへと流し込んでいくという二段階構造が見えてくる。アートというわけのわからないもの(本来、それなりの教養やリテラシーが必要な敷居の高いもの)が、普通に都市のあちこちにある状態にし、美術館もまた、公立のいかめしい「芸術」ではなく、都市の文化・娯楽・ファッションの融合した交点としてスポット化される。そのような街づくりが企図されているのではないか。

discoverjapan-web.com

芸術祭と私設美術館(アートスポット)との関係について、前者一強の一点豪華主義的な状況を逆転させ、両者に役割を与え、前者を入口に、後者を本丸=主力へと再定義し、常に外から岡山にアートを観に来る環境を作ろうとしているのではないか。直島とベネッセと瀬戸内国際芸術祭の関係が想起される。壮大なアートシティへの構想が実現化している最中ということだ。

 

一方で、懸念もある。2020年にTwitterを騒がせた例の石川康晴氏のねちこい社員セクハラ事件て結局どうなったのか? その後を全く聞かない。ねちこい誘いLINEの性欲ギンギンぶりに目を見張ったものだったがそれ以上の記憶がなく、こと芸術祭との関係については有志によるZINE『岡山芸術ごっこぐらいしか正面きって論じているものがなかったように思う。

bunshun.jp

geinoupanda.com

artscape.jp

今回の無料化は一種の「禊」でもあったのではないかと邪推してしまう。色々あったけど、ひとまずみなさん祭りですよ、とにかく楽しんでくださいねと低姿勢でフリーアクセス化し、ブランド化や収益化に走って問題が再燃して叩かれるのは避けようという戦略も想像してしまう(組織労働者のサガだ)。

 

話を戻そう。展示について触れる。

 

 

岡山県天神山文化プラザ

各会場には展示数以上の作品解説パネルがあり、ややこしいが、県立図書館で無料配布されるシモーヌ・ヴェイユの小冊子(Isolarii《脱創造》)、都市の様々な所で配布されるコイン(ライアン・ガンダー《The find》)、路線バス車体下部に取り付けられるLEDライト(ジェームズ・チンランド《レインボー・バスライン》)の3点も紹介されているので、ややこしい。

だがここでよく読んでおかないと後に市街地探索の際に、作品だか作品でないんだかわからんものと出逢い、小さな迷子になる。

文化プラザでは全4つの展示があるが、うち2つは映像で、1枚の大型スクリーンを30分ごとに交代で流すものだ。なので鑑賞時間・タイミングによっては実質3点になる。

エントランスからすぐ出会うのが、バス停を模した作品、ホリー・ハーンダン&マシュー・ドライハースト《スターミラー/パブリック・ディフュージョン》。科学・宇宙的なアイコンでデザインされたWebページのようなデザインで、デザインが勝っているからスタッフに説明されるまでバス停とは気付かなかった。

掲示内容は、岡山市内の名所がローマ字で列挙されているのと、「Starmirror」「Public Diffusion」のアイコン表示。前者は位置情報と写真投稿を結び付け、スポット各地の写真を共有できるアプリ、後者は画像生成AIモデル。前者「Starmirror」アプリをダウンロードした鑑賞者が岡山各地を回って「岡山だと思うもの」を撮影・投稿し、その情報を「Public Diffusion」が学習するという仕組みだ。皆の思う岡山らしい「岡山」が育成されていく。ただみんな、このQRコードからアプリインストールし投稿までの一連のタスクに気付くのか。

 

映像はレイチェル・ローズ《エンクロージャー》の方を鑑賞。30分も待てないのでもうひとつのヴェレナ・パラヴェル《コスモフォニアへのプレリュード:岡山チャプター》は飛ばした。時間が余るかどうかはこの時点では分からず、できるだけ早く回ることを念頭に置いていた。

《エンクロージャー》も全部は観ておらず途中から観て10数分で切り上げたが、当然ながら謎が多く意味が分からない。アート作品というよりショート映画の作りで、解説には「17世紀のイングランドの農村共同体を舞台にしたハイジャック事件を描く」という。クマが象徴的な存在であるのと、村人を騙して?子供?を売り渡す(買い取る)契約を結ばせる、それが「神の契約」、「神の掟」と呼ばれている、何なのかこれは。

1階に降りると同じくレイチェル・ローズ《The Enchanted Hunters》《Lake by Moonlight》の2点が、やけに広々としたフロア内で掲げられている。前者はジョン・フレデリック・ケンセットの1872年頃の風景写真、後者は油彩画で、人と風景の関係、物語や信仰体系の形成への影響、自然と産業の歴史がいかに視覚文化に影響してきたかを問うているとのこと。フロアを分断してるわ間が空きすぎてるわで関連が全く分からないし小品2点だけで何かを理解できるものでもない(そもそも風景かどうかもよく分からない)。テーマは普遍的なのに理解が難しい。

広いフロアを完全に持て余しつつパーテーションされて次のコーナーに回っていくと、奥の方でDJターンテーブルめいたセットが設けられている。アニルバン・バンディオパディヤイ《SOMU(自律的数学宇宙)》、これは解説を読み込んで理解すればするほど面白い作品だった。

青く光る透明の円筒ケースが2本並び、ケース上部には脳を模した造形、内部には養液に浸された髄があり、脳は多数の配線で周囲の装置と接続され、近づくと電子尺八のような「モ"ォー」という音を立てる。2つの合成脳は「ブレインジェリー」といい、つくば市の「NIMS」(国立研究開発法人物質・材料研究機構)に在籍する作者が研究開発する、学習や問題解決のプログラムだ。人間の発する電磁波を感知すると、2つの脳の間で通信が行われるが、合成脳は250人以上の人間の脳波から構築されたプログラムで動いている。じゃあこの音を発している脳はいったい何の・誰の脳なのか、250人×250人の交換(交歓)に鑑賞者「私」が参入し、ブレパ(ブレインパーティー)はしめやかに活況を呈し、設定を知れば知るほどわけが分からないが、脳波のやりとりが可聴域で触れられるというのは今後の社会的なテックとして様々な想像を催させる。興奮します。

 

しかしいかんせん会場を持て余していて異例の回だ。

ちなみに文化センターは前川國男設計という貴重な物件なので、日本のモダニズム建築を味わう意義があるます。シンプルにして贅沢な作りがいつも嬉しい。

 

出石町空き地、岡山神社、市立オリエント美術館

街中を歩いて作品に出合いましょうね。

「福岡醬油ギャラリー」と道を隔ててて近隣にある「出石町空き地」では、駐車場になりそうな空き地のど真ん中に円形にタンポポが植えられていて、明らかに不自然だ。フリーダ・エスコベド《Dandelion Field》タンポポだなあというほかないのだが、これはこの土地の過去の姿を知らないと繋がってこない。

2016年、初回の芸術祭で、ここには銀色の謎の物体が飛来、着陸していた。ライアン・ガンダー《編集は高くつくので》、タイトルも形状もまったく謎の、銀色に光り輝く巨大なオブジェが唐突にそこに鎮座し、縦に割れたアスファルト面がそれがあたかも隕石のように落ちてきたことを物語っていて、素晴らしかったのだ。

異次元から飛来した隕石の痕に、9年越しでタンポポが咲き始めたという寓話。いいですね。

 

つぎに岡山神社」。どこからでも入れそうに見えて、横着して裏から入ろうとするとめちゃくちゃ狭い小路を縫って歩くことになる。展示はどこか? 本殿と社務所の裏にある稲荷神社の社の中に、サイバーパンクな腕が釣り下がっている。ミレ・リー《Untitled》。

見た通りの作品で、着想となったのが駕籠真太郎パラノイアストリート』塚本晋也『鉄男』というのが、これまた見た通りそのものだ。何も言うことはない。薄暗い中で陽の光が差し込む社に機械の腕が妙に馴染んでいたことが驚きではあった。サブカルとジャンクの象徴物のような腕が、立ち入るのもためらう神聖な領域で、当然のように佇んでいるのだ。なぜ違和感のない空間だったのか。この問いはまだはっきりとした問いにもなっていないが重要な気がする。

 

「市立オリエント美術館」は毎年、常設展の間を縫うようにエントランスや館内の吹き抜けなどを用いて作品展示が行われていたが、今回はなんと敷地に顔ハメパネルを置いているだけという簡略ぶり。まあ色々あったのだろう。

これはリアム・ギリック《Apkallu Portal》、「偉大な水の人」、水の神エアと結びついた精霊の意で、メソポタミア文明期において、大洪水の前に文明をもたらした七賢者を指すという。言うまでもなくオリエント美術館の展示にちなんでいて、チケットのデザインそのものなので皆さんよく見てください。頭が鳥です。つまり皆さん鳥にならなければいけない。鳥に。

偶然かどうかわからないが、我々、ちょうど強い俄雨が降ってきて、オリエント美術館の展示を観て時間をつぶすことを余儀なくされたのだった。水の七賢人、、キレてたんかな。。

 

 

◆城下地下広場、岡山シンフォニービル

大きな交差点から見えるオレンジとイエローの巻いた角柱はリアム・ギリック《多面体的開発》、これも2016年・初回の芸術祭で設置された(既存の構造物にカラーリング)作品で、私にとっては「岡山芸術交流」に来るたび目にし、エリアの目印にしているので、もう芸術祭のアイコンと言うべき存在だ。

 

この塔は「城下地下広場 しろちか」の水場から生えている。しろちかの通路を使わないと向こう側に渡れない。地下に下りると、パチスロか仮想通貨の広告めいた、大きなコインの看板が並んでいた。どうもおかしい。

「Looking for change?」の文字と、「ACTION」と刻まれたコインの絵、あとは全て黒地。都市空間と広告に溶け込んだ、しかし消費者へ寄り添うのではなく何かをうっすら煽るものがある。「作品」だ。

ライアン・ガンダー《The・Find(発見)》。解説によると3種類のデザインを施したコインが自由に見つけられるよう無償配布されているというが、この時点では謎しかなく、周到に溶け込んだ「作品」なのか、作品になるとすれば・作品でなくなるとすればその環境要因や鑑賞者側の条件は何なのか、を探っていた。ワンチャンこれがパチスロである可能性も否めないのがスリリングだとおもいませんか。

とわくわくしていたら仲間が地下に下りる階段あたりで「そういえば同じコインを見かけた」と引き返し、拾ってきた。

「Just…LISTEN」コイン。フレーズは異なるが、デザインは総じて同じだ。間違いない。これで解説と展示が結び付いた。どこかの受付でコインを配布しているのか、会場エリアにランダムに撒いているのか、全容は不明のままだ。

しろちかではバス停:ホリー・ハーンダン&マシュー・ドライハースト《スターミラー/パブリック・ディフュージョンが再び登場。しかし地図を片手に行脚していると、不慣れなアプリを起動させて写真を撮るという行為は忘れ去られてしまい、結局ぜんぜん投稿せず仕舞いとなってしまった。

地下階から上空へ突き上げて伸びる塔、これは立派なランドマークだ。雨風が入ってくることもいとわぬ仕様、昔の建築はパワフルで、ちょっと羨ましい。水場、噴水は維持管理と効果を考えると現代ではコスパが割に合わないだろう。しかし、何となく、えもいわれぬ「良さ」がある。執筆時点で東京国立博物館の正面に広がる水場撤去の議論があったが、いやあ、過去の遺産はやすやすと消さない方が良いと思うけどなあ。もう撤去し広場化すると決定したようだけども(R7.11/16)。

 

地下を伝って「岡山シンフォニービル」へ入ると、1階の空き店舗をラジオ放送局に転用していた。ラムダン・トゥアミ《岡山トリエンナーレラジオ(Okayama Triennale Radio)》、岡山芸術交流のための、岡山市民に広く開かれた公共ラジオ局だ。

会場はラジオ放送局の体をしているが、仮想の空間のため無人で、貼り紙が大量に貼られ、放送だけが流れている。「24時間放送中」と書かれていて、たぶん実際に24時間流れている。様々な世代や職業の岡山市民の声を集めに集めたコンテンツとなっているようだ。全てupされているかは未知数だがYouTube「オカヤマトリエンナーレラジオ」チャンネルでも聴くことができる。

www.youtube.com

会場QRコードからアクセスできるラジオページはこちら。

link.radioking.com

 

◆旧内山下小学校

毎度お馴染みメイン会場の一つ、小学校跡地。今回は校舎、体育館は使われておらず、プールとグラウンドのみと、大幅なスケールダウンとなっている。

まず校庭に入ったところで声をかけられる。

芸術祭と直接関係ないと思うが、大学の調査(資料には京都産業大学とあった)で、思考地図の作成とし、核となるテーマの問いから回答者が自由に派生させ、次の回答者は他の人が書いたアイデアに対して想像を連ねていくという形で書き足していく。短時間でアイデアを出すのは面白かった。

グラウンド中央に、塔が立っている。フィリップ・パレーノ《メンブレン(Membrane)》で、私達が訪れた時は前日の大雨のせいでシステム停止していたが、本来は白いリング部が上下に稼働し、発光するのだという。非常に高い塔で、頂点に複数の突起物があり、リングから配線が垂れ下がっている姿は、遠隔地を攻撃する電磁砲のように見え、実にかっこよかった。こういう低レベルな感想はアート鑑賞にあるまじきことだが兵器のような出で立ちでかっこよかったのでしょうがない。

挙動はAIの学習によってなさあれ、周囲の環境データとして温度、湿度、風速、騒音、大気汚染、地殻変動などのデータを収集して周囲の状況を認知、合理的な解釈のもとにリアクションをとり、石田ゆり子の声も取り込んでいて、日本の様々な音や方言も併せて学習し、音(声)を発するという。環境応答型のAIというわけだ。しかし雨には弱くて応答もダウンしたというオチがついた。そりゃサーバーを屋外に置いているのだから仕方がない。

とはいうものの塔の備えている学習・応答機能は想像以上の多彩さ、多重さがあるようで、底知れない。受付でFABRYX《SILYX(シリックス)》を触らせてもらえるが、鑑賞者がその手に握ることで、更に情報を送り込むことができるのだと聞いた。

シリックスは、ケースに入れられた緑色の鉱物だが、USB接続端子を備え、持つ者の握り方を解析してそのデータをタワーのPCへ送信する機能がある。「握り」のどのデータを読み取っているのか詳細は不明だが、アート作品を介して、環境・空間へ個々人のバイタルが直接に影響を及ぼす作品が現れるにつれ、インタラクティブ、応答性がますます標準解になってきたことを実感した。

 

タワーと校舎の間には、白い円台と生地の屋根が設置され、白い台の椅子がこれまた円形に取り囲んでいる。藤本壮介《オープンサークル》で、これを舞台として展開されるアクションがティノ・セーガル《This Entry》。

以前の回のパフォーマンスではアクターらが歌って歩いていくもので、コンセプトの兼ね合いで撮影禁止だったが、今回は自由だった。振る舞いがそもそも自由で、演者はサッカーボールを蹴ったりパスしたり、その合間を自転車で行ったり来たり逆走したりする。緩く戯れて、余暇を遊んでいるように見える。演技なのか素なのか、コミュニケーションが蛇のように様々な形に変化しながら繰り広げられるのを見ていると、性的でないもっと素のエロスを感じた。これは何だ・・・。

プールにはウミガメとコイが泳いでいた。島袋道浩《MAGIC WATER》岡山理科大学が開発した好適環境水によって、海水と淡水どちらの生物も共存できるという。その正体は淡水魚も生きられるほど薄い海水ということのようだ。

www.ous.ac.jp

同じようなのを大阪・関西万博の関西で見たんや。「大阪ヘルスケアパビリオン」前の水槽で。「アクアポニックス」という循環システムで、あちらは大阪公立大学・植物工場研究センターが協力しているということで、色んな機関が研究のしのぎをけずっていていいなあとおもいました。

www.sanshinkinzoku.co.jp

本来は出会うはずのない圧倒的断絶の他者同士が、何食わぬ顔で共存している。ウミガメとコイ、フグとコイ、何かの前提条件が揃えば、魔法のように平和的に共存が可能となる・・・ヒトに直ちに置き換えることはできないが、それを想像するための鍵となる作品と言えるだろう。ウミガメは、かわいい。

 

 

◆旧寫眞イガラシ

小学校跡からすぐ傍に、「寫眞イガラシ」という写真館がある。これも残念ながら2024年10月に廃業したところで、スタジオ建物を居抜きで展示会場として使っている。

内部は2階建てで、広く、豪華な写真館だ。勿体ない。残念である。ただ撮影業務は今も請け負っている。

www.photo-igarashi.co.jp

感情移入が先んじて作品鑑賞が後回しになりそう、というより写真スタジオが作品の主要な土台を占めている。

何やらガッチャンガッチャンと機械音が聴こえてくる。奥のスタジオに入ると縦と横2枚の液晶モニターがあり、馬のCT画像が流れている。メアリー・ヘレナ・クラーク《Clever Hans》、「賢い馬ハンス」の逸話に範をとった作品だ。

ハンスは人間の言葉を解し、計算問題などにうなずいたり蹄を打ち鳴らす回数で応答したという。ただそれは人間側の過度な期待と錯覚、そして馬の高度な読解によるもので、ヒトの言語や出題意図を理解したわけではなかったことが判明している。

www.koka.ac.jp

映像は、よく分からなかった。ハンスの逸話とその顛末を理解していなかったからだ。

「教えてくれ ― 」「リンゴはすべて食べ物か?」、問いに、馬の脚・蹄のCT画像が、頷くように下りる。

「眠るとき、君は夢を見るのか?」 問いを投げ掛ける横長のモニタは人間の、蹄を鳴らすほうのモニタは馬のCT画像を流していると思われた。両者の言語のやりとりが成立しているかを、科学的に電子的に解剖・観察する。謎は、深まるばかり。

 

◆丸の内ハウス

年季の入った空き家、小ぶりなアパートのような物件2階が会場だが、中はとても広い間取りで、普通の賃貸物件ではなかった。なんだこれは?一世帯で住むにはあまりにリビングが広く、その先に続く横並びの3室も持て余すだろうと思われ、しかし複数の住人で部屋を切り分けるには動線や間仕切りが足りなさすぎ、実に不思議な家だった。

マリー・アンジェレッティ《Veer(展開)》は、ニューヨークで制作中の自作品をライブ中継でリアルタイムに流し続ける。単純に考えて14時間の時差があり、昼夜は逆転している。解説を読む限り、芸術祭の8週間の会期を通じて変化してゆく自作品を、部屋の壁いっぱいに伸ばして投影したものだ。

映像彫刻とでもいうのか、物理的にはそこにないが、しかし現実に14時間の時差・10,800㎞の距離の先には現物として存在しており、動きが無いように見えるそれらは、徐々に完成に向かって変化していく。不思議な作品だ。一方で、空き家の暗い部屋の中で中継映像によって提示される「彫刻」は、美術館の空間をはじめとする種々の権威を剥ぎとられた成れの果て、建材を寄せて集めただけのようにも見える。というかそうだと思っていた。もの派の逆だ。「作品」とは?

 

部屋が広く、誰がどう使っていたのか最後まで謎だった。

 

岡山県立図書館

今回の探訪で最後の展示。しかし芸術祭ののぼりが立っていないし、館内エントランスを見渡しても展示らしき展示がない。図書館内にあるとも思えない。聞いてみる。そこです。え。

エントランス入って左手、喫茶コーナーとは逆側を見ると、大きな棚がある。カラだ。いや、豆本が数冊並んでいる。Isolarii《Decreation》、最初の天神山文化プラザで解説のあった、シモーヌ・ヴェイユの小冊子『脱創造』が配布されているというやつだ。こんなところにあったのか。

めでたく入手できてよかった。本棚は大きくて段も多いのに、14時半の時点で4~5冊しか残っていなかった。ラッキーでした。

脱―創造:創造されたものを非創造へと移行させること。

破壊:創造されたものを無へと移行させること。

脱創造の責むべき代替物。

 

むずかしくて読めてない( ◜◡゜)っ 

キリスト教の話が入ってきてアカンかった。がんばれ私。

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この後、商店街には行かず、前述のとおりアートスポット「ラビットホール」「福岡醬油ギャラリー」を続けて回り、実質的に「岡山芸術交流」の中身として充填して楽しんだ。

 

歩いていて、旧内山下小学校前の歩道、行先案内板の下にライアン・ガンダー《The Find》の看板を見つけた。ここでは「Just... LISTEN」「Change is on the streets」と、しろちかで見かけたものとメッセージが異なる。また別の場所でコインも拾った。が、結局コインの配布場所には出会えなかった。

過去の作品が街の風景として残っているのも良い。「岡山」(中心街)のイメージが変わっていく。直島ほどの非日常ではなく、しかし他の無個性コピペな「地方都市」とも一線を画する場となっていくのだろうか。

 

しかし回った結果、タイトルの「青豆の公園」の意味をも忘れ去り、結局それが何だったのかは不明です。全く支障はない。ただ謎めいたタイトルを付けておくと見る側にとっても色々と便利であることがわかった。疑問点や不明点を綺麗に回収させようとしなくても良いので。なんでもかんでもモキュメンタリーに取り込んでしまう、提供者側の仕掛けと物語に全て回収するのが今の回答、潮流ではあるが、やはり謎は謎のままで良いのだ。

 

 

完( ◜◡゜)っ