瀬戸内国際芸術祭2025・春会期。瀬戸大橋の付け根、坂出の「瀬居島」では、旧校舎3カ所で「SAY YES」という奇妙で懐かしい名のプロジェクトが展開されていた。
2025.5/4(日)、展示終了間際の旧瀬居中学校をいそいで回った記録。
- ◆旧瀬居中学校
- ◇福田惠
- ◇五嶋英門「一日の終わりに願うこと」
- ◇山本晶「海を見る 山を見る」・岩崎由美「明日は静かな日」
- ◇上村卓大「見えるものと見えているもの」
- ◇安岐理加「その島のこと」
- ◇伊藤誠「空気穴」
- ◇早川祐太「いるもの」
瀬居島(せいじま)。島と言いながら普通に陸地である。瀬戸大橋の麓に大規模な工場エリアが広がっている。工場の敷地と敷地の合間に真っ直ぐに人工的な道路が延びていて、車を走らせていると全くの陸地として違和感がない。
実は、瀬居島も隣の沙弥島も、かつて「島」だったのが、1960年代後半に播州臨海工業団地の開発によって埋め立てられ、陸続きとなったらしい。
この歴史を踏まえた展示が、旧瀬居中学校・小学校・幼稚園の3か所で展開されている。瀬居島プロジェクト「SAY YES」である。瀬居島に掛けているようでもあるが、やはり最優先で即座に想起されるのは、一定の年齢層以上の胸をときめかせた超有名な邦楽ユニット、その名曲そのものだ。
これは、ディレクションを担当した参加アーティスト・中崎透が現地を見た時に、頭の中に流れてきた曲であるという。
公式HPを引用すると見事に平成初期の日本の姿がある。
「工業地帯と島の景色とが隣りあい、融けあい、奇妙なキメラのような風景」と「海越しの瀬戸大橋や工場群を照らす夕陽」を見たときに「余計なものなどない」と思ったという
これぞまさに、瀬戸大橋と瀬戸内海とが織り成す平らな空と海と人工的な埋め立て地・工場地帯の生み出す、近未来景のノスタルジーである。何処にも辿り着くことのない、しかし何処かへと永遠に向かおうとする「未来」の志向性そのものがある。
それは圏外からの来訪者にとっては大きな「昭和」と「平成」の、目的地なき憧憬=真のノスタルジアを思い起こさせるが、地元民、元・島民にとっては地続きの生活と歴史に他ならない。
では3ヵ所についてレポをやっていく
…と思ったら書いてて意外とボリューム増し増しになってきたので、本江は中学校だけに絞ろうと思う。書かないと展示の理解が全然できなかったので、書きながら今理解しているところであり、それがゆえに分量が増してゆくのですだよ(白目)
◆旧瀬居中学校
1947年に開校、2023年度で廃校となった。手を入れて使われていることが随所に伺える、比較的新しく綺麗な学校なので、閉じてしまったことが残念だ。少子化が今なお現在進行形であることを突き付けられて悲しい。
3階+天井まで校舎全体が会場になっており、とにかく展示の物量が多く、まともに観るのに90分はかかる。
元を取った、というか、消化不良なぐらい次々に情報が来るのが瀬戸芸として新しく感じた。
瀬戸芸を観たのは久しぶりだったが、現代アートの見せ物としての質がずいぶん底上げされた、インスタレーションの質が変わった気がした。
何というか、地元の人を呼んだりワークショップや共同制作したりレジデンスやリサーチで土地の歴史風土を踏まえて制作したりといった「関係性のご当地もの」を超えてきた感があった。現地の関係性を踏まえているのはその通りながら、現代アートとしての見せ方・展開の仕方を忠実に繰り広げていた。
現地の独自色を出しながらも、会場を都会のホワイトキューブに移しても成立するような展示スタイルだった。洗練と呼ぶだけでは足りないか。会場のせいもあるが土着性が薄く、配置の軽さと切り口の鮮やかさが際立っていた。それでいて情報、伝えたいことの編集が効いていて、ここが「島」で、毎年学校に生徒が通っていたことが改めて伝わってくるのだった。
展示の軽さと切り口の鮮やかさのバランス。そして物量がすごくて、秒で見て把握されて過ぎ去られるような、雑な鑑賞消費を許さない。純粋に展示物品が多くて、情報とオブジェクトはアーカイブと散乱の狭間で、配置され開陳されていること自体が作品であり、意味がストレートに分かるわけではない。入り組んだ細い路地で迷子になるように作品を見ていく。
◇福田惠
中学校に入った鑑賞者を飲み込んでしまうのが福田惠で、これが重要な位置を占めている。写真が主力作品だがそれ以外のオブジェ(学校に残された大量の備品や標本、教材など)の配置インスタレーションも多々あり、1Fの理科準備室、理科室、多目的室、廊下と、多くのスペースを横断して展開してゆく。この「作家の作品 × 大量の残品 →膨大な情報量の空間」という手法は小学校、幼稚園にもしっかり共通している。(特に幼稚園の中崎透)
部屋ごとに過去作シリーズが展開されているが、初見の私にはそれらに区切りがあるのか、全体として一つなのか、明確には判別できない。ただただ次々に現れる写真とオブジェクトの量に驚き、閉館の時刻も迫っているなか、記録撮影に追われて変なテンションになっている中、読解どころではない。
ただ、振り返って大きく捉え直してみると、「生命」や生活について、人工、経済、エネルギー循環の観点から作品化していることが分かる。
「永遠の庭」(2003-2004)は祖父の他界後に荒れた庭に造花を植え、1年間を追った写真作品だが、会場の理科準備室には学校の教材・標本などの残留品が多数並び、一部の写真はそれらの中に紛れ込んでいて、どこまでが作品か、あるいはどこまでが「学校」かの判別が意味をなさなくなる。ひいては「生物・自然」と「人工」の境界も、幾重にも判別できなくなり、境界のグレーな部分がどんどん増幅されてゆく。写真もフィルム調のため、人工物である造花のチューリップは明確には庭=祖父の生命とは切断されず、レトロエモーションの中に納まる。標本も古びていて風化しているため、空間全体が自然に還ってゆくようでもある。
隣の理科室では「産前・産後記録」(2017-)シリーズが展開され、こちらは生命を産み育てることの身体的な役割に着目し、労働・経済への置き換えが図られている。昔ながらの理科実験室、4つの蛇口と掘りの深いシンクが併設された机の上に写真作品「産前・産後記録:浮遊の果実」(2018-)が並ぶ。作者の生活圏から収穫された野菜、それも規格外のものを小さいものから順に並べた写真で、受精卵卵が胚、胎児へ発育していくのになぞらえている。単なる発育図ではなく野菜には選別や経済原理が働いていて、それは不妊治療や高齢出産と不可分なテーマとなっている。
思い返されるのが写真家・鈴木麻弓「豊穣」だ。非常に近いテーマの作品となっており、野菜と人体、生殖と経済性との関連は深いことを実感する。
産むことは個人の生き方というより経済、あるいは仕事のような性質があるのか?
教卓の上には日誌、黒板には譜面、「産後記録:授乳夜想曲」(2018)である。読むと出産直後からの育児の過酷さ、精神的な不安が痛いほど伝わる。読んでいて冷汗が出るが読むのをやめられない。だが単なるエッセイではなく労働基準法で定められた産休期間(8週/56日間)を基にし、1日の時間ごとのイベントを記録した、まさに労働日誌である。休むまもなく次々にこなすべき重要タスクが降ってくるのは、可視化されればされるほど労働に近い。そのように意識的に出産・育児を労働に置き換えてアウトプットしているとはいえ、作者の実体験なのだから実際にこうなのだろう。
人工の極みとしての経済。誰かが労働を行うことで力や命が循環される。循環とは?
続く多目的室の迫力に、思わず時間切れを覚悟した。「一日は、朝陽と共に始まり、夕日と共に終わる」(2025)。
暮らし・環境とエネルギー循環というマクロな話へスケールアップする。教室に集められたロッカーや棚、机、ガラスケース、拡声器、モニタ、垂れ幕、オーディオ等の備品が固められ、積み上げられ、幾つかのブロックを形成し、その上や中や下に岩石や化石、書籍などの歴史物が加わっていて、それぞれがコードや配置によって緩く接続され、個々の物品が「元・学校の遺産」として存在感を出す。同時に、それぞれのブロック単位で「作品」でもあるから、作品の遠近感が常に狂って視点が定まらずとても彷徨う。
インナートリップ。
部屋の中、什器備品の塊の中で無限の旅をしているようなもので、同様の体験として「横浜トリエンナーレ2024」旧第一銀行横浜支店で催された「革命の先にある世界」インスタレーションを思い出した。語る言葉が追い付かない、個別に言葉を貼り出すと収拾がつかない。化石、漁師のかつて使った蛸壺など、。見るべきものが多すぎて、楽しかった。2回観たかったな。
それだけの物量、情報量を抱えるのが「学校」という公的教育機関であり、島の歴史だったのだ。機能を停止し廃止されたことの重みを目で知ることになった。
同時に作品は、太陽光発電によってその時々にどれだけ家電が動くものかを示している。扇風機が回っていたのはまさに太陽エネルギーによるもので、他にも小さなランプが幾つか付いていた。
テーマの広さと切り替わり、物量の多さ、地元の歴史と同時に作家テーマが語られる構成などから、丹念に見れば見るほど一体何の展示だったか一言で語るのが困難になる作品群だったが、しかし鑑賞体験としては素通りできないもので、満足感があった。この構造は「SAY YES」全体に共通している。
◇五嶋英門「一日の終わりに願うこと」
同じ1階、階段を挟んで逆側の広い部屋で、これまた島と学校に由来する品物がスチール机とスチール棚の上に配置されている。学校の備品や古い教科書、海岸に落ちていたらしき木片や石など、使われているものと空間の使い方は福田惠と共通だが、間をたっぷりとって意識的な配置を施すところは対象的だ。
整列によって、それぞれのモノが何らかの意味や関係があるように思われてならない。あるのかもしれない。私達がここで島巡りをするように、間と間を繋いで渡りゆくことが催されているのかもしれない。シンプルに、共鳴が美しい。ブックエンドに白い石が体を突っ込んでいて、穴あけパンチに石が乗っていて、錆びて腐食しえぐれたスプレー缶の頭に丸石が乗っていて、木の箱に石や破片が並んでいて、海と学校・教室がゆるく共鳴しているのが、なんとなく美しい。
配列と接続から何らかの意味を読み取ろうと創り出す、心の動きは止められない。展示全体がこの瀬戸内海と島々を象徴しているのではないか、元・島民のナラティヴなのではないか…等々。解説はなく、代わりに奥の応接間のようなところ(校長室?)で、映像が流れている。それはAIによって生成された物語を、AIがその都度自動的に選択肢を選び続けるというもので、私が観た時には5235話のうち3984を指していた。英語表記するかどうか、作中でどんな動作をとるか、選択肢が都度現れて、それにAIが自動で(恐らくランダムで)選んでいく。全体像を把握することは作者にすらできない。
作者の手を離れて「島」にまつわる物語が生み出されてゆく、島それ自体の仮想的な場としての展示である。
◇山本晶「海を見る 山を見る」・岩崎由美「明日は静かな日」
2人の絵画作品が交錯する。シンプルに見えて複雑に入り組んだ場が形成されてて、なぜシンプルに見えるかというと机や壁を真っ白な板と灰色のコンクリートで覆い、「学校」空間を消し去っているためだ。暗い灰色のコンクリート面が重なり、絵画が引き立つだけでなく、海岸の護岸、港のような臨場感もある。置かれた時計すら「学校」の文脈を超えていて、全体が作品としてフルに力を奮う場となっている。白い板とのコントラストがリズミカルな緊張感をもたらす。
これらは作品の支持体として理想的なだけでなく、引き算として窓側を小さな長方形に切り抜くことで、作品世界にもたらされる仮想の/現実の窓・風景としても機能し、空間が舞台装置と作品内世界との両方を演じている。同時に絵画も、それぞれのフレームの中身に完結するのでなく、外側の構造とともに全体で大きな作品世界となっている。
山本晶は単色ベースで明るく抽象的な、図形と色が組み合わさった絵で、瀬居島の地形・地図を基に描いている。地図記号そのものではないが、完全な平面と直線・曲線で、厚みゼロの風景を描く。対して岩崎由美は幻想的な、暗く、日本画的な月や雲や植物を描く。陰と陽、風雅と情報との対比の中に、リアルの風景が直射で差し込んでいる。見事な空間構成だった。瀬戸芸というイベントで、ここまで教室という土着的な場を除算したうえで展示を作れるとは、驚かされた。
心地よい風と時間が流れている。外光を取り込んで、リアルの風景/窓を、教室や個々の絵画もろとも巨大な「絵画」へと再編し取り込んでいる。
◇上村卓大「見えるものと見えているもの」
2階の保健室から先、3室ほどを用いた展示は、日常的なありふれたものから実験場を生成、あるいは彫刻化しているようだ。保健室で小道具の小作品をアーカイブ的に棚の中に並べた後は、教室全体を使って幾つかの作品を巨大化して見せる。スケールが極端に変わり人間とオブジェの目線や立ち位置が逆転すると見え方は全く変わる。
目の付け所が実に些細であり、何が問われているかを掴むことは実は難しい。例えば《the ball》(2007)は成形不良のBB弾をルーペで拡大して見せる。朱色の弾は分裂する胚、発現する生命のように見える。次の部屋ではこれが巨大化されている。いずれもBB弾とは思えない。《室内植物》(2007)は試験管の中に色とりどりのBB弾が詰め込まれ、管がぎっしり並んでいる。中央の1粒を周囲6粒の弾が囲み、それらが螺旋状に連なっているらしい(気付かなかった)。《マリモ旅行》(2025)はマリモを色んな場所に連れていき、。数日に一度シャーレの水を入れ替え、古い水は排水溝に流す。全く意味が分からない。
分からないことだらけだが、部屋の奥の棚、《乾いた石(日光浴)》(2019)で、焼けた消防ホースみたいなオブジェ(ゴミ?)の奥に、ムーミンの漫画冊子が置かれていて、ここにきて作者のやっていることが初めて言語化される(ように思ってしまう)。スニフが握り締めて持ち出してきた宝石、だが陽の当たる所で掌を開くと、ただの黒ずんだ石ころだった…というエピソード。物の持つ神秘的な価値と、味気ない即物的な実体。作者が作品制作により操作するのはそのプラスマイナスのフェーダーで、特に「質」を引き算することで間の抜けた滑稽さと新たな視点を呼び込んでいる。
《スタディ模型に置かれていた彫刻》を原寸大で模刻した、極端に大きくなった歪んだBB弾《無題》(2014-22)と、くちゃくちゃに噛んだ後のガムみたいな《無題》(2015-20)との対峙・並置。サーフボードの構造を誤読しながら制作し「一応サーフボードになっている」とプロに及第点を与えられた準・サーフボード《something #2》(2009)。全くユニバーサルデザインではないベンチ《KMC_001 (mind set)》(2024)。黒板に張り付くその名の通りの《乾いた石(wall)》(2014)。ショッピングカートの抜け殻《mint condition》(2011)。役に立たない方へと寄せていく。日常性から日常生活に寄与する部分の「質」を取り払われた物どもが不完全な、間の抜けた/実験的なオブジェとしてそこにある。
質の引き算という手法を象徴するのが、両替機そのものの作品《[ex]change》(2024)だ。
これは「千円札を入れて硬貨に両替する」行為自体は等価交換であるのに、両替機からは硬貨10枚分の質量(約47g)が失われてゆくという矛盾(?)を作品にしている。等価交換のはずが重量カウンターの数値は減っていく。ささやかな減算、質量の蒸発は単なる経済ゲームを超えた思考をもたらし、ちょっと気持ち良い。
◇安岐理加「その島のこと」
この会場で最も「瀬戸芸」的であり、最も瀬居島について実直に語っている。非言語的な、標本・オブジェ配置インスタレーションが主な中で、ストレートに元・島民の声を聴いて歴史を編んでいる。ぶっちゃけこれを最初によく観て読んで咀嚼すれば「瀬居島」と瀬戸内海について理解と共感が深まる。
海に囲まれた島であるとは、漁民がいる(いた)ということだ。
作者は2012年から豊島を拠点にして生活しており、延縄漁の道具「ナワバチ」について研究し考察している。本作では豊島で空き家となった親族の家に残されていた漁や生活道具と、古い写真や語りから歴史を浮かび上がらせる。そして瀬居の延縄漁の話を聴いて回り、畏敬の念を折口信夫「ほうとする話」の引用に込める。
宮本常一の書や瀬戸内海歴史民俗資料館の調査報告書が、かつての瀬戸内海に浮かぶ島々に連なる漁民の歴史、海の存在、瀬居島の「島」としての姿を甦らせる。
陸続きの工場地帯となって、工場の敷地の一部のように整地され、海から切断された風景が続いている今、車で来て車で帰る私達には、漁民の存在を感じることはできない。海が見えなくなると歴史がひとつ見えなくなる。本作はそれを掘り起こす。塩飽諸島の中でも漁業以外に産業のない島で、昭和30年頃までは毎年県外へと盛んに出漁していったという姿を。
呼び起こされたナラティヴ。ある島の物語。人が住み着いて、田を耕して、漁に出て、彫りかけの「寝像」が残されて。向かいの島に精錬所ができて。若い人は街に出てしまって。港すぐそばの病院がなくなって、やがて年寄りも島を出て。海では大きな橋を作るための砂をたくさん採り始める…
橋は歴史の転換の象徴のように、大きなものを全て吸い上げて、今、海と空との間に、優雅に立っている…。
◇伊藤誠「空気穴」
「4つの部屋に共通するタイトルは『空気穴』です。」とある。穴というが、4つの部屋の作品はどれも穴どころか何を表したオブジェなのだか分からない。空気穴というから通気孔、換気孔のことで、どれも据え置かれた絶対固定の、完結されたオブジェではなく、呼吸・機能する、生き物に近い装置であると考えられるか。何が通気してるんやろうね。
図書室に転がる流線形の金属体《無題》(2000)は穴というより潜水艦か魚雷の祖先に見える。錆びた銀色の、流線形で丸みを帯びたそれは、図書室の真ん中に横たわっている。空になった本棚にも潜水艦もどきが2本セットのパピコみたいにくっついた《号泣》(2002)が立てかけられている。確かに背中が割れていて空気が入りそうではあるが機能は謎である。
《号泣》に至っては「父親が多大な借金を残して他界した時に作ったもので、この場所にはもちろん何の関係もありません。」と、潜水艦の造形からかけ離れたエピソードが語られていてめまいがする。見た目の造形や質感では図れない作品だということだ。
一応、展示全体の趣旨として「穴」について「実際の距離とイマジネーションとしての距離を行ったり来たりしている概念」と触れられている。学校という現実の歴史的な場と、作者の想像/鑑賞者が鑑賞によって催される想像とが共存する緩衝地帯を現わそうとしたともいえる。無論後付けであって、現場ではブツの形状と存在感に目を奪われている。
研修室には《接点Ⅱ》(2025)、下顎から歯を抜いて様式化したような奇妙なラバー製の平面が吊り下げられている。説明と共に見るとそれは「手」で、両手をどうかした形の写真から手の大部分を切り抜いた後のものだ。何のために、何の形をとろうとしたのやら、見当もつかないが、大真面目に大型作品として作り上げている。オブジェクト=主体の不在。
放送室には《手品Ⅱ》(2025)という、瓢箪型の巨大なストーブめいた金属体が立っていて、手前の廊下から金属の管で繋がっていて、観客は廊下から管を覗き込むことができる。だがしかし管を覗き込んでも真っ暗で何も見えない。手品師のテントの外と中の関係(覗き込むと中はすごく広いのではないか)、「作品の内側は廊下と繋がっている」とステートメントにあるが何のこっちゃ分からない。後に瓢箪の後ろ側に回り込んだがダルマストーブの進化系といった趣で、立派なオブジェクトだと感心したが、何がなんやらわけがわからない。
難題である。他の作品もたいがい読解に骨が折れるがこれはナンバーワンに困難だ。岡﨑乾二郎の彫刻めいた絵画ばりに厄介である。ただ、退屈ではない。眺めていても注視しても何かが見えて読めそうに思わされるためだ。
最後の音楽室はより「穴」から無縁の、まるで新種の図形を試すようなものになっていて、正面のホワイトボードには数字の羅列(作家の吉川陽一郎とで数字だけで会話するパフォーマンスの記録)、部屋の床の中央には円や弧を組み合わせて立面にした分度器の組立式みたいな、まさに岡﨑乾二郎的なオブジェがあり、結局わけが分からなかった。通気性・通気孔という観点から読んでみようと思えたのは最初の潜水艦だけで、あとは意味付けが逆に邪魔で、見ていく目ざわりと直感が楽しかった。「分かる」こと自体が不必要なのかもしれない。
◇早川祐太「いるもの」
1階の階段、吹き抜け部に垂れ下がって、ひよひよ揺れていた波打つ赤い糸。これはもう「作品だな」とは思っていたが、実際、作品である。いつの間にか最上階の踊り場に来ていた。
階段を昇りつめた屋上への扉の手前で、木組みの簡単な装置が立てられていて、電気のコードが階段手摺脇に這っていて、かんたんな扇風機が下向きに回っていた。そして屋上への扉の手前、床には白く丸い、きのこの精霊みたいなオブジェが鎮座している。
屋上に出ると、白く丸い石みたいなものが点在している。丸い精霊というのか紙粘土細工のオブジェというのか、生まれ出る形や言葉の原初の姿(自然現象にほど近い) 言葉が見つからないが、眼下の松の木とお寺、その向こうの瀬戸内海と空のブルーに、太陽光がふんだんに降り注ぎ、白いオブジェ的なこの丸いものが、なぜかとても理想的にマッチして、もう一泊ぐらいして作品をじっくり見たくなったのだ。
結局、作品についてはまたもよく分からなかった(文章の解説もない)が。分かる分からない、正しい解釈のことは、もうどうでもよかった。瀬戸内海に強く惹きつけられて、耐えがたい魅力を感じた。その「良さ」に白く丸いオブジェは一役買っていた。
作品のことは結局分からなかったが、分からなさが雰囲気となって、気持ちを駆り立てた。
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とてつもなく早くて多かった。
午前~昼に金比羅山を回って遊んで、女木島・男木島へ行くという当初の計画をすっかり捨て去り、されど帰りの間際にどうせならと駆け込んだのがここ、瀬居島エリアだったのだ。
時間はもう17時前。17時になると展示終了である。瀬戸芸が終わってしまう。16時15分頃に駐車場にインしたから、異様に慌ただしく、一時間もしないうちに「SAY YES」を駆け抜けてきたことになる。陽光を浴びながら海と町を見下ろしていたら急に何か心残りになってきた。作品・展示のことを何一つ理解できないまま、そして瀬居島エリアの他の展示をたっぷり残したまま、春会期をこれで打ち止めにしてしまって、本当にそれでいいのか。
「あともう一泊ぐらいしよかな」と誰に言うでもなく冗談で言ったが、後に帰りの高速で仲間から「あれ本気だったらその場で宿探してましたよ」と言われた。仲間も同じ気持ちになっていたらしい。
というわけで急遽、春会期中のリベンジ戦を組むことになった。日程は5/24~25の土日。会期最終日である。
瀬戸芸は進化していて、瀬戸内海は魅力的だった。
( ◜◡゜)っ つづく。