2024年・年末のやり残し企画「2024年に購入した本」、一般書籍の部をやりましょうね。買っただけで読んでない本が大半なのでボロが出ないよう詳細は控えますが、いつ読むんだこれは。
( ◜◡゜)っ よみたいな(願望
まとめ①写真関連はこちら。
写真関連はまだ地元の仲間・知人みたいなもんだからいいんだが、ジャンルを越えた途端にやばい。wakaran。わからんもんをしったかで語るのは暴力であると、棍棒を手にしたTwitter知識人が忍び寄ってくる音がするぜ。
本を個別に取り上げてレビューするのが不可能なので、ジャンルで大別しましょうね。
あと作業してて、スクショ画像貼り付けるんじゃなくAmazonリンク貼ったら親切だし、こっちの作業効率も良いことに気付いた。ああう。最終アウトプットから逆算して作業しましょうね(白目)
◆哲学、思想
いうほど思想でもないんやけどそれっぽい区切りを設けないと死ぬから便宜上のあれです。世界は分類なんだよ。マーク・フィッシャー先生はスピード感がある。2024年6月に『K-PUNK 自分の言葉を選べ―音楽・政治』が発刊され、それによって過去作『夢想のメソッド―本・映画・ドラマ』があることに気付いたのだ。んなもん両方買うすわ。
何食ったらこんなポンポン言葉が作品や社会や出来事に連なって出てくるのだろうか、訓練がどうとかいうより日常生活における思考の速と密度の桁が違う。Twitterでチー牛や豚丼を検索して女さん男どもの対立を情緒エンタメ化して時間浪費している場合ではなかったのだ、「今ここ」が厄介な資本主義ナイトメアであることを自覚すること、幸いにも極めて明晰な夢であるために思念を強く束にイメージと言語を操縦すればこの体は動かせること、そうしてかつて自由とか意思とか言われていたものを入手しにいく、本書はそのトレーニングに活用されるべきだろう…
浅田彰と柄谷行人、「批評空間」回りをつついていたらNTT出版から「ICC Books」シリーズというのが出ていたことを知り、浅田彰+磯崎新で「Any…」シリーズが全10巻もあることを知った。
初見では「Anyone」とか「Anyway」とか一見同じような名前なので混乱し、しかし別の本らしいと気付いて、あの二人が90年代に様々な国や地域で行った建築と思想、技術についてのカンファレンスをまとめたものなら確かだろうと思い、集め始めた。全然読めていないがそのうち読むでしょ。
しかし80~90年代の出版パワーは凄い。何でもかんでも本にしてくれている。お陰で情報・思考がロストしなくて良い。Web時代は後から振り返れないので大変でっせ。
柄谷行人からの派生技でNAMをひらめきました。
「批評空間」で柄谷行人とNAM(New Associationist Movement)の話題が出て来て、なんでも仮想通貨の先駆けとなる取り組み(地域通貨Q)をやっていたという。へえリアルタイムで全く追ってなかった。ゼロ年代初頭って浅田・柄谷あたりを見る気持ちになってなかった、なぜならインターネット × サブカルがもう忙しくて。
しかし2000年に始動してからわずか2年半で終了、解散。
取組みの新しさもすごいのだが短命で終わってるのもワケアリぽくて気になり、色々前提も含めて知りたくなり読んでいたが、吉永剛志『NAM総括:運動の未来のために』の序盤から重くてきつかった。こんなややこしいものをよくみんな立ち上げて実行までもっていったなという感嘆しかない。そも、今のDAOで仮想通貨立ち上げと根本が違っていて、マルクス主義がベースにあり、左翼的理念に熱い(うるさい)人らが集まってワイワイやってた上に、中央集権・官僚的組織を否定したため「誰がまとめるねん」状態でスタート。地獄や。事務局たいへんすぎる。
2024年は福尾匠の名をよく見かけた。
ドゥルーズの哲学について、実践性と芸術との関係という観点から読み解いていくが、その哲学と芸術との関係そのものにいかなる変化が起きてきたかを見る。参照項の一つにはカント、もう一つには東浩紀『存在論的、郵便的』、平倉圭『ゴダール的方法』、千葉雅也『動きすぎてはいけない』がある。
ドゥルーズによれば哲学、芸術、科学という三分野はそれぞれ異なるもので、各分野における創造は互いに異質であり、局所化不可能な干渉:「非」として異なる分野に干渉し、相互関係にはないとする。「非美学」は「哲学にとっての芸術」を扱う。
全然読めてないのでこれは宿題にします序論だけで正月が死んじゃう。※めちゃくちゃ読みやすいフォント&日本語で書かれています読めてないのは私の問題。ドゥルーズって何の人だ。リゾームだけが独り歩きしてるんよな。はい。
◆文学・文芸
今まで「文学、小説は読まんでいい」と切り捨てていたのだが、なんか「観た展示についてちゃんと考えて論じる」ことの繰り返しに疲れてきたというか、語彙の枯渇?書き方のパターン化に伴う作業感に疲れてきて、人間らしい語彙やレトリックを取り戻したくなったというわけ。一人の人間が使う言葉って体そのものだから自由と不自由が表裏一体で、すぐさま不自由に傾くのよね。
で埴谷雄高はどうもヤバそうだと思っていて、そのうち「死霊」シリーズは齧りたい。反社会的な人間に仕上がるかもしれぬ。宇宙はいつだってセブンティーン。謹呈された重力と婚姻関係。あう。
小説の面白さを超久しぶりに実感したのが井上靖『補陀落渡海記』。
ああっ文章ってこんなにもしっかり人間を、生き死にを、悲哀や懊悩やどうしようもなさを表現できるのか!!!と、生まれて始めてyoutubeで動画配信を観た人のように痺れました。補陀洛寺で表向きの歴史を聴いた直後だったので余計に効いたんすよ。ぐうの音が出る。それが12月初旬のこと。
とにかく2000年代半ば以降の日本の文学、小説は完全無視して良いものと断言できるぐらいおもんなかったので、もう要らんで確定していたのだが、いやそれなら昭和~平成初期あたりのを再吸収しようやとなりまして。
井上靖に調子づいて「事実・史実 × 創作はヤバい」となり、ならば吉村昭だと。またここで極端なまとめ買いをやらかします。事務系正職員の宿命として、まとめ買いによって単価を抑えることに腐心するという生態があります。
まだ1冊も読んでないからな。わはは。『羆嵐』が凄すぎてその衝撃が爪痕として残っているので絶対おもろいはず。
2024年前半で既にルポ、ドキュメンタリー × 創作の形をした文学はイケるという確信があって、沢木耕太郎を揃えてました。これは結構読んだ。
沢木が特徴的なのはルポライターとして対象を完全に取材する立ち位置から観察的に書く場合と、対象に主格同化して自分がその人になりきって一人称を使うところまでいく場合の二極に大きく振れることだ。『破れざる者たち』が好きで昔から読んでいたため前者の描き方しか知らなかった。当然そちらの方が面白い。まだ引き出しがある気がする。
自由な文体がこの不自由な心身を救う、という発想は、私に町田康を再確認させます。あの人こそすごいやないか。関西弁やし。言文一致というか過剰な話し(落語的な)の口語言葉によって文語体を逆浸食しておる。あと脳内再生する際には本人の朗読ペースでやると綺麗に入ってくる。
読み返してみても、小説もエッセイも全然体質には合わないのだが、なぜ町田康を再度読もうとしたかというと、youtubeで「宇治拾遺物語」を自分なりにどう訳したかのトークを聴いて、完全に引き込まれたため。耳から聴いて好き嫌いの転換スイッチが入るってことがあるんやね。
めっちゃおもろいどす。
あとは色々と雑駁にやってます。変な日本語・物語を常用しておけば、山登りだの珍スポット巡りだのといった日常系ブログを書く時にナチュラルに変になるかなと思って、安部公房が第一選択に上がります。『砂の女』『飛ぶ男』『題未定』をジャケ買い。
Web閲覧の合間にたまに手元で開く程度で摂取します。紙の本とくに小説はどうしてもTwitter刺激には負けるねんな。
文学とは言わないかもしれないが、エッセイとして優れているのがpha「パーティーが終わって、中年が始まる」、まさに作者と同世代で、同じタイミングと年数でWeb文化、Webコンテンツに浸かって独身生活を謳歌してきた者として、極めて強い関連があり、自分事として重たい。
ただ決定的に異なるのが、pha氏はよくわからない人たちとの交流、生活を楽しんできている。それでもシェアハウスは若者の空間だったと解散しているが、私は年齢に関係なく一人でないとだめで、限られた関係者と密にやっていました。不特定多数との繋がりを作り続け、それを発信する=消費者・顧客を超える、というのが重要なのだが、それはなかなか難しい。
Twitterには自分をスペシャルで価値があり才能があると派手に喧伝する輩がものすごいうるさいですが、兵庫県知事選でリアル社会まで立花孝志と信者たちがうるさかったし、遡れば7月の東京都知事選はもっと酷かった。で冷静になってみたとき、真の奇人、才人というのはもっと賢くて別の意味でヤバくなかったか? というわけで思想犯みたいな人物らに着目します。
松本哉『世界マヌケ氾濫の手引書』、いやほんとすごい。アナーキズムの現代版。横浜トリエンナーレ2024で存在を知れたのは良かった。
弾みがついて外山恒一も見ておこうと思いました。
と来れば宮崎学も再確認しておきたい。
現在のTwitter暴走者、YouTube芸人らは資本主義システム、広告料課金システム、炎上商法と反知性的単純化による集客に精を出しており、同じ電車に乗ってその車内で商売している点で松本哉、外山恒一、宮崎学らと異なる。だからこそより悪質性が高く被害がでかいわけだが、、
◆文学・文芸(SF)
読めもしないSFを読みます。無理やろ。
きっかけはアマプラで映画「DUNE/砂の惑星 パート1」(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)を観てしまったこと。惚れた。完璧で非の打ちどころのない、完全なる没入を約束する、最新鋭の映像技術とスターウォーズにハマれなかった人にも優しい古代 × 未来のでっかい世界観、ウオオ。
映像美に惚れて、ビジュアルブックに手を出し、おかしな散財をします。何をしとる。
SFは「気になるけど理解できないミステリアスな憧れの人」、たぶん会話しても会話にならない、しかし言われたことの一言二言が一生残る。そんな存在であると。思いましてね。はつこいのような気持ちで。買っちゃう。読んでない。はつこいですからね。テスラ 違う 手すら繋がないあの感じ。つなげや。
80年代、90年代の著名なSFを押さえておけば何が来ても大丈夫だろうという謎の発想。良い買い物をしたという自負はある。読んでない。あればそれでええんや。金塊みたいなもんなんや。
古典は読みやすい。描かれるパターン、そしてディストピアは既にうっすらと人口に膾炙されたものであり、なんとなく文化・教養として受け継がれたディストピア観であるから。
ジョージ・オーウェル『動物農場』ほんとに胸糞悪かったな。ロシアの共産主義革命後のスターリン支配を戯画化したというがほんとに胸糞。
ジョージ・オーウェル『一九八四年』をはやく読みたい。あ、これ村上春樹『1Q84』に関連してるのか。私の黒歴史だが、あの本、タイトルを「IQ84」と勘違いしてて、すごいやばい題材の小説と思ってた。
そして年末の瀬戸内海離島の旅で、同志より「星新一は良いですよ」「円城塔は何いってるか分からなくていいですよ」と勧められ、わたわたと買い漁ったり。なんでも「この人がこんなに面白そうに勧めてくるものなら、たとえ自分に合わなくても、知るだけでも全然良い」というのがありますね。他者と関わるというのはそうした知のネットワークを外部に形成できる点で物凄い強みがあります。わかっちゃいるんだ。人とつきあうのがめんどくさいお
円城塔、ほんといみわからん( ◜◡゜)っ どうしたらよいのか
星新一はショートに徹してるんすね。めちゃくちゃ読みやすい。大衆娯楽としてのSFか。良い時代だ。円城さんとのギャップが凄い。同じ「SF」ていうのかこれ。四ツ打ちでゆっくりなら全てハウスと呼んでいた時代のよう。
◆文化人類学、歴史、宗教、科学
2024年後半は田辺~熊野、紀南あたりへ行く機会が増え、一気に山岳信仰、熊野信仰、古来の日本の精神性などに関心が深まりました。おのずからそれは天皇という制度、存在へ直結し、ひいては日本の歴史そのものへの見直しに至ります。あーあ。また本が増える。
井上章一はライトで入りやすい。『狂気と王権』あたりから。
折口信夫とか山口昌男といった大家も、安く出てたら地味に押さえていきます。
熊野、紀南に触れるということは、熊野古道と新宮、中上健次が不可分について回るので、やることが増えます。逆に明確になるというか。これで東北とか行ったらまたどえらいことになるよな。こわ。
中上健次は田辺~新宮など紀南に触れるようになってから一気に当事者性が上がって読めるようになってきた。
『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く』、写真は鈴木理策が担当。新書サイズなので賞美はできませんが、写真集『KUMANO』とかとの接点がまた生まれたりする。
信仰、神、聖地、祭事、儀式、まじない、とドミノ倒しが順調に行われ、鳥居だの巨石だの、鬼、狐、狗だのが気になります。
怪異、古代となると戸矢学の名が挙がり、『ヒルコ』『鬼とはなにか』をいっておく。
呪術廻戦はわかったけど呪術とはそもそも何ですか?
ChatGPTは相当進化してきてるけど根本的な応答は先行研究・考察を当たるしかないです。て言うててまだ読んでない。代わりに読んでくれへんかなAI。
一方でめちゃくちゃ即物的なところへも行くぞ。脳、消化管、循環器系とダイレクトに結びつくもの、薬物。そして依存。
ドラッグ、薬物の研究では佐藤哲彦の名が出てくるので押さえておきます。90年代後半に多感な年ごろだった人間はヴィレッジヴァンガードでアングラ・サブカル本としてドラッグにときめいていたわけですが、いい年なので社会学・歴史学へ立ち位置を変更してみるのが吉。なぜなら日常生活そのものが既に依存症ビジネスの戦場であるから。
そのものズバリの『依存症ビジネス』『買い物する脳』、いいですね、これが既に依存症を刺激するタイトルでやばい。
◆ルポ、ドキュメンタリー
現在進行形で色んなことがあまりに起きすぎていて、それがぜんぶリアルタイムでTLに流れ込んでくる、これでは情報処理も、情報の取捨選択も、是/非のスタンス決定も難しくなるのは当然と言えば当然。だが声のでかい人間、金回りの良い人間、プレゼン・煽り上手に付いていけば良いとわけではない。
選挙ウォッチャーちだい『「NHKから国民を守る党」とは何だったのか?』は今こそ読んでおくべき一冊。兵庫県知事選で椅子から転げ落ちるような結果に直面させられたのだから、今読むしかない。立花孝志を安く見積もると危ない。
つい先日(2024.12/9)逝去となった打越正行。『ヤンキーと地元』は存在を知りつつ手に取ってなかったので、これもきっかけと思って読むことにしる。
夏に東京行って歌舞伎町歩いてたら、隅っこの通りを黒人がでかい面してシマにしてて、写真撮るなとかわめいてきたからめちゃくちゃムカつき、そもそもこいつら何なん?とムカついて國友公司『ルポ歌舞伎町』を読んだのだ。なぜ黒人がそもそも歌舞伎町の一角にいるのかの構造が分からんと気持ちが悪い。で、書いてある。良かった🥺
しかし歌舞伎町の方が可愛いというか実は生活上には実害がなく、「今ここ」からスマホで全てが繋がってるという意味では、アプリの先にアングラ、他者コミュニティがあるということで、向こう側には普段の社会生活で出会わない地雷みたいな層もおるわけですね。にゃるら『承認欲求女子図鑑』の知見を借ります。
こういう様々な人たちと普通に会ってフラットに話のできる環境があったらそれはそれで刺激になったと思う。普段の生活では関わりたくねえなあ。可愛いかなあ。甲羅の掃除をねだりに来るウミガメの方が可愛い。
裏とか影とかいうと闇バイトの犯罪の派手化、Z李逮捕とか色々あり、草下シンヤの名前に触れる機会が自然と増します。色んな本出してるなあ。『裏のハローワーク』『実録ドラッグ・リポート』を試す。
ドラッグ・リポートいいなあ。臨場感がある。ドラッグは人がやってるのを見聞きするのが一番いいんですよ。
懲役太郎・草下シンヤ『常識として知っておきたい裏社会』はめっちゃおもろい。彫り師はたいがいシャブキメててパンパンになってるとかおもしろすぎる。
YouTubeでは丸山ゴンザレスの名がしょっちゅう出てくるので『アジア「罰当たり」旅行』も。さくっと読める。
◆流行・話題、社会
時代の流れについていくのはたいへんや。1~2年で正義や被害者の定義の潮目が急に変わる。リベラル、フェミニズム、男性主権批判が一周回って粗悪で暴力的なものに見えるようになってしまった。悪貨は良貨を駆逐する。山岡さん本当のフェミニズムを見つけに行きましょうよ。さて。
脅迫、焚書になってたからすぐ買った『トランスジェンダーになりたい少女たち』、なんしか西欧諸国で起きてる状況がひどすぎて無茶苦茶できつい。ドキュメンタリー映画も作ってほしいし作るべきだ。
何者でもない―「何者かになりたい」、しかも即席で手軽に、今すぐ、という悲痛なまでのワナビー層と、それを(被験者の自己責任に転嫁したうえで)手っ取り早く叶える層とが、不幸な出会いを果たせてしまう現在。じっくり考える、判断するという過程が抜け落ちていく。
『「傷つきました」戦争』、傷ついた、被害者ですと言う側に回ることが勝ち、という戦略かと思ったら、本当に傷ついていたりするから手に負えない。西欧どうなってんの。
最近聞かない「意識高い系」、「珍走団」ぐらい行き渡った蔑称になったのと、ビジネスとして流行が終わったから、売り込みの別の設定と攻め口が講じられている感がある。そもそも余裕が無かったら自分磨きで意識を高められない。2017年時点よりもっと追い詰められてて、即・売りに繋がるかどうかでしか生きてない?
『科学者はなぜウソをつくのか』。「科学」の手続きと民衆の要請、疑念、直感がまったく折り合わなくなっている。政治家・与党の思想が「科学」的な手続きを無視して「当たる馬券を買え」みたいになってきてるからそらそうなるわな。
『あなたが知らない科学の真実』まだ読めてないけど「科学」がウソで信じられないなら何を信じましょうかね。誠意とか声とか「見える」関係に収斂され、「斎藤元彦はいい人」「立花孝志は賢い」という(略
綿野恵太『「逆張り」の研究』はエッセイ調で読みやすい。話題も日々のTwitter空間ベースなので親近感がある。しかし現在の事態は執筆時点から更に進んでいるように感じられた。「逆張り」は限られた時間や注意力を奪うための経済的戦略として至るところで使われるようになった、またリベラルな立場からの発言が「逆張り」としてネトウヨ等のアンチからシニシズム論法によって批判される、それらは差異化ゲームの繰り返しによって生み出され続けているが、私達は相対視をこそしなければならない・・・
しかしマイノリティと想定されてきた・自認してきた層が無茶苦茶をやりすぎ、実害がひどくなってきた。そしてマジョリティと呼ばれ批判の対象となってきた層がいよいよ黙ることをやめて声を上げている。特権を享受している人間がいない。安倍晋三という軸のもとに左右に分かれてワアワア言っていられた時代はもうノスタルジーだ。
梶原麻衣子『「”右翼”雑誌」の舞台裏』、まだ読めてない、これがリンクしてくるだろう。
社会を見ていると萎えてくるので、快楽がほしいですね。性というものもまた産業でありシステムである。安田理央『アダルトメディア年鑑2024』『痴女の誕生』で「性欲」や「性的消費」の中身を見ましょう。性器は経済、政治に繋がっている!ちくしょう。
経済との結合を免れたければいよいよ独自・固有の性感を深めなければならないが、『図説”特殊性欲”大百科』をめくっていると自信を喪失します。アホほど多岐にわたる性対象・プレイの種類、なのにこうも意味不明で、時に嫌悪感すら覚えるのか。難しすぎませんか(´・_・`)
◆ビジネス本
2024年4月の人事異動で昇進し、今までナメた働き方を極めてきたのが、急にちゃんとしないといけなくなり、泣きながらまともな組織労働者にスイッチすべく、ものの考え方をですね、補正する必要に迫られまして。あれだけバカにしてたビジネス本を再度手に取り、出勤前とかに「まともな考え方はこう・・・ビジネス脳はこう・・・」と泣きながらやっていたわけです。
全然内容覚えてない。役に立った気が全くしない。
『ビジネスフレームワークの教科書 アイデア創出・市場分析・企画提案・改善の手法 55』、おお。なんか帯からして使えそうなあれだ。案を出せとかなんか考えろとかいつも言われとんねん。
アイデア出し⇒ニーズ発見⇒分析検証⇒企画⇒プレゼン⇒改善PDCA
あ~。研修みたいな内容やった。まあ楽な道、飛び道具は無い。これは研修でないとむり、家でこんなもん考えられませんどす。
『電通現役戦略プランナーの ヒットをつくる「調べ方」の教科書』、見ててもだめで、ちゃんと読みながらその通り実践せんとあかん系。500ページあるねん。マーケティングはターゲットとセールスポイントをちゃんと合わせるべくリサーチをしましょうねという手引書。これがちゃんとできたら色々応用できそうだが、こんな緻密にしっかりやれる組織は少ない気がする。電通サンに委託せなアカンいうことですわ。
でマーケと私の仕事まったく関係ないんでだめです
『思考の穴』、「イェール大学集中講義」ていう煽りがまたうまいなと思いましたね。探したけど見つからない。寝室にしまい込んだかもしれぬ。認知心理学、思考のバイアスによる見落としが出ますよという本。仕事の実務に関係なかった。
『認知バイアス辞典』2冊セット。「機能的固着」とか「現状維持バイアス」「スリーパー効果」といった論理学、認知科学、社会心理学の3分野の用語について図入りで説明がなされている。これを把握しておくとメンタリストなんちゃらみたいな高級な言い回しをする詐欺師の類が知識をなんぼベラってきても「あーはいはい」で済ませられていいですよ。仕事にまっったく関係なかったが、おもろいから買って損はない。
『世界最前線の研究でわかる!スゴい!行動経済学』、流行りましたよね行動経済学。なんであんな流行ってたんやろう。実行力があり実際に人間を動かせそうな期待があったからか、アクセス数PV数にコンバージョン率どないやと日々格闘させられてて実効性が命の世界に生きてるからか。
説明を簡単にしようとした結果、イチローとかYouTuberになりたがる子供とかいった一般論が並んでいて面白くはなかった。
「問題の多いスマートドラッグに頼らず、締め切りや目標を設定して集中しよう!」と書いてあってムカついて棄てそうになった。あほいえ薬物しか信じられるものなんてないんですよ? ンンッァアアアッッ”
『ナッジ!?: 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』、やはり手元に本がない、面白くなくて寝室に下げたかも。
ナッジの手法を取り入れて実践に移すための手引書ではなく、リバタリアンの思想:自由と放任との関連に紐づけて説明する本なので、当然ながら仕事の役に立たない。
『博報堂スピーチライターが教える 5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本』という著者ですら記憶し難いような長大なタイトル。超大黒摩季かよ。しかし実用性としては一番高かったかもしれない。ステップアップ式にトレーニングしていくもので、とにかく言葉を覚える・想起し発語することの基本中の基本から毎日やっていこうぜという本。
「お題を出して、関連する単語を1分以内に10個挙げる」とかは実に良い訓練。「考える」行為は観念論ではなく身体トレーニングなのだとわかる。これはやったほうがいい。
『Sales is 科学的に成果をコントロールする営業術』、これも書いてることを実践でやっていくべき手順系で、マインドセットからアポ取り、リードセールス(案件獲得)、コアセールス(案件攻略)、アフターフォローまでの段階別に何をやるべきかが書いてある。
なんかさーできる人って営業職じゃないけど自然と「営業」ができてるなって実感する。相手主体で物事を考えて段取りしてコミュニケーションとって、なおかつ自分の売り込む・主張すべきものは譲らない、しっかり相手に渡してくる。どうやったらいいの。あこれやったらいいのか。めんどくさいんやけど(死
◆研究・調査、ライティングスキル系
いつも自信がなくてですね、「より良い文章を書く方法」とか超わかりやすいハウツー本を書店の平置きや一等地の棚で見かけては手を伸ばすので、仲間から「あんたはもうハウツー本なんか買わんでいい!」と全力で止められる。だからどうせならガチなハウツー本がほしいですね。あるんかそんな処方箋が無いと買えん薬みたいな本。さがそうや。
荒木優太『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』、著者の名をTwitterでしばしば見かけるが路上で素早く顎殴ってる感じのキレのある短文投稿なので信頼がおける。これは15人の現役の在野研究者による研究生活の実践書であった。
面白いのが「ハード/ソフト」と「みんなで/ひとりで」研究したいかのxy軸で著者の分布が表されていて検索できる。とことん実践的だ。これは読み込みたい。
『できる研究者の論文生産術』『できる研究者の論文作成メソッド』2冊セット。完全に血迷ってどうかして手にした本だということが分かる。どうした私。論文書かへんのに…。
これほんまもんのハウツー本で、これからちゃんとした体裁と手順で「論文」を書く人のための説明書だ。これ学部生時代にあったらもっとちゃんとやってたのに…論文とレポートの区別もついてなかった黒歴史が憎い。
で、今現在はこんな手続きに則った文章書いてられないので「自分にはムリ」と思うためのものになってる(白目
『ゼロからわかる大学生のためのレポート・論文の書き方』、いいねまずはこれから始めるべきです。これは社会人でも調べて文章書く人には基礎ハウツーとして実用的。お題に対する資料入手、情報整理、論証、項目アウトライン作成~文アウトライン~完成版アウトライン化、そして文章化へ。表記や引用のルール、卒論の準備まで書いてくれてる。だから学部生時代にこれあったらもっと、(´・_・`)
阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』、また同じような系列で固めているがTwitter等で話題になってて、その。気になったんや。
しかしこれはどちらかというと主張の仕方:現在の日本の論文ではなくアメリカ式の論証をトレーニングしようというもので、「できるだけ強いアーギュメント(主張、論点)を作る」「そのアーギュメントを説得的に論証する」=飛躍をパラグラフによってなだらかに埋める、ことに力点が置かれる。その手続きのために先行研究の読解・引用を行い、査読に耐えうるイントロダクションを作成するのだと。技術論であるが既存の書籍とは角度が異なり、「分からせる」ためのタフな技術が指南される。
また最終章はそもそも「なぜわたしたちは論文を書くのか」という研究者にとっての真の命題に触れている。「アカデミックの価値とは何か?」「人文学の存在価値とは何か?」普通に良い本。
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』、タイトルから想像される「通読、精読してなくてもだいたいの概要を語れるようになるテクニック」などではない。数々の古典や現代の小説、映画などの作品を引用し、ある本の中身を直接読んで直接その内容に言及する「のではない」形で「本について」語る事例を紹介する。言わば世界の各時代の各地域の「本」が総合的につながり合って作り出す文化の総体、「共有図書館」に向かって大いなる可能性を示すものなのだ。
文系知と書籍とが織りなす哲学の本だったのだ。面白いけれどもこの境地を受け入れるにはけっこうな旅路に出る必要があり、今の私はその段階にいない(´・_・`)
近藤康太郎『三行で撃つ』、実用書です。作者は朝日新聞社で記者をやり、「AERA」編集部を経験し、2017年からは山奥でフリーライターや猟師をやっている。その文章に興味を持っていない「読者」に興味を抱かせ、読ませるために、猟師ならではの段取りと心構えを解く。速度がある。「うまい文章とは何か?」いきなり核心から突いていく。そして「ライターになる」「一人称・読者を想定する」、誰が誰に書くのかを決めさせる。「ライターの道具箱」、4段の引き出しに道具を詰めさせる。実践流でスピーディーで親切だ。この通りに鍛えたら職業ライターになれるだろう。
『サイエンス・ブック・トラベル:世界を見晴らす100冊』、ぜったいおもろいけど読んでない。読むひまがないんだ。
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きりがないのでこのへんで切り上げよう。つづくんやで(死