会場が漫画だった。『攻殻機動隊』『アップルシード』に囲まれて、彼女らが情報の網目の存在だと実感。脳がちりちりしました。

「押井守とはまた違った世界観で良いですね」などと鑑賞後、平静を装っていたが、地味にテンションが狂っていて、物販でなんか2.5万ぐらい使った(死
テンションが狂ったことは私の情報系が狂わされたことを意味する。干渉だ。
士郎正宗。私にとって微妙な存在である。作品・作者ともに知らないわけがないのだが、そこまで熱狂的に好きとも言えないし、テンションは高いがエンタメとして入り込むのは難しい、世界観は上級者や熱狂者らが語り尽くしているので立ち入る余地なし。アニメではないからジブリや細井守や押井守のように向こうから視界に攻め入ってくることもない。しかし避けては通れない存在だし、まあ普通に好きだし、展示やってるし、なああああ、と非常に曖昧な気持ちで展示を観に行った。
で世間の皆様もまあ同じような曖昧さであろうよと思って行ったら

本日、10月4日(土)の当日券につきましては、
13:30より入場整理券を配布いたします。※整理券をお受け取りいただくため。
13:30に会場へお越しくださいますようお願いいたします。
あか ん。
つん だ これ。
人気すごいやんか。なめてましたすいません。
いちおう開店すぐに並ぶ気構えで、10時半には着いたのだが、意味なかった。当日券者は午後からしか入れませんねんて。雲行きが相当あやしい。特設Webサイトを見ると、予約券は完売していた。それ早く言ってや。
このまま入れずに帰ったら私の中で士郎正宗が更に曖昧なものになってしまう。別に構わんけど、展示入口の草薙素子がかっこよすぎて痺れたので、入りたいなとおもいました。


ワアー。
がんばろうの気持ちになりました。
しかし草薙素子という人物がいまいちどういうキャラクターなのかが分からない。曖昧である。このことは今なおずっと引きずっている。
時間をつぶすよ。地下の大阪・関西万博アンテナショップを漁り、エスパス ルイ・ヴィトン大阪の草間彌生展を観て、アメ村に足を延ばして古着屋をひやかし、13時半。なんとか当日券の入場整理券をもぎとり、権利を得ました。フロアのどこで配布されるか明示されていなかったので博打だったあ。

しかし入場まで40分近く待たされ。会場がコンパクトかつ、ゆとりをもって鑑賞できるよう、客の入れ方が慎重なためだ。待機列の人数はしれているのに、一人、二人と少しずつしか入れてもらえない。『そこで一発 人類を支配し 我々AIの世界を 築こうではないか!』全然わからんがすごい。『攻殻機動隊』は1995年の劇場版の直撃、洗礼を浴びて以来ずっとアプデしないまま人生を○十年やってきた。後述するが作品毎で草薙素子の印象がまるで違うことに戸惑い続けている。
展示は、「士郎正宗年譜」で時系列を示し、代表作についてコーナーを設け、原画(の高精細スキャン画像)を提示し、今日へと至る。


藤子不二雄や『ジャンプ』系列の「分かりやすい漫画」で情緒や言語を習得してきた私にとっては、同じ「コマにもストーリーにも画と台詞と情報が大量かつ高密度で搭載されている作品」であっても、萩原一至『BASTARD!!』は入り込めて興奮できるが士郎正宗はよくわからない。近未来的で情報過多で素晴らしくて凄いのは分かっているが画に取っ掛かりがなくて目の外側で流れていってしまう。
年表に歴代著作の表紙を並べられているのを見つめながら、その感じを再認識した。絵のタッチが粗くて繊細と言うのか、線と色とトーンが濃くなくて、私の目が入り込めずにいる。木城ゆきと『銃夢』なんか主人公をはじめとするキャラが基本的に整数的に固定されてて入り込みやすい。士郎正宗は、何か根本的に違う。勝ち気で美人で可愛い露出の高いおねえちゃんにミニタリーさせたらエロカッコいいだろうな路線をギリ非エロで駆け抜けた感じのタッチだ。

しかし原画が美しい。丁寧な仕事だ。エロとかミニタリーとか同人誌的とかそういうカテゴライズを何段も超えている。漫画とは高度な技術によって生み出される表現物で、いわゆる「アート」としても数えられるのだ的なありきたりなことを思わされるぐらい線が生きている。
大阪会場では作品保存の観点から、生原画は高精細な複製画で展示されていた(先に開催された東京会場では生原画での展示があったらしい)。道理で、生で描いたにしてはデータっぽい質感だった。がそれでも超細密な仕事の積み重ねで出来ていて、素人には工程が理解できなかった。ついで言うとこれが何のシーンかもわかっていない。

『アップルシード』、例によって何のシーンか全然わからないが、これはあれだ。全巻持っているのに情報過多なためか文字に目が横滑りして画の中の世界へ入っていけていないからか、シーンとしての印象がどうも薄い。文字の物量とキャラの輪郭線でいうと前者の圧の方が高い気がする。あと扉絵として描かれたデュナンは女の子女の子してて可愛い、キャラとして「分かりやすい」。だがこのなりで軍・作戦・戦闘に特化した話法と用語、略語が基本コードを成している。


どの回の話か全然わからん。展示されていたのは「英語版第1巻 製版原稿」「No.26、他 制作中の下書き」「アルテミスの遠矢 原稿」などだ。わからん。私コミック4巻揃えてるくせにいつも1~2巻から前に進めない。軍人・傭兵の会話は難しいねん。世界の設定をいつも見失い、再読しても初読並みにわけが分からず、ターム数と描き込みの多さに迷子になる・・・でデュナンが何してるのか分からなくなる。デュナンとブリアレオスの関係は分かりやすい。オリュンポスの統治支配も分かりやすい。が情報の密度が一定でつまりコマ間、話の間の起伏は少ないため私には印象に残りづらい。まさに『銃夢』からデカルトやニーチェを抜いた感じ。自己の同一性は前提としてある。



作者コメントが面白い。当時、プロット提出の際には、脳まで機械強化したサイボーグという設定は難色を示されたという。全然いいけどな…。そういう科学技術の領域越境は、人道や人権を配慮しない国によって進行するとして、
当時、『世紀末・核戦争・人類文明の終焉』の要素を持つSF作品が多かった中、そんな状況を乗り越えて苦闘を続ける物語・・・になれば良かったのだが、この作品は必要とされる時代を過ぎても生き残ってしまったため、出版社の事情・要請もあって、現在中断状態にある。
え。「中断」してるんすかこれ。今からどうやって再開すんのこれ、、、
隣接するのが『攻殻機動隊』。


最も重要かつ攻殻を象徴する「10話」「11話」「エピローグ」と、導入として「プロローグ」「1話」「2話」のカラー原稿が並ぶ。いやもうこれは。あっあっ。ニューロンが内側から書き換わるような、こう。あっあっ。情報と人体の関係が逆転する。「そろいもそろってゴースト近くまで潜って来やがって くそッ」「これだからデリカシーのない野郎共を脳に入れるのは嫌なんだ」、攻殻機動隊はアップルシードの約100年前の世界だとされているが、こういう身体―情報の関係性を端的かつダイレクトに、日常に肉薄して表されるところが遥かに未来的と感じる。アップルシードの方がむしろ古典的だ。
自分が漫画やイラストを描いていたらもっと画の話をできるのだが、すまない、何もわからないんだ。昔の漫画はフキダシの文字がぜんぶ写植の貼り付けなんだ!とか謎の感動はあります。いや全てにおいて「人の手」が行き渡っていて逆に今こんなに高密度な労力の結集体を作ることは不可能であろう、ロストした情報技術産業だ、と感動があります。あと草薙素子のキャラクターがやっぱり自分の中で同定できない。しづらい。


美人で勝ち気なじゃじゃ馬姉さん、竹を割ったように陰と陽の影がなく、絵柄や作品全体のトーンのせいだけではない、まさに軍用機(あるいはドーベルマン?)のように、状況判断と作戦遂行のために必要な入出力に特化していて、その身体性のうえに精神というか個性があって、それは精神論、存在論に向くときも変わらない。がどちらかといえばキャラクター造形上はアップテンポというか跳ねる陽子といった印象が強い。
それが1995年劇場版の草薙素子となると禅のマスターの域に達していて性格の形容ができず、超精工かつ超硬度な陶器にガラスを嵌めたような人物像で、義体によって動く個性の情報/個性の情報を入れて動かすための器となっている。田中敦子の声演も相まってその内側を覗き見たりすることはできない。
更にいうとアニメ版は両者の中間にあり、マンガ・アニメ記号的にフラットで丸みのある、視聴者に親しみやすい身体と、任務遂行のためのソリッドで無駄のないキャラ造形(ソフト面も含めて)となっている。
「草薙素子」は曖昧だ。
顔が全員バラバラ。体の質感も物質レベルで違う。これは、媒体も作画者も違うのだから当然なのと、そもそもメーカーの製造・提供するボディに移し替えることが可能な存在な上に、その個体としての同一性・唯一性の根拠が何処にあるのか、それすらネット接続化された世界の中では他者と混ざり合ってしまうのではないかと問いかける膜、網目のような存在なのだから、同一性の曖昧なキャラクターであることは却って正しいのである。同じ作品の同じ主人公なのに、別物、外見、言葉、雰囲気、etc.どれも存在感として別物なのだが、何となく名前と人間関係と活動と、魂の輪郭みたいなものが共通しているから、どれも別人として積極的に扱う根拠もないので、同じ「草薙素子」として認知しておく、そんなゆるい消去法が私の中で働いている。当然だが印象を固定できないので「どの草薙さんですかね、、」となるし、原作は今噛り始めたところ、アニメは何度も挫折しては入り込めず放置しており、統御・完結される見込みのない世界線のまま、おそらくこの先も私の中で「草薙素子」は何処の誰なのか定まらないまま何処かに行ったままなのだろう。
本展示の様々なキービジュアルは、残された昔の写真のようにして、その時々の世界線でその時点には存在していた「草薙素子」のバリエーション像。それらの過去像の点同士が繋がれて網目のようなものへと繋がれ合ってゆく。その網の目を少し離れたところから見たとき、「草薙素子」というどうやら大きな一人の面影が、脳内に浮かび、立ち上がってくる。かの人は今現在、何処にいるのか。脳内に生じた理解のこの瞬間は、私の中にいた、と言えるだろうか。



「2026 TM Animation」、新作TVアニメ企画が始まるようだ。また更に『草薙素子』の新たなボディへの遷移がはじまる。
www.ghostintheshell-sac2045.jp
なお展示は草薙素子に焦点を当てたものではなく、士郎正宗の仕事という幅広いものであって、私の問題意識があれなだけです。あれです。あれ。曖昧さへもっと触れたいと思ったのか何なのか。
他に紹介された代表作として、『ドミニオン』、『仙術超攻殻オリオン』があった。どちらも元気、活発なおねえちゃんが前面に押し出された、古き良き90年代前半までの世界が。だから押井守の劇場版・草薙素子がイレギュラーなのだというべきだった。
また、これらの作品がどうやって生み出されたか、その物理的な源泉のひとつに、手描きでの作画が挙げられる。というわけでアナログ時代の作画の道具が紹介されている。

一般的にハウツーとして流布している描き方は作者によると「白い紙を用意し、雑誌掲載に適したサイズのアタリを基準に、鉛筆などでコマ割りや下書きをし、墨汁やインクやサインペン系など『十分に黒いもの』で墨入れをし、下書きを消しゴムで消して、スクリーントーンを貼るタイプの人は貼って(貼らないタイプの人は貼らずに)ケズったり重ね貼りしたり、絵の具や専用道具で白い部分を足したり、ミスを修正したり、コマを切り貼りして、原稿を仕上げて編集部に持っていく、というものだと思う(大雑把陳謝)。」、ということだ。士郎正宗のやり方はこうだ。
僕も「アップルシード」2巻や「ドミニオン」の頃まではそうした方法で描いていた。「アップルシード」3巻以降は写真系の人達が使う大きめの透過台を購入し、ガラス屋さんに注文して作って貰った分厚い摺りガラスの板と台紙を載せて光量を調整し、下書きをした原稿に別の白い紙を重ねてそれにペン入れをした。
(中略)「下書きを消しゴムで消す」という工程自体を消して消しゴムカスとおさらばした。墨汁には黒のアクリル絵の具とメディウムを混ぜて乾燥速度と堅牢性を上げたので、「描き手や袖で未乾燥部分を引き摺って原稿を不要に汚す可能性」も格段に低く、とゆーかほぼ無くなった。紙質をケントなど平滑度の高い系ではなく、白色度抑え気味&若干コンパウンド少な目&光透過性が過度なものにした点も、吸収と乾燥を早くするのに役立ったと思う。これも消しゴム工程で紙を傷める&汚す事がない点や、「透過台と白色度&密度の高い紙」という「目に負担が高そう」な組み合わせを避けるといった事と若干関連している。しかしこの選択に関しては「原稿を早く綺麗に仕上げる」という観点では機能したものの、編集部で「セリフを接着剤で貼り込む作業」をした後の、長期的な溶剤の浸透? が原稿を劣化させる事に対して脆弱だった可能性があり、2025年時点では他人様にオススメ出来ると言い切れない一長一短の方法だと考えている。ペン先は浅焼きカブラ。
・・・説明はまだまだ続くのだが割愛している。漫画作品の過剰さとまったく比例するような解説文だ、説明すること、情報を盛り込むこと自体が士郎正宗のデフォルトの世界観というか身体感覚な模様。すご。
漫画の作画法をまったく解さない私としては、士郎正宗の本棚コーナーが参考になった。どんな本を通じて世界観を培ってきたのか?



『月刊むし』『サイエンス』『きらめく甲虫』『おどろきダンゴムシ図鑑』『考えるナメクジ』などなど、昆虫、生物、科学が多い。フチコマをはじめとするマシン類の形態に通じていくのか。そして対になるのが洋雑誌『HEAVY METAL』や『武蔵野美術』、展示されてはいなかったが『GUN』『戦車マガジン』『航空ファン』『世界の艦船』など、ああなるほどというラインナップで、いや多彩です、やはり作品の情報量の裏には現実世界の知のリンク網があったわけでした。
みなさんもたくさん本を読みましょうね。それ言いたかっただけやないか。はい。
グッズコーナーは転売ヤー対策で、入場券を持ってる人だけが入れるルールになっていたが、それでも16時頃に行ったらめぼしいシャツ等は売り切れていた。草薙素子がほしかった。




オリジナルショッピングバッグかっこいいですね。これぶら下げながら地下でラーメン食べたけど汁とばさんようにするの緊張した。食後に買うべきだ。
大友克洋『AKIRA』を士郎正宗展のために『攻殻機動隊』で描き替えた特別イラストがあり、そのポストカードやシャツが目玉商品として売られていた。シャツが7~8千円くらいしてひっくり返りそうになった。円安が悪いのか社会が悪いのか、くるしい、しかし脳がちりちりしていたので、買ってしまった。みんなそうやって彼女の幻影を追いかけて現実世界と電網世界とのはざまへ立ち入ろうとうろついているのでございます。儚い。
( ◜◡゜)っ 完。