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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】2025.1/7-4/6_コレクション展3「阪神・淡路大震災30年 あれから30年―県美コレクションの半世紀」@兵庫県立美術館

2024年度コレクション展3期目は、同時期に催された企画展阪神・淡路大震災30年企画展 30年目のわたしたち」との連動企画となっている。

 

企画展レポはこちら。

www.hyperneko.com

 

コレクション展の全てが震災関連というわけではなく、常設展示室1Fの展示室1・4で「あれから30年 阪神・淡路大震災兵庫県立美術館、展示室5で「よみがえった作品―彫刻作品の修復について」という構成になっている。

 

「あれから30年」は、震災以降、震災の記憶を留め、あるいは震災以前の記憶を呼び起こさせる美術作品を収蔵してきた当館のコレクションを展示している。これです。こういうのが観たかったんすよ(前記ブログ参照)。「阪神・淡路大震災」そのものに的を当てた作品に。非日常的な刺激が欲しいというのではなく単純にあの地震のことをもう忘れているから。当時の生の空気感や触感に再度触れたい。個人の記憶想起では限界がある。

 

入ってすぐの福田美蘭《淡路島北淡町ハクモクレンは被災(地)のショックや傷と、その後の復興への希望を同居させていて最高だ。建物が倒壊して瓦礫と化した被災当時の写真、それは朝日新聞の記事=公的な歴史的記録・記憶の意味を帯びるのだが、「この木を残してやって下さい」との書き置きが掛けられたハクモクレンの木の「先」を、作者は青空と共に描き足した。写真と絵画、過去と未来、事実とフィクションを同居させたミクスチャー表現に、見惚れた。

西田眞人《瓦礫の街》は、日本画家としての描画のためか、被災後の街の光景は太平洋戦争の空襲で焼かれた後と見紛う。黒と灰色の瓦礫は丁寧に一つ一つの物体がひしゃげ、ゆがみ、積み重なって描かれ、曲がって外れた柵やフレーム、残された建物や電柱が都市の面影を残す。暗く黒い全体に、赤色の霧のように火災の描写を重ねているのが、戦争の風景に重なる。この過去を引き摺るような惨劇の質感は写真では出せない。

絵画ならではの暗い描写は、吉見敏治の木炭・コンテ絵も同様で、シンプルに捉えられた形、線の動きが破壊の力を表していて、建物や線路の折れ、歪みがストレートに伝わる。灰色を基調に仕上げられているためこれも戦争の跡のように見える。こうした作風は世代の影響もあるのではないか。1995年だと、戦中~戦後すぐに生まれていた作家もまだまだ存命である。東日本大震災とは世代が全く違うのだ。

堀尾貞治《震災風景》の縦5枚 × 横9枚=計45枚で埋まった壁面は迫力があった。水彩やオイルパステルで、スピード感に溢れた線の躍動によって描かれた破壊景は、近づいて1枚ずつを見ると踊り跳ね飛び散る、ジャズ演奏のような色の線にしか見えない。離れて遠目に観ることでそれらは破壊されたばかりの、生きた被災地としての姿を現わす。即興で跳ねる赤や青や黄の「色」が組み合わさって、カラー写真とも異なる現在系を表している。カラー視覚情報がデフォルトの「平成」にふさわしく、西田眞人、吉見敏治のように戦争・戦後とは結びつくことがない。

写真関連では、 文化財レスキュー事業」と「HYOGO AID'95 by ART」企画の関連展示があった。

文化財レスキュー事業」は阪神・淡路大震災の被害を受けて兵庫県からの要請に応じ、文化庁長官の呼びかけによって委員会が発足され実施されたものだ。事業の年表とともに提示されたのは、芦屋にあった中山岩太の写真スタジオ救出作業の解説だ。これはかなり短いテキストで、他に詳細の分かる資料を探してもインターネット内では厳しい。「京都文化芸術オフィシャルサイト」田中善明学芸員の「文化財レスキュー隊」が参考になるか。

kyoto-artbox.jp

中山写真スタジオ救出作業は、被災したネガやプリント、資料の救出・保管と、その後のプリント作業があり、後者は写真家・畑祥雄氏(現、大阪国際メディア図書館・館長)の呼びかけによって阪神・淡路写真ヘルプ・ネットワーク」が発足、100名近いボランティアが参加、芦屋市立美術博物館の一室でガラス乾板・ネガフィルムから密着焼きプリントを作成したという。これらの資料保存が功を奏し、1996年9~10月「神戸モダニズムの光彩 中山岩太展」(大丸神戸店7階特設会場)開催に結びつく。これらのことは同展示の図録に書いてあり参考になった。

 

「HYOGO AID'95 by ART」は復興支援チャリティイベントで、オリジナル作品やポスターが販売され、収益金を被災者支援基金に充てたという。参加作家23名が計24作品を美術館に寄贈、うち20作家・20点が本展で展示された。

そのメンツが凄くて、写真家は奈良原一高細江英公森山大道東松照明有名な作品ばかりが並ぶ。車窓スナップ写真ぽいシルクスクリーン野田哲也がおり、知らない写真家だなと思ったらこちらも著名な版画家だった。他も、李禹煥吉原英雄高松次郎横尾忠則、白髪一雄、草間彌生元永定正、菊畑茂久馬、靉嘔、中西夏之赤瀬川源平・・・などと、オリンピックですやんか。レジェンドだらけのチャリティ販売会で、羨ましい限りだ。

その続きで、ジョルジュ・ルースの特集コーナーがあり、これが見応えがあった。ルースは阪神アートプロジェクト」の招聘に応え、1995年6月末から8月末まで大阪と神戸で制作を行ったという。

廃墟や取り壊し予定の建物というリアルの建築物を舞台とし、内外に色を塗ったり線を引いて、それをある一点から写真に撮ることで、一枚の平面のデザイン・絵画・コラージュ作品のように仕上げてしまうというものだ。元から絵として描かれたか、写真の上から色を塗ったようにしか見えず、被写体となる空間そのものに直接色を塗っていると知ってもなお理解が追い付かない。空間の奥行きや立体性が完全に上書きされている。いや、写真内部の奥行きの情報は保たれたままで、その写真像に乗っかる形で、上部レイヤーとして色や線が施されているように見える。

これはカメラという一つ眼の視覚ゆえに起きる現象で、三次元を平面に落とし込む際に奥行き・空間の情報が圧縮され、さらにその写真を人間の眼で見ることで奥行き情報を再構築する際に錯視が生じている。解説を理解しても鑑賞・視覚体験がついてこず混乱するという素晴らしい作品だ。

NHK神戸放送局を舞台にした作品から、被災で傷付いた物件が用いられていることが分かった。震災を機に、その後、多くの建物が建て替えられたのだ。1995年を境に、阪神の風景は一変したことだろう。本作は風景の変わり目を刻む記録となっている。

 

規模の点で見応えがあったのがトン・マーテンス《長田区の壁(紙のモニュメント)》 で、震災で焼け残った長田区の公設市場の「壁」をフロッタージュ(擦り出し)で和紙に写し取っている。つまり原寸大の建造物の複写だ。縦217㎝ × 横98㎝の和紙76枚で構成される、大型作品で、当時の津名町役場の協力により約2週間で完成したという。写真以外の手法でもこうして複写的に存在を遺す方法があるのだと実感した。モノの記録だけでなく手作業の痕跡が多く刻まれるのが特徴だ。

常設展示室5では、被災時の転倒や落下、素材の破断や屈曲などのダメージを負った彫刻作品の修復作業についてレポートが展示されていた。ジャン・アルプ《陽気なトルソ》やジャコメッティ《石碑Ⅰ》などのダメージ状況と修復作業の経過について1枚ずつまとめられている。読み応えがあったが時間と体力が付きかけていたので大分端折らざるを得なかった。

 

出口手前の展示室4では束芋《dolefullhouse》、大型モニタに展開されるアニメーション映像作品は企画展での展示作と同様、ドールハウスの人形遊びのように、「家」を空間・建築丸ごと外から俯瞰的に映し、外から忍び寄る巨大な怪奇を表す。水が流れ込んできて浸水していく様は災害と強くリンクするところであった。

企画展は、震災から30年経過した「今」を生きる作家らに焦点を当て、コレクション展は、震災をきっかけに生まれた作品や、芸術分野での復興活動に焦点を当てている。コレクション展と企画展をペアにして、対で観ることで、全体の役割分担が分かり、知りたいこと・観たいものの満足度が高まる構成となっていた。

また、震災関連以外では、具体美術などの戦後の前衛美術や、サブカルと前衛との近接として横山裕一、西山美なコが紹介され、良かった。

 

完( ◜◡゜)っ